名を封じた男
忘れた過去を不意に夢で思い出すことがある。
大腿部の痛みで不快な――全身が汗ばんで、発熱した気怠さに目を覚ます。古臭い畳の臭い――懐かしい記憶が夢となった理由。
「起きたか、もう少し休んでいろ」
狭い室内の壁に背を預けて座っている魔王――ニコリともしない無表情を見て安堵した。夢から覚めて依頼主の魔王が死んでいたら、自身の不甲斐なさを一生背負わねばならない。自分の在り方に余計な汚点はいらない。
「えぇ。生きていたのね」
「俺は死なない」
「そう、だったわね」
視線だけ動かして認識した――『鋼鉄の殺戮師団』が転がっていた。一見して外傷もなく、力なく此方に向けられている顔に苦痛の色がなかった。心地良く眠っているかのような死体――沙羅は見覚えがあった。
「魔王、一つ聞くわ。貴方、ショッピングモールでテロが起こった時」
「――あの場にいた。俺はテロリスト相手に、魔力での魔術を行使し、三百十一人分の魂をこの箱に収めた」
「テロの首謀者は?」
「そこまでは知らない。五階に集めたテロリストを、俺は一掃しただけだ」
どうやってテロリストを集めたのか。人目はどうしたのか。そんな疑問は当然に思い浮かぶが、今はそんな事どうでもよかった。自分が足手まといとなってしまっている状況を払拭せねばならない。いくら魔術でも『理論から外れる奇跡』は起こせない。赤く染まり湿っている布切れが痛々しく、色白い足も死人のよに青白く見える。
魔王は沙羅を責めない。危機的状況と分かっていながら、油断して負った傷のせいで足止めを食らっているというのに。今にでも動かねば『鋼鉄の殺戮師団』が扱う『高度電子回路』による膨大な情報量の交換によって、直ぐにでも次の部隊がやってくるかもしれない。沙羅は腹の奥底で自分自身に苛立っていた。
「焦るな。俺も疲れた。かれこれ一時間経つが、近辺に『魂の活動』は感知していない」
「なによそれ」
苛立ちは無意識に声質に棘を孕ませていた。魔王はそんな沙羅の態度にもわずかな心境も揺るがさずに、いつも通りの淡々とした口調で冗談めかしく言った。
「俺の高度な情報網だ。近くに魂があれば、俺の魔力が直ぐに察知する」
「まるで死神ね」
「そうだな。魔王より死神の方が、俺には似合っているのかもしれない」
人の魂を集めて自分の生を永らえさせる魔術師――知り合って二年も経つというのに本名さえ知らない相手。名を聞いても一向に答えない理由は何なのか。名を知らぬから、通り名である『魔王』と呼び、知り合い程度の付き合いをしてきた。その呼び名も二人の時はいいが、他人がいる場所で呼ぶには少々恥ずかしい。
だからもう一度問う。
「貴方の名前、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない? それとも、生き過ぎて忘れちゃったかしら?」
「名前はある。だが、名乗る資格が俺にはない。母の性、両親から貰った名だが、俺は母の『在り方』を裏切った」
母を裏切った――確かに今この瞬間にだけは、魔王にも感情がハッキリと浮彫になった――後悔と悲しみの情。彼の過去に何があったのか知る由もないが、とても深く、他人が安易に踏み入ってはならない事情があるのだと言葉を呑む。
「そっ、ならこれまで通り魔王と呼ぶわ」
「ああ、そうしてくれ」
魔王は自分の名前を封じ込め――『魔王』という称号で呼ばれ生きてきた――長い時代を――彼は常に人類の延命を願い、己の犯した時代の『在り方』を大きく変えて。自分の選択した世界で人類の姿を見届ける事こそ、彼が彼として生きる在り方なのだ。また人間の生存が危ぶまれれば、彼はまた『魔王』として表舞台に姿を見せるのか。沙羅は熱でぼんやりとした思考でそんなことを考えていた。
「傷は綺麗になる。『魂』とはそれだけで大きな熱量だ。『腐食』が進んでいる魂でも幾つか使えば、瀕死の人間を健康に戻すことはできる」
「便利ね、まったく……」
「ああ、『魔法』でも成せない神秘だ」
敵の本拠地に居ながら静寂な時間だけが過ぎていく――背筋がうすら寒くなるような不気味な感覚。『紅龍七』という犯罪を凝縮させたような組織は、日本国の技術と金を吸い上げたあとは何を成そうとするのだろうか。祖国の意志に関係なく、米国や露西亜にでも戦争を仕掛けるのか。国という枠組みに収まる沙羅には見当もつかない。ただ一つ、自分が成すべきことは明確だった。
「アレは全て廃品にしてやらなきゃ。私が在るべき人生に、アレは何の意味もない不要の産物。人類の繁栄を願うなら、あんたもそうでしょ」
「そうだな。人間の尊厳を否定する、人類には不相応な技術はこの世には必要ない。いつの時代もそうだ。技術の発展は人間の在り方を変えてしまう神秘がある」
先ほど魔王が話した過去の人間の在り方――多彩な機能を内蔵した携帯端末を含めた科学の発展は、自分だけの『閉じた世界』を確立させ――他人との『コミュニケーション』、自然物への『興味関心』、親としての『育児責任』、人間が持つ『最低限の品位』さえ損なわせる技術の結晶。その全てを『悪』と切り捨てることはできない。それらの発展した技術によって『救われた命』、増える『笑顔』、情報の『効率化』といった賞賛すべき面も確かにあるのだ。
「技術の使い方でしょ?」
『鋼鉄の殺戮師団』の『人体機械化』技術――使い方を『戦争』から『医療』に向けてみてはどうか。失った『視界』『腕や足』を初め、『不治の病』さえも克服できる『可能性』を秘めている。
魔王は頷いた――確かにその通りだと。だが、高位の人間が欲するのは他人の笑顔ではなく、自分たちの笑顔。その技術の恩恵を受けたのは生活に苦しむ人々ではなく、他人を食い物にして笑い飛ばす政治家や軍人たち。そして戦争で馬鹿げている数の人間の命が散っていった。その発端は自分にもあると語った。
「私も、そう」
「なに?」
「ショッピングモールで、多くの人間を犠牲にしてでも、テロリストと戦って自分だけは生き延びようとした。私も綺麗な利己主義者なのよね」
「考え方の問題だ」
沙羅は一瞬呆けた顔をしたが、その真意を察して苦笑した。
「ありがとう」
「そろそろ、動けるか?」
まだ気怠いが動けない程ではない。ゆっくりと身体を起こし、魔王から受け取った錠剤を水で流し込んだ。
こんばんは、上月です(*'▽')
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