夢に見る懐かしき母の姿
鈴の音が耳元で聞こえた気がした。
『シャリンシャリン』と幼い頃から聞きなれた涼やかで寂し気な響き。肩身の狭い実家暮らしで唯一、沙羅を慰めてくれた赤糸を通した小さな鈴。深い雑木林で迷子になってからというもの、今はもう思い出すことのできない母が持たせてくれた『形見』。
母は稲神家の魔術師として探求し――『消息不明』となった。
母が姿を消したのは沙羅が五つの頃。いつものように朝食を作り、稲神家全員で食卓を囲んだ――全ては同じ毎日の繰り返しだった。何の前触れもなく当然のようにやってきた別れは、沙羅を含め姉妹は動揺を隠せずにいた。
「母上は、帰って来ますか?」
「さぁな。もう一年近く顔を見ていない気がするけど」
「帰ってくるんじゃない? だって、行ってきますって言ってた、から」
本当はそんな事これっぽっちも思っていなかった。もう母は帰っては来ない。幼いながらも現実的思考をしている自分に辟易していたかもしれない。過去の事だ、もうそんな感情を覚えてもいない。だが一つ――寂しくて心細かった事は鮮明に覚えている。沙羅の言葉に普段は冷静である希羅の表情が晴れた。
「そうですね。姉様の言う通り、母上は私達に行ってきますって、言っておりました。必ず帰ってきます」
長女の詞羅は、いい加減な事を言ってやるなと視線を沙羅に向けた。反抗してやりたい気持ちもあったが、希羅は姉妹や家族が仲違いすることを嫌う。去年の夏に沙羅は詞羅と大喧嘩をしてしまい、その場にいた希羅はいつものように鉄面皮をしていた。だが夜遅くに仲直りした詞羅と散歩していた時――希羅の部屋から押し殺した嗚咽の声に、そっと部屋を覗いた。
「どうして、どうして、仲良く出来ないのですか。私達は家族、なのに」
普段は感情を表立たせない妹の一面に、その場で沙羅と詞羅は、以後喧嘩はしないと誓い合った。それからの姉妹関係は、希羅の前でだけは仲良く取り繕っていた。詞羅は沙羅を心の奥深い場所でどう思っていたかは知らないが、沙羅は詞羅の才能や要領の良さに嫉妬をしていた。
「沙羅は、それを魔術媒体にするの?」
「えぇ、そうよ。悪い?」
「いや、悪くはないけどさ……それって、母さんの形見だろ?」
「だから、なに。肩身の狭いこの家で、私に付き添って慰めてくれたのは、お母さんがくれたこの鈴の音なんだから。そもそも、魔術媒体は自分の理論と相性の良い物を選ぶんでしょ。なら、これは私にとって最高の媒体よ」
八歳になって魔術概論を叩き込まれた沙羅は、ようやく魔術媒体を選ぶことを許され――三姉妹の中で一番遅く、魔術師としてのスタートを切った。結局、沙羅が家を放逐される日も母は実家に帰ってくることは無かった。一番の気がかりは妹の希羅だった。あれほど母の帰りを望んでいた妹の、鉄面皮の下に隠された本性――涙と叫びあげたい全ての主張を抑え込んで、今も祖母と『稲神家の頭首』として魔術の探求をしているのだろう。
詞羅はやりたいことがあると言って家を出てやると言っていたが、本当は母を探しに旅に出たのではないかとも考えられる。
過去の記憶を離れた場所から眺めている。幼い頃の可愛げもない自分の姿に苦笑しつつ、この場が夢の中だということを思い出すことが出来た。現実の自分の身体はどうなってしまったのか。意識を失う寸前までの記憶が鮮明化されていく。
「私としたことが、あんな不意打ちに一撃貰うなんてね。ホント、最悪。それ以前に今の私って、ちゃんと生きてるのかしら。まさか、死んでました、なんて事はないでしょうね」
考えただけでぞっとする。死んでいないと願いたいが、どうすればこの過去を映し出す空間から覚める事が出来るのか。意識が覚醒しても、目の前に魔王の死体が転がっていたりでもしたら目覚めは最悪だ。
周囲を見渡しても過去の記憶を映像として流され続けている。自分の過去をあえて見直そうとは思わない――母や祖母、姉妹はもう自分とは関係ない過去の残骸。冷めきっている稲神家に対する感情。
「また、だ」
『シャリンシャリン』と鈴が鳴る――在るべき場所に鈴はない。この空間全体から聞こえるてくる。家を放逐されてからも常に在った鈴――幾度となく危機的状況を振り払った形見を探す。
「何処にあるのよ。もう」
立体映像として垂れ流され続ける過去の記憶に足を踏み入れ――足を止めた。沙羅は違和感を感じ取った。本当にここは夢の中なのか。夢にしては鮮明過ぎる光景、鼻をくすぶる緑の青臭さと日の温かさ。五感で感じることのできる夢など聞いたことが無い。沙羅は用心して魔力を流し込もうとするが、媒体である鈴が無いことを思い出して止めた。魔術式も組めない沙羅は、魔術を失うと無力と化す。
木漏れ日で出来た雑木林を進んで行くにつれて、草木が擦れ合う音に交じって聞こえる鈴の音――沙羅を呼んでいるかのように少しずつ大きくなっていく。
「この場所って確か――」
生い茂る草に隠れるように続く脇道。沙羅の無意識下の働きに突き動かされ、邪魔な草を押し退けて脇道に入った。指に痺れるような痛みが走り視線だけ落としてみると、血が小さな玉を作っていた。
見覚えのある場所は沙羅が迷子になって、一人で休息をしていた場所だった。一層に薄暗い開けた空間――岩の上に目当ての鈴が転がっていた。
「どうして、こんな場所に」
沙羅は鈴を手に取って、冷んやりとする岩に腰かける。
「早く帰らなきゃいけないって分かってるんだけど、どうしてかしらね」
帰り方が分からないという理由の裏――もう少し此処に居たいと思う理由が確かにあった。良いことも楽しい事も無かったこの場所に留まりたいと思ってしまう原因はなんなのか。まさか、本当に母が帰ってくるなんて色褪せた希望を秘めているわけでもない。沙羅は首を振るって否定する。母親はもう帰っては来ない。希羅はどうだろうか。流石にもう子供じゃない。もう帰ってくるなんて思ってもいないだろう。
「沙羅」
「――ッ!?」
誰も居ないはずの深い雑木林。直ぐ近くで自分を呼ぶ懐かしい声に言葉を失い、呆然と時が止まったようにその女性を赤茶色の瞳が映した。
「――お母さん?」
優しく微笑む可愛げのある顔立ち――赤茶色の髪と瞳をした母がそこにいた。
こんばんは、上月です(*'▽')
12時に投稿するつもりが、だいぶ遅れてしまいました。
次回は26日の0時に投稿しますので、是非とも一読くださいませ!




