断首一閃の太刀――波多江瑠依
静寂に海の打つ音だけが沙羅の耳に届く。
「慣れるしかないのかなぁ、いや駄目駄目。殺すことに慣れたら私は人じゃなくなる! それだけは絶対に許せない!」
転がる人の形を成していた物が飛び散っており――『筋肉』『皮膚』『血管』『繊維』『関節』『臓器』の一つ一つ格部位ごとに解体されていた。
郊外の工業地区通りは海沿いに立ち並び、闇夜と静寂に寝静まっている。だから沙羅はここを襲撃ポイントに選んだ。この区域には民家が無く、人目に付く可能性を限りなく低くすることが出来るからだ。
「あ~、見ちゃったよね?」
可能な限り低くするだけで『ゼロ』ではない。仮に目撃者がいた場合――所属組織の契約規則に則り、最善で最速な手段を用いて目撃者の口を封じねばならない。
運悪く目の前に居合わせた目撃者。
「はい、バッチリと」
「そっかぁ……うん。ホント嫌な仕事ね。なるべく痛みは感じさせないようにするから、死んでくれる? って言ったら、潔く受け入れてくれ……ないよね?」
目の前の少女はキョトンとする。
ショートの黒髪。白ブラウスに濃紺のコルセットスカートという『お嬢様』を思わせる出で立ちだが、足が悪いのか杖を手にしている。
肉塊散らばる血溜まりに佇む沙羅の姿を見て、心乱さず何が起きたのだろうと言った様子――世間知らずの温室育ちなのか、あまりの衝撃的な光景に頭の理解が追い付いていないのか。
「えっと、私が貴女に殺されてしまうのですか?」
「そっ、残念だけどね」
「そうですか……では、自衛も含めて、貴女を殺しますね」
一見して無害そうな少女から発せられた物騒な宣言。最初は聞き間違いかとも思ったが、彼女の持つ杖が、『杖』ではない『本来の姿』を目にして考えを改める。
「へぇ、仕込み杖ってやつ? そりゃそうか。無害そうなお嬢様が、こんな時間帯に、こんな場所に居るはずないもんね。で、貴女は何をしに来たのよ? 『自衛』も、って事は別途の用があるんでしょ?」
沙羅は言葉を投げかけると同時に、そっと鈴を掌に忍ばせる。
「稲神沙羅さん、でよろしいですか? 私はある人から、貴女を殺すよう依頼されています。ふふ、この界隈で有名な魔術師と死合えるなんて、光栄ですね」
この大都市で裏稼業を営む者で、『稲神沙羅』の名を知らぬ者はいない。
「無駄だと分かってて一応は聞くけどさ。ある人物ってだれ? 私に何か恨みとかある人?」
「言えません。守秘義務ですので」
「まっ、当然か。別に期待してなかったけど――ねッ!」
魔術はまだ展開している。握られた鈴を指から垂らし、少女に突き出して鳴らす。
『シャリン』静寂な闇夜に儚げな音――全てを解体させる振動を大気に伝播させた。その効果範囲は陣の内部――沙羅と少女の距離は十メートルもなく、バッチリと魔術領域内だった。
「空気が震えている?」
少女の身体を崩壊振動が侵し始める。
初めに『表皮』『真皮』の細胞組織を分解するところから始まり、皮下組織の『血管』『神経』を強縮させ――『電気信号』と『血液』を停滞させる。血液の運搬を阻害されれば、酸素が上手く脳に運ばれず無酸素状態――『脳死』へと至らしめる。人道なんてあったものではない業。理論上は可能だが、沙羅の性格と不器用さも合わさって、そこまでの高度な効果は発揮できない。
『魔術』という現代では時代錯誤と笑われる――人間が生み出した『世界真理』を識る為の古き神秘。
沙羅の戦い方は豪快かつ徹底的にをモットーとしている。
強振動による肉体を構成する細胞の反発を利用した部位毎の分解。その成果が今足元に散らばる彼等の末路。そして、目の前の少女が辿る結末。抵抗さえしなければ、不器用ながらも頑張って、一瞬で解体してあげようと思ったが、相手が刺客ともなれば話は別だ。
意味の無い殺しはしたくはない。
だが、自衛の為であれば意味はある。
「そんな近接武器じゃ私に辿り着けないでしょ? 辿り着く頃には貴女……えっと、名前はいいや、死ぬ奴に興味なんてないし」
「波多江瑠依と言います。貴女が死ぬか、私が死ぬか、試してみましょうか」
瑠依は右足を半歩引いて地を蹴る。
「――んなッ!」
在り得ない光景に沙羅は眼を剥いた。
物理法則を『否定』している――人間が宙を滑る様に移動できるはずがない。一瞬の油断で既に間合いを詰められていた。沙羅の視線を釘付けにする刃の銀影――その軌道は間違いなく『首』を狙った必殺の一撃。
「沙羅さんの負けですね」
大気振動は術者に近づけば近づくほど、その破壊効果は高まる。が、瑠依の身体には一切の変化が無い。全ての時間が引き伸ばされた感覚――刻一刻と迫る凶刃を脳に深く、かつ鮮明に刻み付け、咄嗟に瞼を閉じる。
『パキンッ』と耳元で聞こえた音――首筋ギリギリを鋭い風が撫でた。
いつまでたっても訪れる事のない『死』。
「あら、折れてしまいました」
気の抜けた炭酸飲料みたいに脱力した少女の柔声――思わず目を開けて、自分の切り裂かれたであろう首筋に指を這わせる。薄皮一枚が裂けているだけで出血も無ければ、死んでもいない。
仕込み杖の中ほどから綺麗に折れた刃をまじまじと見て、困ったように笑う瑠依と視線が合う。殺伐としていた空気に場違いな、ふんわりとした空気を纏う少女は、逆に沙羅を困惑させた。
「どうしましょう?」
「いや、どうしましょうって……私が貴女を殺すんじゃないの?」
「どうやって殺すんですか? 魔術をもう一度展開し直しますか?」
瑠依の言葉にハッとなる。
魔術は術者の意識が逸れたり、魔力が底を付ければ術式そのものを維持させておくことが出来ない。沙羅は『死を覚悟』した時点で意識を逸らして瞳を閉じた。その時に魔術も消失してしまった。互いに相手を制する術を失い、しばらくの沈黙の間は視線を合わせていた。
「ふふ、沙羅さんの瞳は、夜空のように澄んでいるのですね」
沙羅はどうにでもなれと夜空に視線を移した。
こんばんは、上月です(*'▽')
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