稲神家の三姉妹
山間の温泉街を山一つ隔てた小さな村。
大きな川が流れ、山々に囲まれた静かな暮らし。四季の娯楽を目や全身で感じられる――時間の流れが緩慢で温かな近所付き合いが出来る村――それが魔術家系『稲神』の原点となる場所。
稲神家は代々生まれてくる子は女児で、必ず『赤茶色』の髪を有していた。染髪剤も色が乗らず落ちず、常に赤茶色を誇示していた。
「姉様、どうしてそんな簡単な『魔術式』も組めないのですか?」
「沙羅、ほんっと、あんたって才能ないよねぇ」
赤茶色の髪と瞳をし三人の幼子の一人、『稲神家次女』――沙羅は、グッと奥歯を噛みしめて悔しさを耐え抜く事しかできなかった。
『魔術式』とは『魔術』と異なり、魔力自身に属性という意味を付加させ――疑似的な『火』や『水』といった奇跡を発現――表社会に生きる人々が思い描く『魔法』に近い神秘を展開する。魔術が戦闘に適さない魔術師が自己防衛を目的に扱う業の一つ。
「べ、別に、魔術式なんて使えなくても、魔術が使えればいいじゃない! 魔術師は世界真理を探究する生業でしょ? だったら、魔術だけでいいじゃない」
「――阿呆ッ!!」
道場に反響する張りと力強い一喝に三人は身を竦ませた。入口に杖を突いて立つ老婆が、険しい顔つきで沙羅を睨みつけていた。その老婆の標的が沙羅だと分かった二人の少女は、ゆっくりと沙羅から距離を取って安全圏まで後退する。
「沙羅、お前は才能が無いくせに、口だけは一丁前とは、嘆かわしい。魔術式は自己防衛の術。百数年前に稲神が代々所属していた『シェルシェール・ラ・メゾン』は解体され、多くの魔術師が命を散らした。こんな時世だからこそ、魔術式をしっかりと会得しなければならぬと、何故分からぬか沙羅」
「私には不向きだって言ってるのよ! 私の魔術は全てをバラバラにするんだから、魔術式なんて学ばなくてもいいじゃない! そもそも、どうしてこの家に生まれただけで魔術師を志さなきゃなんないのよ」
老婆に喰って掛かる沙羅を遠巻きから眺める姉妹――風景と一体化することで自己防衛を働かせていた。
互いに向き合って睨みあう沈黙。重苦しい雰囲気を先に崩したのは厳格な老婆の方だった。溜息を深く吐き出し、カラカラになった左手を擦る。杖を突きながら無言で道場から立ち去っていく様を、勝ち誇ったような表情で沙羅は見送った――勝ち負けなんてこの場にはないと気づかずに。
沙羅の手首に巻かれた鈴の音が、張り詰めていた空気を和ませた。姉と妹が対照的な歩調で沙羅に近づき、神妙な面持ちの妹が口を開いた。
「姉様、大ババ様に謝った方がよろしいのでは?」
「別に謝んなくてもいいって。こっちはスカッとした気にさせられたし。ナイス、沙羅!」
「大姉様は、どうしてそう愉快で挑発的なのですか。もう少し、年長者を敬ったらどうですか?」
「稲神の家にそんなもんは必要ないだろ? あのババアが生真面目すぎるんだ」
三姉妹でこうも性格の違いを持つと、本当に姉妹なのか疑いたくもなるが、姉も妹も特異な色――赤茶色の髪と瞳をしている。この事が姉妹であることの揺るぎない証明。
「ねぇ、私達ってさ、ずっとこのまま魔術師として生きていくの? 自分の人生も自分で決められずに、ただ『家系の在り方』に沿って生きるの?」
「それは、姉様――」
「まぁ、沙羅の言いたいことは分かる。私は長女だし、魔術の才能もあるけど、家を継ぐ為にこれまで魔術修行なんてしてたわけじゃないしな。私は私の夢がある。ってことで、家督相続は希羅に任せるよ」
「――大姉様!!」
「なによぉ、大きな声出さないでも聞こえてるって。そういう希羅こそ、どうなん?」
妹の希羅は口ごもる――視線も無意識に泳いでいる事にさえ気づいていない。それでも、自分は『家の在り方』に沿う――それが『自分の在り方』だと信じてきた。だが、自分にとっての姉二人はそれを良しとはしていない事に動揺を隠しきれずにいた。
「詞羅姉は、家を出て行くの?」
長女の詞羅は豪快に笑い大きく頷いた――いかなる状況でも自身に満ち溢れる姉が沙羅と希羅は羨ましかった。壁は乗り越えるものじゃなく、そもそも壁が無い場所を歩く気質な姉。最初から自分に見合わない事をせず、悠々自適に生きる空の上の雲を思わせる。
「そう、ですか。姉様も大姉様も、やりたいこと、成すべきことがあるというのなら、私は応援いたします。大姉様は夢を、姉様は――」
「私は、そうねぇ。『意味のある人生』を、かしらね」
食わせてもらっている安息の内側に生きる沙羅は、飢餓と利己主義に満ちた世界での生き方を知るはずもない。今はただ、性格にバラつきがある姉妹同士で互いの夢を語り合う楽しいひと時。沙羅が祖母に家を放逐される数日前の話だった。
こんばんは、上月です(*'▽')
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