各々が歩む道
人類は意外にもタフだった。
完全個人主義の利己主義社会に染まってはいても、個人の中核には未だに人間性が残っていた。
国家の根深い場所まで『信頼』という返しのついた杭を打ち込んだ『繁栄には美酒と口付けを』総帥――ルーガン・ジャックワードが復興事業を立ち上げた。
彼の一声に日本国民を含めた、数多くの民族が一丸となって賛同の声を上げた。
異形の一方的な暴食に晒された人類は、共通の難敵を前に、今後はこのような存在に対抗できるよう、手探りだが隣人たちとの親睦を深めるかのように働き始めた。
『無明先見党』は日本国の護り刀であると同時に、現内閣を引き摺り下ろし、政党の一つとして活動し始めた。党首――成宮渚は一か月ほどで日本国総理の座に就いた。これからの日本国は大きくその在り方を変えるだろう。
『初夜に耽る子猫の吐息』は売春事業から手を引き、東京駅周辺に巨大歓楽街を作った。客と店側の線引きを厳しく敷いた飲み屋や、相談役場としての事業を拡げ、より多くの情報をその高慢な懐にしまい込んでいる。女王――マグダレーナ・ベーレンドルフが店に入る日は、こぞって多くの男性客が押し寄せ、巧みに男を掌で転がして情報と金を貪っている。
『紅龍七』はこれまでの反日活動を、首領――張紅露が全面的に禁じ、不満のあるものを悉くぶちのめしていった。それどころか、張はお菓子製造工場を立ち上げ、『鋼鉄の殺戮師団』は有事の時を除いて、普段は従業員として目にも止まらぬ速さで流れるレーン作業をこなしている。
「あの大戦以降、みんな変わっていくのね」
「それは俺達もだろう。キミは特に変わった。過去の不愛想なキミが懐かしい」
「その言葉、そのまま返してあげるわよ」
「キャッチした」
「なにそれ?」
「俺なりに笑いを誘ってみた」
「センス無い。もっと勉強しなさいな。まあ、私達みたいな堅物にジョークなんて世界真理探究より険しいかもしれないわね」
上野公園の美術館を改築した拠点を持つ『探求者の家』は、日々をゆっくりと各々のペースで探求の道を歩んでいた。最初の一カ月は死に物狂いで働き続けた。多くの仲間たちが手伝ってくれたおかげで、予定より早く山を片付ける事ができ、安穏とした時間はこうして誰かと茶をすすっている。統括者――稲神沙羅は、四季の流れをぼんやりと頬肘をついて部屋から眺めている。
「もう少しね、桜の蕾が見えるわ」
「ああ、楽しみだな」
そう、楽しみなのだ。
誰かと――大勢の人と花見をしてバカ騒ぎするその日を。きっと、誰もその約束を忘れてはいないだろう。公園中に屋台を並べて、提灯を飾り付けて夜まで騒ぐのだ。
あの悪夢で見た幸せな一コマを実現させるための計画も進めていかねばならない。
まだまだやる事は山積みだ。
沙羅は大きく伸びをして、机に置かれた書類の山を見て、辟易とした笑顔で肩を竦める。この一枚一枚は大いに意味のある作業だ。
意味の無い書類は聖羅にでも細切れにしてもらおう。
「そういえば、聖羅は? 麻から姿を見てないけど」
「館里市に行くと言って、早朝に出かけて行った。アレッタ元統括者と共に」
「館里? ああ、永理の育った町だっけ。あんたは、行かなくても良かったの?」
「仕事が片付いたら、ゆっくりと帰郷させてもらうよ」
壁に背を預ける永理は冷めたコーヒーを一口飲んで嬉しそうにはにかんだ。
「家族はいいものだな。キミも一度、帰郷してはどうだろうか。数日間くらいなら俺が代理でも問題はないはずだ」
「あの糞ババアと顔を合わせて何を話せってのよ。まあ、詞羅とは会ってもいいけど」
そんな時だった。
「あんな糞ババアで、悪かったな、馬鹿孫娘」
「姉様、お久しぶりです」
執務室の扉が開き、一番見たくはない顔と、自分と似た容姿と色をした少女のなつかしさに、嬉しさと落胆の二色混合の微妙な表情が浮かんだ。
「な、な、なんであんた達がここにいんのよっ!」
反射的に席から立ち上がって明らかな動揺を隠す事が出来ない。
「そこに立つ、津ケ原の方が文を寄こしたわけだよ。あなたのお孫さんは、立派な稲神の魔術師として、己の『外道』を歩んでおります、とな」
「はい。私とおばあ様はその報せに嬉しくなり、家を飛び出してまいりました」
「馬鹿者っ! 嬉しがっていたのはお前だけではないか! わしを巻き込むでないよ希羅」
希羅は首を傾げて、どうしてそのような事を仰るのでしょうか、という顔をしていた。
「ですが、おばあ様が、四十秒で支度をせよと――」
「知らぬ知らぬ! お前さんの幻聴だっ!」
沙羅は永理と顔を見合わせ、つい可笑しくなって微笑んだ。
「なぁによ。糞ババアは、私に会いたかったてことじゃない。ちゃんと自分の発言くらい覚えておきなさいよ。痴呆にでもなっちゃったわけ?」
確かに家族はいいものだ。
こんばんは、上月です(*'▽')
残すところ二話となりました。
次回の投稿は6月2日の22時を予定しております