思い出の価値
「――おじゃましますね~」
ノアがそう言いながらアパートの安そうなドアをガチャリを開けると、玄関の目の前に現れたのは今度は洗濯もの山盛りのカゴを持ったゆいちゃんだった。
「あ、泉のおねえちゃん。 いま、おせんたくしてるから、終わるまでちょっと待ってね」
ゆいは、ノアと固まるオレたちに小さく会釈すると、今度は踏み台にのりながらそのカゴの中身を玄関横にある洗濯機のなかによいしょっと重そうに放り込むと、パタンとふたを閉め、うんと背伸びしてスイッチのボタンをおした。
――動き出す洗濯機。
ゆいはソレをチラ見して、こちらにむきなおり、
「そうだ、うしろのみんなはパパにあいに来たの? パパならおくのへやよ……」
泣きそうな顔で、「でも、いまはパパにはあえないかも……」ゆいは言葉少なく言うと表情をくもらせて、
「パパは、あの時からずっと泣き続けていて、ねまきのままベットの上からずっと出てこないから……」
パパであるイモ男こと山田の惨状に、泣きそうな顔になりながらそう言い終わったゆいちゃん。
どういう事情であれ、父親であるイモ男がベットから出ずに何もせず、代わりにおむつも取れて間もないような幼い子供にゴミ出し洗濯とかの家事をやらせるなんて、ヤングケアラーでなくチャイルドケアラーかよ……。
どこの世界におむつも取れて間もないような幼い幼女に家事をさせる親が居るんだよ?
どうみても、これは確実にネグレクトだよな。
元レイプ魔だった自分が人倫をどうこう言える立場ではないのはわかっているけど、自分は何もせずにこんな小さな子供に家の事をさせる理不尽な光景に気分が悪くなってくる。
「ゆいちゃん、あなたは心配しないでいいわよ。 パパはきっと元気になるから」
ノアはそう言って泣きそうなゆいをだきしめて慰めると、
「朝ごはんが遅くなってゴメンね。 今から準備するわ」
ノアはゆいちゃんをだっこしたまま家にあがりこみ、ネコの額ほどのうす暗いキッチンにあるテーブル横のイスにチョコンと幼女すわらせると、机の上にそのままになっていた食器をなれた手つきでササュっとかたずけ、テーブルを拭き、スーパーの買い物袋の中身をおさらに広げ始めた。 中身は唐揚げとサンドイッチとパックの牛乳。
ノアが手際よく朝食の準備する様は、まるで彼女がここの奥さんのようなてぎわのよさだ。
このやり取りは、はた目から見れば、どこの家にでもよくある、奥さんと情けない旦那のやりとりという 一見ありふれた何処の家庭でもありそうな光景。
――でも、実際の所は、お人好しで世話好きのノアが、父子家庭になったのこの家の惨状を見かけて手伝っているだけなんだけどね……。
人好しの好意に甘えて、自分の子供のことやら家の事を何もせず寝ている男がドコにいるか? と言いたい。
コイツは自分でどうなにもならないにしても、出来る範囲で何なりと動けよなぁ……。
寝てるだけで何もやらないイモ男にふつふつと怒りが込みあがってくる。
「コレは、あいつにコブシの一発でもくれてやるとするか……」
あゆむと遥も同じような意見なのだろう、あゆむが目じりを引きつらせ、怠惰の罪人を制裁するためコブシをゴキゴキ鳴らせるそばで、遥は腕を組んだまま、
「あ~コレはアタシも限界。
――これは久々にマジで頭に来た。 アタシがアイツにガツンと言ってやるわ」
彼女は短くそう言うと、台所に上がり込み、ノアとゆいちゃんの傍をぬけてズンズンと奥に進んでいく。
「アンタ、あんな小さな子供やノアに家事をおしつけて、恥ずかし……」
遥が怒り交じりにそう吐き捨てながら奥の部屋のドアをガチャとあけると、目を見開き、表情を固めたままその先は言うことはできなかった。
「………」
ドアを開けると、そこには変態がいたからだ。
ブタのようにでっぷりした男はパジャマのまま泣きながら、セーラー服がかけられたカベの傍にあるベットの上で、チェストに飾られたゆうなの写真を前にし、右手に漆黒のパンティ、左手にはEカップは有ろうかという漆黒の大きなブラを鼻先に持ってうつ伏せになっていた。
しかも、たまにはパンティで顔をぬぐい下着の残り香を嗅ぐような仕草まで。
何も知らない人が見れば、コレはまごうことなく変態の行動だ。
「ふぅ……、最低な人間ね……」
「………貴様、何を考えている……」
「……これは、確実に変態だね……」
これを変態を言わず何を変態という、そんな壮絶な光景に、呆れた表情で自分の意見を口々にする遥と、あゆむ、オレ。
そんなオレたち3人を横目にノアはイモ男の変態行動の真意がよくわかっているのだろう、
「まだ、あの人の事を忘れらないんですよね。
――大切な人を喪う辛さは、そう簡単に立ち直れるものじゃないもの」
ノアは悲しそうな表情を浮かべながらそう言うと、山田が握りしめている下着をじっとみつめながら、
「あなたが持っている残り香のように、その人が残したものの思い出に浸っていたい気持ちはよくわかる。
――自分も同じような感じだったから」
ノアが変態男を弁解すると、かばわれたイモ男は無言のままパンティとブラを鼻先に押し付けたままベットに顔面をうずめ、からだを肉だんごのようにまるめた。
知らない人見れば、これはまごうことなく、変態の仕草だ。
けど、コレは違う。
年下のノアに、かばわれて合わす顔が無い、そんな恥ずかしい状況なのだ。
「……ハジ、って言葉をアンタはしってるの?……」
「………ああ、そうだな……。」
「………」
ノアは呆れ混じりな意見を言うオレたちを横目に、「けど」、と短く言葉を区切り、苦しそうな表情でイモ男を見つめながら、
「山田さん、今日は貴方につたえないといけないことがあるの」
「……」
「わたしも出来るならアナタには心の傷がいえる時まで、あの人との大切な思い出にひたって居てもらいたいけれど、自分は直に手伝えそうになくなりそうなの……」
「………」
ノアの言葉を聞いた山田は、ベットにうつ向いたまますこし横を向いて、手にもったパンティのすき間から、じとぉ~とした目でノアを見ていた。
――どうしよう、誰か助けてよ、というような大きな図体に似合わない、弱弱しい視線だった。
「見てみれば、コレは聞いていた以上の事になっているようですね」
次の瞬間、突然部屋の中に、よく通る落ち着いた、けれど有無を言わせぬような神のような威厳に満ちた女性の声が響く。
オレたちが振り変えると、ソコには冷たい怒りをたたえた閻魔がいた。
黒っぽいビジネススーツを着た中年の女性、小泉部長は腕を組んだまま 背後に黒のコートを着たロングの銀髪をした女性、フェイトを従え、キッチンに立っていた。
彼女はきっと 先ほど言っていた自分の部下である問題児(山田)の所に、欠勤の件で断罪(家庭訪問)に来たのだろう。
そして、先ほどのまでのやり取りをすべて見ていたに違いない。
これはどう考えてもヤバい状況だよな……。
そんなことを思っていると、閻魔はトーンを落とし、冷酷なまでに事実を口に出してゆく。