それぞれの思惑
オレとあゆむ、遥とノアの4人は朝の街を歩いている。
行き先は、ここから少し離れた所にある ゆいちゃんとイモ男ことブサメン山田の親子が住むアパート。
朝の町は少ないながらも幼稚園児をつれた親子連れや、お年寄りたちがさんぽしてヤバい連中など影も形もなさそうな雰囲気だ。
「こっちが近道よ。 みんな迷わないでね」
ノアは手慣れたようすで平和そうな町のメインストリートをまがり、一本うらの細い裏路地をオレたち3人を先導して行った。
彼女にとっては、ここから山田さんの家への道のりは慣れたルートらしく、薄暗い川沿いの小さな歩道や人通りも少ない細い裏路をオレたち3人を迷いなくグイグイ案内してゆく。
廃屋もちらほらある裏路地と言え、すでに朝の遅い時間なのでヤバい雰囲気はかたちもなさそうだ。
「遥。 たしかこの辺りは……」
「そうね、今ここはセンパイがしってる以前よりずっとヤバいわよ。 前より空き家も増えてきたし、嫌な噂もよくきくようになってるわね」
だが、あゆむと遥の二人とも警戒を解いてないのは、ピリピリした雰囲気や、通りがかる辺りの人たちの動き一つ、家のドアの開け閉めひとつに視線を配る動きからよくわかった。
ここがまるで戦場のような危険地帯をいくような警戒の仕方だ。
お陰で、二人が猛獣のようなただならぬの気配を漂わせるせいか、自分たちの近くにはヤバい連中はおろか、ネコの子一匹、それどころか蚊すら寄り付いてこない。
もっとも、何時狩られるか分からない天使である自分にはそれは其れで良いんだけどね。
トラブルが無いには越した事はないから。
「あ……」
そんな事を思ってると、オレの足が路地に横にあるボロ家で止まった。
ただの廃屋なのに、建物から視線を離すことが出来なくなっていた。
そこにあったのは木造モルタルの築うん十年の古い平屋の廃屋、家の一部が通り抜けができるようにつくられた、どこにでもありそうな建物。
普通にそばを通り過ぎるだけなら、だれも気にも留めないような場所だ。
だけど、オレには見覚えがあった。
――あの廃屋は忘れもしない、忘れようにもできない、オレがあの娘を乱暴した現場だったからだ。
「……」
あの日、オレは彼女が路地から廃屋の通り抜けに入った瞬間、オレは香りに誘われて気が付けばあの娘に飛びついて押し倒し……。
――そして、取り返しのつかない過ちを犯してしまった。
もしできる事なら、某小説の主人公のように死に戻りでもして時間を巻き戻したい、そんな人生最大の過ちの場所だ。
「おまえが神妙な顔をして急に立ち止まったので何事かと思えば、そういえばここはあの事件の現場だったな……」
あゆむはそう言うと、建物をみながらイケメンに似合わない さみそうな表情を浮かべていた。
カレは、きっとこの場所でオレに乱暴され、自殺に追い込まれたあの娘の事を思い出しているのだろう。
オレのせいであゆむがこんな思いをするはめになるなんて、本当に自分がイヤになる。
気が付けば、涙がこぼれそうになっているのが自分でもわかった。
「――あゆむ……。コレは謝ってすむことじゃないとわかってるけど、ほんとうにゴメンね……。」
オレは、うつむいたまま涙声で心からの言霊を吐き出した。
気が付けば、罪の意識からか体が震え、地面には水滴の跡が増えているのがいるのが分かった。
オレがあゆむの恋人だった木戸あゆみをレイプして死に追いやっておいて、事件の張本人である自分ががあゆむに頭を下げてすむものじゃないのは判ってる、そんなもので済んだらケイサツなんていらないって事も判って居る。
けど、謝らずには居られななかった。
あゆむの大切な人を奪ってしまったオレがカレに心からあやまることが、今の自分にできるゆいいつの事だったから。
「きょうこ……」
あゆむはイケメンに寂しそうな苦しそうな表情のままそう言うと、何か言おうとしていた残りの言葉を飲み込み、ふるえるオレを正面から抱きしめ、落ち着かせるように背中をやさしくさすってくれていた。
自分は、あゆむに優しくしてもらえるような、そんな立場じゃないのは判ってる。
でも、今は、そのなにげない優しさが正直うれしい。
「ありがとう……、あゆむ」
けれど、オレはあゆむの顔を見ることが出来なかった。
どんな顔をしてあゆむの顔を見ればよいんだろう。 レイプした張本人がレイプされた彼女の彼氏のウデ中で、ずうずうしくも恋人のように抱きしめられているというNTRのような理不尽極まりない光景。 しかもあろうことか、オレが起こしたレイプ事件の現場で。
もし彼女が生きてこの場に居たら、確実に「この泥棒ネコ」と平手をくらわされてるだろう。
そんな人倫の道に外れるような事をしていては、合わせる顔があろうはずもない。
「自分がやさしくされるなんて、そんな立場じゃないのは判って居るよ。
――でも、今は……。 今だけは……このままで居させて……」
オレはあゆむの頼りがいのあるムネに泣きながら頭をおしつけると、おおきなぬくもりのある腕のなかで、大きな安らぎにつつまれ自分の体のふるえるのが収まるのがわかる。
それと、同時にあゆむのビートが早くなっているのがわかる。
そして、あゆむが苦しそうに呟くように吐いた言霊、「……もう良いんだ」、と言うのが敏感なオレの耳に届いた。
オレにはあゆむの言葉の意味は分からない。 けど、その言葉はカレの本心からの言葉であることだけはあゆむの声色から分かった。
「そういう事ね……」
オレが気がぬけた声にちらり振り向くと、遥は腕をくみ、冷めたような表情で二人のやり取りをみつつ、気の抜けた表情で瞳をほそめていた。
そして、あきれたような眼差しを あゆむに送りつつ更に続けた。
「すなおな良い子じゃない。
センパイも、そのコをどうしたら良いかって自分でも分かってるんでしょ? 」
「……」
遥の問いに、あゆむは顔を曇らせ沈黙で答える。
「古い知り合いとして言うけど、どうしたら良いか判っているのに、イジを張っちゃうのは悪いクセだよ。 手遅れなるまえに素直になったらどうなの?
そのコに隠してる事を打ち明けて早く決断しないと、前みたいに最後に後悔するのはセンパイ自身だよ?」
遥の矢継ぎ早の諭すような言葉に あゆむの顔に迷いの色が濃くなるのが分かった。
二人の会話の本当の意味は分からない。
けど、あゆむと遥、二人の視線からオレの事を話しているのだろうという事はなんとなく判った。
あゆむがオレに関して隠しているコトって、あの娘があゆむの恋人で復讐者だったって事くらいの事だよな……。
もっとも、その件はあゆむが直接話してないだけで、オレとあゆむの二人にとっては公然の秘密のようなものなんだけどね。
後は、どんなものが有るのだっけ?
そんなあゆむがオレに秘密を打ち明けて、早く決断しないと後悔することになるってどんな事があるんだろ?
あゆむが早く決断しないと後悔することになるって、すごく気になるんだけど……。
「あゆむ。 あゆむが何を隠しているのか知らないけど、ボクなら大丈夫。 どんなことでも受け入れる覚悟はできてるよ。
――だから、秘密をうちあけれるなら話して……」
オレはそっと、あゆむの胸を頭で押しながら、呟くように言うと、じっとあゆむの顔を見つめる。
ソコにはイケメンだけど、笑顔をなくしたカレの顔があった。
あゆむはうつ向いたまま、くるしいような悲しいような表情を浮かべたままなかなか口を開こうとはしない。
「……」
あゆむは沈黙したままオレの姿をうつろに見ていたが、やがて顔をあげてオレの瞳をじっとみつめた見た。
あゆむの瞳が真剣でオレの事が大切なのだと訴えかけてくるのが判る。
そして、あゆむは覚悟をきめたように真顔になると、大きな呼吸をひとつ。
「きょうこ……。すまないけど、少しだけ時間をくれるか? 」
「え……」
真剣なまなざしに胸が高鳴り鼓動が速くなるのを感じたオレは、おもわず息をのんでしまう。
あゆむがオレにこんな表情を見せるなんて初めてだった。
それだけ真剣な話なのが見て取れる。
「わかった。
もう、何も聞かないよ……。 あゆむの話せるその時まで待ってるから」
あゆむの真剣さはオレをうなずかせるには十分だった。
今のカレの様子を見ればそんな不安はかき消され、大丈夫だと自分の心の声がオレに教えてくれるような気がするから。
「……ありがとう、きょうこ」
オレが、あゆむにうなずくとカレは表情を少し緩め、
「アイツとの決着がつき、すべてが終わったら、その時私の秘密をお前に包み隠さずに打ち明ける。 その時まで待っていて欲しい」
あゆむは、すべてが終わったら、その時秘密を打ち明ける、と、強い口調で言った。
そう言うカレの瞳の奥に、なにか諦めと決意のようなものが感じられる気がするのは気のせいだろうか? けど、オレが聞きたい事を後回しにしても良いんだろうか? いや……。
今は、あゆむがオレに対して何を話そうとしているのかは聞かないでおこう。
それはきっと、オレが今一番知りたい事だろうけど、アイツとのからみがあって今じゃないんだろう。
あゆむの真剣さから察するに、その事は間違いないと思う。
「うん……」
オレは小さくうなずくと、あゆむの目をしっかり見て答えた。
「わかった……。 その時まで待ってるよ」
オレは自分の覚悟を伝えるために、あゆむの目をしっかり見つめて力強くそう答えた。
あゆむが何を話すかはわからないけど、その話を聞くまではカレの傍で全力でカレの事を大事にしようと思う。
それがオレの恋人、ううん、あゆむの恋人になりたいけどなれない、天使としての覚悟だった。
「きょうこ、迷惑をかけて済まない」
そんな俺の思いが伝わったのか、あゆむは満足そうに頷くとオレの頭をなでながら微笑んだ。
それは、今までのイケメンの完璧な微笑ではなく、どこか優しさに溢れたような笑みだった。
「これは仕方ないわね。
――たしかに、アイツの事は見逃せないから、全部終わったらそのコにちゃんと打ち明けなさいよ?」
オレあゆむのやり取りを見て、遥は小さく微笑んだ。
その表情からは、遥が何を考えてるのかは読み取れなかった。
けど、その微笑みはまるで出来の悪い悪友を見守るようなまなざしだった。
「ああ、判って居る。 ところで遥。お前が、これからやるべき事は決まっているよな?」
そして、あゆむは目を細め、同じような視線を遥に返すと、小さく微笑みながら短くそう言った。
あゆむの視線には覚悟のようなものが感じられる。
そんな彼につられてオレまで緊張してしまう。
「そんな事はセンパイに言われるまでもなく判ってるわよ……」
表情をくもらせた遥もまた、その視線を受け止めて小さくため息をついたあと、
「アタシもこの件を最後に、今の仕事からアシを洗うつもりだから」、と、イタズラっぽく笑顔で返事を返す。
けど、それはまるで彼女の覚悟を決めたかのように強い口調だった。
「それがいい、情報屋なんてウラ稼業なんて何時かは破滅するだけだ。 捕まる前に手を引くのが賢い生き方だ」
あゆむはそう言うとニヤリと邪悪に口角をちいさくゆがめていた。
これは、あゆむが、正論を言われてアタマをおさえられた遥に、正論を言い返してさり気なく反撃した感じだな。
さすが、負けず嫌いというかなんというか、悪気はないのだろうけど、ここまでくると友達なくすようなパターンだな。
まあ、遥さんもドストライクに言うひとみたいだから、似たようなものだろうけど……。
類とも、というパターンだな。
「アンタが言うことはたしかに正論だけど、そんな事は、さんざんヤバい橋を渡っているアナタだけには言われたくは無かったわねぇ。
ねぇ、オネエサマ」
「……」
遥が顔を引きつらせながら反論すると、あゆむは表情を土偶の様に固めた。
なるほど、男のあゆむがレオタードを着たとかなんとか言っていたけど、女装してのウラ稼業なら謎がすべてつながった。
このイケメンが女装してオカマバーかよ……、そりゃ、オレには言えない秘密だよな。
それがあゆむのオレに隠している最大の秘密という事か……。
たしかに、性癖がバレて何時かは社会的に破滅するだけだしね。
まさに「ゲイは身を亡ぼす」、だな。
しかし、今はそれを言っている場合じゃなかった。
「あれ、ノアは?」
オレたちがそんなやり取りをしているうちにノアの姿が消えていたからだ。
まるで煙のように忽然と……。
「――まさかっ!?」
と、思ったら路地の出口でノアがジッと何かを見ていた。
「ノア、何かあったの?」
オレとあゆむと遥の3人も足早にノアの元へゆくと……。
「みんな静かに。 ちょっとあれを見て、あそこにいるのは北島さんだよね……」
ちょんちょんと指さすノアの視線の先を追うと、路地から少し離れたがけ下の公園にはどこかで見たことのある情けない顔をした男と由紀がいた。
しかも、二人のやり取りをみていると、二人で何か交渉をしたあと、情けない顔をした男が由紀に札を数枚渡している。
――コレは間違いない、パパ活の現場だ。
しかも、こんな誰も来ないような場所でやっているのだ。
この状況から見ても、由紀は援助交際をしている可能性が高いとみていいだろうな……。
そして、そんなオレの嫌な予感を肯定するように、由紀は男の手を引きながらそそくさとその場を後にしようとしていた。