知る後悔 毒饅頭に非ず
「杏子ちゃん、目の前に見えるのが学生食堂、そして隣は売店よ……」
「へぇ…思ったより此処は広いんだね」
ノアが帰りがけに校内を案内してくれると言うので、一緒に放課後の校内をゆっくり歩いていた。
放課後と言う事もあり、部活動の練習をしている生徒以外は人通りはまばらだ。
校内はアスファルトで舗装された並木道の左右にコンクリートで出来た建物が建ちならび、それらが傾きかけた夕日に照らされている。
ノアはその一つ一つの施設をオレに向かって丁寧に教えてくれていた。
今まで教室のから出ない眠り姫だった自分にとって、彼女が説明してくれるもの全てが新鮮だ。
昼間だと良い匂いが漂っているであろう学食、面白そうな物を売っている売店などなど興味は尽きない。
そうなると自分はまるで都会に出てきた田舎者の様に、あたりの様子を目を輝かせきょろきょろ見ていた。
「あなたは今まで教室で寝てばっかりだから、初めて見るものばっかりでしょ?」
「…うん…」
ノアが呆れた視線で此方をみると自分は思わず肩を落としていた。
返す言葉が無いとはまさにこの事だろう。
事実、今まで校内での自分の行動半径はハンターや復讐者を警戒して教室とトイレ位のみ。
校内とは言え、こんな遠くまで遠征する事なんて考えた事も無かった、こんな広い世界が有ることを知る余裕すらなかった。
でも、こうやって連れて行ってくれるノアのお蔭で世界が広がってきた。
オレの世界を広げてくれた彼女には感謝するしかない。
――ドン!
地響きのような音が突然聞こえた。
音の方向に思わず振り向くと、其処に有ったのは建物の間に隠れるように佇む平屋建ての建物。
その建物の扉が開け放たれ、中は畳張りになっていた。
――これは武道館である。
「ここは武道館よ、まだ柔道部が練習中みたいね。
ついでだから中を覗いてみよっか」
「良いの?」
「中に入らなきゃ、大丈夫。 行こ行こ!!」
ノアは目を輝かせるそう言うと、無遠慮に戸惑うオレの手を引いてすたすたと歩いてゆく。
凄い行動力……。
彼女の底知れないガッツの一部が垣間見えた気がした。
”
ノアと二人で道場の開け放たれたドアから中を覗きこむと、建物の中では、十数人の胴着を着た女子柔道部員が必死で練習をしていた。
その中でも一際大きな体躯の女性が人形相手に投込みの練習をする度の轟音が響き渡っている。
さっきから聞こえる音の正体はこれだったんだ。
「其処に居るのが松本さんよ。
其の位は貴女でも知ってるわよね?」
「自分の前の席に居る人でしょ?」
ドアから室内を窺うノアの問いに自分の知っていることを答えた。
彼女の事は自分でも幾らなんでも其の位は知っている。
何せ、教室で寝ている時には彼女の陰で安眠させてもらった大恩人だからだ。
まさに寄らば大樹の陰、巨漢の陰である。
ノアはその答えに、「やっぱり」と言うような呆れた表情を浮かべ、ため息交じりに続けた。
「杏ちゃんなら、そう言うと思った」
「違うの?」
自分は思わずコクンと首を傾げる。
――体が大きい以外に、彼女にはそれ以外の何かがあの人にあるの?
その様子にノアは眼鏡を光らせる。
「あなたは何も知らないのね。
彼女は、最重量級の有名な柔道部の選手よ。
投げの威力から別名アースクエイク」
「へぇ~」
彼女の説明に思わず感心する。
丁寧に彼女の事を説明してもらい改めて見てみると、其処には火を噴くような必死の形相で人形相手に投込みの練習する彼女がいた。
巨体とは思えない分身でもしそうな速さで一気に人形との間合いを詰めると、一瞬にして切れのある投げ技を決める。
人形が脳天から畳に叩きつけらるたびに地面が揺れていた。
――その姿を見て通り名のアースクエイクに納得と思ってしまった。
「この人も頑張ってるんだ……」
教室とは全く違う彼女の姿。
――これが彼女の本当の姿だったんだ……。
オレは彼女の普段との差に思わずつぶやいていた。
「そうよ、みんな何処かで頑張ってるんだから。
頑張って居なかったのは、多分あなただけだと思うわよ」
あきれ顔のノアにそう言われ思わず赤面する。
――全くその通りである。
返す言葉が無いとは正にこの事だろう、自分はただ渋面して頷くしかなかった。
「あ、其処に張ってある写真の人って」
思わず道場の壁に貼ってある写真に目を留めた。
そこには優勝記念写真が張ってあり、その集合写真のセンターに彼女が居た。
――木戸 亜由美……自分が食べてしまった毒饅頭、そして恐怖の猛毒を遺しオレを少女の体である天使に叩き落とした張本人である。
真紅の胴着を着た長身の彼女は全てを見下すような正に悪役令嬢のような悪い目付きで腕を組み、胸を張りながら当然のように集合写真のセンターを陣取っている。
でも、それ以上にセンターが定位置でも不自然でもない。周りから一段浮くような美しさを湛えていた。
――もっとも、昼間なら落ちゲーに出ていたような「あか○よ」のように、目付きの悪い恐怖の饅頭なら誰も怖くて食べられないだろうけど。
当然、自分も食べる筈は無い。
それ以前に毒饅頭と判って居たらそもそもスルーしていた筈なのに、彼女とは暗い夜道で出会い闇鍋状態だったからゴリゴリの毒饅頭を思わず食べてしまったのだ。
自分を地獄に叩き落とした積年の恨み積もる相手に出会い、オレは思わず可愛い顔も台無しになる様な しぶ~~い顔をした。
まさに、親の仇……否。
――少女の体にさせられた自分の仇と言うべきだろう、江戸時代なら『父の仇!』と言って仇討ちをしたくなる状況だ。
もっとも、この体だから『乳の仇』で、憎き毒饅頭はあの世に行って居り、此処に有るのは写真なので敵討ちも何も無いのだけど。
――しかし、オレは因縁の相手の写真を前にして心穏やかに居られよう筈もない。
「その表情……まさか、杏ちゃんは木戸さんと知り合い?」
ノアは自分が毒饅頭を尋ね、更に渋面をしたので驚きを隠せないようだ。
眼鏡がずり落ち、上目づかいで此方を凝視している。
「ううん、ただ凄く目立つ綺麗な女だなっと思ってね」
そんな彼女に向かい自分は小さく作り笑いをして、咄嗟に嘘を吐く。
まさか、彼女とあんな関係とは言えるはずも無い。
因縁の毒饅頭とは口が裂けても言えなかった。
「だよね~。
あの人は色んな意味で相当有名な人だったらしいから」
ノアはほっとした様子でこっちを見ていた。
――やっぱり、真紅のあの色からして、あの娘は食べたらヤバい物だったらしい。
危険を表す色は赤だ。
だって信号も赤は『危険渡るな』、毒カエルも警戒色のド派手な赤い色をしていて『食べるな危険』だから。
もっとも、今更知っても仕方ない事なんだけど。
「そうなの?」
「知らないとは流石、杏ちゃんらしいけど。
あの人は古くからの名門『木戸家』の令嬢で色々と有名だった人よ、
――見た目と性格から悪役令嬢と言われる事も多いけど、やる事はやる人だったからシンパシーを感じている娘たちも多かったわよ」
「へぇ…」
「彼女の追っかけの娘たちも沢山居たから――」
ノアはオレに向かい、彼女の事をゴリゴリの毒饅頭としか知らない自分むかってに、有名なエピソードを交えて微に入り細に渡り色々教えてくれた。
――空手の有名選手だった事や、何故か突如その世界から身を引いた事。
そしてその後、事件に巻き込まれて自ら命を断った悲劇のヒロインだと。
ノアから初めて彼女(木戸亜由美)の事を聞いて、ようやく判った気がする。
彼女は饅頭じゃなかった、自分が食べるために居たんじゃないんだ。
あの娘も自分と一緒だった。
時には悩み、迷い、努力して必死で生きていた。
――きっと、怠惰な自分より数倍努力して居たのだろう、シンパシーを感じている人も居る位だから。
そして自分に浮かんできたのは、初めての悔恨の気持ちだった。
彼女の事をもっと知っておきたかった、知るべきだった――と。
もし、知っていて自分と同じだと思っていれば、あんな事酷い事をしなかったかも知れない。
……もしかしたら、彼女とは全く別の出会い方があったかも。
もし、彼女に謝れるものなら土下座でもしてあの時の非道を謝りたいけれど、あの人はこの世に居ない。
――彼女にはもう謝る事も出来ない、それ以前に会う事すら出来ないのだけど。
気が付けば、周りの空気が刺すように痛い冷たさを帯びて、自分が地獄から生えている白金の鎖に体を縛りつけられている気がした。
――何時かこの鎖によって自分は奈落の其処へ引きずり込まれてゆくんだと……。
これが自分が犯した罪の重さ……。
気が付けば自分は崩れるようにしゃがみ込み、小さな体をがたがた震わせていた。
道場にある鏡には、今のオレの姿である罪に震えるような可憐な天使が映し出されていた。
「杏ちゃん、顔色悪いけど大丈夫?」
「大丈夫……だよ……」
何時の間にかノアは真っ青になったオレの姿をみて優しく背中を撫でてくれていた。
こんなクズの俺なのに……。
どうして、こんなに優しくしてくれるんだよ……。
そう思うと涙が零れ落ちそうになってゆく、きっとここで全てを吐き出せれば楽になれるんだろう――でも……、手首にあるリストバンドを見るとその喉まで出かかった言葉はその先へ進むことは出来なかった。
「――こんな所でお前に合うとは奇遇だな」
其処に居たのは小梨。
何時ものようにスーツ姿で、少し離れた場所から何か懐かしいものを見るように道場を見つめて此方に歩み寄ってくる。
ちらり此方を見ると少し目を細め、クールに更に続けた。
「お前がそんな顔色するとは、悪い物でも食べたか?」
「……そんなのじゃないよ……」
思わず彼の言葉に、自分の心の奥底を覗きこまれ、今のオレの罪に震える状況を読まれている気がする。
じっと小梨の顔色を凝視するが、イケメンだが感情を滅多に表に出さない彼の表情を読むことは出来なかった。
アイツが言った『悪い物でも食べたか?』言葉は、オレが『毒饅頭』と言っていた彼女を食べてたことを指している気がして来た。
思わずオレは恐怖に固まりそうになっていた。
「何でもない。
でも、なんでお前が、此処に居るんだよ……」
「私が、此処に居るのは仕事だからだ。
立てるか?」
彼は座り込むオレに手を差し伸べると、優しい笑みを浮かべた。
――でも、其れすら彼の作戦に思えてくる。
オレの心の内を全部読まれて、オレがどう行動するか判った上での行動に思えてきたからだ。
きっと震えるオレはきちんと立つことが出来ず、本能的に彼の腕にしがみ付くのだろう。
――そして、小梨の腕をもって立ち上がると、思惑通り自分は彼の腕にしがみ付いてた。
そして気が付けば彼は震えるオレの体を優しく撫でていた。
全部彼の作戦通りになってしまった気がする、つまりこの姿を晒し者にするのが目的かよ……。
鬼だ……。
二人の姿に姿にノアはニヤツキながらも、何か納得したようにうんうん頷いた。
「あ~~そういう事ね、こうやってお迎えに来るのが仕事って事よね。
――杏ちゃんの彼優しいのね」
「違う」
小梨はきっぱり否定すると、クールな表情を変えることなく真面目な態度のまま、彼女の問いを返していた。
「今私は蝿を追っている」
「蝿ねぇ」
オレの頭の上を見つめながら蠅と言う小梨。
思わず彼の言葉にオレは頬を膨らませ思わずムスリとした。
――つまり、彼の頭の上に居る蝿は叩き落としたから、 今度は人の(オレ)頭の上に居る蝿(問題)を叩きに来たと言う事か。
確かに俺の頭の上には問題だらけだけど、コイツは全く性格も根性も悪いよ。
――ある意味、根性がねじ曲がってやがる。
コイツが女だったら間違いなく、イケメンの上、この眼つきと性格で悪役令嬢がはまり役だろうなぁ……。
「私の顔に何か付いて居るのか?」
「何でも無いよ、……ただお前は良い性格してるな~っと思ってね」
胡乱な視線を此方に送る小梨にオレはポツリと呟いていた。
伸びに延びたので此処で一旦投稿します。
後半に続きますので、こうご期待。
早目に投稿いたします。