絶望のさきのさき
「小梨さん、これがこのカードの中身よ」
遥は、そう言うとスマホをテーブルの上に静かに置いた。
画面には、何かの伝票が撮影された画像が映し出されている。
彼女は、オレとあゆむ、ノアとフェイトの4人を前にして、スマホの画面を拡大し、
「あなたが探していた、紙カルテの行方はココにあるわ」
遥はそう言うと、スッと ある文字列を指さした。
「ーー廃棄物マニュフェスト。 物品、カルテ等書類10箱。 廃棄業者、……。」
その指先を視線で追ったあゆむは表情をスッと変える。
イケメンに似合わない、不機嫌を隠しきれない険しい表情だった。
「 ーー廃棄済……。
我々が探す前のとっくの昔に紙カルテは処分されていた。
つまり、そういう事か……」
あゆむは、スマホの画面をじっとみつめ、いまいましそうな声色で尋ねるが、遥は目を軽く閉じうなずきながら「そうよ」と短く言うと更につづけた。
「あなたが言うとおりね。
残念だけど、電子化前の紙カルテ類は既に廃棄業者に渡されているわね」
「じゃあ、処理業者の方はどうなんだ!? まだ残っていないのか?」
あゆむの矢継ぎ早の問いかけに、遥はゆっくり静かに首を左右に振りながら、
「もうダメだったわ」
彼女(遥)は、残念そうに そう短く言うと、ため息交じりに更に言葉を続けてゆく。
「ゴミを引き取った犬飼興行の所に電話で問い合わせたけど、若い女性の事務員からは
『そんな数か月前のゴミなんて、とっくの昔に処理されていますぅよぉ』、と、にべもなく答えてくれやがったわ」、と彼女(遥)は赤い髪をゆらしながら静かな怒気をこめて締めくくった。
「……」
「……」
オレがあゆむの方をふりむくと、カレは無言ではあるが体を震わせ、こぶしを握り締めていた。
石が浮かんで木が沈むような理不尽な結末にやりきれない思いなのだろう、不機嫌な表情を隠しきれないでいる。フェイトさんは、何か思うことがあるのか、じっとスマホの画面を見つめているが、ノアに至っては、余程今の話がこたえたのか、うつ向いたまま、手をきつく握りしめ、体を震わせている。
ただ、テーブルには水滴の数がふえているだけだった。
「……」
余りに重たい事実に、テーブルを囲む自分たちの5人の空気が重くなる。
ファミレスの雰囲気が深海のように重い。
遥から聞かされた残酷すぎる真実にダレも口を開かない。
明日香が目を覆いたくなるようなことをされても守ったハエへの手がかり、それで結果が出ればノアも少しはこころの整理がつくかもしれない。
けれど、兄の死が何の役にも立たない骨折り損の犬死だったなら、まったく救いがないよな。
まさに、神も仏もないとはこの事だろうな……。
これが、遥がノアに言いたくなかった残酷な真実だったんだ。
だから、この人はノアを傷つけたくなくて、メモリーカード自体が無かったと、言ったのか……。
オレでも、彼女の立場なら言わない……、そもそもそんな残酷な結末だったら口がさけても言えないだろうしね。
「くくっ、くくっ!」
そんな冥府のように重たい空気の中、仕切りをはさんだ反対側の席から、子供のように甲高い、軽い口調の笑い声がこぼれてきた。
「あ~っははは!
コレは、これは傑作!」
一度聴いたら、二度と忘れようのない声。
耳にこびりついて、離れない笑い声だった。
だけど、聞いた事のある声だ。
「……えっ!?」
オレがさっと立ち上がり、仕切りの上からネコのような感じで隣のテーブルをのぞき込むと、そこに居たのは黒いジーンズにだっぽりしたTシャツを身に着けた年のころ20代後半くらいの男。
それより、ソイツの何より特徴的だったのは仄暗いものをともした細い目だ。
「北村!?」
となりのテーブルに居たのは北村だった。
オレが驚きまじりに『どうして?』と、つぶやくように言うと、北村はオレの方へとおぞましい視線を向けてきた。
いやらしい、邪悪な笑みを口に浮かべて。
「いやぁ……くくっ!、これは……ふふっ」
コイツはきっと、最初は普通にあいさつを言おうとしたんだろう。
普通に、それっぽく、大人の対応らしい言葉を言おうとしたようだ。
だが、我慢出来なかったのかもしれない。
オレにはコイツの事は判らない。
コイツの考えなんて分かりたくもない。
けれど、北村にとって今の状況が自分にとって痛快すぎたのだろう。
全てが思うがままうまく行き過ぎて、声を出さずに居られなかったのかも知れない。
「コホン、コレは失礼」
北村は周りが気になったのか、気を取り直したように咳ばらいをすると、まるで獲物を見るような目つきでオレをみつめ、心底楽しそうに話しかけてきた。
「しかし、こんな所で杏子ちゃんに出会うとは、コレはコレは奇遇でんなぁ~」
「どうしてお前がココに!?」
「見たらわかるっしょ?晩飯ですよ、 動画を見ながらの晩飯。」
北村はオレの問いに、そう答えると、自分の前にある、テーブルに置かれた食べかけのシフォンケーキとイチゴケーキと紅茶とスマホの画面を楽しそうに順番に指さし、
「自分が面白い動画見ながら、晩飯がわりにコンナものを食べてたらなんか問題ありまっか?」
「……」
「動画をみていたら、男がチンコでドラムを叩くネタに思わずツボった訳ですよ。
ーーよ~やるな、とね」
北村はそう言うとオレに向かい、テーブルに置かれたスマホの動画を指さした。
そこには、男が自分の下半身の棒を使い、ステックなしで見事にドラムを爆演する動画が流れていた。
ーー男なら、見るだけで下半身の痛みで顔をしかめそうな光景だ。かくいう自分も思わず顔をしかめそうになる。
なのに、コイツは顔色変えず、平然と動画をみつめながら、
「お通夜みたいな夜のしずかなファミレスで、こんなアホみたいな笑い声をあげてしまって そちらの気に障ったのなら謝りますわ。
えろうすみません」
北村は、そう言うと慇懃な態度でテーブルにこすりつける様に頭をさげた。
確かにコイツが言うように、晩御飯に何を食べようがその人の勝手だろう。
だけど、大の男が こんな時に動画みながらこんな場所でケーキを食べるなんて、違和感しかない。
きっとコレはただの言い訳。
真相は、コイツが自分たちをコッソリつけて、ケーキを食べながらコチラの動きを探っていた……。
そう考えるのが、一番自然かもしれない。
「……北村、何のつもりだ?」
オレがとなりを振り向くと、オレの隣にいたあゆむは体を震わせながら立ち上がり、こぶしを握り締めて鬼の形相で北村を睨みつけていた。
さっきまで殴り合い寸前までドンパチやった相手が、ぬけぬけと近くに居たら、そうなるよな。
遥も同じような気持ちなのだろう、あゆむの隣で立ち上がり、体を震わせながら目を細めて北村をにらみつけ、不機嫌を隠し切れないでいた。
「お~怖。 3人に睨まれるとは、どうもいけまへん。 どうやら自分はお呼びでないようなので、早々に引かせてもらいますさかい。
小梨さんともども これで勘弁してさかいな」
北村は、いけしゃあしゃあとそう言うと、伝票片手にスッと席をたち、去り際、悲しみに打ちひしがれ、うつ向いたままのノアを一瞥する。
そして、振り向きもせず、嬉しそうな声色で続けた。
「この度、明日香さんの件はホントご愁傷さまでした。
あの優しいお兄ちゃんがカラダ張ってがんばったのに、結果は犬死だったとは神も仏もないとはこのことですんなぁ、 ああ、気の毒、気の毒に。
でも、これが世の中でっからなぁ~」
「……」
傷心のノアの心を更にいためつけ、塩を塗り込むような鬼畜(北村)の言葉。
ノアは、無言のまま唇をかみしめ、こぶしを握り締め、セーラー服を震わせながら、メガネの奥に暗い炎をともしながら怒りを堪えていた。
「北村っ!」
「ちょっと! アンタ何様のつもりなの?」
非道な言葉をなげかける北村。
そんな外道に向かい、あゆむや遥は声を荒げる。
「こっちは犠牲になった あの不運な赤髪の娘に哀悼の意をしめしただけでっけどな。 あんたらの気に障ったんならカンニンして下さいや」
だが、北村は振り返ることもなく、いけしゃあしゃあ そう言うと、あゆむと遥、二人の鋭い視線や言葉を物ともせず、ノアにむかい言霊の刃を投げ続けてゆく。
「しかしまあ、あんな健気な娘をあそこまでボロボロにするなんて、ホント ベルゼバブってヤツは酷いヤツでんなぁ~」
「……」
ノアはその言葉に北村を睨みつけ、体を震わせ、何かを絞り出すように声にならない言葉をつぶやいた。
「あんさんのヤミをはらんだその目、自分は嫌いじゃないでっせ。
ほの暗いモノをたぎらした娘は良いでんな~」
北村はちらり振り向くと、瞳にほの暗い炎をたぎらせたノアを一瞥し、声色にかすかな喜びをまとわせながら、ノアの心をえぐるように言葉を継いでゆく。
「あんさんの気持ちはよ~わかります。 大好きだったお兄ちゃんがやられたように、アイツをボロボロにして憎しみを晴らしたいんっしょ?
ーーにくいヤツに恨みを晴らす方法を知りたいなら、教えてあげまっせ?」
「ーーそれは……いったい何なのよ……」
涙声で返事を返すノア。
北村はそんな彼女へ向かい、心底楽しそうに返事を返してゆく。
「何、簡単なことでっせ。
自分のやりきれない憎しみ、怒り、悲しみ、そんなイヤな感情を自分が捕まらない様にしながら、ダレでもええから無差別に渡したらええやんけ」
北村はそう言うと、町の夜景を遠い視線でじっとみつめながら
「こんなにも街に人間連中がいるから、そいつらに晴らすのが一番簡単で、確実な方法でっからなぁ」
と、ゾっとするほどのつめたい表情を浮かべながら締めくくった。
「…………」
「……」
「……」
北村の無差別テロを勧めるような、外道、鬼畜、悪鬼としか言いようのない言動に、オレとあゆむと遥は言葉をうしなった。
普通、そんな事は口に出すことはおろか、考えもしないよな……。
ーーそんな事をして、一体何になるんだよ。
この世界に無差別な不幸が広まるだけじゃないかよ……。
「そうね。
アナタが言うことにも、たしかに一理あるわ……」
みんなが言葉を失う中、フェイトさんだけは整った顔に冷酷ともいえる表情をうかべ、静かな口調で北村の言葉を短く肯定すると、さらに言葉をつづけた。
「相手の憎しみを受けた人も、その憎しみをダレでも良いから憎しみを晴らせば、その復讐の連鎖の果てに世界に憎しみの輪が広がり、いずれ自分が憎む相手にも憎しみを渡して復讐をとげる事が出来る……」
フェイトはそう言うと、「ーーつまり、アナタは、『復讐のために世界全体に憎しみと言う毒を流しなさい。』 そう言いたいのね……」、と、伏し目がちの愁いをおびた表情で締めくくった。
おれとあゆむと遥が言葉を失う中、北村は自分の理解者が居たことが嬉しいのか かすかに表情を緩める。
「そちら(フェイト)の言う通り、そ~いう事でっせ。 憎しみの輪を広げるって、簡単な事っしょ?
ダレでも良いから、天使の連中みたいに落ち度があって、簡単に叩けそうなヤツらを、自分が反撃されない形でコッソリ協力なんかして、みんなでボコにすれば ええんでっから」
北村は淡々と そう言うと、邪悪にゆがめた口に手をあてながら、ノアをみつめながら嬉しそうに更に言葉を継ぐ。
「バカやった連中の炎上拡散みたいに、ミンナやってることでっせ?
ーーしかも正義の実行と言う大義付きでやるから、マッタク心も痛みまへんしな、むしろ良い事をしたと満足感すら出ますからな。 アンタもどうでっか? やってみまへんか?」
「……」
コイツがココまで説明して、オレにもやっと彼の考え方が理解できた。
北村が言う憎しみの連鎖というのは、憎しみを受けれたとき、その憎しみをダレでも良いから憎しみを渡せば、いずれ世界に憎しみが満たされ、最後には 本当に憎い相手にもうらみを晴らすことが出来る。
そうすれば、犯人への復讐が終わり自分の気が済む、と、北村はノアに言っているのだ。
つまりコイツの目的、それは……。
この世界を憎しみや不幸で満たすことだろう。
コイツの考え方は、自分に手に入らない幸せなら、みんな仲良く地獄に落ちて苦しめ。ーーそんな感じかもしれないな。
心底ゆがんだ考え方だけど、ダークサイドに落ちた人間としての ほの暗い本心でもあるんだろうけどね。
自分には理解したくない感情だ。
けれど、自分にはその感情は理解できる……。
それは、あゆむと出会う前、オレが何時もみじめな思いをしていた時に抱いていた感情だったから。
――死なばもろとも、みんな地獄に落ちろ、と。
「バカにしないで。
……自分は、アナタの思うようなクズにはならない……」
ノアは、弱弱しく、けれど、気丈に言い放つが、瞳には大粒の涙が零れ落ちていた。
けれど、彼女は腕で涙を振り払い、強い口調で更につづけた。
「あなたは私の憎しみをダレかに渡して、その憎しみを広めたがってるようだけど、この悲しい思いは私だけの物。 自分以外のダレにも渡さない、渡すつもりはないわ」
「なにっ?」
ノアの言葉に北村は目を細める。
北村の表情は、今まで自分の思い通りになっていた筋書きが、相手の予想外の行動でめちゃくちゃにされたような不満を隠せない表情だった。
「憎しみはここで終わりして、自分は憎しみを優しさに昇華して、みんなには優しさを渡してみせる。
それが人間というモノでしょ?」
彼女はそう言うと、憐れみをこめた視線で北村を見つめながら更に言葉を続けた。
「あなたは悲しい人ね」
「ーーなんやて!?」
ノアの言葉に北村は声を詰まらせ目を白黒させる。
コイツの今まで見せたことのない、自身の本音を見ぬかれたような表情だった。
「あなたに昔、何があって、そんな考えになってしまったのかは判らないわ」
ノアはそう言うと、「けど」、と短く言葉を区切り、外の夜景を澄んだ表情で見ながら更に言葉を続けた。
「この世界はあなたが思っているような世界じゃない。
地獄の世界なら、ダレかに復讐すれば、憎しみの連鎖の果て、いずれ世界に憎しみの輪が広がり、最後には憎む相手にも復讐する事が出来るのでしょうけど、
ーーでも、この世界はアナタが思ってるような世界じゃ無いわ」
「じゃあ、どんな世界なんですか?
そもそも、人間の本質は鬼畜(動物)、所詮は知恵を付けたサルでっせ。 どう取り繕っても、自分の事しか考えない狂暴で薄汚いもんっしょ?」
「それは違うわ」
ノアのはっきりとした否定の言葉。
「自分たちは人間よ。
動物ならそうかもしれないけど、私たちは自分の事しか考えない狂暴なサルとは違うわ。
ーー自分たちは、人の痛みが理解できる理性がある。 だからその理性で醜い本能を抑えないといけない世界よ」
ノアはそう言うと、強く澄んだ瞳で北村を見つめ、
「だから、自分の憎しみはここで終わりして、憎しみを優しさに変え、私はみんなに優しさを渡してみせる」
強い口調で言い切ったノアの決意の言葉。
自分の憎しみを我慢して、世界に憎しみを振りまくのではなく、代わりに優しさを広めて見せる。
ーーつまり、これは北村の考えの真逆の考えだろう。
この世界をダークじゃなくて、ライトで世界を満たすとそういってるのだ。
「世界には良い人ばかりとは、コレはコレはご立派な考えでいらっしゃる。
兄も兄なら妹も妹、と言う事でっか?」
北村はノアの言葉に、ぐにゃり分かりやすく表情をゆがめる。
ーーコイツが心底憎いと言う表情だった。
そして、ノアの澄んだ表情をみて、カレは何か悟ったのだろう、羨望のまなざしを一瞬浮かべ、
「なぁるほど。 アンタが大好きだった男(お兄ちゃん)に抱いて貰えた幸せが一瞬でもあるなら、そんなえらそうな事もさらりと言える訳だ」
北村は心の底から憎々しそうにそう言うと、左手で自分のわき腹を押えながら、更に言葉を続け、
「もし、そちらが好きでも何でもない連中に何度も輪姦されても、そんな立派な事はいえるんでっか?
そうなったら、きっと自分と同じ事を考えまっせ?
――こんなクソのような世界、滅んでしまえ、とね」
北村は捨て台詞を吐き切ると、あ然とする自分たちをしり目に足早に席を後にしてゆく。