闇の邂逅 後編
「――チッ……」
北村は舌打ちして、食いちぎった残りのカヌレを忌々しそうにジッと凝視する。
ヤツがマユを寄せお菓子をにらみつける様は、まるで このお菓子が親の仇のように、何か恨みがあるような雰囲気だ。
―― 一体コイツと、このお菓子に何の因縁があるんだ?
そう思わずには居られないような、雰囲気を漂わせていた。
「北村。 お前はそのカヌレに恨みでもあるのか?」
あゆむも北村に違和感を感じたのだろう、いつの間にか真顔になり尋ねると、
「いやぁ~、このお菓子にうらみなんてありまへん」
北村は目を細めフッと鼻で笑い、さみしそうな笑顔を作ると あゆむの問いかけをサラリと受け流す。
どうみても無理やり作ったような、本心を隠すような笑顔だ。
「けど、自分も好きで こんな物を食べてるんじゃありまへんわ……」
そして、声色を落とし表所を曇らせると、忌々しそうにカヌレを見つめ、
「でも……」、と、短く言葉を区切り、
「こんな時は……。 こんな時は無性にコイツが食べたくなりますんや……。
――それこそ食べきれない位までね」
北村は忌々しそうに、そう言い終わると、苦い表情で かじりかけのカヌレを口の中に放り込んだ。
そして、 「コイツは名店のお菓子なんですよ」と、渋面に寂しそうな表情を重ね呟くようにそう言うと、更に言葉を継いだ。
「……ガイドに乗っている名店のカヌレなら美味しいのでしょうけどね。
けど、幾ら食べても、食べても、一向に満たされないんですよ……」
「満たされない?」
オレにはコイツの言葉の意味が判らなかった。
名店のお菓子のように美味しい物を食べたら、お腹が膨れて幸せになるんじゃないの?
食えば幸せ。 自分はそうだったしね。
あゆむは彼の言葉に何か感じたのか、表情をとめ、静かに北村をジッとみていた。
「小梨さん。
その表情、あなたにはその言葉の意味わかりますよね?」
「心か……」
北村は あゆむの返事に薄ら笑いを浮かべ、
「壊れた者同士、なにか通じ合う物が有るようで、まったくその通りですわ。
いくら食べても、食べても、一向に心が満たされないんですよねぇ……」
北村はそう締めくくると、忌々しそうに カヌレを更に乱暴に数個にぎり口にねじ込むみ、呑み込むように食べ終えた。
「……」
オレにはその感覚が理解できず表情を固めていると、
「まあ、お嬢さんのようなマトモな人には、この砂漠のような乾いた感覚は判りませんよ」
北村は無表情のまま、クルリときびすをかえす。
その時、オレの敏感な耳は、彼の「――アマちゃんの貴様に判ってたまるかよ……。 地獄の釜の底の熱さが……」、という唸るような低い声の無意識のような呟きをとらえていた。
その時、一瞬みえた、ヤツのギラついた目。
――瞳の奥には、薄暗いものがあった。
端的に言えば、世界の全てに憤りをもった奴の目だった。
自分の憎しみを晴らすためには、関係ない人ひとりの命なんて、ムシケラのようになんとも思っていないような冷たい目だ。
恐怖のあまりオレの背中に冷たいものが走る。
「……」
地獄の釜の底。
オレにもさすがに判らないかもしれない、
自分の居たのは一応地獄の入り口だったけど、更に下の世界は有るはずだから。
あゆむには判らないかもしれないけど、地獄の入り口を見たオレなら判る。
――コイツは、オレより深い闇からきた魔物。 間違いなく地獄の住人だ……。 もしコイツが女なら全て繋がる。
どんな残酷な事ですらドライに振舞い、いとも簡単にレナのような事ですら出来るだろう。
お菓子の入手経路はわからないけど、コイツが蠅で間違いない。
逆にコイツが男なら、振り出しに戻る。
ユウナの件にしても、まず自分がヤるだろうし、レナを性奴隷にせず殺害の件にしても、メリット皆無でリスクしか無い。
こいつのことを男か女か、調べる価値はあるな……。
あゆむがトイレではちあわせたといっても、確実じゃないしね。
オレは、そんな訳で恥ずかしいけど最終手段で確かめることにした。
「ふぅ。 少し疲れたかも……」
そう言いつつ、オレは座り込み、そして、無防備をよそおってスカートのしたから、太もものディンジャスゾーンをさりげなくチラリと見せ付けた。
チラリと、自分のビタミンカラーの青いショーツが見えるようにすれば、男なら反応するはず……。
「お嬢さん。
――それはあきまへんなぁ」
次の瞬間、北村の羨望をこめたような視線で犯されるような、目を細めたいやらしい視線がなめるようにオレのショーツにまとわりついた。
――その瞬間、オレは確信する。 こいつは確実に男だと。
その前に、股間をみてわかった。
――エベレストだった……。
どうみても、前のオレより確実にでかい、多分、コレは土管クラスかも……
そして、悪寒がはしる。
こんな物を突っ込まれたら、確実に死ぬ……。
「……」
気が付けば、あゆむは阿修羅と仁王をたしたような凄まじい形相を視姦魔に送っていた。
そりゃ、そうなるよなぁ……。
「これは えろうすいまへんな。
――コレは、男のホンノウなので勘弁してやってください」
あゆむの視線に気がついたのか、北村はそう言うと、かるく腕を開き、かたの力を抜きながら首をゆっくり左右にふり、くるりキビスをかえしながら、更に続けた。
「まあ、今日は此処に長居する気はありまへんので、帰らせて頂きますよ」
「ああ、それがいい」
北村は、不機嫌ありありの返事を返すあゆむに向かい、曇り空を見上げながら、言葉を継いだ。
「雪の降りそうな日は、苦手ですわ……。
――嫌な思い出しか残っていまへんから」
北村はそう言うと、さみそうな表情でポツリ抜かした。
「――嫌な思い出? だと?」
北村の見せた事の無い表情に あゆむは問い返していた。
「雪は残酷ですわ、無慈悲に体の中から温かさを奪うんですよ。
――雪の中、裸足で、あても無く歩き回った事ありまっか?」
「有る訳は無い」
「でしょうね……」
北村はあゆむを フッ と鼻で笑い はるか天空を見つめるような遠い目をしながら、さらに続けた。
「疲れていても、足が冷たくても、目の前にパラダイスがあっても休めないんですよ。
止まると死んでしまいますから」
「……」
「――もっとも、死んで天国に行けるならその方がマシでしょうけどね。 自分が倒れ、目を覚ました所は地獄でしたよ。
右も左も自分と同じようなゴミだらけのね」
「ゴミだらけだと?」
あゆむには、そんな世界が全く想像が出来ないのだろう、驚きの表情していた。
そんな彼に向かい、北村は更に言葉を続ける。
「……生きることを諦めた……。
――いいや、諦めさせられたクソのような人間たちですよ。
みんな生きるために、野獣のように犯罪でも何でもやるしかないクズばかりのね。
――お嬢さん、それがどんな世界か判りますか?」
「判らない……」
突然オレに話を振ってきた北村に、オレは驚き交じり、呟くように答えた。
底辺の自分でも、その世界はわからなかった。
考えることも、想像すらできない世界だったからだ。
「――普通わからないでしょうね……」
北村はそう言うと、フッと自虐気味に笑い、
「明日に希望のないゴミたちが更に弱者をさがし、それを徹底的に叩く地獄のような世界ですよ。
そんな世界、みんな生きるために犯罪でも何でもやってました」
「……」
「……」
あゆむは北村が話す世界がまったく想像すらつかないのか 複雑な表情を浮かべる中、オレには彼の言った言葉の意味のカケラが、何となく判った。
――生きるためには奇麗事じゃ生きていけいけない。
パンのみで生きるにあらずと言うけど、そもそも食べられなきゃ生きていけないから。
北村は遥か天空を見上げるように遠い目をして、更に続けた。
「施設に入れられた、新入りの気の強い女の子は、恰好のカモですわ。
自分が強いと うぬ惚れて、生意気な態度をとった瞬間、肉食獣のオリにいれられた餌状態で、多勢に無勢、周りからあっという間にフクロにされ、壊れた人形にさせられるんですよ。
――その正体も知らないで」
北村が語り終えた時、オレにはその光景がありありと浮かんできた。
施設に送られた身寄りの無い、小生意気な少女。
そんな彼女一人を誰かがレイプしても、面倒だと周りは見ぬフリだっただろうし。
もし、オレがそんな状況に置かれたら、きっと、数日も持たないうちに人格は破壊されてしまうのは間違いない。
「……」
「……」
オレとあゆむが言葉を失う中、北村はオレをチラリとも見ず、更に続ける。
「――その中で生き残るには、どうすればいいか判りまっか?」
「……判らない……」
「なら、教えてあげますよ。
そこで『王』になるんですよ、クソのような世界の王にね」
「『王』?」
「泥水をすすり、死肉を食らい生き残り、どんな手段をつかっても、蛆虫から蠅に成り上がるんですよ。
そして、今度は奪われる方から奪う方に変ればいいんですよ。
――王になれば、その世界はヤりたい放題の天国へと変りまっからね」
その瞬間、ちらり一瞥した北村の顔が悪魔のような表情を浮かべた。
こいつの過去になにを背負っているんだ、そんな表情だった。
「小梨さん。
ヤミの香りが漂うモノ同士、引かれ合うものですから、また会うことも有りますでしょ?
――本気で動きたくなりましたさかい……」
そう言うと、左手の黒い指貫手袋を脱ぎ、手を振りながら去っていった。
「……」
その姿にあゆむは無言ではあるが、鋭い視線を送っていた。
「どうしたの?」
「蠅には左手の甲に刺青がある。 だが、ヤツには無かった」
「じゃあ……」
「北村は……、」
厳しい表情をうかべるあゆむは、心の中で何かひっかかるものがあるのだろう。
「違う…」、と言いつつも言葉を濁していた。
「あゆむ……」
「何だ?」
北村が去っても。オレは自分の体の震えが止まらなくなっていた。
アイツとはホテルで一度あってるけど、オレなんかは比較にならない、コイツが本当のダークサイドの人間だと判ったからだ。
きっと人間の命もムシケラのように簡単に踏み潰す、そんなやつだろう。
自分が天使で有ることがバレタ瞬間、ゆうなのように躊躇なくオレをずたぼろにするのは間違いない。
むしろ、あゆむの目の前であてつける様にレイプして、その姿を見せつける。
そんなヤツだろう。
そいつの宣戦布告とも言えるような言葉。
「――お願い、このまま少し居させて」
そう思うと、涙を浮かべ震えながらあゆむに抱きついていた。
頼りがいの有る胸からは、温かさが伝わってくる。
今、自分がこの時間生きていると言う、確かな自分の生の感覚だ。
「仕方が無いヤツだ。
帰ったら本格的にオシオキだな、これは」
そういいつつも、あゆむは優しく背中をなでてくれていた。
「オシオキでも何でもいい、今はこのままで居させて……」
オレはそう言うと、胸に顔をうずめていた。
今はタダ、純粋にこうして居たかった。
恐怖を忘れたかったから。
――そして、蠅の呟きは、無かった。