閑話 シルバーメモリー
私は目が覚めた。
此処はビジネスホテルの一室、薄暗い部屋のベットの上でショーツにシャツと言うラフな格好のまま、軽く伸びをする。
――室内は、夜明け前の静かな静寂に包まれていた。
「……」
気がつけば、何時ものクセで、隣に居るはずの銀髪の天使に声を掛けようとしていた。
――今の自分の隣には、もう誰も居る筈も無いのに。
自分の横たわっているシングルベットの隣にあるのは、ただの毛布だけ。
そして、窓に映るのは、ベットの上で、窓をじっと見つめる緋色の瞳をした銀髪の自分の姿だけだった。
「……そうだった……、――私らしくない」
ガラスに写るその姿に、私は思わず、自嘲気味につぶやいていた。
――華奢な体とはつりあいのとれない、大きな胸の谷間に刻まれた、溶接されたような痛々しい傷跡をみて、もう自分はこの世に居ない人間だと改めて自覚する。
あの時、自分はあの時死んで、転生した、と。
――此処に居るのは、『フェイト ブライト』、と言う、世界の何処にでも居る女性。
今は、それでいいわ。 優衣を護る為には、少なくとも、あの男……。
彼の微かな違和感に、首を左右にふると、自分は心の中で、男と言わず――アイツ、と言い換えていた。
――アイツ、……ベルゼバブとの決着が付くまでは。
あの人には寂しい思いをさせるかもしれないけど、それは仕方が無い事よ。
――このままじゃ、幻影は何時までも経っても、幻影のままだから。
そして、私は横においてあるフォトフレームに目を移す。
其処には、家族三人の幸せな光景が映っている。
「あの人は、あの時から何も変わって居なかったわね……。
――優しいところも、甘い所も何もかも……」
不細工な男と映る、銀髪の美女と幼女の3人と言う、余りに不釣合いな光景に、思わず表情を緩め、そしてあの男との記憶を思い返していた。
自分が目覚めた、あの施設の事を。
――そして、彼と其処で最初に出会った時の事を。
””
私は施設で目覚めると、記憶を失ったまま、すぐに絶望的な事を聞かされた。
自分は天使、――自分の犯した罪のため、12歳相当の体にさせられており、ある男に陵辱の後、殺されるために生かされている、と。
だけど、自分は何も感じなかった。
話を聞くうちに、自分の全ての思考が、絶望に置き換わるのに時間はかからなかった。
――普通の人間ならそうなる筈。
でも、私は、怖いとも、死にたくないともいう、何の感情も浮かんで来なかった
自分は、この姿になった時に、記憶を失い、感情も何も壊れた、抜け殻だったから。
それは、違うかもしれない。
おぼろげな記憶だけど、空っぽな存在は、元々だったかもしれない。
――私は世界の誰にも必要とされない、ジャンク(ガラクタ)だったから。
だから、ダラダラと生かされるのはムダと思った。
役に立たないジャンクなら早く壊して、リサイクルしたほうがよいとも思った。
だらだら生かされ、その揚げ句、誰かに命を惨めに奪われるくらいなら、自分で終わらせた方が余程マシだから。
そう思い、自分は何度も死のうとした。
ある時は手首を切り、またある時は薬を大量に飲んで。
時には、首を吊って。
でも、死なせて貰えなかった。
意識を失い、そして何時も目覚めるのは、おなじ病院のベットの上。
繰り返す、コピー、ペーストされたような、変わりのない日々。
タダ違うのは、私が監視の目を盗んで、死を選ぶ手段が変わるだけ。
――今日は、どうやって逝こうかな、っと。
”
そんな繰り返される、変わり映えの無い日々の中、ある日変化があった。
私に面会に来た男がいたのだ。
――見るからに、しょう油顔でぱっとしない男だった。
だけど、この人は変わりない日々をおわらせてくれる人と判った。
私をこの場所から連れ出してくれた、初めての人だから。
――自分を殺してくれる相手だと。
そして、その男に連れられ、年代物の軽に二人で乗ると、初めてのお見合いの様に、会話の無いドライブが始まった。
――その男の目は、邪悪な焔がただ燃え上がっていた。
一歩間違えば、幼女誘拐か、援助交際の現場で職務質問されそうな光景だった。
そして、山奥に向かっていき、民家も殆ど無くなってきた。
有るのは、不細工な男の隠しきれない殺気だけ。
其処に来ても、まだ何も感じなかった。
むしろ、嬉しかったかもしれない、――このマンネリした世界を終わらせてくれる事に。
「わたしを、どんな方法で私を殺すの?」
と、私が感情を込めずにカレに尋ねると、芋のような男は、石の様に固まった。
――ハンドルは、そのままにぎったままで。
そして、滑り落ちる様に谷に車が落ちた。
ソリのように落ちたので二人とも怪我は無かった。
――だけど、これは幸運では無いとスグに判った、此処は圏外、そして季節は冬。
これは、アクマが巧妙に仕掛けた罠だとも判った。
――雪山で生き残れる淡い期待を持たせつつ、最後の最後で殺す罠だと。
そのとき、死神の鎌が首にカチャリと掛かり、そのカマがストンと落ちた気がした。
彼も同じだろう、パニクって車から降りたまま、その近くでスマホを握りしめアタフタする男。
誰かを殺すつもりでも、自分の死ぬのは怖いらしい。
――でも、その感情が羨ましかった。
自分には浮かんでこない感情だから。
そして、時間だけが過ぎ、空から降り注ぐ白い悪魔が辺りを包み込み始めた。
辺りはスグに、まっ白い凍てつく世界に変わった。
――そして、自分の世界は此処で終わるとも判った。
でも、彼は、この期に及んでも、何もできずにクマのようにアタフタするだけ。
そんな彼を見て、最後くらい役に経つのも悪くないとも思った。
――殺される運命の自分の命で、誰かの命が助かるなら、悪くない取引だから。
体重の軽い私なら、深雪でも埋もれずに歩け、麓に助けを呼びに行けるかも。
そう思い、雪の上を歩き谷を下るうちに、雪山にパタンと倒れこんで意識は霧散した。
――このまま、死ぬのも良いかも。
綺麗に逝ければ、それも悪くは無い。
あの不細工な男に陵辱され、惨めに殺されるよりは余程マシだから。
そして、気が付けば芋が、
もとい、芋によく似た男が私を抱きかかえ、極寒の雪山をラッセル車のように降りていた。
体中は傷だらけ、雪まみれのボロボロで。
――極寒の最中、私を殺すはずだった男なのに。
「何故?」
自分には理解できない彼の行動に思わず尋ねていた。
「わからない……。
――オレは、今でもアイツを奪ったお前の事が憎い」
彼は、憎しみを絞り出すような表情を浮かべていた。
「なら殺せば?」
本心だった。
私は、その為に、此処に連れてこられて居る訳だから。
そう思い、無表情に言葉を続けた。
「私はこんな体だから、此処に置き去りにするだけで、簡単に復讐を果たせるわ。
身軽な方が、助かる確率は上がるわよ」
「自分の復讐は果たせるかも……」
彼はそう言うと、奥歯を噛みしめ、鬼の形相で更に言葉を継いだ。
「――けれど、お前を殺してもアイツは生き返らない」
「……」
「僕の命も、お前の命も、お前が奪った命も同じ……、
――たった一つの命だから、こんな所でお前を死なせたくない」
彼は、憎しみを噛み殺し、大粒の涙を流しながら手を握ってきた。
――彼の体から暖かさが伝わってくる、命の温もりだった。
私の記憶は殆ど壊れて、前の体の時のことは殆ど覚えて居ないけれど、ほんのすこしだけ記憶に残る、今まで家族からも感じたことも無い、嘘偽りの無い優しいぬくもりだった。
「甘いのね……」
気がつけば、彼の顔を見ながら涙がとめどなく流れ出してきた。
「アイツにもよく言われた……」
「けど、温かい人ね」
そう言うと、彼の胸に縋り付き、号泣しながら震えていた。
――この温もりを消したくない。
記憶には無い自分の罪を購う為……、
ううん、……自分の為だったかもしれない。
「お願いが有るの。
――もし、生きて山を降りれたら一つお願いをしてもいい?」
「その時に聞くよ」
漆黒の闇に、銀砂を撒いたような満天の星空の下、静寂の銀世界に自分の鳴き声だけが響いていた。
”
そして一年後、ゆいが生まれた。
ギリギリだった筈、全てが。
”
そして、私はベルゼバブに負けた。
アイツに繋がる物を何もに手に入れらず、私の完敗という惨状だった。
このままでは、いくら木戸……、いや――小梨さんとは言え、アイツを追い詰める事は出来ない筈。
その中で、病的に警戒心の強いベルゼバブにたどり着く唯一の手がかりは、杏子ちゃんが見たという、セーラー服を着た北村とそっくりな女性の事だけ。
でも、これだけでは全くたどり着けない、けれど、北村を調べる事があの女の手がかりになり、ベルゼバブを追い詰める一手になる事は間違いない。
――防犯カメラにも気をつけている あいつが残した、数少ない手がかりだから。
彼(北村)のことは、小梨さんに頼まれて調べているけど、あの人間の情報は、どういう理由か意図的に抹消されている。
少ないながらも、ネットや新聞で残された情報からたどり着けるのは、彼が育った養護施設からの足跡のみ。
ネットでまことしやかに囁かれている、その施設で起きた一人の少女に絡む陰惨な事件の後に、北村は唐突に現れている。
まるで、其れまで、この世界に存在しなかったように。
その施設の関係者は、高齢の為、一人を除き全て死亡しており、当時をしる一人もその件に関して貝のように口を閉ざし、何も語ろうとしない。
そのような中で、北村の過去を調べる事は、サバクのなかで、ゴマ1粒を見つけるような不可能な事に近い事だと思ってる。
けれど、やらないといけない。
北村の過去を知り、彼そっくりな女性の正体を知る事が、アイツを追い詰める最大の一手になる筈だから。
それが出来るのは、アイツに警戒されない人間。
つまり、――この世に居ない筈の人間である私しか居ないから。
そして、アイツは、自分が最大のミスを犯したことに気が付いていない。
――ゆいが生きていれば、私の勝ちだと言う事。
つまり、淡い温もりの幻を、現実に変えてみせるチャンスが残っていると言う事に。
「幻想を、永遠にしてみせる」
スッと引き締まった顔で、自分の決意を口に出すと、枕元に置いておいたコンタクトに手を伸ばす。
――温もりを永遠にする為に。
そして、支度を整えると部屋のドアを開け、夜明け前の街に歩き出してゆく。
――たった一人で。
次から本編が始まります~。
こうご期待!