救いの意味
「いい加減にしなさい!
学校をサボって引きこもるって、何を考えてるの?」
閻魔の形相をしたノアの罵声と怒号が、オレが引きこもっている小梨の寝室に響き渡る。
彼女を案内してきたフェイトは、トラブルに巻き込まれるのが嫌なのか、ノアと入れ替わりに部屋から出て行ったようだ。
――ノアは、オレが学校をサボっている理由を小梨から聞きつけ、バイトが終わり次第、フェイトにここまで案内して貰ったらしい。
サボった生徒を登校させようとする責任感の強さは、流石、委員長と言うべきかもしれない。
「出たくない……」
オレは顔を歪め、そう返事を返すと、毛布をかぶって丸まり、アンマン状態でノアからくるりと背を向ける。
――誰が来ても、出たくないのもは出たくない。
どの道、いずれ殺されて終わるのだから。
「甘えるな、杏ちゃん。
――こうなったら、無理矢理でも引きずり出すわよ!」
ノアは、強い口調でそう言うと、毛布饅頭の裾をまくり上げ、オレのうでを強引に掴んだ。
――しかも、リストバンドのある方の腕を。
しかも、彼女は隠したい刻印を隠しているリストバンドをピンポイントで掴んでいるのが感覚で判った。
「其処はダメっ!」
オレは毛布に包まったまま、強い口調で拒否をした。
彼女に、天使の証を見られたら、オレは完全に終わるのに……。
「ダメじゃない。 何時まで駄々っ子みたいな事を言っているの!?」
だが、ノアはオレが嫌がるのもお構いなしに、更に強い力でオレの腕を引っ張ると、リストバンドが指先の方にずれて行くのが判る。
――そして、咎人の刻印があわらになったのが感覚で判った。
「見ないで!!!」
その瞬間、オレは思わず声を上げていた。
もし、ノアがこの刻印の事を知って居たら、オレが天使である……――つまり、オレがリベンジ法を犯す様な凶悪な犯罪を犯したと言う事が彼女に知られてしまうと言う事だから。
そうなると、彼女との関係は今までどうりでは居られない。
――丁度、アリスが天使であると判った途端、手のひらを返したようなクラスメイトの様に、冷淡な関係になるのは、自分でも容易に想像がついたから。
「――それって、天使の刻印よね!?」
オレの刻印をみた彼女の表情が変わったのが、声色から判った。
抑揚を無くし、トーンを落とし静かに語る彼女のそれは、軽蔑でも、怒りの表情でも無かった。
――それは、無、だった。
「杏子ちゃん……、――理由を説明しなさい……」
ノアは、メガネの奥に、感情を押し殺し、ワザと平穏を装っているのが判った。
彼女の無言の威圧感が凄い。
「今まで黙っててごめんなさい!
――自分は天使なんだ」
オレは、彼女の威圧感を前にベットから飛び降り、直立不動となると、カチコチの表情で思わず自分の事を言わずに居られなかった。
――その先の事は、考えれるはずもなく。
「お願いだから、殺さないで!!」
オレは首をブンブン左右にふりながら髪をふりみだし、ただ命乞いをするのが精一杯だった。
――もし、彼女がハンターでオレを殺す気なら、殺すことは容易いだろうし。
そう思っていると、彼女はオレの方に静かに歩み寄ってきた。
――背中に冷たい物が走り抜け、覚悟を決めると目を閉じた。
「――今まで苦しかったよね。
今まで、貴女の事を私が判ってあげれなくて、ごめんね……」
彼女の言葉と共に、背中と胸にあたたかい感触が伝わってくる。
まぶたを開けると、目の前には大粒の涙を流すノアが居て、オレを抱きしめながら、背中を優しくさすりながら更に言葉を続けた。
「杏子ちゃん、あなたが天使であることを、勇気を出して話してくれてありがとう」
「……」
オレは予想もしない結末に、どんな表情も浮かべる事が出来なかった。
呆然自失、というのが正しいのだろう。
――殺されることも、覚悟していたのに。
「あなたが自分の秘密を話したから、私の秘密も話すわね。
私がこの刻印の事を知っている理由、――それは、わたしのお兄ちゃんも、天使だったの……」
ノアはそう言うと、涙声で自分の事を語りだした。
――彼女に、天使にされた兄が居た事、そして、天使にされた兄が生活費のため危険なバイトもしていた事を。
「お兄ちゃんがお姉ちゃんになっても、今までとは何も変わらない、何気ない毎日が続いていた。
――そんな日がづっと続くと思ってた」
涙声のノアは、「けど……」と、短く区切り、
「何気ない毎日も、唐突に終わりの日がきたの」
「終わりの日?
――……それって、まさか?」
ノアの言葉に、オレは思わず言葉を詰まらせていた。
――オレの中に嫌なイメージが沸き起こっていたからだ、
天使に来る終わりの日……、それはつまり自分の罪を償わせられた時、
――『昇天の時』だからだ。
「そうよ、杏子ちゃんの想像の通りよ」
「……」
「私が学校から家に帰ると、一通の便箋が置いてあったわ。
ハエの羽には海賊旗のようなドクロマークがついた禍々しい銀の刻印が押された、漆黒の便箋。
――中身は地獄への招待状だった」
「地獄への招待状?」
「便箋の中に入れてあった地図の場所に行くと、其処は私にとって地獄だったわ」
ノアは声を震わせながら、更に言葉を継ぐ。
「地図の場所に行くと、お姉ちゃんは罪を償わされていたわ。
――お姉ちゃんの亡き殻は胸を全開にした紺の作業服一枚はおらされ、後は一糸まとわぬ姿で、後ろに手を束ねるようにして廃工場の入り口に晒してあった」
「……」
「それだけじゃない。
――お姉ちゃんの太股の内側を伝った真紅のラインと異様な匂いのする白いラインを見て、
その時、お姉ちゃんが何をされたのか直ぐに判ったわ。
――凌辱の末、自分の罪を償わされた、と」
ノアは、そう言うと、余程酷い事を思い出したのだろう。
体を強張らせ、声を震わせながら更に、彼女に起きた非道を語りだした。
「ううん、其れだけじゃない。
お姉ちゃんがそうなるまでの一部始終が撮影され、ハンター投稿サイトに載せられて、世界中に晒し者にされていたの。
――ハエの仮面をつけ、手の甲に蠅の刺青を入れた男が、のどが張り裂けるほどの絶叫をあげるお姉ちゃんを、なぶり者にする姿が」
ノアは余程辛い事を思い出したのだろう、
大粒の涙を眼鏡の奥に秘めながら語り終えた。
ハエの仮面……、ゆうなの時と一緒。
――蠅の仕業だ。
「……」
だけど、オレには蠅の事を非道なヤツとは言えなかった。
自分には、彼を非難する言う資格が無い、と思ったからだ。
あの人に非道をして死に追いやり、天使にされたオレもある意味同類だろう。
そんなオレが、蠅の事を極悪非道というのは、まさしく盗人猛々しいを地で言っているから。
今、自分に出来る事は、オレの事を包み隠さず彼女に伝える事だけだと思った。
「――自分は、例のあの事件の犯人なんだ……」
ノアに全てを打ち明けた。
包み隠すことも無く、すべて。
彼女は否定も肯定もせず、ただ静かに聴いていた。
「あなたは、反省してるの?」
オレの話を聞き終えたノアの分厚い眼鏡がキラリ、と光った。
――威圧感が半端じゃない。
「うん……心の底から反省している」
何時も背中に重い十字架を背負い、焼ける様な悔恨をいつも感じているから。
「だったら、私は許す」
のあは言い切った。
許す、と。
なじられるのは覚悟していた。
けれど、
いとも簡単に、酷い事をしたオレを許してくれた。
「……」
彼女に許され、呆然としているとノアは更に言葉を続けた。
「あなたが反省してるなら、世界中の誰が許さなくても、私が許してあげる。
――誰だって失敗はするものだから」
「……」
「だから杏ちゃんは生きて!
――たとえ、その時が来るにしても、その時までちゃんと生きなきゃダメよ。
死んでしまった、あの人は答えてくれない。
――だから、許されるように生きてゆくしか無いの」
「うわぁぁぁぁ~~~」
彼女に許され、諭されて、オレの口から堰を切ったように、流れ出る嗚咽。
いつの間にか、フローリングの床の上で女の子座りをして、天を仰ぎ、号泣する自分がいた。
「あなたを慰めてあげたい。
けど、その役目は、私じゃないわ」
ノアはキッチンの方へ目を向ける。
「小梨さん、まだ居るのでしょ?」
「……ああ」
部屋の外から良く聞いた声が返ってきた。
どうやら、あゆむは部屋の外から、此方の様子を窺っていたようだ。
彼は、「――手間のかかる阿呆だ……」、と短くそう言うと、バツ悪そうな表情でキッチンから歩み寄り、号泣するオレの傍に寄り添うように腰を下ろし、そして、優しい手つきでオレを胸に抱き寄せてきた。
「小梨さん、私はフェイトさんに家まで送ってもらうので、
――杏子ちゃんの事、後は、お願いしますね」
ノアは二人の様子を見て、安心した表情でそう言うと、一礼し、キッチンの方へ去って行った。
「ごめんなさい……、あの人に酷い事をしてごめんなさい……」
ノアとフェイト、二人が去った後も、オレは、彼の胸にすがりついて泣きじゃくり、嗚咽しながら。今までオレの中にため込んでいた、自分の胸のうちを全てさらけ出した。
あゆむはホストの様なイケメンに、憂いを帯びた表情を浮かべながら、タダ黙って オレの背中をただ撫でてくれている。
”
どの位経ったのだろう。
オレは気がつけば、泣きつかれて眠ってしまったようで、あゆむの膝枕の上にいた。。
彼のパリッとしたスラックスは、涙やらよだれでぐしゃぐしゃになっていた。
でも、そんな状態でも、彼はオレの背中をタダひたすら優しく撫でてくれていた。
――きっと、オレが泣いて眠っている間中、ずっとだろう。
オレは許されない事をしてしまった。
――けれど、たった一人でも許してくれる人がいれば生きていられる。
それが『救い』、だと言う事なのだろう。
アリスの救いとなっていた男のように。
人は間違いを侵さずには生きてはいけない生き物だけど、救いが有るから生きてゆける。
あの時のあゆむがホテルで、「私の名の下、許す」、と言った時に、何故か自分の心がスッと軽くなった意味が今日やっと、始めてわかった。
――彼の許しで、自分が救われたのだと。
時は戻せない、けど。
もう、前を向いて行こう。
例え、何時か殺される運命でも。
――そう思った時、オレの中に一つの決意が固まった。
「……あゆむ、心配かけてごめんね。
――もう大丈夫だから」
「きょうこ、お前のその表情、どう言う風のふきまわしだ?」
あゆむは、彼の膝枕の上で目を覚まし、彼をジッと見つめるオレの表情を見て驚き交じりの声を上げた。
彼は、ついさっきまで殆ど死人の様な表情だったオレが、子供の様に泣きじゃくった後、今までとは違う柔和な表情で、決意を秘めた強い目になった事に驚きを隠せないようだ。
「……決めた事があるんだ」
オレは柔和な表情を浮かべると、あゆむに返事を返した。
泣きはらし、寝ぐせやよだれでグチャグチャの酷い顔、
――けれど、瞳には強い意志を秘めながら。
「……一体、阿呆の貴様が何をするつもりだ?」
オレの言葉を聞いた小梨は、顔をゆがめ、怪訝な表情を浮かべていた。
――今までの、自分の事を考えると、不審がられても仕方ないと思うけど……。
顔をしかめ、訝しげな表情を浮かべるあゆむに向かい、オレは小悪魔の様に微笑むと、
「――今は内緒」、と、悪戯っぽく言葉を継いだ
「内緒、だと!?」
オレの曖昧な答えに、あゆむは、ほんの少し声と表情を強張らせていた。
――でも、それを今、彼に話せない。
どういう形であれ、自分が彼女にした事にけじめを付けないと、行けないと思ったからだった。
「ほんの少しだけ待って。
――その後なら、キチンと話せるから」
「……碌な予感がしないな」
ますますあゆむの表情が険しくなるが、まだ彼には話す訳には行かなかった。
――ちゃんとケジメをつけるまでは。
残りも頑張って早目に書きます。
こうご期待!