表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/116

静かな雨の日に

 あの事件から数日たった。

 小梨の話では、当初は騒然として授業が中止されていた校内も、徐々に平静を取り戻し、授業も再開されつつあるらしいけど、オレにはあまり意味のない事だった。

 何せ、あれ以来、小梨のマンションの部屋に立てこもったままだから。

 所謂、引きこもり状態だ。


 それでも時間は刻々と過ぎるもので、気が付けば今日は土曜。

 引きこもりの自分にはあまり意味はないけど、休日の今日は雨だった。

 あゆむは、ベルゼバブの件以降、後始末に追われているらしく、なかなか部屋に戻ってこない。

 そんな訳で、一人、部屋に取り残された自分は、キッチンでキャミにショーツのままイスにちょこんと座り、灰色にかすむ街の風景をボンヤリ眺めていた。

 窓を見ると、水煙で遠くが霞んでいた。

 静かに降りしきる雨音だけが、室内に響いている。


 そして考えていた。

 ハンターに襲われたアリスの事を。


 後から小梨から聞いた話では、彼女と一緒にホテルに居た小梨の同僚の男、山田は、優奈の復讐者だったようだ。自分の復讐対象を蠅に奪われ、やりきれない表情をしていたと言う。

 そして、彼女(ゆうな)自身もベルゼバブの気配を薄々感じ、自宅を出るときに、山田に手紙をしたためていたそうだ。

 ――内容は彼に関する自分の犯した罪への贖罪、そして、そんな自分へ優しく接してくれた事への感謝の手紙、そして未来の優衣に宛てた数多くの手紙だった。

 頭の良いアリスはあの男(山田)が、自分の復讐者だととっくに気が付いていたようだ。

 そして、彼の不器用な優しさに救われ、優衣を残して逝ける事に感謝すると言う文面だったそうだ。


 それが例え、後で、自分を奈落に突き落とす為の、偽りの優しさであったとしてもだ。

 そして、その手紙を読んだ彼は、体をゆっくり力なく崩れ落とさせ、そして、その手から手紙と小箱がするりと抜け落ちていったと言う。

 

 全てを知った上で、感謝の気持ちと優衣を遺していった彼女。


 彼は、其れを知り、何を思っているのか判らない。

 ただ阿呆のように、放心状態で、ぼんやり虚空を見つめていたらしい。

 何より心に残ったのは、彼に縋り付き、「パパ、ママは何処に行っちゃったの?」と銀髪を振り乱し、泣きじゃくるゆうなと生き写しの優衣の姿、

 そして、泣きじゃくる我が子を強く抱きしめ、男泣きで号泣する山田の姿、との事だった。


 ――ゆうなを許し、3人でずっと家族として生きてゆく。

 きっと、これが彼の答えだったのだろう、ずっと前から結論は出ていた。

 ただ、答えに至る過程が埋まらなかっただけなのだろう。

 

 ――けれど、もう答えにたどり着くことは永遠に出来なくなってしまった。

 彼女はもう昇天してしまったのだから。


 学校の惨劇の現場は、市から派遣された数人の清掃担当の職員が、手早く後処理をしていったらしい。

 数時間もしないうちに、美術の教室は元の姿を取り戻していた。

 ――ただ、彼女だけ居ないその姿を。



 同じ天使である優奈の死を、否でも自分に突き付けられ、

 自分の最期の時を考えずには居られなくなる。

 ――考えないようにしていたけど、確実に、何時か、自分に来るその時だ。


 「……」


 その時、自分はどんな人間に襲われ、そして殺されるのだろう?

 その時、自分はどんな風に悲鳴をあげるのだろう?

 その時、何を思うのだろう……。


 そして、最後に網膜に映る景色は何なんだろう。

 残された小梨やノアはどう思うのだろう…。


 嫌な思考に脳内が満たされ、シナプスが火花を散らし駆け巡ってゆく。


 「怖い……」


 自分は、気が着けば椅子の上で体を小さく丸め、俯き、ガタガタ震えていた。

 窓をふと見ると、其処には可憐な少女が茶髪をゆらし、顔をぐちゃぐちゃにして泣いている姿が映っている。

 ――死にたくない。

 そう思うと、思わず腕に有るリストバンドを見つめていた、自分の罪の証を。

 ――同時に沸き起こる、燃えるような悔恨。

 あの娘に、なんて酷い事をしてしまったんだろう。 そう思えば、気が付けばイスの天板の上に水面が点々とついていた。


 ――もう遅い、取り返しは付かないのだけど……。




 「ん?」


 何時に、間にか眠っていたようだ。

 気が付けば、辺りは夕闇に包まれ始めていた。

 

 「……もう、こんな時間なんだ……」


 ぐちゃぐちゃになって、涙の跡がのこる顔をあげると、降り続いていた雨はいつの間にか上がり、澄み渡った空気の元、遠くに見える夜景は色とりどりの宝石のように輝いている。


 視線を近くに移すと、自分の背中には毛布がかけてあり、目の前のテーブルには高級店のハンバーガーの包みと何かの飲み物、そしてフライドポテトがおいてあった。

 そして隣には(食え。 阿呆に風邪でも引いて死なれては困る)と書いた書置きがあった。

 ――眠っているうちに小梨が帰って来たのだろう。


 と思ったら、張本人がフローリングの床に座り、壁に背中を預け無邪気な表情で眠っていた。

 彼はアレからの数日の激務で疲れ切っていたのだろう、何時ものパリッとした黒のスーツはクタクタ、髪もぼさぼさ、ヒゲも伸びてイケメンの出来る男オーラも台無しで、だらしない姿のまま寝息をたてていた。


「あいつめ……、どっちが阿呆だよ……。

 ――でも、ありがとう……あゆむ……」


 オレはそう言うと、あゆむの寝顔にキスをして、自分にかけてあった毛布を彼にかけていた。

 涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま。

 彼が、起きていたら絶対に見せられない酷い顔だとおもう。

 ――だけど、この瞬間だけは、許されるよね?

 

 「――ありがとう、頂くね」


 そして、彼の傍に寄り添い、テーブルに置いてあったバーガーに手を伸ばして、一口食べると、涙がとめどなく流れ落ちる。


 「美味しい……」


 完全に冷え切っていた、けれど--美味しい……。

 確かに口の中に広がる、命の感覚に心の底からそう思った。


 月明かりが、肩を寄せ合う二人を照らしだし、部屋の中は、静かな空気と時が流れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ