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蠅 ベルゼバブ

 あれから、病院から家までどう帰ったか覚えてない。

 オレは気がつけば、ボンヤリとしたまま、小梨の家のキッチンのイスにちょこんと座らせていた。

 ――昨日、外出した時のままのTSにキュロットスカートと言うラフな格好のままで。


 「あゆむ、お前に聞きたいことが有るんだ……」


 オレは気が付けば、虚ろな表情でイスに座ったまま、心に秘めていた事をポツリ独り言の様に呟いていた。


 「何だ、杏子?」


 小梨は、オレの問いにチラリとも振り返らず返事を返した。

 窓の方に目を向けると、あゆむはジーンズにTシャツ姿まま、不動明王像のように険しい表情のまま腕を組み、窓の前で、マンションの最上階のからの景色を眺めていた。

 そんなキッチンから見える窓の外の景色は、上空を覆う雨雲のため、昼前にも関わらずうす暗くなっていた。

 ――これは、ひと雨がきそうな雲の厚みだった。


 「ベルゼバブって一体、何者なの……。

 ハンターってみんな、あんな感じで血も涙も無い冷血漢の集まりなの?」

 

 オレが虚ろな表情で、あゆむに尋ねたのは本心だった。

 ゆうなを娘の前で凌辱し、その後、彼女の亡き骸を人形の様に晒すなんて、あんな非道は処刑人とは言え、血の通った人間のやる事じゃ無いと思ったからだ。

 ――彼女が幾ら極刑(死刑)に処されて居るとしても、だ。

 

 「……」


 小梨は窓をみつめたまま、オレの問いにも返事を返さない。

 オレとあゆむ、二人の間を沈黙が支配する。

 ――ただ、明かりも着けず、うす暗い室内に ポットのシュンシュンとお湯の湧く音だけがひびいていた。


 「――前にも少し話したな。『ハンターにもルールがある』、と」


 深海の様な重い空気の中、永遠に続きそうな ふたりの沈黙を破ったのは、あゆむの方からだった。

 彼は、何か思う事のあるのか、イケメンに厳しい表情を浮かべたまま腕を組み、オレの問いに静かに重い口を開きだした。


 「うん、それは昨日少し聞いたよ」


 確か、ハンターにもルールがある以上、ゆうなみたいな模範囚のような娘は普通のハンターは襲わない、と、言っていた筈。

 ――彼女が襲われた今となっては、本当かどうかは、オレにも判らないけど……。


 「基本的にハンターが狩るのは、復讐者が放棄した天使、ロストエンジェルだ」

 「ロストエンジェル?」

 

  小梨は、ロストエンジェルの事を何もわからず首を傾げるオレの問いに、「ああ、そうだ」、と、短く言うと、表情を変えず、険しい表情のまま、ロストエンジェルの説明を始めた。


 「復讐者が、自分の復讐対象である天使エンジェルを、放棄する事がある。

 ――それが、放棄天使(ロストエンジェル)と言う物だ」


 「天使を、復讐者が放棄することがあるの?」

 「復讐者の何らかの事情で、復讐対象の天使を自分の手で処刑できず、更には、その天使が更生の意志を見せずに更に罪を重ねそうな場合は、放棄天使(ロストエンジェル)と呼ばれるようになる。

 ――何時、罪を犯すか判らない、言うなれば動く不発弾のような存在だ」


 小梨は厳しい表情を変えず、含みを持たせ放棄天使(ロストエンジェル)の説明を続けた。

 あゆむが言うように、確かにそうだよね。

 いくら、罪を犯し、少女の体である天使に変えられたからと言って、更生し、真人間になって昇天する人間ばかりじゃないだろうし。

 ――むしろ、『死なば諸共』、と、言う事で、ヤケクソで更に罪を犯す人間が居てもおかしくないから。

 そんな事を思っていると、あゆむは忌々しそうに言葉を続けた。


 「普通のハンターたちは、『放棄天使(ロストエンジェル)』、と言う更正の意思を見せない真のクズを狩る事で、 ()()()()()と言う、反吐の出そうな虚栄心を満足させている」


 窓ガラスに写りこんだ小梨は、忌々しそうに目を細めながらそう言うと、ため息を一つ吐いた。


 「天使を狩る事は、どんなにとり繕っても『法の執行』と言う錦の御旗を掲げた、ただの『殺し』には変わり無いがな……」

 「……」

 「どれだけ多くの命を奪い、凶悪な罪を犯した天使も、自分が殺されると分かった瞬間、整った顔に絶望的な表情を浮かべ、「殺さないで」、と、涙を浮かべて命乞いをする。

 ――天使を殺すことも、普通の人間を殺すことと、全く同じだ。

 ただ一つ違うとすれば、罪に問われないだけだ」


 小梨が、其処までしゃべり終えたその直後、雨が本格的に窓を叩き始めた。

 降りだした雨は時間を追って強くなった。

 何時もは綺麗な景色の街全体も、今日は灰色の水煙に けぶっていく――。


 あゆむは、窓の景色を不機嫌そうにみつめたまま、更に続ける。


 「自身は安全な所に身を置きつつ、己の快楽の為に、誰かを犠牲にする。

 それは人間としては倫理も何も無い、レイプ犯にも劣る最低の行いだ、

 ――そして、その動画を見て、「いいね」、と、はやし立てる連中も同罪だ」


 「レイプ犯にも劣る?」


 「ああ、そうだ。

 レイプ犯のような人間として最低の奴らですら、逮捕されると言う自身でリスクを背負っているからな。

 それすら負わず、己の快楽の為に、誰かを犠牲にするハンターや、それをはやし立てる連中は、それ以上のクズだ」


 全てを語り終えた小梨は、やるせない気持ちが強いのだろう。

 肩をいからせ、奥歯をつよく嚙みしめていたのが分かった。

 今、語ったのが彼の本心だろう。

 ――自分ではリスクを負わず、己の快楽のために誰かを犠牲にするハンターは、オレのような憎むべきレイプ犯にも劣る、と。


 小梨は思うことがあるのか、語り終えると、忌々しそうな表情のまま、腕を組み、鈍色の窓の景色を見つめていた。

 

 「どういっても、お前も同じ穴のムジナだろ?」


 あゆむは、意地悪そうに表情を歪めたオレの問いに、「フッ」、と初めて表情を緩めた。


 「お前にそう思われても仕方ない。

 私も、ハンターを統括する側の組織の人間だからな」


 「じゃあ、歩はもう誰かを……」

 

 オレが何気なく尋ねた言葉に、二人の時間が凍えた。

 部屋の中は、窓の外の雨音だけが響いている。


 「私は奴らとは、違うっ! 

 ――自分はまだ、誰も殺していないっ!!」


 一呼吸の後、あゆむは振り向くと、目尻を吊り上げ、激昂しながら強く言い切った。

 ――自分はハンターと違う、誰も殺していないと。


  「快楽の為、無関係な人間を犠牲にするほど、私は堕ちてはいない。

 ――ただ、()()()()()()()()()()に動く」


 「良かった……。 

 あゆむがそんな人間で」

 「何が良かった、だ?」


 小梨の言葉にオレは表情を緩め、あゆむが誰も殺していない事に、思わず安堵の息を吐いた。

 本心だった。

 殺人を犯したこっちの世界は、地獄だから。

 ――たとえ、法に問われなくても、誰かを殺したという罪の意識は同じだろうから。

 

 「……あほうの貴様が何を勘違いしているのか知らないが、

 ――殺しの件は、お前に言われるまでも無い」


 小梨は表情を緩めそう言うと、「だが」、と短く言葉を区切り、

 「私の誇りを取り戻す為には、全てが許されている」と真顔で締めくくった。


 「……」


 彼の最後の言葉に、背筋が凍る感じがした。

 小梨は、天使を処刑することを、『錦の御旗を掲げた、ただの殺し』、と言った。

 これが小梨の本心だろう。

 例え極刑の人間でも、その命を奪う事は、、法で許されていても、彼にとっては、ただの『殺人』という事なのだろう。

 ――彼自身の復讐、オレを除いては。

 つまり、コイツは普段は人格者だけど、自分のプライドを傷つけた人間には容赦しないという事だろう。

 ――改めて、コイツの性格も悪くプライドも高い、悪役令嬢のような性格が判った。


 「そして、ハンターの場合、陵辱して殺すにしても限度がある。

 ――殺す事も出来るが、それはあくまでも、「出来る」と可能性と言うだけで、殺さない事も多々ある。

 狩るのは更正の意思を見せず、放置すれば次の犠牲者を出すような、放棄天使(ロストエンジェル)のような、真のクズを殺すだけだ」


 確かにそうだ。

 たとえ、少女を陵辱をする嗜好でも、殺人まで好きと言う人間は少数だろうしね。

 殺しをタブーと思って居てもおかしくは無い。

 ――むしろ、其れが普通だろう。


 「そして、天使を昇天させるにしても、天使の遺族に配慮し、出来る限り苦痛の少ない方法でやる必要がある」


 「そうなの?」

 「ああ、そうだ。

 幾らハンターとは言え、復讐者の居る天使を強奪して殺害し、彼女の尊厳を無視して、無残に弄ばれた亡骸を家族の前に人形のように晒すなど、どういう理由があっても許される事では無いからな」


 あゆむはそう言うと、コブシを強く握り締めていた。


 「自身は『ベルゼバブ』と名乗り、私が『蠅』と呼んでいる奴は、クズであるハンターの最低限のルールですら守らず、自身のフォロアーを増やすために、天使に対して残虐な行為を繰り返している。

 奴は、この手で地獄へ叩き込まなければならない。

 ――それが奴を追う私の理由だ」


 自身は安全な所に身を置きながら、己の快楽の為に誰かを犠牲にする蠅、

 その存在は、価値観の違う彼にとって許せない存在なのだろう。


 「あゆむも、タバコ吸うの?」


 そんな事を思っていると、小梨は気がつけば、険しい表情でタバコを咥えていた。

 ――何時もは、「タバコなぞ、体に悪いタダの毒だ」、とか言って、吸うところは見せた事無いのに。


 「これは、アイツに教えてもらったんだ。

 コイツが、体に悪いのは判っている、寿命を縮めるのも判っている。

 ――だが今は、アイツを忘れないため……、――自分への落とし前だ」

 

 小梨はそう言うと、ライターでタバコに火をつける。

 その瞬間、アイツの目に暗い焔が燃えがるのが判った。

 何時か見せた本気の殺意の表情だ、こいつと蠅の間には、ただの考えの違いではない。

 ――蠅とあゆむと間に、決定的な何か因縁がある。

 オレは、そう思わずには居られなかった。

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