二つの顔
「まったく、アイツは自己中なんだから……」
オレは、あゆむのマンションのキッチンで、一人イスにネコのようにちょこんと腰掛けながら、可愛い顔に似合わない渋面で、思わずポツリ呟いていた。
――漆黒のレースショーツと、キャミと言う下着姿で。
「……あの状況で、普通放置していくか!?
アイツは、大人しくしていろと言うけどさ、――こんな格好で、オレにどうしろと言うんだよ……」
小梨はあの後、「予定が変わった」と、イケメンな面を真顔にして、唐突にお抜かしになった揚句、「突然どうしたの?」と、オレが尋ねるのをガン無視して、すばやく自分の腕時計なんかの身支度を整えながら、
「お前に、説明している時間が無い、とにかく貴様は今日一日、ここで大人しくしていろ。
――昼は冷蔵庫の中の物を適当に食え、服はクローゼットの上から2番目に有る物を適当に着着て置け。
そうだ、……もし、アリスが来たら、中に入れて茶でも出してやれ、ティーセットは其処らに転がっている」
と、彼は、矢継ぎ早に彼は抜かすと、余程急いでいたのか、ジーンズにTシャツ姿と言うラフな格好で、さっさと玄関から足早に出かけて行ったのだった。
し・か・も、文句を言おうとするオレの口を、行きがけの駄賃といわんばっかりに、あゆむの唇で塞ぎ黙らせた後、唖然とするオレをキッチンに残したまま。
出かける際にキスをするとは、オレはアイツの愛人か恋人か?
オレは、アイツの恋人でもないのに、アイツの勝手でキスされるなんて、全く持って腹立たしい。
――もっとも、天使である自分には、文句を言う権利も奪われているんだけど。
ちなみに、壁にかけてある昨日のワンピースは、着る気が沸きもしなかった。
さっきの一件を考えると、オレがアイツ好みの服を着るのも、腹立たしいからね。
アイツは、クローゼットの中に服があると抜かしたけど、オレが寝て居る間に着替えさせられた、小梨チョイスのランジェリーを考えると、どんな服が入っているか、開ける気すらしない。
どうせ、アイツ好みの彼女になるような服が、入っているのだろうし。
それに何故か、本能が「開けるな」と、叫んでいた。
――中を見たら、今はグレーな自分の中の不安が、真っ黒に確定して、アイツとの関係が、今のままじゃ居られなくなる、と。
”
そんな訳で、オレは、下着姿と言うだらしない恰好で時間つぶしに、キッチンでオレのスマホに目を落としたが、通信障害のままだった。
――こうなると、スマホもタダの箱だ。
「(ひまだな……)」
そう思って、テーブルにつッ伏していると、コンコン、と、かろやかなノックがドアから聞こえてきた。
「だれだろ?」
オレは、とことこ玄関まで行くと、マズはのぞき穴から、ドアの前の確認。
――スグには開けずに、安全を確認してから、鍵を開けるようになっていた。
この女性の体になってからのクセだ。
いきなり開けて、ハンターや復讐者に襲われないとも限らないからね。
「えっ、――アリス?」
覗き穴から見えたのは、プラチナブロンドの長い髪、整った顔、そして虚ろな焔を秘めた赤い瞳の女性。
クラスメイトの、有住 優奈だった。
――どういう風の吹き回しか判らないけど、とりあえず、小梨が言っていたから、安心して良さそうだ。
オレは、ふぅ、と、ムネをなで下ろしながら、ガチャリとドアを開ける。
”
「杏子ちゃん。 いきなり、押しかけてゴメンナサイ」
玄関先に居たゆうなは、いきなりそう言うと、軽く頭を下げた。
今日の彼女は、青いタンクトップにベージュのキュロットスカート、腰にはウエストポーチを巻き、そして真紅のスニーカー。
ランニングでもやるような、凄く動きやすい恰好をしていた。
――何時もは、こんな格好をしないのに、何があったんだろ?
「いきなりどうしたの?」
「話は後。 とにかく、私達を中に入れて頂戴。
――何時もの事だけど、小梨さんには、既に話は通してあるから」
オレが尋ねると、表情を強張らせるゆうなは、足元をつんつん、と、指さした。
――そこに居たのは、青いワンピース姿の幼女。
銀髪のロングヘアー、そして真紅の瞳、まんまゆうなを小さくしたような、優衣ちゃんだった。
ワンピース姿のゆいは、小梨の物と思われる手紙を片手に、ゆうなの服の裾をひっぱり、「ママ、ママ~」と、無邪気に母親に甘えていた。
――その様子に、オレも思わず、表情をほころばせる。
やっぱり、こんな親子の触れ合いは良い物だしね。
「――話は聞いているから、上がってね」
”
「杏子ちゃん、紅茶ありがとう。
ところで、その様子だと、昨日はお楽しみだったわね」
ダイニングテーブルの席に着いたアリスは、出された紅茶に口をつけながら、表情を緩め、真紅の瞳に小さく笑みを浮かべた。
――お楽しみ、ってねぇ……。
優衣ちゃんのような、小さな子供の前で言うような事じゃないでしょ?
――もっとも、優衣ちゃんは、此処に来るまでに疲れたのか、部屋の隅にあるソファーでお休み中だから、問題ないんだろうけど。
「あなたが、その恰好と言う事は、昨夜はすごかったんでしょ?」
そう思っていると、アリスはニヤニヤしながら、ツンツンと、お茶を継ぎ分けていたオレの方を指さした。
何かあったっけ?
「――ん?」
オレは、視線を下に落とす。
――自分が着ている、漆黒のレースショーツと、キャミが見えた。
「!!!」
優奈の指摘に、オレは思わず、顔を赤らめ、胸を隠そうとする。
そういえば、起きた時のまんまだった……、
――こんな恥ずかしい恰好だったとは、不覚の極み……。
「こんな格好しているけど、昨日は……そんなんじゃ、無いから……」
と、オレは、渋面のままポツリと、こぼし、そして、顔を赤らめながら、更に言葉を継いだ。
「――ただ、あゆむにキスをされただけ、だよ」
オレの身の潔白の告白に、優奈は銀髪を揺らしながら、クスクスと笑いだす。
「杏子ちゃん、あなたが何を勘違いしているのか判らないけど……」
と、アリスは申し訳なさそうな顔で、短く言葉を区切り、更に続けた。
「それを、世間では『お楽しみだったと』言うのよ?」
「……」
オレは、思わず、しぶ~い顔をした。
なんか、墓穴を掘って、アリスにいらない事まで、言わされた気がする。
――この人は、頭が良いから誘導尋問だったのかも……。
そう思っていると、ゆうなは、整った顔に、意地悪そうな笑みを浮かべ、更に付け加えた。
「あなたが、其処まで話してくれるとは、予想外だったけど。
――あなたの元気な様子を見れば、昨夜、何も無かった事なんて、同じ天使の私には、スグに判るわ」
「どうして?」
オレが何の事か判らず、首をこくんと傾げると、ゆうなは顔を少し赤らめながら、説明を始めた。
「天使の場合、最初は凄く痛いのよ。
もし、あなたが昨夜、ヴァージンを奪われていたら、今頃、ベットの上できっと寝込んでいるわね」
「そうなんだ……」
アリスの恐怖の告白に、オレは、顔を引き攣らせる。
あゆむが言っていた事は、本当なんだ……――同じ天使の彼女が言うんだから、コレは間違いないだろう。
痛い話は、聞きたくなかったなぁ……。
「ところで、昨夜にあった、あなたのお楽しみの件は置いておいて」
と、真顔になった優奈は、真紅の瞳でオレを真っ直ぐみつめながら、更に言葉を継いだ。
「――私がここに来た、本題を話してもいい?」
アリスがそう言うと、彼女の雰囲気が変わった。
落ち着き払い、……ううん、違う。
――何か、覚悟を決めたような、雰囲気だった。
「本題?」
「あなたに、お願いがあるの。
……私に何かあった時は、娘の優衣を頼んだわよ」
ゆうなは、真剣な表情、口調でわが子の事を頼み込んできた。
彼女がそんな事を言うなんて、今までに無い事だった。
「そんな事を言うなんて、優奈らしくないよ。
――唐突にどうしたの? 何かあったの?」
オレの問いに、ゆうなは静かに頭をふった。
「……そうね、私らしくない。
最初から説明しないと、判る訳は無かったわね」
優奈は、窓に視線をむけると、今回の事を静かに語りだした。
――自分に迫っている、絶対の危機を。
「――昨日から、視線を感じるのよ」
「視線を?」
彼女の言葉に、オレの背中に冷たい物が走り抜ける。
ゆうなが、『視線を感じる』と、言うと、その視線の理由は一つしかない。
――ハンタか、復讐者が迫っていると言う、絶対の命の危機だ。
もっとも、彼女は、そんな危機を何度も乗り切って、生き延びて来たのだろうけど。
ここに来たのも、彼女にとって、一番安全な場所だから、親猫が子猫を連れて安全な場所に避難するように、わが子と一緒に逃げて来たのだろう。
「私の周りから、ジットリと、絡みつくような、嫌な視線よ」
ゆうなは、忌々しそうに顔を引きつらせ、更に付け加えた。
「けれど、ハンター本人は人ごみに紛れ、何処にも姿を見せて居ないわ。
――きっと、周りの人間を駒のように上手く使い、本人は手を汚さず、確実に獲物を追い詰めてゆく。
私が今狙われているのは、そんな人間的に壊れて居るけど、頭は切れるタイプの人間よ。
悔しいけど、私も今回だけは、そんな危険なハンター相手に生き残れる自信はないわ」
アリスはそう言うと、「ふぅ」と、ため息一つ吐き、ソファーでスヤスヤ眠る愛娘に視線をうつし、言葉を継いだ。
「けれど、出来るだけ頑張ってみるつもりよ。
――この娘の為にも、私はまだ死にたくないから」
ゆうなは、そういうと、整った顔に寂しそうな表情を浮かべる。
「――もしかして、そいつは北村とか言うヤツ?」
頭は切れるけど、人間的に壊れた危険なタイプの人間よ、と、いう言葉に、思わずオレが口に出したのは、昨日、ホテルに居た彼の名前だった。
――人を見た目で判断したらダメと言うけど、アイツは絶対にヤバそうな雰囲気だったし。
しかし、ゆうなは目を細め、首を左右にふった。
「彼に、そんな失礼な事を言ってはダメよ、……あなたは私の話を聞いて居なかったの?
ハンターは、姿を見せて居ないのよ」
「ごめん……」
「それに、あの人程度に壊れた人なら、幾らでも居るわ。
――私たちを、天使と言うだけで、惨殺したがってる善良な市民もごまんと居るから」
アリスは悲しそうな表情を浮かべ口を開いた。
「どうして……?
彼らは、善良な市民なんでしょ?」
オレには、自分とは無関係な犯罪者でも、天使と言うだけで殺したいという、彼らの価値観は判らなかった。
幾ら元、犯罪者と言っても、同じ人間なのに。
自分なら、タダ放置するだろうから。
「善良な市民が、私たち犯罪者に求めるのは何だと思う?」
優奈は、トーンを落とし真顔で尋ねてきた。
「自分の罪に気が付いて、悔い改めて更生する事?
改悛が著しければ、「減刑される事もある」、とかリハビリの施設で言っていたし」
自分は、彼女の問いに、前に施設で聞いた事を速攻で答えていた。
更生施設と言うからね。
もっとも、悪知恵を周りから仕入れて、犯罪者養成学校に近いんだけど。
うる覚えだけど、「天使の場合でも、改悛の情が著しければ、減刑される事もあるから、しっかり励みなさいと」、とかリハビリの施設で聞いた事があったから。
「それは建前よ、知る限りそんな娘は居ないわ」
オレの答えに、ゆうなは哀れみを帯びた視線のまま、かぶりをふる。
何も知らないオレを、哀れむように淡々と言葉を継いだ。
「私達、天使が自分の犯した罪に気が付いて、心から悔い改めたかどうかは、彼らには興味がないの。
本当に更生したかなんて、誰にも判りはしないから」
確かに、彼女が言うように、本人が更生したかどうかなんて、本人にしか判らないだろう。
否、ホントに更生したどうかなんて、本人にすら判らない。
数年たち、彼らが、何も犯罪を犯して居なくて、その時初めてマトモになったと言えるのだろうから。
そんな彼らの良心に任せるような、不確定要素の多い部分を、善良な市民が期待しているとは到底思えなかった。
「じゃあ、本音は?」
嫌な予感しかせず、顔を曇らせながら尋ねるオレに向かい、アリスは遠い目をして返事を返す。
「本音は犯罪者の撲滅よ。
――つまり、私たちを処理したいのよ」
「処理?」
「そうよ、処理。 つまり……自分たちの様な犯罪者は、この世から、居なくなって欲しいって事よ。
――私が知る限り、誰一人、減刑された娘は居ない。みんな殺されてるわ」
彼女の言葉に辺りの空気が凍えた。
これが現実だと。
ゆいがスヤスヤ寝息を立てる傍で、ゆうなは、整った顔に表情を変えず、淡々と言葉を継ぐ。
「あなたはまだ人間の凶暴性を知らないのね。
――天使に落とされた娘へ、人々はどう扱うと思う?」
考えた事も無かった。
――そんな事は、考えたくも無かった。
例え、自分の加害者じゃなくても、同じような犯罪者として、恨みのはけ口として扱われるのは容易に想像がついた。
――レイプ犯なら、尚更だろう、犯された自分の恋人や娘と同じようにしてやりたい、と思うのは当然だろう。
そして、可憐で非力な少女で、しかも何をしても罪にならないなら、もう歯止めは利かない。
ハンターや復讐者の欲望のまま、何をされるのか、想像するするだけで寒気がする。
あまりに、恐ろしくて口に出せなかった。
「あなたの想像通り。
――いえ、それ以上よ」
オレが青ざめながら返事に困っていると、ゆうなは、オレの返事を代弁するように、以前居た天使のことを淡々と語りだした。
――大人数で陵辱の末、昇天した娘のことを。
彼女の話に、心の底から恐怖が沸き上がり、震えが止まらなくなってきた。
「何故、そんな酷い事が出来るの?
権利は剥奪されたけど、自分達は同じ人間なんだよ?
同じようにご飯も食べるし、 それに、たまにはちっぽけな幸せを感じれる事だって……」
自分は、恐怖のあまり、涙声になっていた。
しかし、ゆうなは、悟りきっているような口調で、冷静に自分の考えを口に出してゆく。
「それは、犯罪者へなら、何をしても良いと言うある種の狂気ね。
明日に希望のない者達が、更に弱者をさがし、不満の吐け口として、最弱者である天使を叩く構造なのよ。
――自分も同じ人間。
――そして、なにかの拍子に、自分も天使に落とされるかもしれない。
其処の境界は、紙一重なのにね」
アリスは、静かに目を閉じ、「ふぅ~」と、深く息を吐き出す。
――彼女の頬には、一筋の澪が零れていた。
そして、ソファーですやすや眠る、わが子をじっと見つめながら、言葉を継いだ。
「――そして、そのターゲットは、何の罪も無い子供も例外ではないわ。
だから、私に何かが有った時は、この子を護ってあげて」
アリスは、そう言うと、真紅の瞳に大粒の涙を浮かべ、テーブルに頭を着けながらオレに頼み込んできた。
「――優衣を護って」、と。
これが彼女の本心。
我が子を思う覚悟に、オレは静かにうなずいた。
「判ったよ。
――でも、どうしてオレに頼むの? あの人は、優衣ちゃんのパパなんでしょ?」
オレの問いに、優奈は寂しそうな表情で我が子を見つめ、静かに話し始めた。
「あの人は私に何か有れば、きっと心が折れ、何も出来なくなってしまう。
今まで、私を支えに生きてきたような、見た目どおり不器用、だけど、繊細な人よ」
「じゃあ、あの人の事も一緒に……」
アリスは、オレの言葉を遮るように「ふぅ」と、静かに息を吐き出す。
「だけど、彼の事は、……貴女には頼めない。
――……ううん、自分勝手とは思っているけど、個人的な意味で頼みたくないのよ。
……忖度してちょうだい」
そう言うと、アリスはクールな女の表情になっていた。
――あの男を、誰にも渡したくない独占欲。 これも、また彼女の本心だろう。
天使になる前の記憶が残っている自分には、まだ判らない感情なんだろうけど。
もっとも、アリスの心配は杞憂なんだけどね。
何が悲しくて、オレがあんなジャガイモを好きになるか、と。 どうせ好きなるなら、まだ、ホスト並みに面が良いあゆむのほうが余程マシだ……。
それ以前に、オレが何が悲しくて、男を好きにならないといけないんだ……。
「……ソコは大丈夫だよ……」
ムスリとした顔でそうポツリ溢すと、ゆうなはオレの感情を読んだのか、表情を緩め、母親の顔に戻ると、更に続けた。
「その顔だと、私が居なくなった後、彼を取られると言う心配は、自分の杞憂に終わりそうね。
――何より、同じ天使のあなたなら、きっと私の思いを理解してくれると思う。
だから、あなたにあの子をお願いするのよ。
(クラスにもう一人、きっと居る天使より、あなたの方がきっと優しいから)」
優奈は、そう言うと、飲みかけの紅茶に口をつけると、静かに優衣を見つめる。
オレは、何か引っかかる物を感じながら、スルーしていた。
――室内は、優衣の寝息だけが静かに聞こえている。