街灯の幻影
不法侵入を通報され、トンズラこいたオレとあゆむの二人。
彼に手を引かれ、街中をポリから散々逃げ回った揚句、辿りついたのは、繁華街から少し離れた下町だった。
ノスタルジックなたたずまいの街並みが時代を感じさせる、数十年前から時が止まったような場所。
そんな街の狭くて暗い路地裏だった。
「巻いたか?」
あゆむは路地の物陰から、ストーカーのようにメインストリートへ顔をちょっぴり出して、様子を窺う。
スーツ姿でイケメンの面に似合わない仕草と思いきや、張り込み中の刑事の様にサマになっている。
顔のつくりが良いせいだろうか、なんかカッコいい。
「杏子、もう大丈夫だ」
小梨は、通りに誰もいない事に安心したのか、フゥと短く息を吐き、険の取れた表情でポツリと溢す。
「……本当なのぉ?」
オレは思わず、可愛いドレス姿に似合わないような、胡乱な表情を浮かべ、シラーとした視線をあゆむへ送っていた。
彼は『もう、大丈夫』とお抜かしになった。
――でも、自分の経験上、油断したこんな時が一番危ないんだよねぇ……。
前も、ネカフェに戻って、ひと安心したところで捕まった訳だし。
「ああ、マズ大丈夫だ。 ――アイツらも其処まで勤勉では無いからな」
あゆむは、オレを見つめながら、真顔で凄い事をさらりと抜かす。
――アイツらも其処まで勤勉では無い、と。 でも、あんたも同じ組織の人間でしょ?
……しかも、目の前に勤勉のカガミみたいな人が居て、そう言うと、あゆむの発言の信用度ガタ落ちだよ?
「マズって事は、あゆむ みたいに勤勉なサツが頑張ってると、大丈夫じゃないって事でしょ?
さっきみたいなので、オレが復讐者に引き渡されるのは、イヤだからね?」
オレは思わず、堕天使のように意地悪く口角を邪悪に歪めると、彼のイケメンが引きつっていた。
ちょっと言い過ぎで怒らせたかも……、
――と思っていると彼の方から折れたようだ。
「さっきは悪かったな」
あゆむはそう一言謝ると、照れくさそうに、頬をぽりぽり掻きながら言葉を継いだ。
「――私でもタマには失敗する事もあるさ、神では無いからな。
だが、もう大丈夫だ、誰も居ないからな」
「――判っているよ。 もう大丈夫なのもね」
オレは、小悪魔の様な笑顔を浮かべながら、更に続ける。
「――ただ、あゆむのそんな表情、見たかったんだよねぇ」
「……お返しか?」
小梨は目を細め、表情と口角を緩めると、ポツリ溢した。
小癪な、重箱の隅をほじくるような、些細な上げ足を取るな、と言わんばっかりの表情だった。
「そ~だよ、さっきのホテルのお返し。 あと、さっきの、あゆむらしくない大失敗の件も含めてね。
――ホントに怖かったんだから」
オレはそう言うと、顔をしかめると、ワザとらしく、小さく身震いをした。
サツに追われるのは、トラウマになっているのは本当だしね。
――なにせ、捕まったら、今度こそホントに詰みだから。
「たしかにそうだな、怖がらせて済まなかった。
……先程は、完全に私の失態だ」
小梨は、俺の態度にバツ悪そうに謝ってきた。
その言葉に、表情に、オレは笑みを浮かべながら、内心ガッツポーズをする……、――勝ったと。
「ううん、良いよ。 その一言を聞きたかっただけだしね」
コイツに、一矢報いてやればそれで、満足なのだ。
まあ、それでどうなるものでもない、気分の問題だけどね。
「ふぅ、まったくお前と言うヤツは……、
――お前は私をどう見ているんだ?」
表情を緩めたあゆむは、ため息一つ吐くと、真顔になり尋ねてきた。
「何でも知ってて、何でも出来る、完全無欠でしょ?」
自分の答えは、本心だった。
あゆむは、自分が知っている限り、失敗をしたのを見たこと無い。
今回に限って、不法侵入して通報されると言う大失敗、彼らしくない事だったけど。
それ以外は、何時も完璧にこなしているからね。
「……完全無欠、か」
あゆむは真面目な顔でそう言うと、オレをじっと見つめながら、次の言葉をポツリ溢した。
それはまるで彼の自白のようだった。
「私は、お前が思っているような人間では無い……」
彼の口から返ってきた答えは、いがいな物だった。
――完全無欠ではない、と。
意外な答えに、オレは不思議そうな表情を浮かべていた、あゆむは、完全無欠の代表格みたいな人なのに……。
「じゃあ、どんな人間なの?」
「ただの矮小な人間だ」
オレの問いに、あゆむはそう答えると、「――嫌な事を……思い出してしまった」と表情を歪め、忌々しそうに短く言葉を継いだ。
「手痛い失敗も、許してしまっている。
――取り返しのつかない、な……」
と、小梨は言いながら、次の瞬間、整ったツラに寂しそうな表情を浮かべ、遥か過去を思いだすような視線で、夜空を見上げていた。
イケメンの彼の顔をじっと見つめると、一筋の光る物があった。
――それは、彼の悔恨の涙だろう、その意味は自分にも判らないけど……。
「……誰だって、失敗はするよ」
オレが真顔で、あゆむの顔をじっと見つめながら言うのは、本心だった。
自分は、一瞬の気の迷いで、彼女をレイプし、逮捕された揚げ句、極悪人の烙印を押され、少女の姿に変えられてしまっている。
――これは、取り返しの付かない失敗だ。
でも、彼は違う。
本当に取り返しの付かない事なら、とうの昔に捕まっているはずだから。 自分みたいに。
あゆむみたいに、本人が取り返しの付かない事、と思っていても、周りから見れば、実際は本人が思うより些細な事だったりするのだ。
「あゆむの場合、オレには、それが何かは判らないけど」と、オレは言葉を区切り、表情をフッと緩め更に続けた。
「――でもね、失敗を次にどう生かして、どう乗り越えるかじゃないの?」
「……」
オレの意外な言葉に、あゆむは寂しそうな表情のまま、無言でオレの顔をじっと見つめ、
――そして、暫くの沈黙のあと、あゆむは寂しい表情のまま、自嘲気味に言葉を吐いた。
「当たり前の事だが、確かにそうだったな。
それも判らないとは……私もまだ、蠅の件を引きずっているのだろうな……。
――らしくない事だが」
彼の寂しそうな表情は、今まで見たことの無いものだった。
でも、オレはそんな弱さも持って居る、あゆむの完全無欠でない所に、思わず安心感を覚えてしまう。
――彼も、自分と同じ血の通った人間だと。
「……でも、オレは全てを完璧にこなす、機械の様な あゆむより……、――そんな弱い所もある、あゆむが好きだよ」
表情を緩め、天使のような柔和な笑顔を浮かべるオレの口から思わず出た『好き』と言う、言葉に、あゆむは驚きを隠せないようだった。
ただ、じっとイケメンの真顔でオレの顔を凝視している。
「……自分、へ、変な事を言ったかな?」
誤解されかねない爆弾発言に、言ってる自分でも恥ずかしくなる。
――とんでもない事を言ってしまったと。
何時の間にか、俯いた顔が真っ赤になり、耳まで熱くなるのが判る、自分のビートが体中に響くのが聞こえてきた。
――胸が、締め付けられる感じがする。 相手はイケメンな男なのに……。
「いや、確かに、お前の言うとおりだったな。
まさか、貴様に教えられるとは、まったくの計算外だったが」
小梨はそう言うと、フッと表情を緩め、言葉を継いだ。
「――誰でも失敗はするもの。
戻らない過去を悔やむより、反省し、次に活かせば良いのだったな……」
「そ~だよ、ダレだって失敗するんだからさ。
昔から、『失敗は、成功の元』と言うでしょ?」
オレは、気が付けば、恥ずかしがりながら、照れ隠しで、真っ赤になった自分の頬をぽりぽり掻き、テヘっという感じで言っていた。
らしくない事をいってしまったと、思いつつ。
失敗しない人間なんて、居る筈がない。 ただ、それを次にどう生かすかだ。
……失敗だらけのオレが言うのだから、間違いない。
――もっとも、自分の場合は、何度やっても懲りないんだけど……。
「確かに、その通りだ」
あゆむはオレを見つめながら、邪悪に口角を歪める。
これは、なんか、いやぁ~な予感がしてきた。
「杏子、お前が言うように、『失敗はセイコウの元』、だったな」
あゆむは、意味深な事をサラリと、しかも、真顔でお抜かしになりやがった。
「私の失敗の代償として、このまま、お前と一緒にホテルに行けば、まさに『失敗はセイコウの元』と、言葉どおりになるな」
自分が思ったとおり、否。
――もっと凄まじいモノが、やはり来たよ。
「えっ!!
……ちょ、ちょっと、どうして、そうなるの!?」
オレは、顔を真っ赤にしながら、はずかしさのあまり顔が上げられず、俯いたまま、頭を左右にブンブン振って、猛抗議する。
――セイコウの意味が確実に違うでしょ、意味が。
これは、どう考えてもピーな、あっちの意味の方でしょ……。
「……そう言ってくれると、此方も、からかい甲斐があるな」
そう思っていると、声の感じから、ニヤリと小梨は言葉をこぼすのが判る。
――冗談だと、と。
「ひ、酷い。 オレは本気で自分の貞操の危機を心配したんだよ!!」
オレは、あゆむの顔をじと~っと、見つめながら、涙目で、ワザとらしく彼の胸をぽこぽこ叩く。
本気でお持ち帰りされそうな、雰囲気だったし。
――こんな姿になっても、未だにベットの上にあがる、その覚悟は、まだ出来てない訳だしね。
「お前の、そんな顔を見たかっただけだ。
ついでに、さっきのお返しも兼ねて、な」
小梨は、オレの仕草、表情を見て、腕を組み、イケメンな面に、勝ち誇ったように、満足そうな表情を浮かべていた。
――そして、自分はやっと理解する。
全部、あゆむの計算ずくの上だった、と。
「むぅ……、全部お前の思い通りって事かよ」
オレは、あゆむの思い通りに動いた事に、思わず、恥ずかしさのあまり、しぶ~~い顔をする。
まんまと一杯食わされたと。
「そういう事だ。
――そして、私は、お前の挑発にスグに引っかかる、そんなアホウな所も含め、不完全な全てが愛おしいのだろうな……」
あゆむは、少し顔を赤くし、優しい表情で、真っ赤になったオレの顔を穴が開くほど見つめていた。
改めて、そんなに見つめられると自分も恥ずかしくなってくる。
「まったく、アホウとアホウと、アホウなところが良いとか、オレを規格外品みたいに言うなよな……」
オレは可愛い顔にムスリとして、そう溢すと、照れくさそうに言葉を継いだ。
「――でも、そう言ってくれて、ありがとう……」
オレは、真っ赤になりながらも其れだけ言うと、恥ずかしさのあまり、逃げるように あゆむからクルリと背中を向ける。
――お前の不完全な全てが愛おしい、そんな事を言われるのは、生まれて初めてだったから。
何時もは、罵倒や嘲笑ばっかりなのに。
「……」
そして、彼から、次の言葉が出てこなくなった。
――二人の間の空気が痛い。
「……」
「……」
そして、LEDの街灯の青白い光の下、ドレス姿のオレと、タキシード姿のあゆむは背中合わせに佇んでいた。
背中合わせに、相手の暖かさが伝わってくる。
二人とも俯き、恥ずかしそうな表情のまま、会話は無い。
ほんの、ひと時の沈黙。
星空の下、ただ、遠くに街の雑踏の音と、オレとあゆむの息づかいの音だけが、静かな路地に響く不思議な空間。
――でも、その間も心地よいのだけど……、これは、何時かは終わる回転木馬。
何時までも、このままじゃ居られないのだ。
「あゆむ、今さらこの雰囲気……?」
沈黙に耐え兼ね、静寂をこわしたのはオレだった。
このままだと、永遠に続きそうだったからだ。
「……それを、お前に言われるまでも無い」
そう言うと、小梨はサッと、恥ずかしさの余り俯いているオレの正面に回り込む。
そして、オレを抱きしめようとしていた。
「ちょっと、まって……、自分、天使だよ」
オレは驚きのあまり、そう言うと半歩身を引いていた。
自分の口から出た、逃げる為の言葉。
さっきもドサクサで抱きしめられたけど、こんな場所で改めて、真面目に抱きしめらる覚悟は出来なかった。
「知ってる」
あゆむは、真顔のまま短くそう言うと、真っ赤になったオレは、恥ずかしそうに更に言葉を返した。
「元、男だよ」
「天使なら、当然の事だ」
「自分は、何時か殺される運命にあるんだよ?」
「……そんなもの、転生で何とでもなる」
「それに、自分は、育ち悪いし、頭も……」
「――今更だ、そんな事は最初から知っている」
「……それに……、……、……」
小梨は、オレがどんなに自分のことを否定しても、全て肯定してきた。
そんな彼に、自分はもう言う事がなくなってきた。
恥ずかしさのあまり、顔があげられない。
「お前が自分の嫌いなところを十個言うなら、私はお前の好きなところを、その倍言おう。
――そんな所を含めて、お前の全てが好きだ」
あゆむはそう言うと、スッとオレの腰にてを当ててきた。
そして、次の瞬間には、オレを、宝物を扱うような優しい所作で自分の方にすっと引き寄せる。
「……」
彼の言葉に、体の力が抜け、とろけるような安心感に包まれてゆく。
そして何時の間にか、自分はあゆむの片腕に抱かれていた。
「いいの?」
気が付けば、自分も天使ような可愛い顔にうるんだ瞳を浮かべ、あゆむの顔をじっと見つめていた。
――何故か、視線を逸らすことが出来なかった。
「お前の子供のような、その仕草、その表情、全てがいとおしい」
あゆむは、柔和な表情で甘い言霊を紡ぎだす。
「あゆむ……ありがとう」
オレは彼の魔法に掛かったように、柔和な笑みを浮かべる。
……本当は掛かれないのだけど、今夜だけは特別な夜。
――天使である、自分にはその資格は無いのだろうけど……、この一瞬だけは良いよね?
「――それと、あゆむの相手が、こんな自分でごめんね……」
思わず、ポツリと言わずに居られなかった言葉だった。
本当なら、此処に居たのは自分じゃ無く、あの娘だったから……。
罪の意識に押し潰れそうになってゆく。
――怖い。
自分の体の震えを、あゆむに悟られないように必死で押し殺す。
「寒いのか?」
あゆむは、震えるオレを見つめ、憐みのような表情を浮かべていた。
「……寒くは無いよ……」
オレは、笑顔を作り、必死で返事を返す。
――寒くないのは、本当だから。
「怖いのか?」
「怖くも無いよ、――ただ、震えが止まらないだから……」
オレが、顔を強張らせ、声を震わせながら、必死でつむぎ出した言葉。
誰が見ても一発でウソとわかるウソだった。
「杏子、怖いなら無理をしなくていい」
オレが怖がっている事を察したあゆむは、憂いの表情を浮かべながら、静かに言葉を続けた。
「お前が嫌なら、この先は辞めても良いんだぞ?」
オレを気付かうあゆむに、自分は「――大丈夫……だよ」、と笑顔を浮かべ、静かに頭を左右にふる。
その姿に、小梨も表情を緩め、言葉を続けた。
「それに、……今夜だけは特別の夜だ。
今夜の事はただの幻影、だから、ただお前はこの時を楽しめば良いんだ」
「……ありがとう」
彼の言葉に心がスッと軽くなる気がした。
気が付けば、彼の整った顔が自分のスグ傍にあった。
「目を閉じていろ」
「うん……」
彼に言われるまま、自分は静かに目をとじる。
――初めてのキスは、シトラスの香りがした。