邂逅
「肉~~!」
気が付けば、オレは凄い表情でローストビーフに突撃していた。
スカートをまくり上げ、セミロングの髪を揺らし、ハイヒールを鳴らし、ライブキッチンへまっしぐら。
これはモ○プチへ走るネコもまっさおである。
彼の話を聞いて無くならないと言っても、オレの体に染みついた悲しきサガである。
「こんなに取っちゃった」
結果、自分の目の前の皿には肉だけがてんこ盛りになっている。
これは可憐な美少女に似つかわしくない光景で、色気も何も無い状況であるけど……。
小梨はあきれ、目が点になっているが気にしていたら負けのような気がする。
「庶民は肉を食えるときに食べないとね~」
そう思うとオレは満面の笑みを浮かべながら、箸を使って肉を食らいつく。
まるで猛獣のようだが気にしない。
程よく焼けた牛肉は1かみごとに肉汁がほとばしり、ソースと程よい調和を見せていた。
「うんまぁ~~流石だね~」
余りの美味に思わずオレは滂沱の涙を流しそうになる。
こんな美味しいもの生まれて初めて食べた気がする、その味はただ一言美味。
生きててよかった~。
心底そう思いつつ、無心なって肉にむさぼりついていた。
――窓ガラスに写る自分の姿は、見ないようにして……。
「こんなに肉ばっかり。
しかも、むさぼる様に食べるとは貴様は野獣か?」
小梨は心底美味しそうにローストビーフ頬張るオレに向かい、多少顔を引きつらせる。
よく見れば彼の皿には上品に色々な料理がのっていた。
そして、その上品な料理をこれまたフォークとナイフをつかい優雅に口に運んでいた。
――流石、言うだけある。
しかし、オレは気にしない。
とにかく食う方が最優先なのだ。
「野獣で結構。 ど~せ、野獣だしね」
オレは笑顔を浮かべ彼の嫌味をさらりと流すと、歩も毒気を抜かれたのかクスクス笑い始めた。
――勝った!!
そう思っていると、彼は上品に切り分け、食べ始めたローストビーフに顔をしかめる。
「このローストビーフの牛肉、輸入品だぞ?
……しかも程度が余り良くない代物だ、店が程度を落とし始めたな……」
どうやら彼にはお気に召さないようだ。
こんなにおいしいのに。
「歩。でも、牛だよ」
「それがどうした?」
オレは肉を頬張りながら、彼に牛肉であることを力説する。
豚とは違うのだよ、豚とは。
角が無いブタとは違うのだよ。
天下の美味、牛肉様なのだ。
「腐ってもビーフだよ、ブタやトリとは格が違うでしょ?」
「そう言う物か?」
小梨は目を細め、オレの力説に胡乱な視線を向ける。
ドレも同じだろうという感じで。
「何時もはトリ、しかもムネ、良くても輸入ブタ位しか食べないでしょ?」
「お前はそうなのか?」
オレの言葉に彼の気配が変わった。
牛肉であることを力説するオレに歩は驚きを隠せないようだ。
『その程度のもので有り難がるものか?』と言う表情をうかべていた。
なんかムカつくがオレは更に続けた。
「そうだよ、牛肉なんて、輸入品でも週1くらいのご馳走でしょ?
しかも、細切れが関の山。 固まりなんて年数回くらい、出たら拝み倒し、五体倒置してから食べる代物だよ」
「……」
小梨はオレの答えに目を見開いて、イケメンも台無しな表情で絶句する。
あきれてものが言えない感じだろうか。
まさか、肉程度で拝み倒すシロモノかという表情だ。
――まあ、拝み倒すのは我が家だけだったのかも知れないけど。
滅多に口に出来ない貴重品には変わりない。
「……食べたいときに食べたいものを食べるのでは無いんだな」
「それが出来る人は幸せな人だよ、普通は食べれるものを食べるのだよ」
小梨はあまりのカルチャーショックにポツリと言葉を溢し、目を細め、驚きや哀れみのような表情を浮かべる。
まあ気にしないけど。
気にしたら負けの世界なのだ。
「食費の兼ね合いがあるからね、何時も肉だと財政破綻しちゃうよ」
俺は気が付けば目を細め、ポツリと言っていた。
食べたいものを食べるのではなく、予算内で食べれるものを食べる。
これが庶民の生活、自分の生きる世界なのだ。
――きっと小梨や、あの女には想像もつかない世界だろうけど。
……それに、天使の自分は何時殺されて食えなくなるか判らない訳だし。
そんな訳でオレはヒタスラ牛肉を喰らいまくるのであった。
「そうか。
……そんな世界、今でも有るんだな」
歩は肉を野獣のようにむさぼるオレを前にして複雑な表情を浮かべる。
哀れみや悲しみが入り混じった視線だ。
まあ、そうだろう。
彼には判らないけど、竈にクモの巣が張る貧窮問答歌の世界は今でもあるのだ。
我が家の散らかった竈(IHこんろ)には蜘蛛が巣を張り、(お袋が急がしくて、毎日パート先のパックの廃棄処分惣菜だらけと言うのは正確な理由だけど)
家の前には役人が来ていた。(税金の督促で)
そして、お袋に連れられて其処から逃げる時、ビルの谷間にあるボロアパートは空が狭く見えていた。
外の世界はこんなにも広いのに。
それは現代版、リアル貧窮問答歌の世界だった。
まさに、働けど働けど一行に我が暮らし楽にならざリ。
一握の砂の世界かもしれない。
「上から見るだけじゃ見えないからね、モグモク……。
食べたいときに食べたいものを食べる、あゆむの様な世界住んで見たいよな」
オレは肉を貪りながら呟く。
本心だった。
何時か好きな時に好きなものを食べてみたいものだった。
そうなれば、毎日牛を……。
まあ、夢の世界だけど。
「辞めとけ」
小梨は顔をしかめ、肉をリスのように頬張るオレを前に即答する。
気が付けば彼は、辛い何かを思い出したのかナプキンを強く握り締めていた。
そして、声を震わせながら更に続けた。
「……ロクデモない世界だ」
「そうなの?」
見た目良さそうな感じなのに、内は見た目と違うのかな?
隣の芝は青く見えるという感じなのかもしれない。
「ああ、奴らは腐ってやがる」
歩は窓の外の夜景を眺め、ミケランジェロの彫刻のように端正な顔立ちに那由多を見つめるような寂しそうな表情を浮かべた。
端正な顔立だと、憂いを帯びた表情までサマになっている。
「腐ってる?」
「人間として腐りきってやがる、人を地位や財産を次の世代へ進める駒としか思ってない。
――其処でどんな旨い物を食べようが全く味がしない、砂をかむような物だ」
「そうなの?」
「ああ、お前とこうやって食べる安物の肉の方が余程美味い」
憂いを帯びた表情を浮かべる歩。
しかし、こいつの見せる始めての表情だ。
その顔、言葉遣いに初めて彼の素を見た感じがした、何時もは感情なんて読めないのに。
そう思っていると、彼は肩を強張らせ、声を震わせながら更に続ける。
「それに……奴等は女なんて、次を産む機械程度の価値。
そして産めない女なんて、使い道の無いジャンク程度の価値と思って居やがるからな……」
気が付けば、歩の握り締めるナプキンはくちゃくちゃになり、彼からはそこはかとなく怒りと憤りとやるせなさが漂ってくる。
――コイツの彼女、そんな娘だったのかな?
それで無理矢理、彼女と婚約破棄させられたとかそんな感じかもしれないな……。
お気の毒に……。
しかし、その言葉を聞いてムカッとくる。
女を『産む機械』と何と失礼な事を言うんだと。
「酷いな、そこは関係ないだろ?
産む産まない、その前に一人の人間なわけだしね」
目を細め、思わず俺の口から出た言葉は本心だった。
うちのお袋はシングルマザーで苦労していた。
オレを育てるために、清掃、レジ監視、ヘルパーと、パートを3個掛け持ちだったから、その姿を見たらそんな失礼な事は口が裂けても言えようも無い。
夜なべして働く彼女の姿は正に神仏の世界だ。
後ろに後光がさして見えていた。
まあ、自分は親に似ず、夜なべして遊ぶドラ息子だったけど……。
「確かにそうだな……、お前の言うとおりだったな」
俺の口からその言葉が出た瞬間、小梨の表情がフッと緩んだ。
何故か、険がとれた感じがする。
その真意は判らないけど。
「――ありがとう……救われた気がする」
「えっ?」
オレは歩がふと呟いた言葉に思わず耳を疑い、聞き返していた。
空耳かと……。
彼のそんな言葉は始めて聞いたかも知れない。
何時もは天上天下唯我独尊、ジャイアニズムの極みで、そんな感じの奴で絶対そんな事を言う事無いのに。
「歩、何か言った?」
頭をこくんと傾けるオレの問いに小梨は何時ものクールな表情に戻す。
「さっきの言葉を亜由美が聞いたら、きっとそう言っただろうと思ってな」
「……やっぱり彼女はそんな娘だったの?」
恐る恐る尋ねるオレの問いに小梨は静かに目を閉じる。
そして、暫しの沈黙の後、静かに続けた。
「彼女の尊厳のために詳細は黙秘する。
しかし、レイプ魔の貴様の口からフェミニストのような言葉が出るとは思ってみなかったぞ」
苦笑いの小梨。
まさかオレがそんな事を言うとは思っても見なかったようだ。
まあ、そうだよな。 確かにレイプ魔の言う台詞じゃないよな。
「まあ、うちのお袋、苦労してたからな、その姿を見たらそんな失礼な事は言えようも無いよ」
「そうだったのか、納得した」
歩は納得したように小さく頷く。
「ちなみに、あの時は余りの美しさに誘われて本能的に動いたんだよ……」
おれはしぶ~い顔をしてポツリ呟いた。
それはそれ、此れはこれと言う事で。
本能は正直なのだ。
「天使のような人外の美しさだったもんな……」
そう、彼女は魔性だった。
有る意味、毒と判っていてもひきよせらる、あま~い砂糖そっくりのアリの巣コロリの毒餌。
中身を見るまではね、――もっとも中身は……。
「そう言えば、そうだったな……、――そして、その可愛い姿になった訳だ。
まさに因果応報、自業自得という訳だな、くっくっくっ」
小梨はオレの姿を見て、頬杖をつきながら何かツボに入ったのかクスクス笑い出した。
他人事だと思って……。
でも、確かに自業自得だよなぁ……。
「笑うなよ、反省してるんだから……」
「ならばいい」
小梨は納得したように大きく頷いた。
「でも、あ~オレの馬鹿、バカ、ばか……」
オレは泣きそうになりながら更に続けた。
「散々お袋に『女には気を付けなさい』と言われてたのにな……」
「だろうな。
まあ、お前の母上の意見が正しい。モットもそんな姿になるとは思ってもみなかっただろうがな」
小梨はそう言うと、頬の筋肉を緩めつつ目を細め静かに頷いた。
「でも、そのお袋は数年前過労で倒れて其れっきりだったけど……」
オレのその言葉に小梨も渋い顔をした。
要らない事を掘りこしたという顔だ。
「しかし、お前には悪いことを思い出させたな……。済まなかった」
「……いいよ、結構前の話だしね」
そう言いつつも、オレは気が付けばしょんぼり肩を落としていた。
何時もは生きるのに必死で、忘れていたお袋の事を久々に思い出してしまった。
働きづめだった彼女の事を。
「しかし、一緒に一度くらいは来たかったな」
オレはそう言って思わず外の景色に目を向ける。
其処にはガラスに映る涙を浮かべ憂いを帯びた表情の少女と、外には無数の街の光が星空のように煌いていた。
それは、その一つ一つの下に必死で生きてる人たちの息吹の光だ。
その無数の光の一つとして働きずめで一生を終え、こんな場所に一度も来なかったであろう自分の母。
会えなくなるのが判っているなら、こんな所で一度くらいは一緒に食事しときたかったな。
むしろ、するべきだったのかもしれない。
もう適わないのだけど……。
必死で自分を育ててくれた彼女の事を思うと思わず涙が溢れてきた。
感謝、そして、悔恨の気持ちで。
「その言葉だけでも、お前の母が聞いたらきっと喜んだだろうな」
おれの涙を察したのか、彼は笑顔をでオレの顔をナプキンで優しく拭う。
そして、いつの間にか手を握り締めていた。
「泣くな、私がお前を幸せにしてやる」
「えっ?」
なんか歩の凄い発言に思わず目を見開く。
彼のトンデモナイ発言を聞いたようなきがした。
……と思ったら、更に一言。
「気にするな、リップサービスだ。
――今夜だけは、杏子、お前を普通に扱ってやるといっただろう?」
小梨はそう言いつつ、視線を斜め上にずらす。
「だよねぇ~」
サラリと流す歩、やっぱりでした