燈火
アレから数日経った。
小梨はあの時の言葉が嘘のように彼の行動パターンには変化が無かった。
オレが朝起きるとアイツは此処が我が家の様にキッチンのフローリングに座ってコーヒーを飲んで居るし、オレが自分用に準備した朝ごはんを横から文句を言いながらも強奪した後、何かの理由をつけて学校まで送ってくれるし、帰りは何故か当然のようにくっついてくる。
以前と何も変化はない。
――オレが小梨に食われる分を考えて、朝食を二人分用意する以外は。
お陰で見た目はダーリンが送り迎えする新婚ほやほやの仲むつまじいバカップル。
幸せオーラが立ち込めているようにみえるのは間違いないだろう。
少し多めの食材を持ったままアイツと二人街を歩けば子供は指さし、顔見知りは呆れ、二人の余りの熱愛ぶりに見知らぬ主婦の買い物籠は落ちてひっくり返る。
――もっとも真相は違うんだけど。
まあ、ハンターに襲われることが無いのは助かるけど、この事実は当然の事ながらクラス中に知れ渡っており、ノア以外の周り(クラス)の視線は当然冷たい。
男女の出会いの少ない女子高のフェリミスなら仕方ない事だけど。
ハンターや復讐者に襲われる前に、
「いちゃつく姿を見せつけるな」「馬鹿カップル撲滅」「お前だけが幸せになるな」とクラス中から何時か闇討ちでボコボコにされて殺されそうな予感がした。
――否、確信がする。
クラス中の周りの視線と空気が痛すぎる、特にノアが居ないときは更に……。
”
今日はノアはクラブ活動である弁論大会に参加してお休み。
しかも、アースクエイクこと松本さんもこんな時に限って柔道の大会があると言うので居ない。
お蔭で教室の中の自分の立ち位置は四面楚歌の上、お堀2つが埋まった『大阪城冬の陣』。
オレが室内に居れる雰囲気では無かった。
――このまま居たら、クラスメイトから校舎の裏かトイレに呼び出しがかかるのは間違いない……。
そんな訳で、昼休みなった自分はお昼ご飯であるサンドイッチと飲み物(紅茶)片手に階段を上がり屋上に避難していた。
此処ならあんまりクラスの奴らは来ない筈……、
――と、思ったら先客が居た。
其処に居たのは、プラチナブロンドの長い髪、虚ろな焔を秘めた赤い瞳、何より虚空のような存在感を漂わせている女性。
――クラスメイトの有住だ、
制服姿の彼女は澄んだ視線で金網のフェンス越しに街の風景を静かに眺めている。
「荒川さんは此処でお昼?」
彼女はこっちをちらりと見ると、此方に近寄り何時ものように澄んだ視線で話しかけてきた。
何時もだけど、この人に話しかけれると彼女に自分の考えている事が全部丸見えにされる気がする。
それを含めて頭が良いと言うのだろうけど……。
「クラスに居られる雰囲気じゃないからね、周りの視線が痛くて殆ど針のムシロ状態だよ」
自分が表情を歪めポツリと言うとアリスは虚ろな表情の中にも小さく笑みを浮かべた。
こっちは笑い事じゃないのに……。
「あの状況を見せつけて居たら、それは仕方ないわね。
彼の腕に抱きついて 『さっきはゴメンにゃん♪』って貴方が言うんだから……」
「むぅ……」
悪戯っぽく言うアリスにオレは思わず頬を膨らませる。
――その恥ずかしいアドバイスをくれたのは誰だよ?
教えてくれたのは、目の前の彼女(小悪魔)何だけど……。
「冗談のつもりだったけど、あなたが本当にやるとは私も予想外だったわね」
「酷い、こっちは本気にして恥ずかしいの我慢してやったのに……」
思わず渋面になったオレをアリスは小さくクスクス笑いながら更に続ける。
「其処はごめんなさいね。
――でも、謝るきっかけが出来て良かったでしょ?
そうでもしなければ貴方はきっと謝れなかったと思うわよ」
確かに彼女の言うとおりだったと思う。
あんな感じで言わなければ、小梨に『ごめんなさい』と言う雰囲気じゃ無かったからな……。
絶対に此方が謝る前にあいつの『阿呆』の一言でこっちの謝る気が失せたと思う。
「アイツの性格を考えると確かにそうだよね」
「でしょ?」
うんうんと銀髪を小さく揺らし頷く彼女にふと浮かんできた疑問があった。
「でも、どうして手助けしてくれたの?」
自分の問いにアリスは視線を斜め上にずらす。
――多分、彼女は今答えを考えているのだろう。
其の位は自分でも判る。
「そうね、放ってはおけなかったからかな?
貴方は本当に子供みたいだから」
「むぅ……」
アリスの言葉に思わず頬を膨らませた。
子供ではないと思いたい。
まあ、見た目は子供中身は大人な訳だし……。
「それに、貴方は今まで見ていた天使達とは雰囲気が違うわ」
「雰囲気が?」
「そうよ、普通の天使達と比べて貴方は明らかに精神的に幼いわね」
オレは彼女の言葉に思わず顔を引き攣らせた。
――精神的に幼いと言われたくはない。
一応は天使になる前は二十歳を過ぎていて、酒も飲んでいたし、ピーな物も持ってた訳だし……。
彼女はオレの表情を見て察したのか、更に続ける。
「体が大人でも中身が成長して居なければ子供と一緒よ」
「むぅ……」
それを言われると返す言葉がないかも知れない。
中身の年齢は確かめようがない訳だしね。
多分同じ位の年齢である彼女と比べたら自分は精神的には幼いかも知れない。
……多分、きっと……。
「――だから母性本能がくすぐられ、思わず貴方の手助けしてしまったのかもね」
アリスはそういうとオレの頭をなでなでした。
―― 子供扱いである。
「それと杏子ちゃん、私達は天使同士なんだから他人行儀じゃなく出来れば名字の有住じゃなくて、名前の優奈と呼んで欲しいわね」
「優奈さん……ごめん」
オレは思わず彼女に向かい頭を下げた。
今更ながら知った彼女の名前。
他人行儀なら普通は名字しか知らないからね……。
「さん付けも要らないわよ」
アリスは口角を小さく緩める。
始めてみた素の彼女の笑顔だった。
でも、優奈の屈託のない笑顔に疑問が浮かんできた。
「所で優奈はこんな所に一人で居て怖くないの?」
彼女は先日といい今日といい一人で居る事が結構多い。
復讐者やハンターに襲われるリスクが相当高いと本人が言うにも関わらずだ、
自分にはそんな勇気の有ることは出来ない。
その勇気の理由が少し気になっていた。
優奈はオレの問いに遠い目をする。
まるで那由多の距離をみつめるようなしせんだった。
「そうね、怖くないと言ったら嘘になる、何度自分で命を断とうとした事か判らないわ」
彼女はそう言うと、彼女はリストバンドをはぐり手首を見せ付けた。
其処には天使の証である羽と禁止マークを組み合わせた刻印と、それを切り裂くように刻まれた痛々しい傷跡が残っていた。
その傷跡におれは思わず息をのんで凝視してた。
「けど今はもう大丈夫よ」
「どうして?」
自分の問いにアリスは虚ろな表情の中にも笑顔を見せる。
まるで天使のような優しい、けれど何かを護ろうとする力強い笑顔だった。
「漆黒の闇の中でも、灯火があれば生きてゆけるの」
「灯火?」
「そうよ、灯火よ。
――例え其れが最初は偽りの灯火で自分を焼く為の炎でも……。
其処から生まれた小さな燈火に偽りでは無いわ」
自分には彼女の言葉の意味が判らなかった。
オレは頭の良い優奈の禅問答の様な難解な比喩を前にして思わず首を傾げる。
悔しいけど、彼女の言う『灯火』の意味が理解できなかった。
彼女もそれを承知の上らしく、澄んだ、そして力強い瞳で更に続けた。
――初めて見るアリスの表情だった。
「その小さな灯火を護るためなら、怖さも気にならなくなるのよ。
まだ子供の杏子ちゃんには判らないかも知れない……、
――けれど貴方には何時かきっと判る時が来るわ」
優奈は静かそう言うと、力強い視線で街の風景を見続けていた。
屋上には、ただ静かに風が吹き抜け彼女の銀髪を揺らしている。