わすれえぬ過去に
「遥。もう、自分でもお姉さまとの件にケジメをつける時期なのは判ってる。
ゆうじ、そして、娘のあゆ、二人のためにもね」
カスミはそういうと、酒をかるく飲み、テーブルの上に置かれたアルバムを見ながら、覚悟をきめたように、フッ、と静かに息を吐きだすと最初から開きだした。
「私が、あゆみ姉たちと出会った最初は、幼稚園の入園の時なの……」
カスミさんが開いたアルバムの最初のページには、あどけない表情の3人の幼稚園児が写っている。
――あゆみ 遥、「カスミの3人の幼稚園時代の写真だ。
「アタシたち3人が出会ったのは、幼稚園の中を覗き込んでるときに、アタシとあゆみ姉、とカスミがタマタマた3人が横に並んでいて、それで偶然話したんだっけ?」
遥は、そう言うと、目をほそめ、カスミの話に頷きながら、手にしたチューハイをぐぶっと豪快に飲み干した。
飲み干したグラスの中の氷がくるりと円を描き、カランと鈍い音をたてる。
オレとあゆむが沈黙を守る中、グラスのなかの氷を遥さんは何か言いたそうに、ただジッと、見つめていた。
「……ついでに、あん時には、まだレナも居たんだったよな……」
遠い過去を振り返るように、ポツリこぼす遥。
「そうよ、3人とも親からはぐれて、「どうしようか?」、と、みんなでしょんぼり幼稚園の中を見ていた……。
そんな時にタマタマ校門にいたのが、場違いにピアノの演奏会で着るような豪勢なドレスで着飾ったレナだったよね。 ソレで入り口が分かって、みんなが戻れたんだったよね」
カスミの話に、「そうだったよね」、と、頷く遥。
あゆむも、酒をあおりつつ、遠い目をしながら無言で頷いていた。
「思えば、自分たちははレナにクギずけだったよね。 レナもあの当時は違ってたよね。
悔しいけど、自分たちには出来ない、ピアノ演奏やら、クラシックバレーを優雅に嗜むんだからね。」
「うんうん。あの時のレナは高飛車だったけど悪い奴じゃ無かった。
弁当を忘れた子におかずを分けてあげてたしね。」
なるほど。
この当時のレナのイメージとしては、ごく普通の心優しい少女、そんな感じかな?
で、もう片方のサイドの遥さんとカスミさんの方はどうだったんだろ……。
オレがそんな事を思いながら二人を見ていると、遥さんは、グラスの酒をジッとみつめながら、遠い過去を思い返すような口ぶりで、ポツリポツリと、その当時の事を語りだした。
「ピアノは あゆみ姉、アタシとカスミで鍵盤に並んで、3人で協力して引こうとしたんだっけ」
オレのイメージに、3人がピアノの鍵盤の前に3人が並んで演奏をしようとする姿が目に浮かんだ。
もちろん、そんなことは──できるはずもないよなぁ……。
ピアノの前に、3人の園児が横並びになって、鍵盤に指を伸ばす。
でも、手はぶつかり合って、音はガチャガチャ、リズムもバラバラ。
ド、ミ、シ♯……? 今の音は誰の指? ってくらいの大混乱の、騒音だったのだろう。
「……って、案の定、ムチャクチャだったんだよね」
遥さんは苦笑まじりに、グラスの中の氷をコロンと回す。
その音が、どこか寂しげに響いた。
「ソレで終わらなかったのが、3人組だった……」
あゆむも、苦笑まじりに、グラスの酒をあおると、残った氷をコロンと回しながら、遥の話に付け加えてゆく。
「誰が言い出したか忘れたが、『弾けないなら、物理的にピアノを曳こう』として、ロープをピアノの足にかけて、ロープを引っ張ったんだからな……。
――懐かしい思い出だ。」
あゆむは、苦笑いしながら、あゆみ、遥、カスミの3人の幼稚園時代の過去を語った。
ピアノをロープで引っ張るって、ある意味ピアノを「ひく」には違いないけど、それは完全に方向が違うと思う。
3人が真剣な顔で床に足を踏ん張って、ヨイショ、と綱引きのようにピアノを引っ張っていた姿が目に浮かんだ。
オレは、心の中でそうツッコミを入れながらも、ふと、その無茶な発想に小さく笑ってしまう。
――この3人、昔から変わらないんだな、と。
「でもさ、それでも楽しかったんだよ」
カスミは、遠い目をしながら酒をあおり、酒の勢いそのままに、更に続けた。
「遥~、ピアノ弾けないないなら、曳こうって、今考えたらむちゃくちゃだけど、アタシたち、あの頃は――あゆみお姉さまと、遥、私の3人でなにか一緒にやるのが、それだけで嬉しかったんだよね」
「そうだよねカスミ。 そんなこんなで3人にピアノのような芸術は無理って事が分かって、代わりに体操はじめたんだっけ?」
「そうよ、遥。 3人一緒に始めた体操なんだけど、みんな怖がって平均台を
、クラスの誰よりも最初に渡ったのが、あゆみ姉だった」
カスミは、酒を片手にそう言い終わると、ジッと写真にうつる、幼いあゆみをみつめながら、更につづけた。
「そして、それからはずっと、あゆみ姉がいつも中心だったのよ。
小学生になったある時は、あゆみ姉と遥が桜の木に登っているときに、『私も近くで花を見たいな』、と私がいったら、
あゆみ姉は、『任せておいて、枝の一つくらい私が何とかしてあげる』って言って、
遥は、『どうせ、折るなら大きい方が良くない?』、って悪乗りして、
お姉さまと、遥が太い枝にまたがり、桜の枝をゆするものだから、
しまいには、太い桜の枝が折れて、桜の花が付いた太い枝が地面に転がったのよ。
おかげで自分は、近くで桜の花は見れたけど……、その後、クラス委員長のレナが先生連れて来て3人でまとめて怒られたのよね」
遥と、あゆむは無言であるが苦笑いをしながらカスミの話を聞いていた。
しかしまあ、この時代の、あゆみ、遥、カスミの3人ってまさに、メスガキの悪ガキって感じだよなぁ……。
逆に、レナのイメージとしては、この当時はごく普通の高飛車なクラスのリーダー格の娘、って感じかな?
後から聞いた、フェリミスの悪夢とはずいぶん違うけど、こんなものかな?
人間は変わるものだから、きっとレナも、最初からああだったわけじゃないのだろう。
写真でみるかぎり、あの頃のレナは、確かに高飛車でお嬢様然としていたけど、誰かを見下すような視線じゃないしね。
弁当を忘れた子には自分のを分けてあげて、クラスでは責任感の強いまとめ役だったって聞くし。
幼い頃の写真に写る彼女は、少しすました顔で、でもどこか人懐っこさの残る目をしていて、笑うときには誰かの顔をちらっと見ていた。
ピアノを引っ張ったり、木に登って枝を折ったり、悪ガキの三重奏って感じの、あゆみ、遥、カスミの3人らの自由すぎとは違って、
レナは周囲から期待されて、責任ある立場を押しつけられて、それを断れない“いい子”の顔をしていたのだろう。
今思えば、それがレナの始まりだったのかもしれない。
“誰かの上に立たなければ、私は価値がない”って、幼い心に刷り込まれた、哀しい歪みのはじまり。
カスミさんの3人の過去の話を聞くと、レナについてそんな事を思わずには居られなかった。