信頼のその先へ
オレとあゆむ。
月明かりのもとで交わされた、静かな口づけ。
言葉よりも、涙よりも、あたたかな気持ちが胸の奥に広がっていった。
おれとあゆむ、ふたりの呼吸がしずかにとけあい、部屋の隅の時計が、カチコチと時を刻むだけの静かな空間。
おたがい何も言わずに、そっと肩を寄せ合っていた。
このままずっと永遠に続いて欲しいと願う、そんな宝石のような静かな時の流れだった。
でも──その静けさは、長くは続かなかった。
オレの胸の鼓動がようやく落ち着いてきた、そのときだった。
(……あ)
オレの下腹部に、じっとりと重たく湿った違和感がひろがってくる。
それが何か、自分にはすぐにわかった。――女性のカラダなら毎月くるアレだよ……。
いつか来るとは思ってたけど、こんなタイミングで来なくても良いのにな……。
オレは、やわらかく息をのんで、そっとあゆむの耳元でつぶやいた。
「……あゆむ、ごめん……たぶん、来たかも……」
あゆむに言ったそばから、顔が熱くなる。
ミミまでまっかになり、自分の声色がワントーン上がってるのが分かった。
こんなことをカレに伝えるのも恥ずかしくて、穴があったら入りたいくらいだった。
「……気にするな、女性のカラダなら自然の事だ」
けど、あゆむはわずかにまぶたを伏せて、それから立ち上がった。
その動作には、驚きも迷いもなかった。ただ、当たり前のように。
「きょうこ、今は無理をしなくていい。 生理初日は量が多いはずだからな。お前はそのままソコのイスにあさく座っていろ、何時ものようにしてやる」
あゆむのその声はどこまでも淡々としていて、だけど、やさしかった。
保健室で風邪薬を配る先生みたいに、よけいなことは言わない。
「いつもの、ね。」
オレはコクリと小さくうなずいて、言われるままにキッチンの椅子にあさく腰を下ろした。
座ったとたんに、汗ばんだ背中がシャツ越しにひんやりと感じた。
身体の奥にきゅうっとした重たさと、どこか熱っぽい違和感が広がる。
ほんと、情けないな……。
オレは、心の中で、そっとつぶやいた。
自分でできないなんて、みっともない。
でも、それでも──あゆむにしてほしいって、思ってた。
こんなふうに誰かに“預ける”ことが、どれほど心をほどいてくれるのか。
今まで知らなかった。
羞恥と依存と安堵が、胸の奥でぐるぐると絡まっていく。
お腹の奥が、きゅうっと鈍く痛む。
「きょうこ。モノとショーツの替えはあるか? 」
「ごめん、今は無いかも……。」
「仕方ない、スグに取ってくる、其のままで居ろ。 お前は、まだ初心者用で良かったな?」
「……うん」
あゆむが部屋の奥に行き、オレのモノの探して準備をするそのわずかな時間が、やけに長く感じた。
その間にも、戸惑いながらも、オレは片手でショーツのゴムを引っ張って、足を少し開くと、スースーする太ももに空気が触れて、なぜか心臓がどくんと跳ねた。
オレの心臓はバクバクと音を立てていて、額にはうっすら汗がにじんでいた。
「……あのさ、あゆむ。ほんと、何時も悪いよね……」
部屋の隅でゴソゴソ何かを探し、手指の消毒するあゆむに、ぽつりとつぶやいた言葉は、半分自分に向けたものだった。
だけど、あゆむは返事をしなかった。
ただ、そっと目線を合わせて、うなずいてみせた。
その無言のうなずきが、「そんなこと、気にするな」と言ってくれている気がして、
なんだか、それだけで胸がいっぱいになった。
「待たせたな、今から入れてやる」
あゆむの指が、布越しに軽くオレの腰を押さえた。
その手はとてもあたたかくて、微かな体温がじんわりと肌を通して伝わってくる。
でも、イヤじゃない……。
タダ、大きな何かにつつまれているようなぬくもりだけが伝わってきた。
「少し冷えてるな。……緊張してるか?」
あゆむの低くて落ち着いた声が、空気を震わせる。
オレは無言ではずかしそうに、うん、と小さくうなずくのが精いっぱいだった。
(緊張するに決まってるよ……)
心の中でそう返しながらも、
その声に、少しずつ、不思議な安心感が芽生えていた。
「んっ……」
プラスチックのアプリケーターが、そっと触れた。冷たさが肌に伝わる。
挿入される瞬間、思わず肩に力が入った。
でも、あゆむの声がまた響く。
「だいじょうぶだ。少しだけ、呼吸をゆっくりにしろ──」
「うん……。わかった」
あゆむのその言葉に合わせて、オレは深呼吸をひとつした。
自分の中にある恐怖や恥ずかしさが、ふっと、あゆむのことばの前に空気のようにそっと、魔法のようにとけてゆく。
のこったのは、この人ならだいじょうぶという安心感だけだった。
あゆむはオレのコトをつづけてくれている。
――どこまでも淡々としていて、だけど、やさしかった。
「力抜いて。奥まで入れると痛いから、角度は……ほら、こうだ。
……ちょっと違和感あるかもしれないが。痛かったら、すぐ言え」
「……んっ……」
アソコに何かが押し込まれる感触。身体の中に何かが入ってくる、男の時にはかんじたことのない感覚。強くはないけれど、明らかに“異物”とわかるものが、自分の中に居場所を探している。
片手で数えるくらいしか経験ないけど、やっぱりこの感覚はやっぱり慣れないな……。
「……っ……」
あゆむはオレのアソコをゆっくりと押して、アプリケーターの先をそっと奥に進めていく。
そのたびにオレは思わず声を漏らしてしまうけど、あゆむの声はどこまでも冷静だった。
「……きょうこ、痛くないか?」
「んっ……うん、平気」
「そうか。なら良かった」
そう言ってまた少し角度を変えて押し込む。その繰り返しが何度も続くと、やがて、オレのアソコはプラスチックのアプリケーターをすっぽりと受け入れた。
「うん……ちゃんと、入ったな」
「……よし、入ったぞ。あとは、ここを押すと――そうそう、これで芯だけ残って、外筒は抜くぞ。
――よし、コレでおわりだ。 大丈夫だったかきょうこ?」
「……平気だよ……」
オレはあゆむに小さくうなずくと、呼吸が落ち着くまで、数秒だけ、目を閉じていた。
お腹の奥に、小さな石が沈んだみたいな感じ。違和感というよりは、「変化」と呼ぶべきものかもしれない。
――痛くは無いんだけど不思議な感覚だった。
「もし違和感あったらすぐ言うんだぞ。無理は禁物だからな」
「わかってるよ、あゆむ。 それと、いつも変な事をさせてごめんね」
オレを心配そうにみつめるあゆむにオレは、感謝の言葉をだしていた。
あゆむの柔らかく、そして確かな手つき。
“慣れてる”というのは、技術の話じゃない。
誰かの痛みに、ちゃんと向き合えるってことだ。
処置が終わったことを合図に、あゆむはそっと腰に添えた手を離した。
(……ああ、終わったんだ)
オレは、そっと息を吐いた。
恥ずかしくて、情けなくて、それでも──ありがたくて。
自分は今、女の身体で、女として生きてる。
でも、オレはそれは、時々、ひどく怖くなる。
知らないこと、できないことばかりで、不安で、そして恥ずかしい。
それでも、この手に触れられてるときだけは──
ああ、オレは──ちゃんと守られてる。
この人になら、ぜんぶ見せても、大丈夫だって思える。
その事実が、なによりも、あたたかかった。
「……ありがとう、あゆむ」
オレの声が、すこしだけ震えていた。
あゆむは、なにも言わなかった。
ただ、優しく、オレの頭を一度だけ、撫でてくれた。
(……ずっと、こうしてもらいたかったんだ)
その手の温もりが、胸の奥までしみこんでいくようだった。
撫でる手が離れても、そのぬくもりは、まだオレの中に残っていた。
「……」
ふと気づけば、窓の外から流れ込む夜風が、少し冷たく感じられた。
「きょうこ、少し待って居ろ」
あゆむはそう言ってキッチンに向かう足音が、部屋の静けさに溶けていく。
しばらくすると、コト……とマグカップの触れ合う音が、部屋の静けさにやさしく響く。
やがて、湯気の立つマグカップと、ふわりとしたカーディガン、が差し出された。
「あゆむ、これって――ハニージンジャーティーじゃん……」
オレは飲み物を前に表情をほころばせた。
このいいショウガと甘いはちみつの香りはハニージンジャーティー 、オレが好きなドリンクの一つだ。
そういえば、前に一度だけあゆむの前で美味しいって言ったことがあったっけ?
――オレのそのたった一度の言葉を覚えて居てくれたんだ……。
「おまえが好きだったハズだ。温かいの、飲め。……あと、カラダを冷えないようにな、アノ痛みがひどくなるぞ」
そう呟いてあゆむは、カーディガンをふわりとオレにかけると、自分の分の飲み物を用意するわけでもなく、ただこちらを見ていた。
「ありがと……」
その声はいつも通り、無愛想なほど淡々としていたけど──
オレにはちゃんとわかっていた。
この人は、こういうふうにして、ずっとオレを守ろうとしてくれている。
胸の奥がじんわりと熱くなって、涙とはちがう何かが滲んだ。
――ずっとこの人に護られていたんだ……。
あゆむにカラダを預けようとしたその瞬間……。
「カチリ」
ドアノブが、小さく音を立てた。
そのわずかな音が、月明かりの中に浮かぶ静けさを、現実の空気でふっと引き裂いたような気がした。
(──え?)
続く、爆音。
「みつけたぁぁッ! 愛と友情の届け便が参上でーす!!」
大声と共に、遥が山ほどの酒を抱えて部屋になだれ込んできた。
顔は赤く、声はでかい。
完全に出来上がっている。
「……ちょ、遥!? 空気空気……!」
その後ろから、紙袋とお惣菜をいそいそと抱えたカスミが顔を出した。
「……お、お邪魔しますね……?」
オレとあゆむは、びくっとして体をぱっと離した。
二人とも顔がまっか。
「……えっ、え、えっ? 泣いてた? してた? 何この雰囲気!?」
遥はニヤニヤと笑いながら、意味深な視線を送ってくる。
「な〜んかぁ……いいとこだった? ま、いーけど?
今日は飲むために来たんだから、キッチリ付き合ってもらうからね!」
こうして、半ば強制的に宴会が始まるのだった……。