限界のその先は
あれから半日後。
オレとあゆむの二人は、ヒロユキと由紀を追いかける事も出来ず、仕方なく自分たちの部屋に戻っていた。
カメラの記録はあの路地でぷっつりと途切れ、あとにあるカメラの目撃情報もゼロ。
となれば、地道にあゆむの好きな気合で探すしかないけど──下町の路地って、あれ、全部似たような感じで出口は無数にあるわけだしね。
むやみにドコに行ったか探しても、やる気とか気合とかじゃどうにもならないと思う。
まさに運しだい。 運が良ければ見つかるし、悪けりゃ一生見つからない。 神様にお願いしたい世界だよね。
あゆむは、もう少し探したかったみたいだけど、流石に夕方になり家に戻ることになった。
つまり、悔しいけど、由紀と女装したヒロユキの作戦勝ち、ということだった。
居ないものは仕方がないもの。
そんな訳で、あゆむはもう少し探したかったようだけど、
流石に夕方になり、もう時間切れという事でオレとあゆむは二人の住処に戻って、テーブルについていいた。
2人が向かい合わせに座るダイニングは、夕焼けの名残が、部屋の窓辺をかすかに染めている。
オレとテーブル越しに座るあゆむの顔は、逆光でいつもより少しだけ陰って見えた。
「あゆむ……」
「……ん、どうした、きょうこ」
返ってきた声は低くて、どこか遠くを見てるような響きだった。
でも、その言葉の端には、ちゃんとこちらを気にしてる気配があった。
それだけで、ちょっとだけ息がしやすくなる。
ホテルであんなことがあった後だから、あゆむのそんな気遣いがマジでうれしい。
「………」
けど、 会話が続かない……。
二人の間に、必要最低限の言葉すら飛び交わない、そんな静かな時間だった。
ホテルであゆむとあんなことがあったから、ううん、それだけじゃない。
バールの事、ヒロユキの事いろんなことがあり過ぎて言葉が出ないのは判る。
「……あゆむ……、良いかな?」
けど、どうしてもカレに言っておかないといけない事があった。
それは、きょうのホテルの一件の事だ。
本当なら、あんな感じで二人でホテルに行けるなんて、こんな天使にされたオレには望むことすらダメな事なんだろう。
なのに、ホテルに居たあゆむは、涙をうかべ震えるオレを後ろから優しく抱きしめてくれていた。
――自分は最低なことした天使なのに。
「今日は、ほんとうにありがとう……」
オレはそう言うと小さく頭をさげる。
あゆむのその優しさが本当にうれしかったから。
「………」
あゆむは、真面目な顔になると静かに目を閉じ、何かを心に決めたようにふぅ~と長い息を吐きだした。
オレたちの心境を表すように、グラスの水が、小さく揺れた。
なかのコオリが小さな音を立てて、くずれてゆくのが分かった。
グラスに映る水面は、ほんの少しだけ淡い緋色の色合いをうつしだしている。
「きょうこ……」
あゆむはそう言うとスッと、席を立ち、オレの隣に座りなおした。
けど、恥ずかしさでカレが見られない。
きっと、自分は顔を真っ赤にして、耳までまっかに染まってるのだと思う。
「……どうしたの、あゆむ?」
オレは、そう言うとカレの肩に自分の体をかるく預けると、あゆむは大きなウデで優しくオレの背中をなでてくれた。
大きくてたよりがいのある感覚に、オレはまっすぐな視線を変えれず、少しまえにあるグラスの水面の揺れを目で追いながら、静かに口を開いた。
そして、思わず自分が思ってる事とは違う、窓ガラスの外にあった目の前の事実のアリのままのことを。
「あ、……ノゾキ魔がいる!!」、と。
””
窓の外に居たのは年のころ20前後、真っ黒な服を着た中肉中背の男だった。
イメージは、ざ、現代の忍者。
「……小梨さん、すいません。 小泉部長からのメッセージをお届けに着ました」
その男はすっと頭をさげ、そう言うと、その瞬間、あゆむの手が不機嫌そうにすっと背中から離れ、代わりに彼の身体がスッと立ち上がる気配がした。
「丹波、……何事だ?」
なんか不機嫌な声色を隠そうともせず、あゆむはツカツカと足早にまであゆみよる。
カツン、と床を踏みしめる音が、まるで怒気を放っているように聞こえた。
丹波と呼ばれた男は、「す、すいません小梨さん!!」、と、あゆむの怒気にあてられたのか、いっぽ下がりガラス越しに表情をこわばらせ。
「こ、小泉部長からの至急の伝言で『内通者がいる、SNSなどの通信手段は盗聴されているから使うな。 重要な話は外で直接話せ』、との事です。 以上っ!」
と、男は、用件だけを手短に言うと、風の様にベランダから上によじ登り去って行った。
ここは12Fなのに器用なことだよ……。
流石忍者。
「……よくやるよね……」
オレが、素早く上に逃げ出す男を呆れ顔で見ながら、そんなことを思ってると、
「……明日香が言って居たあの件か……。」
あゆむはそう言うと表情を硬め、だんだん険しくなると、
「――やはり、か……。 」、と短く言い切り、町の外をじっと見つめた。
あゆむの視線の先には、色鮮やかな都会の景色が広がっている。 綺麗だけど、残酷な街並みだった。
じっと見つめるカレの視線が殺意も漂わせるような凶悪な表情になり、そして寂しくなってゆくのが分かる。
まるで、出会った頃の殺意をかくそうともしない 以前のあゆむみたいに。
「ところでさ、あゆむ。 ヒロユキの事なんだけど――」
オレは、あゆむの袖をもち、いきなり話題を変える。
唐突な話題だった。 だけど、このままじゃ、今のあゆむが居なくなっちゃいそうなそんな雰囲気だったから。
「――なんだ、きょうこ?」
あゆむは不機嫌はそのままに、返事を返す。
けど、声色はやさしくて、何時ものあゆむに戻ってくれていた。
――良かった。
そして、オレは其のまま、先ほどあったヒロユキの女装で逃走の話をしてゆく。
「……なんで、あの子、あそこまでして逃げなきゃいけなかったんだろうね、プライドを捨てて女の子みたいになって……。」
言葉にしてみて、すぐに「そんなのわかってるじゃん」と、自分で自分にツッコミを入れたくなった。
由紀を買春をしようとして、ソレがオレたちにバレて逃げようとしたって、判ってる……。
女性を買おうとした理由も、そんなモノは判り切ってる。
大切なモノを捨てて、きっとあの子は、自分なりに“大人の男になろう”としてたんだ。
女の子を抱いて何か結果を出して、そして誰かに認められ、「ちゃんと男として立ってる」って思いたかった。
──だから、下手でもいいからダレでもいいから経験を積んで、ベテランぶって、
そういうのを重ねれば、どこかで“自分はこれで一人前の男になれる”って思えたのかもしれない。
でも、気弱なヒロユキが、由紀のような手練れだと当然うまくいくはずもなくて、
逆に、全部崩れて、恥かいて、追い詰められて、背伸びしたぶんだけ、派手に転んで、最後に残っていたプライドも由紀によってズタズタにされて、最後に残ったのが、“もう男として居るのがしんどい”っていう感情だったのかもしれない。
最後には──“女の子になった方が、楽かもしれない”って、そっちに逃げたのかもしれない。
──男として生きるのは、案外しんどいものだから。
強くあれとか、守れとか、立てとか、何かと要求されるくせに、ちょっとでも情けないと「ダメな男」として切り捨てられる。
だからって誰かが支えてくれるわけでもなくて、立ち止まって泣くことも、誰かのせいにすることも許されない。
全部、自分で背負って、自分で立ち上がって、自分で“男であること”を証明し続けなきゃいけない。
でも──女の子になれば、そのプレッシャーは消える。
弱くても許される。
守られる側にまわることができる。
少なくとも“男失格”なんて言葉で心を刺されることは、もうない。
そう思うと、ヒロユキのやったことを責められなかった。
天使にされて、女性の体にされたオレだけど、元男の自分ならヒロユキの気持ちは痛いほどわかる。
あゆむに追い回されて、女装までして逃げたい恐怖に追い詰められた状態に陥って、『人間やめますか? 男辞めますか?』の選択を迫られたときはやる選択は一つだろうし。
わずかな希望の色─それはあの選択だろう。
「もしかしたら……自分で“男”をやめたのかな、あの子」
そうつぶやいたとき、自分の声が少し震えていた。




