許されざる者への闇の裁き
バールと呼ばれた男は地面によこたわり、両手を広げ、白目を剥き、アワをふきながら意識をうしなっている。
男の股間の当たりは真っ赤なシミがじわじわと広がっていた。
この出血の量はかなりヤバい感じがありありとする。
――これはサオやタマが完全に機能を失われ、もしかしたらコイツの男としての尊厳、下手したら命さえも危なくなるような状態なのかもしれない。
とにかく、コイツをはやく病院に連れて行かないと……、いや、コイツの場合はサツに引き渡す方が先かな? そっちでも逮捕のおまけつきで病院送りになるからね。
「ごめんなさい。
悪いけど、アナタを法にしたがって裁かせる訳には行かないの……」
だが、フェイトは、冷たい表情で倒れこむ男を前にそう言うと静かに頭をふった。
その表情は、感情をあらわにした先ほどの彼女とはうってかわり、表情はいつものようなクールビューティな表情に戻っていた。
そして、倒れる男の元まで行くとしゃがみこみ、意識を失ったバールの首元にそっと手をそえると、パーカーをズリ下す。
「――やっぱりね……」
――フェイトがズリ下した男の肩には、ハエの刺青と、さっきは蠅のダトゥーに隠れて良く見えなかったけど、溶接したような無数の古い傷あとが無数にみえた。
きっと、これはコイツが子供のころから地獄のような人生を生きてきた壮絶な生きた証なのだろう。
自分の前のバイト仲間でそんなヤツがいたから、何となく自分には判ってしまった。
――この男も好きで、弱者の天使を楽しんで狩るような性格がねじ曲がってんじゃないと。 きずだらけになるような みじめな生活の中でゆがめられてしまったのだ。
もし、オレの働いていたバイト先のチーフのように、少しでもコイツの事を理解してささえる人たちが居れば、コイツも立ち直れたバイト仲間のように きっと別の人生があっただろうから。
「――あなたがこんな人間になったのは、貴方だけ責任じゃないのは痛いほど判って居る……。
判って居るわ」
フェイトは、ぎゅっと目を閉じ、自分の過去を悔いるように言葉を吐き出すと、
「SNSや地下コミュニティで思想誘導をして闇の萌芽がうまれ、アイツの『釣るミラーリング"(心理誘導強化)』でトラウマ要素があるアナタが誘われ、『インビジブルインフルエンス(見えない誘導)』に操られた揚げ句、あなたの心が壊され凶暴な一面が増幅されてこんな風になったのよね。 全部判って居るわ 」
そう言い終わったフェイトは、唇がわずかに震わせるクールビューティな表情のなかに少し悲しみを浮かべ、「けど」、と短く言葉を区切り、背筋がゾッとするほどの鋭い視線で男を見据えると、
「アナタをこのまま警察に引き渡すわけには行かない。
――私の目的のためと言う勝手な理由だけど、悪いけどアナタは施設まで一緒に来て貰うわね」
フェイトはバールと呼ばれた男に氷ほどの殺意をこめ非情な言葉を言い放った。
――アナタは私と一緒に施設まで来て貰う、と。
その表情は引き締まり、「恨みはないけど、自分の目的のためなら どんな非道な事でも出来る」、そんな覚悟を決めた人間の表情だった。
その覚悟の言葉に自分の背中にスッと冷たいものが走るのがわかった。
コレは絶対に触れてはいけない、見ても聞いてもやばい、バイト仲間うちで聞いた、『聞いたものはみんな消される激ヤバ案件』そんな社会の暗部だと。
「――そういう事か」
あゆむはフェイトの行動に言葉を失っていたが、しばらくしてあゆむも納得したように、腕を組みこう口を開く。
「男の下腹部をそこまで痛めつけたのも、あの処置をうけさせるため……だな……」
「ええ、そうよ」
フェイトは感情をこめずクールに頷くと、さらにつづけた。
「この状態なら施設も救命のための緊急の処置という事で、あの治療を二つ返事で引き受けてくれるわ。 そこで天使と同じ、この男が女性になる処置を受けて貰う。 そして、私が受けように少女の体のまま穏やかな環境でリハビリをうけさせ、子供のようにまっさらになった状態で、心の方の治療をさせてゆくわ。
――こんどは二度と間違わないように」
彼女の表情、口ぶりから何となくリハビリと称した、その非道な行為がなんとなく分かってしまった。
男が今まで天使にされた娘や、関係ない女の子にしてきた事を考えたら、簡単だ。
――自分がやった事をそのままやり返される。 そしてその残酷さを自分のカラダで身をもって知るのだろう。
単純なことだけど、効果は抜群だろう。
フェイトは、自分が非道な事をしようとしているのが判って居るのだろう。
いまいましそうにクチビルをかみしめながら、さらに言葉を継いでゆく。
「――司法に引きわたしても、この男……。 いいえ、アイツ(ハエ)の思う通りになって、この人間は決して反省はせずに邪悪な性根をさらに膨らませ、今度こそ本当にか弱い少女たちをレイプして殺すモンスターになるでしょうから、それしかこの人間を生かしておく方法は無いの……」
忌々しそうに言うフェイトさんの通り、アイツを仮に司法に引き渡し、法の裁きに委ねたとしても、それが彼にとって善の道へ向かうきっかけになるとは限らないだろうしね。
むしろ、彼にとってそれは、自分が背負わされた不幸だとしか受け取れず、その不満が憎悪となり、内なる暗闇をさらに深くするだけだから。
彼の背後にある「アイツ(ハエ)」の影響を考えれば、なおさらだろう。
男が出所した後、こんどこそ、ゆいちゃんのような か弱い少女たちを喜んでレイプし、時には殺すモンスターになって、更に社会に不幸を振りまくのが目に浮かぶようだ。
だから、フェイトさんの言葉に反論することはできなかった。
悪い芽は摘む、悪い枝は落とす。悪い根は潰す、
そんな予防的な方法が一番なのは判って居た。
――でも……、それは法では許されない事だよ。
「きょうこちゃん」
オレの表情から何か察したのだろう。
そういったフェイトの声は静かで落ち着いていたが、その裏には深い悲しみが含まれていた。
彼女は視線を落としたまま、言葉をつづけた。
「法律は素晴らしいものよ。それがあるからこそ多くの人が安心して暮らせる。だけど、法律だけでは届かない部分もあるのよ。 今回みたいにね。 だから、時には、それを補うための存在が必要になる。私たちみたいな存在がね。 だから今回は私が手を汚し、この人間を治療させるわ。
――女ずきな職員すら嫌がる、砕石位で治療用のベットに固定された彼女に行う『更生の第一段階』からね」
フェイトはあゆむを一瞥すると、そう冷たく言い放った。
彼女のその言葉には重みがあった。理屈では割り切れない、しかし否定できない現実がそこにあった。
――自分が手を汚さないと、何も変えれないこともある。
オレは何も言えずに、ただフェイトの言葉を受け止めるしかなかった。
彼女はスっと静かに顔を上げると、まっすぐにオレを見つめた。その瞳には揺るぎない決意と、一抹の悲しみが映っていた。
「きょうこちゃん。あなたが信じるものを大切にしたら良いのよ。 ただし、時には目の前の冷たい現実があなたの信念と矛盾することもあるわ。 その時は自分が信じた道を進みなさい、私はあなたのすべての選択を受け入れてあげるわ」
フェイトの言葉は鋭く、そして優しかった。その瞬間、オレは彼女が背負っているものの重さを初めて感じた気がした。
彼女はそうすることで、自分の一番大切なモノを護ったんだと……。
自分の信念……。
自分のいまの生きる理由、それは……。
オレはとなりにたたずむ あゆむの横顔をじっとみつめる。
そこには、ネコが悪いことをしてしょんぼりするような、寂しそうなイケメンのあゆむの横顔があった。
ーー今、自分のともしび(生きる理由)は、カレのささえになること。
この人は見た目は強そうだけど、今日みたいに本当に弱いところもあるのが分かった。
そんな時に、ささえになること。 あの人の代わりに。
自分勝手だけど、それが自分の生きる理由だから。
「……ありがとう、フェイトさん」
オレは静かに頭をさげると、フェイトさんは、バールを肩に担ぎあげ、「滝川 ゆめのさん、ココで見たことはナイショよ」、と、恐怖に体をプルプル震わせる彼女にそう言い残すと、路地の奥へ消えて行った。
「わ、わたしは何も見てないから。 わ、私は関係ないからねっ!」
ゆめのは真っ青になりながら、クルリきびすを返す。
オレは、ゆめのがその場をトボトボ離れるのを見守りながら、思わず息を呑んだ。彼女の足取りは、まるで足元が崩れそうなほど震えている。顔色は真っ青で、今にも崩れ落ちそうなほど緊張しているのがわかる。
「……ど、どうしよう……。 か、彼女を砕石位でベットに固定って絶対にヤバい非合法の案件じゃないのよ。」
彼女の後悔のふるえる声が、空気の中にかすかに響く。小さな呟きだったが、その言葉に込められた後悔と、どうしようもない恐怖が、オレにははっきりと伝わってきた。
その言葉を聞いて、オレは思わず立ち尽くす。ゆめのは視線を彷徨わせながら、何かに耐えるように震えている。顔の筋肉がこわばり、唇が震えているのが見えた。まるで、自分が今見たものが本当だと認めたくないかのように、現実を受け入れられないでいるみたいだ。
その理由が、オレには少しだけわかる気がした。
今、この瞬間、彼女が見たもの、聞いたこと、それは普通の人間の視点では到底受け入れがたいものだったからだ。 あんな冷徹な目を持ち、目の前でためらいもなく股間を破壊できる人間が、目の前にいたことが信じられないのだろう。 そして まだ話してもいない自分の名を知られたことも。
生きてきた世界には、そんなモンスターのような人間が存在するなんて、想像もしていなかっただろうから。
「……」
彼女の目の前には、彼女が心の奥底で信じてきた「ちいさな現実」が崩れ落ちるような瞬間が広がっていた。
「き、今日の事は、お互い内緒よ。
こ、こっちも、アナタが男とホテルから出たことも見なかったことにするからね」
彼女はオレの傍にくるると、それだけ言い、そのまま何も言わずにトボトボと歩き出す。けれど、その動きには力が入っていない。足音も小さくて、どこか不安げで、視線も空を見上げて定まらない、まるで白昼夢をみるようにふらふらとその場から逃げるように歩いているのがわかる。
そして、彼女が無意識のようにつぶやいた、
「バイトがえりの北島とセーラー服の娘がホテルから出るときに、一緒に帰ればよかったな……。
あの気弱そうなアホずらの娘、今思えば、レナみたいにやってればアッチのほうが楽に長く稼げたのに……」
と、いう言葉がビンカンなオレのこまくをとらえるのをのを聞き逃さなかった。
大きな矛盾をはらんだ言葉、
――バイトがえりの北島とセーラー服の娘がホテルから出た、という言葉を。