時代に見捨てられたモノ、悪の矜持
「あゆむは?」
オレがあゆむを追ってホテルの前に出ると、ソコはすでに修羅場と化していた。
「待て、貴様!」
怒りを抑えきれないあゆむがそう言うと、拳を握りしめ、震えるほどの激情と殺意をたぎらせながら男に向かっていた。 当然、気が付いた男は滝川のウデを振りほどき必死に逃げる。
「お前なんかに、つかまるかよ!」
吐き捨てながら必死の形相で走り去る男。ソイツはそのおおきな図体にもかかわらず、ネズミのような驚異的な素早さを見せていた。
その素早さで逃げる男を追うあゆむ。さすがのあゆむでも手こずりそうな速さだった。しかし、あゆむも負けじとその後を追いかける。そのさらに後ろを、「待てコラ! 逃げるな、カネ払え!」と口汚くののしりながら、スカートがめくれるのも関係なく本気で追う滝川。
もちろん、自分もその後を追ってゆく。
ガタイの良い男を、イケメンのあゆむと女子高生二人が追いかけるというなんともシュールな光景。
はたから見れば、オレたちがなぜ走り回っているか分からない奇妙な鬼ごっこの光景だろう。
だが、 鬼ごっこの結末はあっけなく訪れた。
「――こんな町中で、みんなで元気よく走り回るって何事かしら?」
男がもう少しで曲がり角にさしかかり、裏路地に逃げ込めるというところで、すらっとした脚が路地から伸びてくる。伸びた先は男の足元。 必死に逃げる最中、男には足元を見る余裕なんてありはしない。
急に足が伸びたことに気が付かない男は、長い脚に足をとられ、ころんと転がってこけた。
「ぐわぁ~!」
小さな子供ならコケる姿もかわいいのだが、大の男だとそんな姿もシュールだった。 悲鳴を上げへッドスライディングをしながら倒れこんだ男は、運悪く追いついて来たあゆむたちの目の前にスキを晒す。
「貴様、覚悟はいいか?」
「ヤった分の金はらえよ!」
次の瞬間、スッと路地から現れた銀髪の美女、追いついて来た滝川の3人にぐるりと輪をかくように、バールと呼ばれた男が囲まれる。
腕を組み、怒りを隠せないあゆむ、男をボコボコ蹴りまくり怒りを隠そうともしない滝川、何を考えて居るのかわからないままウデを組み冷たい表情のフェイト、この3人に輪になってバールと呼ばれた男がうつ伏せのまま囲まれる様子は、地獄の深淵からの声が響き渡り、裁きの時を迎える者たちの姿を想像してしまうほどの「悲惨」としか言いようのない光景だった。
「アハハ、――で、それが何? 覚悟ってなんですかぁ? 」
だが、黒いパーカーの男は全く悪びれることなく、寝そべったまま大文字になって仰向けになると3人に対してカラカラと笑いながら悪態をつき始めた。
「てめえら、そこにいる売女の仲間だろうが、オレはそいつに払うカネなんて最初っからもって無いんだよなぁ。 悔しい? 悔しい? ボコりたいなら蹴れよ、殴りたいなら殴れよ。
――こっちはボコボコにされるのは、なれてるからな!」
男の悪態に、あゆむはコブシをにぎりしめ、滝川がふざけるなと顔をひきつらせ、さらに男の横腹をけり、フェイトさんはなりゆきを終始冷たい表情でみまもる中、ネコの群れに飛び込んだネズミのような圧倒的絶望的状況でもまったく臆することもないコイツの態度には、何か違和感を感じてしまう。
何か、コイツには最後の切り札あるような、そんな余裕さえも見せる、ふてぶてしい態度と表情だった。
だがあゆむは、そんな男の態度を気にすることもなく、ちらり滝川を一瞥するとウデをくみながら感情を押し殺し、低いトーンで淡々と言葉をついでゆく。
「――貴様のコイツとの援交の事はどうでもいい。 私にきさまの知ってるハエの事をしってるかぎり全部話せ。 話せば、貴様の今回の買春の件だけは見逃してやる」
「……アイツ……、の事か……」
あゆむがハエの名前を口にした瞬間、男の表情がスッと変わる。
ヘラヘラしていた態度が一変し、目をほそめ何か強い意志を秘めた顔にかわった。
目は力強く、口元はわずかに引き締まり、一言でいえば、覚悟を決めた男の顔だった。だけど、その奥にはもっと深い感情が渦巻いているのが、コイツと同じような立場だった自分には分かった。 かすかだけど希望を抱いていたかつての自分を捨てて、社会の冷酷さに打ちのめされた末、コイツの心は荒んでいったのだろう。
長年積み重なった屈辱と孤独。それが彼の目に宿るほの暗い、決死ともいえる決意を形作ってる、と。
「バカが。 てめえらのような上級市民には、アイツの事はチン毛ほども教えてやらねぇよ」
「なにっ?」
パーカーの男は、あゆむの取引を一蹴し、驚きを隠せないあゆむとジッと見据えると、さらに続けた。
「――てめえらのような上級市民に、オレたちの何が分かるんだ?」
「……」
「才能に、世間に、時代に、すべてに見捨てられたおれたちのような奴らは、誰も助けてくれないからな!
――運命にそっぽを向かれ、悪に堕ちるしかないヤツラの事なんて手前には分かりはしねえだろ? そんな奴らには希望、そうさ、アイツのようなクズのための救世主、英雄が要るんだよ。」
「……アイツが英雄で希望だと?」
あゆむは、男に敵意を込めた視線を送りながら問い返すと、「ああ、そうだよ……。」と、男は確信をこめた強い視線であゆむをにらみ返し、返事を返しはじめる。
「アイツがこの腐った世界をぶち壊して、上級市民の連中からオレたちの奪われたモノを奪い返してくれるんだ。 そうさ、アイツが……ベルゼバブが俺たちのような下級市民を救ってくれたんだ。
だから俺はアイツのために何でもしてやるし、なんなら命だってくれてやる。オレたちは、少なくともオレはそう信じてる」
「……」
「事実、オレたちみたいなゴミ虫野郎に良い思いをさしてくれるのはアイツだけさ、世間がオレたちに何をくれた? オレのようなこんな不細工なチー牛には女どころかマン毛に一本ですら回ってこないだろ?」
「だけどもな」、と男は短く区切り、さらにつづけた。
「アイツ、……蠅のおかげで、オレさまでも処女の赤髪のメスガキをヤれたし、何より元上級市民の銀髪の巨乳美女ともヤれたんだ。 オレさまが真面目に必死こいて食いもん運んで稼いでも生きてくのがやっとで、ムラムラきてもソコのくずれた腐れマンコですら買えないからなっ!」
男の暴論に、オレとあゆむは言葉を失い、滝川は顔をそむけられるだけそむけ悔しそうな表情で唇をきつくかみしめ、フェイトは目を細め男に無言の怒りに殺意すら漂わせるなか、バールと呼ばれた男は、滝川の表情から何か察したのか、彼女をちらり一瞥し、
「――わりぃ、アンタのくずれた腐れマンコは言い過ぎた。取り消せてくれ。
お前の体は好きでそうなったんじゃねえよな。 カネのため、生きるためにカラダ売りまくった揚げ句、そんな歪んだカタチにさせらちまったんだからな」
滝川は、ぽつり、「そうだよ、 世間はブスとバカには冷たいからな、バカな自分はこんな事やんねえと生きてけねえんだよ、それの何が悪いのかよ?」と、言うと男から目をそむける。
声を震わせ忌々しそうにそう言い放った滝川の声には、諦めと自嘲が混じっているのが、震える声色から分かった。
そして、ほの暗いよどんだ瞳のその奥には、自分を否定する社会への反発心が隠されているのが見えた。
――彼女は自分の価値を認めてもらえない現実に対して、何度も立ち向かおうとしたが、そのたびに打ちのめされてきたのだろう。 だからこそ、彼女の言葉には、ただの自己卑下ではなく、地面に伏す男と同じように社会の不条理に対する静かな怒りが込められているのが仕草ににじみ出ていた。
地面に倒れこむ男は、目を細めさみしそうに滝川を一瞥し、
「悪くねえぜ、お前はむしろ正しいぜ。 世の中、みんなきれいごと言っても無駄さ、みんな生き抜くためにあがけるだけあがいている。それがオレらのような底辺の人間なんだからな」
男は、はるか虚空を遠い視線でみつめながら さらにつづけた。
「でもな、――アイツのおかげで、こんなゴミのようなオレ様でも良い思いが出来たんだ。 オレ様だけじゃねぇ、アイツはオレたちようなゴミたちのために、天使処刑という最高のエンタメを出してくれるんだ。
アイツとは本名も知らないネットだけの付き合いだけどな、アイツが居なくて面白くねぇ世界なんて興味ねえのさ。
だから、手前らにはアイツの事はチン毛ほども教えてやんねぇよ! バカが!!」
パーカーの男は下品に持論を吐き捨てるようにそういい終わると、顔をゆがませ嘲るような笑い声をあげる。
「アハハハ、それにココでオレが捕まろうが後悔なんてなにひとつしてねぇぜ、これから先もオレはおれのまま邪悪であり続ける、邪悪のまま天使を犯しつづけてやるぜ。
天使密漁や 密漁の誤爆のレイプごときでは少し懲役に行く程度だろ? すぐにコッチに戻ってこれるさ。 それに一日一食しか食えねぇシャバより 3食くえるム所のほうがよほど天国だぜ。
――とっとと捕まえな!」
男は自分の志を高らかに宣言した後、勝ち誇るかのようにニヤリと笑いながら俺たち4人の顔を見渡しはじめると、すぐに飽きたおもちゃのように視線をそらした。
これがコイツの本音だった。
この男は、マジで自分の劣情の事しか思ってない。
おそらく、フェイトさんやあゆむがいくら天使を狩るレイプの非道さを語ったとしても、まったく耳を貸さないだろう。
その証拠に男の目つきは一切変わっていなかった。
コイツには何を言ってもダメだ。
こんなヤツは、なにをやったところで意味がないだろう。
どうせ、ム所に行ったところで、この男は反省するどころかますます図に乗りそうだし。
きっとコイツは死ぬまでこのままなんだろう……。
こいつの最後の切り札、それは失うものが無いという、最強のカードだった。
いざとなれば、すべて放り出せばいい。裁かれればいい。逮捕されればいい。 そんな無敵の人にはどんな罰でさえ無意味だろう。
ただ、あの罰を除いては。
「唯一の心残りは、あの時の銀髪の幼女を犯し損ねた事だ。
――まあ良いさ、ム所から出た後に、美形に育ったアイツを犯れば済む話だ。 母親に似て美形になるだろうから、レイプされそのカワイイ顔が苦痛に歪む姿を想像するだけで、今からヨダレがあふれてくらぁ!」
そう吐き捨て、パーカーの男が勝ち誇った笑みを浮かべ立ち上がろうとしたその時、
「――そう、煩いハエね。 言いたいのはそれだけ?」
次の瞬間には、冷たい怒りをたたえたフェイトの長いあしが男の股間をとらえていた。
「があああああ!」
あられもない悲鳴を上げながら、地面に転がりもがく男。
だが、次の瞬間にはフェイトはさらに無慈悲に男の玉を踏みつぶすように、足を勢いよく下ろし、ぐりっと力を入れた。
――ぐちゃりと気持ちの悪い音が響き、男は「うぐおおお!!」とうめき声をあげながら白目をむき、アワをゴボッとふきながら気を失う。
男の表情から、バット、ボールともどもへし折れたのが分かる。
フェイトがしたことはただそれだけ。
だが男の股間を蹂躙し終えた彼女の目は冷たく、さっきまでの殺意と殺気にあふれていた目つきとは一変していた。
まるでゴミクズでも見るかのような見下した冷たい目線で男を見降ろしてこう吐き捨てる。
「私はアナタには丁度いい病院を知ってるわ。 きっと、そこではアナタの好きなかわいい姿に治して貰えるわよ。 アナタはお薬をたくさんたーくさん飲んで、もう2度と男の体でこっちの世界に戻ってこないようにね」
「いくらなんでもやり過ぎだ、フェイト」
あゆむはそんなフェイトに驚き、滝川に至っては「あ、アンタいかれるわよ」と小便でも漏らしたかのように足をガクガクさせて腰をぬかしていた。
そんななか、オレは一歩また一歩と後退り、ふとあゆむの顔をみる。
あゆむも、オレ同様呆然として身動きが取れずにいた。
「――そう、私は貴方が言うように『イカレテル』のかも知れないわね」、
フェイトは顔を手で押さえながら、垂れる銀髪の前髪のすき間から冷たい表情でそう言うと、「けど」、と短く区切り、
「大切なモノも護るためには、私はどんな事でもするつもりよ。 どんな卑劣な手を使ってもね」
まるで、自分に言い聞かせるかのようにそういい切るフェイト。
そんな彼女の冷たい表情は、彼女の決意のように決して崩れなかった。