銀髪の幼女 ――そして忘却の意味
「ママ~ママ~」
道場の前でオレが小梨の腕にしがみ付いていると足元で声がした。
其処に居たのはプラチナブロンドの長い髪でワンピースを着た3歳くらいの幼女。
彼女はルビーの様な焔を秘めた赤い瞳、くりくりした可愛い目をして純粋無垢な表情でオレのセーラー服のスカートを引っ張っていた。
見た感じ、クラスメイトのアリスをまんま小さくした感じだ。
目の周りは少し違うけど雰囲気は良く似ている。
「杏ちゃん、そんな風に見えて実は子供が居たのね」
「ち、違うよ……」
ノアは冗談とも本気ともいえない表情で眼鏡を光らせエライ事を言ってきた。
――勿論、自分の子供で有る訳はない。
自分は、そもそもそっちの方はこの体になってからヤマシイ事をした覚えはない、有る筈がない。
即座にオレは首をブンブン左右に振り即座に否定するが、小梨は何か壺にはまったのかクスクス笑っている。
「その子はお前を母親だと行って居るぞ、白状したらどうだ?」
彼がそういった次の瞬間、その娘は彼のスーツのズボンの裾を掴みながら今度は「パパー、パパー」と
純粋無垢な表情を浮かべながら小梨の顔を覗き込んでいた。
一瞬して彼の表情が強張る。
「ち違う、これは誤解だ!!」
彼のたどたどしい態度に思わず顔を見合わせるオレとノア。
――コイツは実は子供が居たんだ、と思いつつ。
そして、シラ~っとした表情で小梨の顔を見ながらオレは思わず、
「なるほどねぇ……お父さん」と呟やくと、今度はその子はノアのスカートを握りしめながら
「ママ~。 ママはどこ?」と言い始めていた。
――その瞬間、理解する。
この子にとって女の人の呼び名は全員ママで、男の人は全員パパと言う呼び名らしい。
この娘は本当の母親を探しており、本当の母親もほかの女の人もみんな呼び名は同じ『ママ』と言う事になっているらしい。
つまり迷子の子猫ちゃんと言う訳のようだ。
その様子に思わず笑みを浮かべるノア。
――彼女は世話がかかる子の面倒を見るのが好きなのかもしれない。
「なるほどね、杏ちゃん私は迷子この娘を職員室まで送っていくわね」
「その子は私の同僚の子で名前は優衣ちゃんだ、君にそうして貰えると助かる」
小梨はさらりと真相を白状しやがった。
まったく判ってるなら最初から言えよな……。
お蔭で、ノアにあらぬ疑いを掛けられるところだったよ。
「判りました、この娘を連れて行っておきますね。
――優衣ちゃん行こう」
「うん♪」
笑顔を浮かべる銀髪の幼女。
ノアは彼女の手を引きながらこの場を後にしようとしていた。
「良いの?」
「気にしないで良いわよ、こんなの結構好きだったりするから」
オレが思わず尋ねると、ノアは微笑みを浮かべながら二つ返事で返して来る。
この人は本質的に優しいのだろうな。
世話がかかるオレの面倒を見てくれる位だしね。
そう思ってると彼女は更に凄い事を言ってきた。
「そんな感じで仲が良いお二人の邪魔したら悪いわよね♪
――今夜はお楽しみですね」
その瞬間、小梨共々オレは固まっていた。
オレが小梨の腕にしがみ付いたまま。
「そういうことにしといてあげるわね、ムフフ」
その二人の姿にニヤニヤするノアは一礼すると、銀髪を揺らす優衣と二人でスタスタと足早に去っていった。
”
「小梨」
「何だ?」
オレが尋ねると彼はクールな表情のまま返事を返す。
「お前は、天使の事はある程度詳しいんだろ?」
「ああ、ある程度はな」
オレの問いに即答する小梨。
「アリスと自分の差って何なんだろ?」
銀髪を揺らしながらとことこ去っていく優衣の後ろ姿をみて、アリスの事がふと頭に浮かんだのだ。
――アイツは天使の体にされる時に心が壊れてしまい大半の記憶を失った人だ。
自分は記憶はそのままでこの体になり、彼女は心が壊れてしまい大半の記憶を失った。
ふと浮かんできたオレとアイツ(アリス)の差、其処を彼に尋ねてみたくなったのだ。
「記憶が彼女が壊れ、お前は記憶が其のままと言う違いか?」
「そうだよ」
「複雑な物ほど壊れやすい、そして単純な物は壊れにくい。
タダそれだけだ」
「そっか……――自分も壊れて、アイツみたいに完全にあの時の記憶を忘れていたら良かったのにな……」
本心だった。
そうすれば、さっきみたいな焼けるような悔恨の思いに苦しめられることも無い。
記憶を失い何時かは殺される運命でも、其れまでは心静かに生きられると思ったからだ。
呟くように本音を溢すと小梨は足を止めた。
「貴様にはその権利は無いっ!」
刹那、その言葉を聞いた小梨は目尻を吊り上げ、目を見開き、青筋を立てた顔で怒りを露にしてはオレを壁に押し付ける。
何時ものクールな表情からは想像もつかない始めてみる態度だった。
「忘れると言う事は、お前に永遠に許されて居ない!!」
――ドン!
そして壁ドン、違う。
彼の殺意を丸出しにした、掌底が顔の横を掠める。
気が付けば、風圧で栗色の髪がふわり舞い上がっていた。
「ごめんなさい…」
余りの恐怖に涙を浮かべ青ざめながら謝罪する自分に向かい、
彼は人間を全否定するような恐ろしいほど冷たい視線を向け、感情の篭らない声で続ける。
「判ればいい……私にその先を言わせるな……」
小梨はいつの間にか身につけて居た黒い皮製の指貫グローブを優雅な所作で外すと、目を閉じ、
「ふぅ~」と息を深く吐きながら其れを床に無造作におとした。
「……らしくない…」
彼はそう言うと、座り込みながら頭を左右に激しくふる。
次の瞬間には小梨は何時ものクールな表情に戻りグローブを拾い上げていた。
オレはその様子を青ざめながら呆然と見つめていた。