ストーカー女のストーカー(4)◯昼休みの屋上◯
◯昼休みの屋上◯ Side:八切 キリヤ
昼休みの屋上。
普段は解放されていないドアを開いて、俺はそこにやって来た。
鍵のかかったドアを開いたのは、小山内という先生から条件付きで貰った屋上の鍵だ。
屋上に足を踏み入れると、念のために誰かいないかの確認をする。
もしも誰かがいた場合、そしてそれが小山内以外の先生だった場合、少しまずいことになるからだ。
立ち入り禁止の屋上に、俺という一般生徒が立ち入ったのが他先生にバレれたら、校則違反で咎められることは間違いない。
小山内から貰った屋上の鍵は没収され、生徒指導部からの長い長い説教と反省文という罰則が待っているだろう。
それは非常に面倒で、御免被るところだ。
しかし、そんな心配も杞憂に終わり、見渡してみても屋上には誰の姿も見当たらず、気配すらない。
「……」
誰もいないと分かったことで、安心してホッと息でも吐いて良いかも知れないが、そんな気にもならない。
すでに何十回とこの屋上に来ており、今まで一度も小山内以外の先生と鉢合わせしたことなんてないため、正直慣れてきってしまって感じるものがほとんどない。
初めの数回と比べれば、かなり警戒心が薄くなってしまった。
まあ、小山内のように屋上でタバコを吸って過ごそうとする酔狂な先生が他にいないことは、今までの経験上で分かっている。
そのため、警戒心が薄れてしまうのも仕方のないことだろう。
俺は静かにドアを閉めて、しっかりと鍵を閉めた。
空は晴天で、雲が僅かにある程度。
ピクニックには、最適な天気と言えるだろう。
先ほど購買で買ってきた昼食の入ったポリ袋をぶら下げて、適当なところを背にして腰を置く。
屋上は静かなもので、聞こえてくるのは風で揺れて鳴るポリ袋のガサガサ音や、階下から小さく聞こえてくる生徒の話し声や笑い声だけだ。
騒がしく人が多い教室と違い、屋上の静けさはとても心地よいと感じることできる。
屋上に来た目的は見ての通り、昼飯を食べに来ただけだ。
クラスメイトの麟太郎や一雄と一緒に食べる時もあるが、たまにはこういう静かな場所で昼食を食べたい時もある。
なのに……。
「呼ばれてないのにジャジャジャジャーン。キリヤくんだけのアイドル、空乃ひとみちゃん登場でぇーす!」
「……」
バーンと鍵を閉めたはずのドアを開いて飛び出てきたのは、『ストーカー女』こと空乃ひとみ。
俺はパンの袋を開けようとしていた手を止めて、ひとみを見る。
そして、「……呼ばれてないなら出てくんなよ」と俺は彼女に訴えた。
「もう、キリヤくんたら、い・け・ず なんだからぁ」
ひとみはそんなウザったらしいことを口にしながら、俺の隣に座ってくると、手に持っていた四角い何かを包んだ風呂敷を開きにかかる。
「なにさらりと隣に座ってんだ。もっと離れろよ、俺の視界に入らないくらい」
「えぇ、いいじゃん別に。せっかく二人っきりなんだから、一緒にお昼食べよ」
そう言って、俺の言葉を無視して風呂敷を開くひとみ。
その中身は、ピンク色の四角い弁当箱であった。
俺はそれ以上何も言わず――言っても聞かないから――ひとみを無視して、パンの袋を開く。
中身を取り出して食べ始めると、隣から「いただきまぁす」という声が聞こえてくる。
ストーカーなのに、お行儀のいいことで。
そんな感想を抱きながら、俺は構わずパンを食べ続ける。
「キリヤくんっていつも購買でその『ねじれパン』と『チョコケーキ』を買ってるけど、そんなに好きなの?」
「……」
「毎回同じってわけじゃないけど、大体そればっかり買ってるよね」
俺が一つのパンを食べ終わり、次に買ったものを手に取ったところで、ひとみが話しかけてきた。
無視しても良いんだが、無視し続けると面倒くさいことになる。
どうなるかというと、以前話しかけ続けてくるひとみを無視し続けた結果、目の前で実況付きの動画撮影をされるという迷惑行為を被った。
あれは本当に面倒だった。
なので、仕方なくひとみと会話をしようと思う。
「まぁ、美味いから買ってるわけだし、好きなんじゃない。安いのもあるけど」
俺は食べ終わった『ねじれパン』の袋と、今から食べようとしている『チョコレートケーキ』を見て答える。
それらがどんなものか簡単に説明すると、『ねじれパン』はクロワッサンが細長くねじれてできたパンであり、『チョコレートケーキ』はシンプルにできたチョコレートのカットケーキだ。
実に安直な名前でできた品々で、ちなみに値段は「ねじれパン』が五〇円で、『チョコレートケーキ』が一ニ〇円である。
なんでそんな事が気になったのか聞いてみると。
「特に他意はないよ、ただ気になっただけ。ほら、私キリヤくんのストーカーだから。キリヤくんのことなら、なんでも知りたいんだぁ」
と事無げに言うひとみ。
普通はストーカーがストーカーしている対象に、自分はあなたのストーカーですなんて発言はしないと思うんだが。
変わったストーカーである。
……いや、違うな。
そんなことを考えてすぐ、自分の間違えに気付く。
異常者に、普通も何もなかったということに。
「ん?」
俺がどうでもいいことを考えていると、目の前に黄色い物体がにょきと現れた。
それはよく見ると、断面が渦巻き模様をした玉子焼きである。
いきなり現れた玉子焼きであるが、当然その卵焼きは目の前に浮いているわけではなく、二本の箸に挟まれてそこにある。
「あーん ♪ 」
伸びた箸を辿ってそちらに視線を向けてみれば、ひとみがにこやかな顔で玉子焼きをこちらに差し出していた。
「……」
「あーん ♪ 」
訝しげな目を向けても、変わらずに玉子焼きを差し出してくるひとみ。
めげない女である。
俺は改めて、目の前の玉子焼きを見を向けてみた。
特に焦げ目もなく、形も崩れていない、綺麗な色をした立派な玉子焼きと言えるだろう。
普通に、美味しそうである。
おそらく、この玉子焼きはひとみの手作りなのだろう。
前に、弁当はいつも自分で作っているという自慢話をしていたので間違いないと思う。
それはいいとして、何故いきなりこちらに差し出してきたのかだ。
単に味の評価でもしてもらいたいのか、施しでもしたいのか、それとも……。
俺はもう一度、今度は確かめるように、ひとみの方に視線を向ける。
ひとみは先程と変わらず、ニコニコとした顔のままだ。
……こいつの場合、ただの『あーん』をしたいだけかもしれない。
俺は再度、玉子焼きを見る。
さて、どうするか。
「あーん ♪ 」
「……」
本当にめげない女だ。
ここまでくると、天晴れである。
そんなひとみのめげなさに免じた訳ではないが、俺は覚悟を決めて食べることにした。
目の前に突き出されている、玉子焼きを。
しかし、こいつが先程から口に出しているようなことは絶対にしない、したくない。
だから俺は、差し出されている玉子焼きをひとみの箸から奪い、自らの手で口の中に放り込み食べた。
すぐに飲み込むようなことはせず、十分に味わってから――変なものが入っていないか入念に確認しながら――喉に通す。
ひとみが作った甘めの玉子焼きは、弁当のおかずなので出来立てホヤホヤとはいかないまでも、その見た目に削ぐわず、冷めていても十分に美味しいと言えるものであった。
「どう? 美味しかった?」
「普通」
俺の味気ない答えに、ひとみは「そっかぁ」と言って、むふふと笑いながら満足そうである。
「随分と嬉しそうだな」
「だって嬉しいんだもん。『あーん』はできなかったけど、キリヤくんが私の料理を始めて食べてくれたんだからね。最悪突き返されるかと思ってたし」
ひとみはスマホを取り出すと、「今日は記念日だなぁ」と呟きながら、スマホになにやら打ち始める。
まあ打ってる内容は、いまの呟きからスマホのカレンダーかメモ帳にでもさっきのことを書きとめているのだろう。
こんなのが記念日になるとか、まったく理解ができない。
俺はチョコレートケーキが入った袋を手に取って、「食べ物に罪はないからな」と言いながら、袋を開きケーキを食べ始めた。
「その割には随分悩んでたみたいだけど」
「毒でも入ってたら嫌だなと思ってな」
「毒なんて入れるわけないよぉ。キリヤくんが死んじゃったら、私の生きる意味がなくなっちゃうもん」
「はいはい、ストーカー乙。別に毒じゃなくても睡眠薬ぐらいは入れそうだし。俺を眠らせたら『寝顔取り放題だー』とか考えながら」
「!?」
俺の言葉に、「その手が!?」とでも言いたそうな顔になるひとみ。
いらない知恵を与えてしまったかもしれない。
なので、釘はしっかりと刺しておく。
「マジでやったら、今までのストーカー行為全部警察にチクるからな」
「えぇ、やらないから大丈夫だよぉ」
とか言って、目を泳がせてるところが全然信用できない。
これからは、ひとみから差し出される食べ物はいつも以上に注意しようと、俺は頭のノートにメモしておいた。
・・・
昼食を食べ終わり、昼休みの時間はまだ三〇分以上も残っていた。
さて、残り時間をどう過ごそうかと考える。
昼食後の昼休みにいつもやることといえば――
・スマホでの読書
電子書店で購入したマンガや小説を読むか、小説投稿サイトから素人が自作したもので面白そうなものを探して読むか。
どちらをするかは、その時の気分次第だ。
・満たされた腹での昼寝
教室に戻り、自分の机の上で突っ伏しながらクラスメイト達の声をBGMにしての睡眠。
それか、教室までわざわざ戻らなくても、今自分のいるこの場所でも良い。
とても静かで、暖かい日差しと爽やかな風がたまに吹く、心地のよい屋上。
昼寝にはベストポジションと言っても過言でもない屋上で、昼寝するというのは至高の時間かもしれない。
想像したら、あくびが出てしまいそうだ。
・クラスメイトとの雑談
教室に戻って、麟太郎や一雄と各々がいま興味を持っていることについてや、テレビやSNSなどで話題が上がっていることについてなど、たわいもない会話で時間を潰すのも悪くない。
だけど、今の気分的には、会話よりも読書か昼寝をして過ごしたいかもしれない。
やっぱりここは……。
と、一人で昼休みの過ごし方を決めようしていると、「ねぇねぇ、キリヤくん」とひとみが話しかけてきた。
「ん?」
「来週の土曜日って何か予定ある?」
「来週の土曜日……」
何か予定があったか、思い出してみる。
運動部や文化部といった部活動などには所属してないし、
塾などの習い事もしていないので、俺の予定は基本すっかすかだ。
あってもバイトぐらいだが、来週の土曜日にバイトの依頼は入っていないし、入ってたとしても俺がやっているバイトは深夜に行うので何の問題にもならないと思う。
最近は『呼び出し』もないし、呼び出されるようなこともしていないため、そちらも大丈夫だろう。
というわけで、来週の土曜日は暇ではある。
「暇だけど。なんで?」
「デートしない?」
「………………は?」
ひとみからの急なデートのお誘いに、思考がフリーズしかけてしまった。
こいつはいきなり何を言い出すんだろうか。
「なんでお前とデートしないといけないんだよ?」
「えっとねぇ、私のバイト先の喫茶店でなんだけどぉ――」
と、何故そんなひょんなことを言い出したのか、その理由をひとみが説明してくる。
どうやら、彼女のバイト先である喫茶店でカップル限定のスイーツを売り出してるらしく、それを一緒に食べに行かないかというお誘いだったようだ。
「だったらデートなんて言わないで、普通にそう言って誘えばいいだろ?」
「何言ってるのキリヤくん。男子と女子で予定を決めて、一緒に遊ぶんならそれはもうデートなんだから、デートしよって誘うのが普通でしょ。それにカップル限定のスイーツを一緒に食べに行こうなんだから、デートしよって誘うのはむしろ当然のことだと思うけど」
「……」
気の所為だろうか、まるで「あたま大丈夫?」とでも言いそうな心配顔でひとみが俺のことを見ている気がする。
あたかも、俺の方が可笑しなことを言っているかのようである。
まさかそんな筈はない、と俺はスマホを取り出して『デート とは』と検索してみた。
検索結果は……。
「……」
「キリヤくん?」
黙ったままの俺に、声をかけてくるひとみ。
俺はなんの抑揚もなく、検索した結果を声に出す。
「デートとは、交際中または互いに恋愛的な展開を期待していて、日時や場所を決めて会うこと。 どちらか片方でも相手を完全な友達として認識している場合など、約束の段階で既に『恋愛的な展開を期待していたのは片方だけ』という場合、デートではないとされる」
「……」
「……」
スマホから顔を上げて、ひとみを見る。
ひとみも無言でこちらを見てくる。
そして、彼女はニコリと笑顔を見せると、おもむろにスマホを取り出して操作し始めた。
少しして、ひとみはスマホを見ながら楽しそうに話し始める。
「デートとは、男性と女性が、日付や時間、どこで何をするかなどを決めて行うこと、また、恋い慕う相手と日時を定めて会うことである」
「……」
「……」
スマホから顔を上げて、またニコリと笑顔を見せてくるひとみ。
ただ、先ほどと違って、ほんのわずか顔に赤みがあるように見える。
デートのお誘いは問題なかったくせに、さっきのセリフは恥ずかしかったのだろうか。
「……」
「……」
お互いに言葉を発さず、無言になって見つめ合う。
気の所為かもしれないが、時間が経つごとにひとみの顔の赤みが増しているようにも見える。
ストーカーにも、羞恥心というのがあるのだなぁ。
なんて感想を抱きつつ、限界が来るとどうなるのだろうかという意地の悪い考えが頭をよぎった。
しかし、そんな考えはすぐに霧散させる。
つい羞恥心を見せるひとみというのが珍しく、悪戯心というものが出てしまった。
そのことを心の中で反省して、彼女から目を逸らして口を開く。
「ま、考え方はヒトそれぞれだよな」
「……そう、だねぇ」
俺の言葉に、ぎこちなく相槌を打つひとみ。
そんな態度も珍しいものだ。
いつもの彼女は、浮ついているが地に足はしっかりと付けた態度で、たまにおどけて本気か冗談か分からないことを言い出したり、途端にはしゃぎ出して無断で俺をスマホで撮り始めたりと、ストーカーのくせにやけにフレンドリーに接してくる女だ。
だけど今日は珍しく、羞恥心で顔赤らめたり、ぎこちない相槌を打ったりと、いつもと違う。
だからだろうか、いつもとは違う態度に俺の気持ちも変わってくる。
ストーカーとのデートなんてする気は起きないが、友達と遊びに出かけるぐらいはしても良いかもしれない。
どうせ土曜日は暇なんだから、退屈凌ぎにちょうど良いだろう。
「その喫茶店ってどこでやってんの?」
「××駅の近くだけど……」
「じゃあ、来週の土曜日にその駅前に集合ってことで」
「え、いいの!?」
驚いた声を発するひとみ。
その反応に、驚きすぎだろと感じてしまう。
「驚きすぎじゃね?」
「だって、断られる流れなのかなぁって思ったから。それに、内心は断られちゃうかもって思いながら、当たって砕けろで誘ってたし」
「それじゃあ行くのやめるか。しっかりと砕けてくれ」
「い・や。土曜日が待ち遠しいなぁ」
俺の冗談を軽く笑顔で一蹴して、来たる土曜日に胸を高めるひとみ。
どうやら、いつもの調子に戻ってきたみたいである。
「時間はどうする?」
「うーん、……スイーツ食べるだけっていうのも味気ないし、その前に映画でも観たりなんて、どうかな? 駅近くに映画館あるし」
「いいけど、何か面白いやつやってたか?」
「えっとねぇ……」
軽やかにスマホを操作して、上映中の映画を調べ始めるひとみ。
幾つかの候補を口に出していき、あれはどうかこれはどうかと何の映画を見るか二人で決めていく。
そして、そろそろ昼休みの時間も終わりが近づき、来週の土曜日の予定も決まったところで解散しようとした時、大事なことを思い出して、「ひとみ」と名前を呼ぶ。
「なに?」
「土曜日だけど、しっかりと顔隠してこいよ。目立つんだから」
顔も隠さないまま待ち合わせ場所になんて来られたら、遊ぶどころではなくなってしまう。
朝の教室で見た光景が頭に思い浮かぶ。
ひとみが教室のドア前に来た途端、教室内にいた生徒の視線が一気に集中したあの光景。
もしも駅前であれが起きれば、視線の数は教室の比ではないだろう。
駅前に集まる衆人の視線がひとみに集まり、次いで側にいる俺にもその視線が集まってしまう筈だ。
しかも、その視線の中にひとみにお熱な奴らがいたら、それはまた大変面倒なことになってしまうのは、想像に難くない。
そんなことを俺が好まないということぐらいは、今までの付き合いでひとみも理解しているようで、ラジャーポーズを取って「がってんしょうち ♪ 」と返事をしてきた。
こうして忘れてはいけないことは伝え終えて、俺たちは別々に屋上を後にした。
誤字・脱字ありましたら、報告していただけると嬉しいです。