××男の一日(3)
「また出掛けるの?」
テレビの前を陣取って、画面を独占していたユウノが問いかけてくる。
もっとテレビの前から離れて見ないと目が悪くなるぞと注意したくなるような光景だが、ユウノにはもう縁のないことだ。
「ああ」
「いってらっしゃーい」
朝と変わらない見送りの言葉を受けながら、俺は部屋を出た。
夜の帳が下りた町。
明るく陽気な昼間とは一変し、暗く物静かな夜。
俺は昼間以上にカツン、カツンという音がやけに響くアパートの鉄骨階段を降りて道路に出た。
街灯に照らされて、ぼんやり暗く何処か危うい雰囲気を漂わせている道路。
実際、見通しが悪く人通りがほとんどない夜に出歩くというのは、危ういものだろう。
この町では特に。
そんな穏やかでないこの町の夜を、俺は歩き廻る。
一人、ひっそりと、目的なく。
そんな夜廻りを日課とまではいかないが、ほぼ毎日行なっていた。
通常こんな時間に、学生が一人で歩いているところを警官などに見られれば、補導されること間違いなしだ。
そこのところは一応注意しているので、今まで補導されたことは一回もない。
今後もそれをキープするつもりだ。
まあ、警官のパトロールは通常パトカーで行われるため、遠目でもすぐ気付くことができる。
よっぽど注意力散漫になっていなければ、補導されることなんてないんだけど。
そんなことを考えていれば、前方からこちらに向かって歩いてくる人影が目に入ってくる。
約100m。
その人影が少しずつ近づいてくると、ガラガラガラとキャスター付きのバックを引く時のような音が聞こえてきた。
ガラガラガラという音は、物静かな夜によく響いている。
あと40秒。
俺と小さな人影の距離がある程度近づいてきたところで、そいつが自分の体半分ぐらいの大きな箱を押して運んでいるのが確認できた。
顔はまだ確認できず、相手が男か女かも分からない。
残り10歩。
そいつと俺が相対するまでの距離。
その相対する場所には、まるで用意されてたかのように街灯が設置されており、スポットライトのようにその場所を照らしていた。
0。
俺とそいつが同時に街灯の光に照らされて、その顔が露わになる。
「……こんばんは」
「こんばんは」
頭の上でリボンを揺らす相手が挨拶をしてきたので返事を返し、同時に立ち止まったので俺も立ち止まる。
人影の正体は朝にも会った、『ゴミ拾い女』こと夢島チリノだった。
そしてチリノが持っている大きな箱は、人一人が入れそうなぐらいのサイズがあるキャスター付きのゴミ箱であった。
こんな時間にそんなものを持って、女の子が一人何をしているのか?
普通の人なら、そんな疑問が湧いて出てくるだろう。
だが、俺はチリノが今何をしているのか知っているため、そんな疑問も湧いてこない。
それは朝と変わらない、ただのゴミ拾い。
ただ朝とはまた違う、夜のゴミ拾い。
「今日も頼まれたのか? お前も大変だな」
「……もう慣れた」
「そうかい。そんで中身は?」
「……ある」
「……」
俺はチリノが持つゴミ箱を見ながら、その中に入っているだろうゴミを想像しようとして、止めておく。
想像しても意味がないし、どうでもいいことだ。
「ヘルプは?」
「……大丈夫」
「そうかい。じゃ、気をつけろよ」
「……うん」
そう言って俺は止めていた歩みを進め、チリノの横を通り過ぎようとする。
瞬間、俺にしか聞こえないぐらいの小さな声で彼女が呟いた。
「……つけられてるよ?」
「……」
俺は足を止めずに、そのまま歩き続ける。
少しすると後ろの方からガラガラガラという音が聞こえ出し、やがて消えていった。
×××
チリノに出会う前の物静かな夜に戻り、俺は夜廻りを再開する。
右へ左へ時にはまっすぐ、目的がない歩みは規則性がなく、迷いもない。
踏切を渡ろうとしたところで、設置されている警報機がカンカンカンと鳴り出し、丸く赤い光が点滅しだす。
俺は構わず進んで踏切を渡りきり、後ろを振り向くと黒と黄色の縞模様の遮断棒があちらとこちらの道を遮断した。
そのまま立ち止まり、踏切の向こうにある自分が通ってきた道を眺める。
そこには人影の一つも見当たらず、本当にただの道があるだけだ。
左の方からけたたましい音が聞こえてくると、すぐ目の前にその音の発生源である鉄の塊が横切って行く。
俺はそんなものには目もくれず、電車の側面で見えない向こう側の道をひたすら見ていた。
電車は踏切を越え、視界が開ける。
けたたましい音が遠ざかって行く。
そして、先ほどまで誰もいなかった踏切の向こうには、一人の少女が立っていた。
「あらら、バレちゃった」
ゆるふわパーマヘアの少女はそう言うと、軽い足取りで踏切を渡ってくる。
「いつから気付いていたのかな? 今日はいつも以上に気を付けてついてきてたのに」
「いつもいつもついてくんなよ、ひとみ」
「い・や ♪ 」
「……」
こいつの名前は空乃ひとみ。
俺と同じ高校に通う女であり、学校ではそれなりの有名な人物。
そして俺に付き纏う、『ストーカー女』だ。
「だって、私の生き甲斐なんだもん。やめられないよ」
「こんな時間に歩いてたら危ないぞ。一応女の子だろ」
「心配してくれるんだ。嬉しいなぁ」
「帰れって言ってんだよ」
「じゃあ家まで送って ♪ 」
「ふざけんな」
俺はそう言い放ちひとみと別れようとするが、当然のようにストーカー女は俺の横に並びついてくる。
どうせ言っても聞かないためもう何も言わないが、嫌みぐらい吐く。
「……この異常女が」
「ひっどーい。私はいたって普通の女の子だよ」
「自分で気付いてない時点で異常だ」
「……」
ひとみが異論があると言いたそうな顔をして俺の方を見ると、一変、納得したように「そうだね」とニコリ顔で言った。
まるで俺の言い放った言葉のいい例が、俺自身であるかのように。
「おい、言っとくが、俺は普通のどこにでもいる男子高校生だぞ」
「そうかな?」
「そうだよ」
「でも普通のどこでもいる高校生は、こんな夜道を一人で徘徊なんてしないと思うんだけど」
「探せばそんな高校生もいるだろ」
「それに、普通の人はそんな目をしてないと思うけどなぁ」
「一体どんな目をしてるって言うんだよ」
俺が問うと、ひとみは急に目の前に立ち塞がって来たので、俺は足を止めた。
そして、彼女まるでキスを迫るかのように至近距離まで顔を近づけてくる。
同時に女特有の甘い香りが、俺の鼻腔をくすぐる。
「どんな人に会っても、どんな事が遭っても、何を見ても、何を知っても、何の感情も映さない。まるで死んでいるような、そんな目」
俺の目を見て頬を染め、酔いしれるように話すひとみにうんざりとする。
「離れろストーカー」
「キスしていい?」
「殺すぞ」
俺はデッカい虫を払うかのように腕を振ると、ひとみはそれを華麗な後ろステップで躱した。
「じゃあ私こっちだから、ここでお別れだね」
「清々するわ」
「じゃあね、八切キリヤくん。また学校でね」
そう言って、ひとみは自らが指差した道に消えていった。
残ったのは静寂と暗闇、そして俺だけ。
ふと、何かが聞こえたような気がした俺は、後ろを振り向いた。
しかし、後ろにあるのは同じ静寂と暗闇だけである。
俺は気の所為であると結論づけて、帰途につくことにした。
こんな一日が、俺の日常である。
××男の一日 (終わり)




