××男の一日(1)
◯××男の一日◯ Side:???
「おにいさーん」
呼んでる。
「おにいさーん」
すぐそこから声がする。
「おにいさーん」
……うるさい。
「おにいさーん」
…………。
「おにい――」
「うるさい」
閉じていた目を開くと、目の前に小学生くらいのショートヘアの女の子が俺を見ていた。
「やっと起きた」
「……」
「ん?……ふぎゃっ」
俺は無言で寝ていた身体を起こし、おもむろに目の前の鼻を摘むと、悲鳴をあがる。
「うるさいんだよ、いつもいつも。起こさなくてもいいって言ってんだろ、ユウノ」
「いいじゃんべつに~」
俺が鼻を摘んでいるせいで、文字通り鼻がつまった声をユウノが出す。
そのままユウノの鼻を弄り、心地良かった安眠を妨害されたささやかな恨みを晴らしていると、「ふんっ」という声と共に俺の指から鼻が離れる。
俺はユウノの鼻を摘んでいた指の力を弱めてはいない。
なのに、無理矢理逃れたような抵抗感もくなく、ユウノの鼻は離れて行った。
まるでそこにあったものが、触れていたものが、途端に空気にでもなったかのような変な感覚だけが指に残っている。
「おにいさんの為にしたことなのに、感謝されるはずが何で怒られる?」
「ありがた迷惑って言葉を学べ」
「わたし小学生だから難しい言葉わかんないよ〜」
とぼけた顔をしているユウノにイラっとした俺は、その顔めがけて枕を投げつける。
そして、投げた枕はユウノの顔に当たるはずが、そのまま彼女の顔をすき抜けて後ろの壁に衝突した。
なにも知らない奴が見たら、仰天ものだろうという光景に、俺は動じない。
そうなることを分かっていたし、そうなる理由も分かっている。
だってこいつは、幽霊なのだから。
ユウノは俺が住むアパートの201号室の元住人であり、この部屋で殺された女の子だ。
誰に殺されたか分からない、何故殺されたのか分からない、何故幽霊になっているのか分からない。
分からないことだらけの『幽霊女』。
そんな本人は何が面白かったのか、「はずれー」と言ってキャッキャっと楽しそうに笑っている。
幽霊だというのに、幽霊とは思えないほど生き生きとしている。
何でこいつはこんなに楽しそうなのか。
意味が分からない。
俺はユウノを無視して、学校に行くための身支度を始めることにした。
顔を洗い、朝飯を済ませ、制服を着用し、いざ家を出ようとした所で、床に置いて充電させていたスマホがなくなっていることに気付く。
元々そこにはなかったのを勘違いしているとか、どこか別の場所に置いたのを忘れているとか、そんな朝ボケのようなことはない。
さっきまで確かにそこにあったことを俺は覚えている。
なら、何故床にあるはずのスマホがないのか。
俺はスマホがなくなった原因だろう相手に目を向ける。
その相手はニコニコとした笑顔でこちらを見ていた。
「……」
「さぁ、どこ行っちゃったんだろうね。おにいさんの携帯」
こちらはまだ何も言っていないのに対して、ユウノは言われることを分かっていたかのように返す。
明らかに自分がやったことを隠そうとしていない。
まあ、いつものことなのでユウノがやったことに驚きや疑問もないけれど。
ただ、いつもいつも面倒なだけだ。
子供だからか幽霊だからかなのかは知らないが、ユウノは大の悪戯好きで、今の俺のように誰かを困らせるようなことがよくある。
別にユウノが悪戯好きなことにとやかく言うつもりはないし、どこかの誰かを困らせるようなことをしていてもどうでもいいが、俺に悪戯を仕掛けるのだけは頼むからやめて欲しい。
そのことを何度も伝えてはいるが、ユウノは聞く耳を持とうとはしてくれない。
いつかはやめさせるつもりだが、取り敢えず今はいい。
さっさとスマホを探し出そう。
周りを確認してみるが、目に見える範囲にスマホは見つからない。
そんな簡単に見つかるような場所に隠している訳がないとは思いつつも、一応の確認である。
おそらく、いつも通り棚の隙間やら本の裏など、パッと見るだけでは分からないような所に隠してあるのだろう。
あまり面倒な所に隠されていると、探すのに時間が掛かり学校に遅刻してしまう可能性があるのだが、そこら辺はユウノも分かっていると思うため、見つけやすい所には隠していると思う。
そこまで考えた所で俺はスマホを探し始める前に、まず自分が身支度している最中にユウノが何処にいたかを思い出す。
そして、ユウノの今の立ち位置を確認して、スマホが隠れてそうな場所を探し始めた。
数分後。
スマホは無事、畳んだ布団の隙間から見つかった。
隠したスマホを見つけられたユウノは、「見つかっちゃった」と嬉しそうに笑っていた。
×××
習慣付いた流れで俺は201号室の部屋を出ると、ドアの鍵を閉める。
部屋を出る際に中から「いってらしゃーい」という声が聞こえたが、いつも通り無視だ。
「……おはよう」
挨拶を掛けられた方を振り向くと、そこにはミディアムヘアにうさ耳リボンが特徴的な女の子が立っていた。
彼女は俺が住むアパートの202号室の住人。
つまり、俺の部屋の隣に住む隣人。
そして、俺と同じ高校に通う女子高生。
夢島チリノ、それが彼女の名前だ。
俺は「おはよう」と挨拶を返すと、それ以上は言葉を交わすことなく歩き出す。
カツン、カツンと音を出すアパートの鉄骨階段を降り、道路に出て学校に向かう。
その間の会話は一切ないが、お互い気不味いなどとも感じない。
これがいつも通りだからだ。
俺とチリノはほとんど毎日、学校に行く際は一緒に登校している。
何故一緒に登校しているのかというと、その理由は隣人だから、同じ通学路だからと簡単に並べ立てることができるが、それだけではない。
ちなみに、間違っても俺とチリノが彼氏彼女の関係だからと言う理由ではないことを初めに伝えておく。
また、一緒に登校することになった理由には、互いに互いの希望があった訳でもないということも。
きっかけは昨年、俺とチリノが高校一年生の時。
彼女の遅刻・無断欠席が続き、出席日数がギリギリに陥ったからだ。
別にチリノは不良でも不真面目な人間でもない。
どちらかと言えば真面目な人間だ。
そんな彼女が出席日数がギリギリに陥るまで、遅刻・無断欠席を続けてしまった理由というと……
「……あ」
チリノが何かを見つけたような声を漏らし、足を止めた。
その目が見る先には、一つの空き缶が路上に転がっている。
別に思わず声を漏らしてしまうような光景でもなければ、足を止めてしまうような光景でもない。
だが、彼女にとってはそれほどの光景だったらしい。
チリノはそのゴミの方へ駆け足で向かうと、それを拾い上げて近くにある自販機の横にあったゴミ箱に入れた。
『ゴミをゴミ箱に』
これをモットーとするチリノは、たとえ自分が出したゴミでなくとも、ゴミを見ればゴミ箱に入れないと気が済まない『ゴミ拾い女』なのだ。
だからなのか、チリノはいつでもどこでもゴミを拾い集めることができるように軍手・黒いゴミ袋・トングを常に持ち歩いている。
いつの間にかそれらの装備を万端にしたチリノが、また落ちているゴミを見つけてそれを拾いに行く。
いつものことなので特別気にかけることではないのだが、唯一気にかけなければいけないことが今はある。
「さっさと済ませろよ。また遅刻するぞ」
「……うん」
そう、こいつはいつもゴミ拾いに夢中になってしまい、自分が登校中だということを忘れてしまう。
これが、昨年チリノが遅刻・無断欠席を続けてしまった理由だ。
そして、俺がチリノと一緒に登校している理由は、彼女のクラス担任にこれ以上遅刻・無断欠席をチリノがしないよう、一緒に登校して欲しいと懇願されたからである。
何故俺なのかとチリノのクラス担任に聞けば、俺とチリノに面識があり、住むところが同じアパートであるからだという至極真っ当な理由であった。
むしろ俺に白羽の矢が立つのは、当然というものだ。
初めは面倒だから嫌だと断ったが、このまま遅刻・無断欠席をチリノが繰り返してしまうと進級できなくなってしまうという話を聞き、仕方なく了承した。
もちろん無償奉仕などということはなく、きちんと対価は貰ってだ。
これが俺がチリノと一緒に学校へ登校することになった経緯である。
またゴミが落ちているのを見つけたのか、駆け足でそれを拾いに行くチリノを見て俺は考える。
いっそゴミが目に入らぬよう、目隠しでもさせて連れて行くべきか、と。
当然、そんなことをすれば周りから奇異の目にさらされ、目隠ししたチリノを連れ歩く俺は変人扱いされるだろう。
最悪、警察を呼ばれて補導される可能性もあり得る。
他にチリノのゴミ拾いを防ぐ案はないかと少し考えてみるが、結局妙案などを思い浮かぶことはなく、俺はこの後の通学路にゴミが落ちていないことを願うしかなかった。
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