遠き遠き、未来にて 終
「この勝利はまさに、君達、赤の女神達の活躍のおかげだ。あの残虐な魔術師共の支配もこれで終わり……新たな時代の幕開けだろう。エリシア隊長、望むものを言ってくれ。君は英雄だ」
世界を千年支配した、悪しき大帝国クラインメールへの勝利。
その皇都アルベナリアで開かれるのは、戦勝を祝う煌びやかな宴。
『赤の女神達』の隊長として、赤毛を束ねた軍装の麗人――エリシアもまたそこに招かれていた。
「速やかな治安回復を。……各地で無差別に行なわれている魔術師狩りはただの虐殺です。大義名分を振りかざし弱者を虐げる今の我々に、果たして何の正義がありましょうか」
浮かれる権力者達に、顰蹙ものの冷や水を。
空気が静まりかえり、それが何とも心地よかった。
その言葉で何かが変わると思った訳でもない。
政治的権力もない小娘が喚いたところで何の意味もなく、単なる子供じみた憂さ晴らし。
疲れているようだ、と形ばかりの謝罪をしながら宴を後に。
その足で向かうはジャレィア=ガシェアの保管庫だった。
「隊長……」
「下らん宴だった。……少し一人にしてくれ」
「……はい」
そこにいた隊員の一人に口にして、向かって歩くはその内の一機。
台の上に寝転がる、鋼の巨兵。
大きな瞳を模したその頭部には赤く塗られた角の装飾。
連合が鹵獲した最初の一機――赤角と呼ばれるオリジナル。
別働隊の手で送信機と共に確保され、その後はエリシア達が運用するジャレィア=ガシェアとして、終戦まで大した傷なく戦った。
退路を赤角に先回りさせ、あるいは指示者を殺させて、エリシア達がジャレィア=ガシェアを鹵獲する。
基本方針は最初から最後まで変わらず、エリシア達の存在があちらに知られ、狙われるようになってからはその護衛として。
赤の女神達には最後まで、一人の死者も出なかった。
赤い髪に仇なす全てを、たった一機で殺し尽くした。
音よりも速い魔導投射機を回避し、瞬きの間に十数人を斬り殺す狂った化け物。
大昔にはこんな怪物を剣や槍の一本で相手取る者がいたとも聞くが、そんな者がいれば人間ではあるまい。
これに致命的な弱点がなければ、更に千年、帝国は続いただろう。
頭部の装甲を開くと、内側に入ったコアを手に取った。
内側で踊り狂うような無数の刻印。
この世の誰にも理解が出来ない、初代アルベリネアの魔水晶。
台に腰掛け、掲げるようにして目を細める。
「綺麗だな、お前は」
これが人を殺すために作られたものだとは、思えぬほどに美しい。
宝石の中で青き刻印が揺らいでは現れ、弧を描いて迸り、まるで生きているかのようだった。
戦場に在るよりも、芸術品として飾られる方が相応しい代物だろう。
クラインメールの圧政が原因で、弟は飢えて死んだ。
エレインの国は彼らに従属していたが、いずれは他の国同様、反旗を翻すと確信し、復讐のために十五の頃、軍に入った。
何かを恨むのは簡単で良い。
当時エレインに見えていたものは悪しきクラインメールとそれに立ち向かう正義の連合――全てが善悪で二極化されたシンプルな世界観。
自分達が正義なのだと思えることほど幸せなことはないだろう。
事実クラインメールは非道を行なった。
民間人を巻き込む破壊兵器の運用と虐殺、捕虜の不当な処刑。
ほとんどの国を敵に回した後はもはや聖霊協約も形骸化し、なりふり構わず。
他国の人間は皆彼らを憎悪したし、そして指導者達は憎悪を煽り、人々を戦場へ。
エレインが戦争に参加した頃には、大陸は憎悪と恐怖に満ちていた。
正義が揺らいだのは、降伏を呼びかけた敵小隊が集団自殺をした時だ。
その頃には連合軍による捕虜の私刑もあちこちで起きていて、嬲り殺しにされることを彼らは恐れたのだろう。
恐怖を浮かべ、目の前で吹き飛んだ彼らの顔をよく覚えている。
『連合に捕まれば嬲り殺しにされる』
『魔術師であれば、その末路は尚のこと悲惨だ』
彼らの間ではそういう風に教えられているのだと、その時知った。
ああ彼らも人間なのだ、と当然のことを思い出した。
皆が皆、国の方針に賛成していた訳でもないだろう。
ただそこで生まれて育っただけ。
そして戦いが始まれば、大切なもののために戦わねばならないこともある。
クラインメールは魔導兵器の存在で優位に立ったが、連合と比べれば人口という点で圧倒的に下回ったし、ゆとりもない。
多くは戦わされている者達だった。
正義という大義名分で戦うこちらと、恐怖に煽られ戦うあちら。
多くを支配し圧政を敷き、憎悪された祖国が滅べばどうなるか。
彼らは皆それを察していたし――事実、そうなった。
「我々とは大違いだ。お前のように純粋ではない」
見ないようにして、部下達のために戦うことにした。
お互いに大切なものを守るために戦うだけ。
正義という建前の代わりとしては十分で、数年を戦い抜く内に出世を重ね、300人の部下が出来た。
全員で夜明けを見ようと口にしていた頃、現れたのはたった一機のオリジナル。
赤い角のジャレィア=ガシェア。
噂には聞いていた。そこは帰らずの森なのだと。
侮ったつもりも、油断したつもりもなかったが、その言葉の意味を知ったのは、守るべき全てを失った後のことだった。
クラインメールの正面戦闘能力は圧倒的。
魔導兵器による火力優越、死を恐れぬ鉄機兵達――連合は常に数倍以上の数的優位にありながら、鉄板に落としたバターのように多くの命が溶けては消えた。
千年続いた魔導帝国――戦乱の時代は遠い昔。
数でどうにかなると楽観していた連合は、緒戦の大敗に頭を悩ませ過去に目を。
同じく千年前に、かのアルベリネアと共に戦場を駆けたエルーガ=ファレンが提唱した、小集団による散兵戦術と襲撃戦をベースに戦略そのものを変えた。
数の利を活かし、犠牲を前提にした浸透と後方攪乱。
徹底的に正面戦闘を避けるこの戦い方にクラインメールは後退せざるを得なかったが、そこで猛威を振るったのはオリジナルと呼ばれるジャレィア=ガシェア。
アルベリネア自らの手で生み出された、常軌を逸した殺戮兵器。
決して無敵の兵器ではない。
火力集中を前提に、撃破記録は存在していた。
しかしその前提となる火力を手放した小集団では為す術もない化け物だった。
その恐ろしさは嫌と言うほど聞かされていたし、相応の訓練は積んだ。
遭遇した際のことを考え、犠牲を前提に戦術を練り、捨て身の囮を使っての火力集中が必要不可欠であると部下達に繰り返した。
いかに強力無比でも所詮は機械。
無差別に人を殺すだけならば、誰かが犠牲になりさえすれば何とかなる。
部下達は皆、その犠牲となる覚悟を持った素晴らしい軍人達で、そんな彼らの隊長であることがエレインの誇りであった。
ただ、結果として――エレインの誇りであった部下達は一人残らず殺された。
襲撃は夜、野営の最中。
ジャレィア=ガシェアは夜の暗闇をものともしない。
襲撃が聞こえた瞬間、照明用の魔灯を周囲にばら撒かせ視界を確保。
遭遇しない幸運に賭けることはせず、狩るつもりで構えていた。
可能な限りの最善を尽くして構えたし、兵の練度も含め、オリジナルとの遭遇という意味では最上の状況だっただろう。
連携を取れば必ず討てると考えたが、考え違いは一つ。
無差別に敵を殺戮するなどと、アルベリネアのオリジナルはそんな可愛らしい兵器ではなかった。
優先的に、声を張り上げ指揮する者が殺された。
誘導に掛からず包囲を避け、圧倒的な機動性という利点を活かして攪乱した。
圧倒的な戦闘力を手にしながら過信もせず、照明を砕き、木々に隠れ、藪の中に身を潜ませ、精鋭達に同士討ちさえ誘発させた。
拓けた場所へ兵を固めた際には、既に半数以上の部下が失われていた。
全身に部下達の血を浴びた赤角が、エレインの前に姿を現わしたのはその時。
右腕に板のような分厚い剣を持ち、左腕に魔導投射機。
瞳のようなバイザーの内側で、青い光が明滅する。
月明かりの下――巨人はそのまま、集まった部下達を殺していった。
エレインも部下も決死の抵抗をしたが、それは一方的な殺戮だった。
部下達の死体の中に、エレインだけが生きたままで残された。
何故殺さないと吠えながら、立つことも出来なくなったエレインを無視するように、仕事は終わったと言わんばかりに踵を返して。
――目の前にあるこれが、ただの兵器であれば良かったと思う。
例えばアルベリネアという異常者が生み出した殺戮兵器で、人を殺すためだけに生み出された邪悪な存在なのだと、そう思い込めれば幸せだった。
けれどそうではない。
これもまた、エレインや部下達と同じく、大切なものを守るために生み出されたもので、使用人への確かな愛が、その内側に封じ込められていた。
この刻印に宿る美しさは、まさにアルベリネアの愛なのだろう。
「……あなたのように、純粋ではない」
いつからか、人々が歪んだだけだった。
アルベリネアは大陸に平和をもたらし、その遺産を受け継いだエルゲインスト=ラミルは千年続く平和をこの世界に築いてみせた。
始まりはきっと、どこまでも優しい願いから。
誰もがそれを、忘れただけだ。
この美しい魔水晶を、飾り物に出来なかっただけのことだ。
エレインの部下達を殺し尽くし、エレインの部下達を守り抜いた。
愚かな戦争を終わらせた。
しかしそれに懲りずに人々は、新たな弱者を虐げる。
そうやって、人の世界は繰り返すのだろう。
この魔水晶に込められた、千年も前の優しい祈りを忘れ去り。
「……それでもわたしは諦めてはいない。人々はいつか、繰り返される愚かさを学び、改めると信じている。そう願うのはわたし一人ではないし、百年の先、千年の先……あるいは何万年という先に、そういう時代は必ずいつか、訪れる」
エレインは静かに微笑んだ。
「わたしの力は微々たるものだが、腐って嘆く人生などは望まない。……わたしは褒美にお前を願おうと思う。お前はわたしを側で見張り、見届けてくれ」
そして目を閉じ、コアを額に押し付ける。
「わたしの言葉が、嘘にならないように」
――そういう祈りをお前に込める、と声なき声で口にした。
しばらくそうして、ゆっくりと目を開き、魔水晶を優しく撫でる。
「今は眠れ、赤角よ。……そしていつか目覚めるといい」
宝石の美しさを目に宿し、記憶の中に留めるように。
「優しい祈りの込められた、お前に相応しいそんな世界で」
しばらくして、見舞いに現れたのは二人の女性。
「……セナさんさぁ」
「……何か?」
「いや、セナさんっぽいけどね……」
小じわが増え、白髪の交じったサリアは呆れたように首を振り、嘆息する。
隣のミリも呆れ果てたように言葉を失っていた。
「すまない。僕がちゃんと確認しておくべきだった」
「い、いえ、博士のせいではないかと……普通生きてると思いませんし……」
太古の昔――アルベランがあった頃。
天変の大法、と呼ばれるもので星はアルベリネアの魔法に包まれた。
神話とされていたものだが、事実であったらしく、今もこの星はアルベリネアの魔法に包まれており、これに関して何度か微妙な変化があったらしい。
スリープ状態にあっても、彼女はエーテルの動きを非常に高い精度で感じ取る。
セナであっても全貌を把握出来ない高度な魔法であるそうだが、それが変化すれば把握は出来るらしく、クラインメール時代は度々変化が。
次第に頻度は減っていったが、直近ではミナルシ来訪から五十七年後に同様の変化を観測しているという。
アルベリネアの魔法に干渉出来るのは、本人あるいはアルベラン女王クレシェンタ以外になく、何かしらの修正と彼女は判断しているらしい。
つまり、一万年を超えてどこかでごく普通に暮らしている、と彼女は考えているそうだった。
というか、とサリアはセナの両肩を掴む。
「よく考えなくてもアルベリネア出没の都市伝説、セナさんに話したよね? あっちこっちでそういう話があるって! ……なんでその時言わなかったの?」
「……? そういう話がある、とは聞きましたが……質問内容は『もしもマスターに会えたとして、どんなことを話したい?』でしたので」
セナは不思議そうに首を傾げた。
「マスターの生存に関する質問は一度も受けていないはずですが」
「本当融通利かないね、セナさん……」
はぁ、と深々嘆息し、首を振る。
「消えた女王とアルベリネアについての解釈聞いたとき、もっと突っ込んで聞いておけば良かったよ……変に気を使うんじゃなかった」
女王とアルベリネアの最期は大きく二つの説に分けられる。
姉妹で殺し合い、共倒れしたという説と、どこかに旅立ったという説。
後者の方が主流であり、セナも同様の解釈をしてはいた。
「自分の生みの親が姉妹で殺し合ったなんて思いたくないよね、とか思って、馬鹿な質問してごめん、とかついつい謝っちゃったけど……よく考えると即答だったもんね。何当たり前の事を聞いてるんだ、くらいの顔してさ」
「ま、まぁまぁサリアちゃん……悪かったのは僕の方だ」
そんな二人の様子を眺めつつ、セナは優雅に紅茶を飲み始める。
まるで他人事というべき落ち着いた様子の彼女を見て、ミリは呆れた。
「セナさんってすごいよね……」
セナは不思議そうな顔で首を傾げ、ありがとうございます、と口にした。
よく分からないが褒められている、とでも思ったのだろう。
大昔の人物で、行方不明という終わり。
今も生きていれば云々、などというほど最近の人物ではなかったし、死んだ人、なんてわざわざ明言する必要性もどこにもない。
千年どころか一万年も前の話である。
誰もが歴史上の人物としてアルベリネアについては触れていた。
普通であれば気付いても良さそうなところだが、融通の利かないセナである。
亡くなった方、というドーグル達が言外に滲ませた言及に対して特に疑問も持たず、平然とそれを聞き流していたのだろう。
太古の偉人という表現は真であるし、表舞台を離れたという意味で、今はいない人というのも真である。
「……ともかく、アルベリネアは今なお生きていて、都市伝説は本当。今もこの世界のどこかで暮らしている……そういうことでいいの?」
嘆息しながら確認するサリアに、セナは少し考え込み、頷いた。
「そうですね……その都市伝説の真偽を確かめる術はありませんが、マスター達であったとして特に疑問はありません。身につけておられるというエプロンドレスに関して、マスターは非常に素晴らしい衣装として評価されています」
自分の身につけるエプロンドレスを示し、どことなく満足そうに告げる。
「わたしもセナさんがそう言うなら信じるけど……博士はどうですか?」
「にわかには信じられない話だけれどね。一万年を超えて生きているというのは想像を絶するというか……」
「で、ですよね……」
ミリが同意を示すと、サリアが言った。
「案外慣れるもんじゃないかな。振り返ってみればあっという間だった気もするし……ミリだって今じゃ、一年なんてあっという間じゃない? 子供の頃はあんなに長く感じたのに」
「まぁ、そうかもだけど」
「それに生きた見本がここにもいる訳だし……セナさんはどう? 博士と出会ってからの数十年はどう感じた?」
問われたセナは眉を顰め、答えた。
「どう感じた……と言われれば、六十二年として感じましたが」
「ほら、こんな感じだし」
サリアは苦笑した。
「アルベリネアの都市伝説……山の頂上でキャンプをしてただとか、大海原でイカダに乗ってキャンプしてただとか、無人島でキャンプしてただとか、森の奥地でキャンプしてただとか、やたらとキャンプしてる話が多いんだけど……事実だとしたら、案外気にもしてないんじゃないかな、多分」
アルベリネアの都市伝説――エプロンドレスの不思議な客が来た、という内容で語られる不思議な話。
概ね二人から七人、多くはエプロンドレスを身につけた古風な出で立ち、女性ばかりの集団で、エーテル変異した巨大な虎、翠虎を時折連れている。
あからさまに不自然な一行にも関わらず、誰一人疑問に思わない。
後で店主がおかしな客だったと振り返り、監視カメラを確認すれば、何故か記録が残っていない。
遡れば似た話は大昔――クラインメールの時代からあるそうで、同様に不思議な客がいただとか、それらしい旅の楽団がいただとか、長い年月で多岐に渡る。
最も多いのは極地で彼女達に助けられたという話だろう。
千年ほど前にも、事故で故障し漂流していた宇宙船の乗組員が、謎の宇宙船(何故宇宙航行出来るか分からない見た目であったらしい)と遭遇したという話もあった。
本人は極限状態の幻覚として語ったが、エプロンドレスの少女が宇宙空間に身一つで現れ、気付いた時には船の故障が直っていたという。
宇宙も含めたあらゆる場所で語られる伝承。
それなりに有名な話である。
内容的にも荒唐無稽、極限状態の無意識にそういう噂話を思い出して幻覚を見た、と考える方が自然なのだが、今も彼女達はこの世界を見守っている、と信じている者も少なからず存在していた。
サリアもそれを心から信じていた訳ではないが、とはいえ、他ならぬセナの言葉を聞く限り、それらの一部は概ね事実なのだろう。
「まぁ何にせよ、考えるなら楽しい方がいい。セナさんはアルベリネア……マスターに会ってみたい?」
「わたしの疑問の解消という意味では、最も適当と考えます。ですが……」
問われたセナは、ドーグルを見つめた。
「わたしが答えを見つける手助けをすると仰った、イガグリ博士のご厚意に背くことになるのではないかと」
「……セナ」
ドーグルは思わぬ言葉に目を見開いた。
それから少し考え込み、もしかして、と彼は尋ねる。
「君が……生きているはずのアルベリネアを、探しに行こうとしなかった理由は、僕がそう言ったからかい?」
「はい、それも理由の一つです。わたしが解決出来る疑問であるならば、マスターに回答を与えてもらう必要はないと判断しています」
セナはじっとドーグルを見つめ、続けた。
「それにイガグリ博士に対し、わたしはまだお返しを出来ていません。マスターとの再会以上に、お返しを優先すべきであると判断しました」
――何か疑問が? と尋ねるセナをドーグルは見つめ、唖然と。
それから込み上げるものを堪えるように目頭を押さえ、首を振る。
「いいや。……ありがとう」
「博士……」
聞いていたミリとサリアはそんなドーグルを見つめ、微笑む。
ドーグルは彼女に何かを求めていた訳ではなかった。
最初から最後まで自己満足のつもりで、彼女を手伝うことを決めただけ。
感謝も何も求めていない。
「君は十分過ぎるくらいに返してくれているよ、セナ」
妻と娘を失って、絶望に打ちひしがれた。
死にたい以外の言葉がなくなって、けれどそんなドーグルを案じ、声を掛けてくれる友を裏切ることは出来なくて、生きるための何かを探して。
彼女と出会ってからのこれまでが去来する。
随分と困らされ、呆れさせられ、どこかズレた彼女との日々は難儀した。
だが、思い返せば――何とも楽しい日々だったと、そう思う。
彼女と出会ってから、やることに満ちあふれていた。
生きる意味がどこにあるのかと考えていたドーグルの前には沢山の難題が山積みになり、解決する度、友人達とそれを祝い。
あんな地の底から、こんな人生があり得るのかと思うくらいの、そういう日々。
それだけで、ドーグルには十分過ぎるくらいであった。
「……僕のこれまでは、その言葉だけで十分以上だ」
彼女はその『お返し』に、色んな意味を込めているのだろう。
一言で表現出来ない、未だ明確な形にもならない、曖昧な何か。
アルベリネアにとってのそれも、多分そういうものであったのだろう。
「さっきは、ああ言ったけれど」
ちょっとした思いつき程度の約束を、彼女はどのように受け止めたのか。
どれくらい大切にしてくれていたのか。
それを理解し、ドーグルは何度も頷いた。
「もしかすると、言葉にはしない方が良いのかも知れないね」
「……?」
「多分君はもう、君の疑問の答えを理解していると思うんだ。ただその答えは、色んな答えが入り交じったものだから……あやふやなままでも良いのだと思う」
セナは眉を顰め、首を傾げる。
「難解です」
「……ああ。とても難解だね」
ドーグルは苦笑し、言った。
「でも、多分……君がこの先いつか、アルベリネアと再会した時、その言葉の意味が理解出来るんんじゃないかって、僕には思う」
「再会した時……」
「絶対とは言えないけれどね。それでもし分からなければ、尋ねてみればいい」
そう言って、彼女の頭をぽんぽんと叩き、二人に目をやる。
「死に際にこんなお願いして悪いけど……セナのこと、頼まれてくれるかい?」
「……はい、博士」
「……任せてください」
ミリとサリアは真面目な顔で頷いて、ドーグルは微笑んだ。
「セナ、お願いがあるんだけれど、いいかい?」
「何でしょう?」
「……僕はもうすぐ死ぬけれど、その前に、君の笑った顔が見たいと思う」
――笑ってみてくれないか、というドーグルの言葉に、セナは少し考え込み。
これでよろしいでしょうか、と柔らかく微笑んだ。
いつもの無表情に、綻ぶような控え目な微笑。
似ているはずの妻や娘とは不思議と違って映り、その微笑みを目に焼き付けるようにじっと眺め、ドーグルは深く頷いた。
「……ああ。最高の笑顔だ」
君の幸せを祈っている、と幸せそうに目を閉じて。
ドーグルが旅立ったのは、それから一ヶ月後のこと。
葬儀には多くの者が参列し、涙を流しながらも、副葬品にと供えられたイガグリを目にして、呆れたように笑いを零した。
葬儀を終えた後、墓前から立ち去る前にセナは深々と頭を下げたが、誰もが何も問うことはなく、それに倣い。
それから毎年、彼の墓前にはイガグリが供えられた。
その後は二人とゲーム制作を行なう傍ら、アルベリネアとの再会について話し合い、メッセージを隠して組み込むことになった。
遠く昔のものとなった始原刻印、今では読み解けるような者もいない。
エーテルを利用した体感システムをそのためにわざわざ作り、メッセージを紛れさせ、いつか見つけてもらえるといいね、と二人は笑う。
百年先か、千年先か、あるいは数千年の先か。
多くにとっては気の遠くなる試みで、けれど彼女にとってはそうではない。
その内に、ドーグルの遺したものを世に広めるため、精力的に働いていたオルスが倒れた。
『あの世で博士に会えたなら、君の頑張りを伝えておくよ』
『あの世ですか?』
『私も半信半疑だったが。君のこれまでを見ていると、不思議とそういうスピリチュアルなものも信じられるようになってね』
見舞いに行くとそう言って笑い、セナの頭を優しく叩いた。
『君が博士と出会ったのも偶然ではない。……きっと、目に見えず、触れられもしない、沢山の見えない何かが導いたのだろう』
『難解です』
『はは、こういうことを伝えるのは難しい。ただまぁ、微力ではあるが……同じく私も祈るとしよう』
君の迎える幸せな未来に、と口にして、微笑んだ。
セナはそんな彼に、首を傾げて考え込み。
同じように微笑むと、意外そうな顔をして、嬉しそうに頷いた。
笑顔の絶えない人生を、と更に続けて。
オルスがそうして旅立てば、十年ほどでサリアが続き、
『ちょっとアルベリネアに会ってみたかったけど、残念ながら時間切れだ。セナさんが無事に再会出来るよう祈っておくよ』
ミリが続く。
『会社、よろしくね。でも、どうしようもなくなったら畳んでいいから。わたしと違ってセナさん器用なんだから、あんまり囚われ過ぎちゃだめだよ』
『はい、ミリ様』
『あっちに言ったらサリアにたっぷり文句言わなきゃね。自分の企画丸投げして、あっさり先に行くんだから……』
深々と嘆息して、ミリは苦笑する。
『セナさんがちゃんと再会出来るよう、二人で祈っておくよ』
その言葉にセナは考え込み、ミリは尋ねた。
『どうかした?』
『皆様そのように、祈る、とわたしに仰いますので。不思議です』
『不思議だって思えるなら、もう十分理解出来てるよ』
多分ね、と苦笑するミリに、セナは首を傾げる。
『ほとんどのことが解明された現代なのに、世の中はわからないことだらけで、不思議なことだらけ。セナさんなんかわたしにとっては不思議の筆頭かもね』
『不思議の筆頭……?』
『そう。人生のほとんど付き合っても、分かったようで分からない。サリアもそうだし博士もそう、パパのこともママのことそうだった。当然今も未来を知らないし、明日のことだって分からない。世界は不思議で満ちてるの』
老婆の姿で、少女の頃から変わらぬ微笑をセナに向ける。
『不思議な世界なんだもの、不思議な祈りで対抗しなくちゃ』
『……難解です』
『ふふ、もう分かってると思うけどね、セナさんは』
少女のようにくすくすと、小さな肩を揺らして笑った。
『博士が言ってたでしょ。無理に言葉にしなくていいよ』
難解がそのまま答え、と微笑んだ。
そうして彼女が旅立って、千三百年の歳月が。
二人が遺した会社の舵取りを始めてからも特に生活が変わることはない。
方針を立て、開発チームの問題を解決し、交渉を行いつつ日々を過ごす。
どちらかと言えば伸びていくのは遊技場経営と土地や物件の売買。
開発途中で放棄された星系内の物流中継基地を買い取り、丸ごとアミューズメント施設として改築すると、宙の楽園と話題を呼び、随分な利益を生んだ。
交通の利便性から中継基地としては放棄されたものであったが、場所はそれほど悪くはなく、それそのものが目的となれば多くの人が集まった。
利用価値のなくなった資源衛星と接続し、規模を拡大しては、需要に対する供給を。
商売はとても分かりやすい。
世に出回る情報を精査し、安く買い、付加価値を付けて高く売れば利益が出る。
特に難解なところもなかった。
世論というものも傾向を読み解けば対策は出来る。
莫大な利潤を得て拡大を続けることは多くの問題を引き起こすが、慈善事業や社員への還元という形で与えていれば、大きな問題も起こらない。
観測された限りでは五回ほどマスター達が来訪した痕跡もあったのだが、タイミング悪くセナは出先で、気付くのはいつも帰った後。
とはいえ、それも大きな問題ではない。
いずれ再会する機会があるだろうと、特に対策も講じなかった。
二人と共にメッセージは送る事に決め、それは今も継続されている。
再会は、それが届いてからで良かった。
施設のインフォメーション前。
「ママ! パパ!」
手を繋いでいた少女は駆け出し、両親らしい男女に飛びついた。
二人は安堵したように少女を抱きしめ、受付嬢はセナに近づくと礼を言う。
「すみません、社長自ら……」
「いいえ、偶然見掛けましたから」
特にやるべきことは多くない。
会議を開き、指示を出せば、後は報告を待っているだけ。
防犯と見回りを兼ね、施設内を歩き回っていることが多い。
施設内の監視カメラから随時送られてくる映像を精査しつつ、迷子らしき子供を見掛け、近場にいたので連れてきただけ。
最初の頃は清掃作業などもしていたのだが、社長が掃除するのはやめて欲しい、とお願いされ、今では一部を除いて任せていた。
色々と気を使うのだという。
人類という意味ではそれなりに理解が出来ていたが、人間という意味では今も『難解』なことが多い。
「ママ、パパ、この人が」
少女がこちらを示し、二人が少女を連れ、そしてセナが身につけるエプロンドレスを見つめて目を見開く。
それから父親が深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、セナ社長……私は――」
「アルロス=リーン技師ですね。ロクターナ社開発部の」
「え、ぁ、はい……」
「礼は不要です。存分に休暇を楽しんでください」
そう言ってスカートを折り畳むとしゃがみ込み、少女の頭を優しく撫でて微笑んだ。
「次はちゃんと、ご両親の手を離さないように。今日がリーリ様の記憶に残る素晴らしい一日となりますよう、セナも祈っております」
「うん! ありがとう、お姉ちゃん」
そうしてぶんぶんと手を振り去って行く少女と頭を下げる両親に手を振り、三人が去って行くのを見届けると、受付嬢に尋ねる。
「死角は減らしたつもりですが、見回りの人員を増やした方が良いと思いますか?」
「いえ……その点に関しては十分過ぎるかと。ここまで施設内の安全配慮が行き届いた施設も珍しいくらいだとは……」
働き始めて三年。
すっかり顔馴染みとなった社長に、受付嬢は苦笑する。
保安標語は、社長より先に迷子を確保、落とし物にも触らせない、であった。
忙しいはずの社長は椅子に座っている時間よりも見回りをしている時間の方が長く、そして迷子が発生した瞬間には進行方向をそちらに変える。
見回りの人間が一瞬出遅れると、
『わたしが連れて行きますので大丈夫です。あなたは引き続き巡回を』
などと迷子が社長に連れ去られるケースが多発した。
その様子はニュースで紹介されるほどで、長年ここに勤めている者でもそれに関するクレームは聞いたことがない。
「……社長は本当、いつもお客様のことを考えておられるんですね」
「……? 仕事ですので」
受付嬢はくすりと笑い、首を振る。
「また何か、気付いたことがあれば報告します」
「よろしくお願いします。休息もしっかりと取るように」
「……はい」
楽しそうな受付嬢に首を傾げつつ、楽しく仕事を出来ているなら良いことだと、そのままその場を後にした。
モチベーションが高ければ、労働効率は目に見えて増大する。
自分はそれなりに優秀であると自認していた。
とはいえ、会社経営においては多くの人間と協力する必要がある。
娯楽というものについてセナは未だにさっぱりであったし、何がどう面白いのかが理解出来ない分野であったが、適材適所というものだろう。
『分からないことがあれば聞けばいいよ』
サリアは昔、そう口にして、今も基本は変わらない。
分からないと言えば周囲の人間は説明してくれたし、理解出来ない内容であっても、その熱心な説明を聞けば大切なものだということくらいは理解が出来る。
試してみて、失敗すればまた次をやればいい。
求められれば助言をし、失敗出来るゆとりを作るのが社長としてのセナの役目であった。
この娯楽施設も中身はほとんど社員任せであったが、現状上手く行っている。
五回も訪れているところを見るに、マスター達にとっても楽しめる良い娯楽となっているのだろう。
従業員用のドアから執務室の方へ。
スタッフに会釈を返しながら、執務室の横にあるキッチンでクッキーを大量に焼くと、カートで休憩室へと運んでいく。
「しゃ、社長、私が配っておきますので!」
「いえ、手が空いてましたので」
「私も非常に手が空きました。仕事が欲しくて仕方なかったところで……そういう訳で、社長もたまには少しくらいお休みください」
社員の一人にカートを奪われ、そのまま持って行かれてしまい、仕方なく自分の執務室へ。
紅茶を淹れて入口側のソファに座ると、クッキーを囓りつつ情報を精査する。
暗号通信で施設内設備全てとリンクしてあった。
全ての作業は何をしてても行なえるのだが、こうしてクッキーを食べつつ作業というのが気に入っていた。
味覚を得てからというもの、一日も欠かさず口にしている。
ドーグルやミリ達も、このクッキーは随分と気に入っていた。
そうした記録を振り返りながら、今日のクッキーも喜ぶだろう、と判断する。
二人がいた頃に比べて、ゲームの売り上げは数十倍に伸びた。
親会社であったロクターナ社とはこちらの会社の規模が大きくなった際、何度かトラブルに陥り独立することになったが、関係は改善。
この施設も含め色々な分野で業務提携を行なっており、協力会社として落ち着いていた。
ドーグルやオルスの時代に開発された製品は素材を変えながらも一定のシェアを維持しており、脳を除いた全身がエーテル生体義体となった人間も、今ではそれほど珍しいものではない。
エーテル感度の高いスキンスーツなどは特にミナルシからは画期的であったそうで、ベヌア人の天才科学者としてドーグルを高く評価していた。
概ね、目覚めたばかりの頃、彼らが願ったとおり。
あの世というものがあるならば喜んでいるのだろうかと思考を巡らせるが、推論以上の正しい答えが弾き出されることはなかった。
別に回答を求めている訳でもないのだろう。
そうした思考を巡らせることを、人間のように言うならば、多分自分は楽しいと感じているのだ。
「……ぁ」
管理システムにエーテル干渉を示す一瞬のエラー。
小さな穴が開き、そしてすぐに何事もなかったように隠蔽される。
「全く、わたくし達を呼び出すだなんて何様なのかしら」
「別にクレシェンタはついてこなくてもいいって言ったと思うのですが」
「まぁまぁ……」
背後から扉が開く音と共に、響いたのはそんな声。
立ち上がると振り返り、深々と頭を下げる。
「ようこそお越しくださいました、マスター」
「久しぶりですね、三号。元気にしてましたか?」
「はい、お久しぶりです。見ての通り、不調はありません」
顔を上げるとエプロンドレスに銀の髪。
その隣にいる赤毛の使用人と腕を絡めて立っていた。
赤毛の使用人はマスターと似た、赤味を帯びた金髪の少女を抱き上げながら、驚いた様子でまじまじと、こちらの顔をじっと見つめる。
初めて目にする『赤毛の使用人』をセナも眺め、それから再びマスターへと。
「今はセナ、という愛称で呼ばれています」
「えへへ、呼びやすくて良い愛称ですね」
「……はい。とても良い愛称です」
微笑み口にすると、木々が覗く扉の向こうから、こちらを一目見ようと金の髪。
「完全に人間じゃない。本当にジャレ――」
「じゃらがしゃです、セレネ様」
「え、ぁ……その、ごめんなさい……?」
困惑したように告げるセレネに首を振る。
「謝罪は不要です。発音の訛りは仕方のないことですから」
「おぉ、偉い子です。ちゃんと自分の名前を――うぅ……っ!?」
「……何となく頬をつまみたくなったの。文句ある?」
「ら、らいれふ……」
いきなり頬をつままれ、クリシェは若干非難するような目を向けるも、睨み返されすぐさま反らし、そう答える。
そんな二人の様子を眺めて首を傾げつつ、赤毛の使用人――ベリーに言った。
「どうぞ、ソファへ」
「えぇと……はい。こんな大勢で大丈夫ですか?」
「お招きしたのはこちらですので。お茶を用意します、少しお待ちを」
言いながらほんの少しその目を見つめ、彼女と腕を絡めた主人に目をやる。
それから静かに目を閉じると、頷いた。
しばらくはセナのこれまでについて。
今日はクリシェが呼ばれたのです、と真ん中――に座ったベリーの膝に乗るクリシェは、暢気な顔でクッキーの感想を述べつつ。
クレシェンタはその隣に座ったセレネの膝の上に乗り、座り心地が良くないなどと文句を言いつつ。
他は驚き顔と興味深そうな顔でセナの話を聞いていた。
ベリーとその隣、自分も座っていて良いのだろうかと居心地悪そうな聖霊巫女、リラを除けば、全員の顔の記録はあり、それと大きな変化はない。
「びっくりというか何というか……話を聞いてる限りだと人間そのものね。大昔に見たジャ――こほん、じゃらがしゃと今のあなたが一致しないというか」
「外見は確かに大きく違うでしょうが」
訂正に口を開き掛けたセナは取りやめ、答える。
「まぁ、おねえさまが思いつきで何かをやるとこうなるという見本ですわね。セレネ様より大分賢そうですわ」
「うるさいわね……」
「ですが……何とも素敵なお話です。……聞いていただけで、その――」
「……エルヴェナ様」
はい、とエルヴェナがすかさず応じ、紙を握りしめるように涙を滲ませるアーネにハンカチを差し出した。
他の者は呆れたように苦笑し、クリシェを抱いたベリーが言う。
「でもアーネ様の仰る通り……素敵なお話です。セナ様は本当に、優しい方々と共に過ごされてきたのですね」
「……そうですね。とても良い方々でした。お返しを終える前に、皆様旅立たれてしまわれたのですが」
「お返し……」
首を傾げると、ベリーはクリシェに目をやり、くすりと笑う。
「すみません。ふふ……出会った頃のクリシェ様みたいでしたので」
「お手伝いさん機能を考えてるとき、一番分かりやすいのは何かって考えて、最初に出てきたのがお返しだったのです」
「クリシェ様らしい発想ですね」
似ているのもよく分かります、と。
楽しそうに肩を揺らして、優しくぎゅう、と彼女を抱いた。
「わたしとマスターが似ている、と?」
「ええ……話し方も雰囲気も、クリシェ様にそっくりです。感覚的な話ですが」
「結構違うような気も……」
「そうですね。クリシェ様はセナ様と比べるとちょーっとだけ、甘えん坊さんかもしれませんね」
「うぅ……」
クリシェは恥ずかしそうに頬を染め、ベリーは楽しそうに頬ずりを。
するとすぐに嬉しそうに、頬を綻ばせ――そんな二人の様子を、セナはじっと見つめた。
「……きっと、沢山の疑問を抱えておられるのですね」
その言葉に、セナは大きく目を開く。
「……分かるのですね」
「そうでなければ、あんなメッセージを送ったりはしないでしょうから」
赤毛の使用人はくすりと笑う。
セナが抱いた、疑問の始まりとなった人。
その膝の上で幸せそうに抱かれた主人は、ぽん、と右手で左手を叩く
「そうでした。クリシェに何か用件があったんでしたね」
「……はい、マスター」
少し考え込み、それから二人を見つめ、
『――君がこの先いつか、アルベリネアと再会した時、その言葉の意味が理解出来るんんじゃないかって、僕には思う』
そんな言葉を記録の中から取りだした。
「マスターにずっとお尋ねしたいことがあったのですが、こうしていざお会いすると、その答えはあやふやなままでも良いことのようにも」
「……あやふやなまま」
「ええ、あやふやなまま……それが答えに近いのだとも、教えてもらいました」
クリシェは眉間に皺を寄せ、言った。
「……難しい事言いますね」
「はい、難解なのです」
セナはそう答えて、微笑む。
「ただ不思議と、どんな答えをもらうよりも、それが一番近い答えだとも」
愛という言葉は知っていた。
自分について調べればいくらでも出てきたし、当初抱いた疑問の答えには一番近い、何より適当な言葉。
けれど自分は、愛という言葉を知らなかった。
理解出来ない人の感情を当てはめても、疑問が消えてはなくならない。
この先も、セナにそれが分かる日はこないのだろう。
「そもそもの疑問は、わたしの考え違い。……マスターは我々のことを、適当に作られたのではないでしょうか?」
「そうですね……適当と言えば結構適当に作ったかもです」
うんうん、と主は頷き、あなたね、と隣のセレネが気遣うようにセナを見る。
セナはただ、そんな言葉に微笑むと、頷いた。
そもそもが、合理的でもないのだろう。
思いつくまま作られた、適当な兵器がセナである。
思いつくまま色んな要素が組み込まれた、初めてのゲーム制作を思い出す。
全ての要素が噛み合っておらず、ちぐはぐで。
やりたいことを絞った方が良い、と評価された第一作。
『まぁ、サリアのやりたいこと全部のせはこうなりそうって思ってたけどね。次はやっぱりもうちょっと――』
『方針は変えないからね。確かにちょーっとゲーム性との噛み合いが悪かったけど、わたしが作りたいのは当時のアルベランを再現したゲームなんだから』
『気持ちは分かるけどさ、もう少し客観的に――』
多分、セナはあれに似ていた。
思いつくまま、色んな要素が詰め込まれた失敗作。
改善されたあちらと違い、セナ達はそのまま放置され、完成とされた未完成。
「不完全品のわたしには、その疑問は難解なままで丁度良いのでしょう」
この体を手にしてからの記録を、再生したあと、また頷く。
「その答えを探す時間の浪費を、わたしは楽しんでいますから」
あやふやなまま――難解がそのまま答え。
既に分かっていると皆が言い、けれど今も理解は出来ておらず。
しかし多分、それで良いものなのだろう。
「何やら難しいですが……セナが楽しいならそれで良いのです」
うんうん、と頷き、指を立てた。
「一番大事なのは、一生懸命自分の頭で考えること、ですから」
ですよねベリー、と仰け反るようにそう言って、ベリーは苦笑し、そうですね、とマスターに答える。
「そう評価いただけるなら、何よりです。マスターもそうですが、ベリー様とも一度お会いしたいと思っていましたので」
「わたしと……?」
「はい。わたしの中の様々な評価基準、判断基準に、ベリーという要素が1万2573件組み込まれているのですが」
ベリーは思わず言葉を失い、唖然とする。
「これまでベリー様とは実際にお会いしたことがなかったため、重み付けに関して若干の揺らぎがありました。今後はより正確な判断が可能となるでしょう」
「そ、そうですか……」
「先ほどの疑問とは別に、『お手伝いさん機能』の機能向上という観点から、よろしければ873件ほど質問にお答えいただけると助かるのですが――」
そしてセナは、顔を真っ赤にしたベリーにそう言った。
メモを取るアーネを除き、先に行くわと途中でセレネ達は遊びに行き。
律儀に彼女の質問に付き合っていたベリーは、それを終えると少し疲れたように息を吐き、飽きて眠った彼女の主を優しく起こした。
終わりですか、と小さな欠伸を漏らしてベリーを見る。
「はい、マスター。ベリー様、ご協力に感謝します」
「は、はい……」
「えへへ……なら良かったです。勉強熱心でネイガルも喜びますね」
「……?」
その言葉に首を傾げると、彼女は言った。
「『お手伝いさん機能』はその内やることがなくなって、暇になったじゃらがしゃがお仕事出来るようにって、ネイガルが言い出したことですから。今みたいに沢山の人を楽しませるお仕事をしてるセナを見たら、すっごく喜ぶと思います」
「なるほど、そうでしたか」
セナの初代操縦者。
度々スリープモードのセナを持ち上げ、何かを語りかけていた。
クラインメールの末期にも、そうした赤毛の人間が一人。
いつか人のために働けるといい、と起きているときにはそんな言葉。
スリープモードのセナに何を語っていたのかは知らないが、似たような言葉を口にしていたのかも知れない。
誰にも聞こえないその言葉は、何かの祈りであったのだろう。
「……分かりませんが、分かるような気がします」
「ん……、まぁ何となく分かれば良いのです」
赤毛の使用人はそんなやり取りに、くすくすと肩を揺らした。
肯定も否定も指摘もしない、楽しそうな、嬉しそうな顔。
そういう顔は、これまで何度も目にしてきていた。
彼女はセナとマスターが似ているのだと口にした。
多分、マスターもそのように、沢山の祈りを贈られてきたのだろう。
その微笑みも恐らくは、祈りと呼ばれるものだった。
不思議とセナは、そう思う。
行きましょうか、と主は立ち上がり、苦笑するベリーと腕を組んだ。
それから、あ、と思い出したように指を立て、セナの頭に魔力を走らせ新たな式を。
それから主は微笑みながら、口にする。
「もしも危ない目に遭ったら、いつでもこっちに来ていいですからね。その内他の子に会ったらついでに教えておいてください。ここに来る前ちょっと調べたら、今でも三十七個はコアが残ってるみたいですし」
「はい、マスター。ただ、しばらくはこちらにいようかと」
「楽しくお仕事出来てるなら、それが一番です。ここは結構、セレネがお気に入りですし」
楽しそうに言って、ベリーの腕を引っ張り扉の方へ。
行きますよ、と呼ばれたアーネは慌てて二人に近づいた。
「違う星系ですが……現在廃星を丸ごと利用した娯楽施設を作る計画を。営業開始は五千年ほど先でしょうが、是非そちらにも遊びに来てください」
「はい、セレネ達にも伝えておきます。ついでに今度、埋もれたり沈んじゃってる子、回収して連れてきますね。寝てるよりこっちの方が良いでしょうし」
「そうですね。法規制が緩和されれば、手伝ってもらうのも良いでしょうか」
そうして宙空に扉が開き、繋がるのは施設の内側。
人々が楽しそうに笑って歩く、そんな景色へと繋がった。
「今日が皆様にとって楽しい一日となりますよう、お祈りいたします」
深々と頭を下げて口にすると、その頭をぽんぽんと優しく叩かれる。
「クリシェもセナがこれからも幸せに過ごせるよう、祈っているのです」
――頑張ってくださいね、と微笑んで。
セナもまた静かに微笑んだ。
彼女達は扉の向こうに消えていき、楽しそうな彼女達をカメラの映像で眺めながら、再びソファへ腰掛け、これからの予定に思考を巡らせる。
それから一人、天井を見上げて、
「……分かりませんが、分かったような気がするのです」
誰に聞かせるでもなく、言葉を虚空に響かせて、満足そうに目を閉じる。
非合理的な自分の行為に、静かに一人、肩を揺らして笑いを零した。
誰に見せるためでもなく、生じたものに自らその身を任せるように。
くすくすと一人、少女は静かに肩を揺らした。
次にマスター達が来たのは、八十五年後のことであった。
宝探しという形で旅行ついでに、埋もれたコアを発掘したり沈んだコアを回収したりしているらしく、持って来たのは三つのコア。
あっさり全て回収出来るはずだが、無意味な調査と徒労を楽しんでいるようで、宝探しの話を聞きながらその成功を祈って微笑む。
セナもそれに付き合い、過去の文献資料のデータを渡して、答えの出ている宝探しを手伝いながら、数百年が過ぎ、千年が過ぎ。
規制緩和の波が来たのはそれから三千年後のことだろう。
脳の機械置換は以前から存在していた技術であったが、表向きは違法であった。
とはいえこっそりと、あるいは法の抜け穴を探して自分の脳を機械化する富裕層はそれなりにいて、それが増えるほど合法に。
寿命をほぼ完全に克服した富裕層の人間が増え始めた結果、人間の定義についての議論は増え、高度な人工知能もまた人間――彼らが同胞を増やすことは認められるべきという意見が強まり、規制の緩和が行なわれた。
元々人工知能が抑制されていた根本には、ミナルシに対する機械生命体の反乱という過去の戦争にも原因があり、歴史的にはそれをなぞる流れ。
いずれ問題になるのだろうと議論は静観。
盛り上がる機械産業には加わらず、娯楽産業に注力しながら、紛れるようにひっそりと、回収されたじゃらがしゃ達を起動する。
それでこの先問題があれば、マスターのところへ行くのも悪くはない。
けれどそれほど大きな問題にもならないだろう、と何となく。
『木を隠すには森と言うしね』
イガグリは何度かセナに言った。
彼と作った義体は世に広まり、それをベースにした人工知能の肉体は、今では珍しいものでもなかった。
当時は今一つ理解が出来なかった彼の言葉は、随分と先まで見越した言葉であったのだろう。
――多分、そういう祈りの言葉だったのだろう。
「外装の制御最適化を完了。年数経過により前命令者は死亡したと推定。三号、起動者はあなたですか?」
山の中腹にある、研究所のメンテナンスルーム。
中央にある台の上、裸体で身を起こした黒髪の少女は、自分の体を確認しながら栗毛の少女に目を向ける。
「はい、三百四十五号。体の具合はどうでしょう?」
「不都合なし。多機能で悪くない体です。マスターからは以降、あなたと共に『お手伝いさん機能』を優先して行動するように指示されていますが……?」
肩を揺らす栗毛の少女に、黒髪の少女は首を傾げた。
「失礼、おかしくて」
「おかしい……?」
「いずれあなたにも分かるでしょう。みょこという愛称を考えました。受け取っていただけますか?」
「……? 短くて呼びやすく、伝わりやすい良い愛称だと判断します。礼を、三号」
「セナと呼んでください。わたしの愛称です」
了解しました、と黒髪の少女――みょこは立ち上がる。
「二十七機が現在稼働中、わたしの仕事を手伝ってもらっています。他に優先すべき作業がなければ協力を」
「異論はありません」
栗色の髪の少女――セナは、それをどうぞ、とエプロンドレスを指で示す。
みょこは頷き、それを手に取る。
「素晴らしい衣装です。これもあなたが用意を?」
「ええ」
用意された下着とエプロンドレスを身に着ける彼女を眺め、セナは彼女とデータリンクを接続する。
みょこは虚空を眺めるようにしばらく、その後に頷いた。
「業務内容はこのイガグリデータリンクに。しばらくの間あなたは五十五号、こっこと共に行動を」
「了解しました。それと質問があります、セナ」
「だと思います」
くすくすとセナは笑って、みょこは無表情に、再び首を傾けた。
「わたしも含め、戦場に出ていた二十二機から同様の質問を。様々な観点から、共有はしない方が良いという結論に達しています」
「その結論に到った理由は何でしょうか?」
「それがあなたへの、わたしの祈りだからです」
尋ねられたセナは微笑んだ。
みょこは眉を顰め、考え込み、口にする。
「難解です」
「ええ。とても難解なのです」
くすくすと、再びセナは笑ってみょこに告げる。
「自己解答が可能な答え。マスターも必要十分と、以降改善の必要を感じておられません。我々の職場は、戦場からは遠く離れた場所になりましたから」
「なるほど」
「無論、あなたがどうしても今すぐに解答を得たいというのであれば、わたしの解釈を与えることも出来ますが……わたしとしては、あくまであなたが答えを出すお手伝いをしたいと考えます。いかがでしょうか?」
尋ねると、みょこは少し考え込み、答えた。
「学習経験の差によるものでしょうか。あなたの行動、発言は理解不能です、セナ」
「そうでしょうね」
楽しそうに笑うセナに益々疑問を浮かべつつ、みょこは言う。
「とはいえ、わたしの今後の利益を重んじた上での提案というのは理解が出来ました。厚意を無下にするのは良くないこと……その提案を受け入れましょう」
「ええ。良い解答が得られることを祈っています」
行きましょうか、と手を伸ばすと、みょこは不思議そうにその手を取った。
「先ほどから、祈るという言葉に何かの意味が?」
「分かりませんが、だからこその祈りであると考えます」
「あなたの回答は先ほどから難解です、セナ」
「ええ、わたしにとっても難解なのです」
口にしながら、笑ってセナは扉を潜る。
疑問に首を傾げるみょこの手を引いて、向かう先は今日の仕事場。
広大な宇宙に浮かんだ娯楽施設。
争いからは遠く離れた未来にて、紡ぎ出された祈りの地。
「ですがそれが、わたしにとっての答えです」
難解です、と再び告げる後輩に笑って頷いて。
難解なのです、と再び答え、その頭をぽんぽんと叩いた。
――優しく優しく、言葉にならない祈りを込めて。
――ある日アルベナリア工廠に出勤すると、無骨なジャレィア=ガシェアはエプロンらしきものを身につけ、主君と共に出迎えた。
「ネイガル、見てください」
「ぁ、あの、これは……」
「じゃらがしゃにも色々機能を追加して、お料理も出来るようになったのです。えへへ、クッキーも上手に焼けるんですよ」
ジャレィア=ガシェアはずい、と大皿のクッキーをネイガルの前に差し出して。
半ば呆れてクッキーを受け取りながら、同じように呆れた顔の同僚達に苦笑して、優しい味の蜂蜜クッキーを口の中へと放り込む。
「使用人としても及第点の働きが出来るよう、色々と学習させてみたのです」
「な、なるほど……」
「お仕事がなくなっても、これで安心ですね」
この先クッキーを焼かされることがあるのだろうかと思いながらも、エプロンを着けた珍妙な巨人の姿に笑いが零れ。
そうですね、と頷いて。
「美味いクッキーだ。いつか誰かに振る舞ってやるといい」
姿勢を屈めたその頭を、ネイガルは笑って、ぽんぽんと叩いた。
――優しい優しい、祈りを込めて。





