遠き遠き、未来にて 四
「……全っ然納得できませんわ」
「まぁまぁ……クレシェンタ様、ただの娯楽遊戯じゃないですか」
そこはお屋敷二番館と呼ばれる別荘であった。
全てのことを手作業で、古き良きを好む彼女らであるが、やはり時代の進歩というものにはそれなりに興味がある。
あちらの世界は進歩と衰退を繰り返しながらも様々な発明が生み出されており、そうした全てを無視して、昔ながらの生活を続けるというのは不健全。
さりとて、そうした発明を手当たり次第に取り入れると、彼女たちの愛する昔ながらの生活を捨てることにもなりかねず――そこで彼女達が考えたのがお屋敷二番館である。
普段過ごすお屋敷一番館はこれまで通りの生活様式を保ったまま。
しかしこの二番館では積極的にあちらの発明を自由に取り入れ、人類の進歩を享受する。
洗濯機に掃除機などの発明品は言うに及ばず、広大な庭は舗装され、サーキットが。
車や二輪車、ドローンや宙を走るエアボードなどがずらりと並び、時折開かれるのはぐるるんも楽しめるお屋敷グランプリ。
屋敷の中には世界中から集められた、ありとあらゆる娯楽用の演算機が備わり、お屋敷というより大型の娯楽施設と呼ぶのが正しい。
お屋敷二番館にある第三娯楽室。
部屋の中央に投影されるのは戦略シミュレーション『アルベラン戦記』シリーズの最新作『忘却のアルベラン7』のゲーム画面。
当時を舞台にしたシミュレーションゲームであり、簡略化されつつもリアリティを重視したゲーム内経済。
戦場においては兵士一人一人が制御されており、戦場の一兵士から指揮官、為政者まで、プレイスタイルに応じたゲーム体験が出来ると話題の硬派なゲームであった。
この二千年ほど続いているシリーズのようで、この会社はこれに限らず当時の世界を再現したゲームをいくつも出している。
ソファの上に座る赤毛の使用人――の上に座った古代女王クレシェンタ(本物)は白いワンピースドレスを身につけ、コントローラーを不機嫌そうに握りしめた。
彼女が睨み付けるのはそこに表示されている古代女王クレシェンタ(偽物)。
正確にはそこに表示される能力値を眺めて、眉間に皺を寄せている。
「どう考えてもおじさまの能力に対してわたくしの能力が低すぎますの。政治能力なんてあろうことかセレネ様にまで迫られる始末ですわ。何をどう考えたらそうなるのかしら」
「……本当失礼よね、あなたって。まぁ確かに、わたしも色々過大評価されてる気はするけれど……逆にお父様がちょっと過小評価されてるし」
隣に座っていたセレネもコントローラーを握りながら、少し不満そうに告げる。
「大昔のことですし、仕方ないことでしょう。アーグランド辺境伯やヴェルライヒ辺境伯のように、素晴らしい武人であった当時の方々はきちんと評価されているようですし……むしろ想像以上と言いますか。ほら、一人一人逸話なんかも纏められてて……どちらかと言えば感心するくらいです」
「……わたしの記憶に全くない逸話あるんだけれど。晩年も車椅子に乗ったまま暗殺者を斬り伏せたとか……一体どういう状況なのよ」
「ふふ、それも歴史というものですね」
楽しそうにベリーは肩を揺らす。
「昔は多少抵抗がありましたが……これだけ年月が経つとそれも随分薄れた感じもしますね。あくまでこの中に描かれる方々は今の時代の方が想像する当時の方々で、実際の姿とは違ってて当然と言いますか」
「まぁ確かに……今更感はあるわね。いつぞやのドラマなんてあなたが悪の親玉で思わず笑っちゃったし……ある意味間違ってないんだけれど」
「あれは中々斬新な切り口でしたね……クリシェ様もわたしが生み出した魔導人形だったりで」
苦笑して、左腕に抱きついて眠るクリシェの頭に頬を擦り付ける。
「しかし……1万5000年も前のこととなると、流石に正確すぎる気もしますが」
「正確すぎる……?」
二人と同様、コントローラーを握るエルヴェナの声に、ベリーは首を傾げた。
「わたしは時折、当時に関する歴史記述を眺めたりしていたのですが……地殻変動の大事件で多くの史料が失われてから、アルベランに関する記述は随分減りました。無論、主要な方々についてのものは残っていましたが……」
一度、この星の住民は滅亡の危機に晒された。
大きな地殻変動による火山の同時噴火と灰の冬。
人は一時期、魔力シェルターの外では生きていけないほど追い詰められ、ここでも彼らを助けるかどうかについて、何度か議論を。
望めばあっさりと、クリシェやクレシェンタがどうとでも出来る。
けれどあくまでこの楽園を脅かさない限りは、自分たちが手出しするべきではない、という考えも強かった。
人の世界という輪の外に出た以上、最低限のケジメはつけるべき。
本当の神にでもなる覚悟がなければ安易に手出しするべきではないと結論付けた。
そのうちに人々の無意識の願いに反応したらしい世界樹が、星の大半を覆った灰を取り除いていき安堵したのだが、やはり数十年ほどは皆少し暗い顔。
『この星はわたくしの庭ですの。わたくしの目を楽しませ、わたくしが心地良く歩けるよう庭を綺麗に保つのも臣下の勤めですわ』
その後クレシェンタが数千年ぶりに響かせた、女王陛下らしいそんな一言もあって、基準については大幅に引き下げ。
その時代の人の手に余る天変地異に対しては――要するに『下らないことにこだわって暗い顔をするくらいなら黙ってこっそり助けてしまえば良い』という偉大な女王陛下の命もあり、その後は監視を強め、大災害を未然に防ぐ方針で固まったのだが、そういう事件もあって文明は一度大幅に衰退した。
人々からは多くの知識が失われ、特に実用性の低い史料などは尚のこと。
かつて統一された歴は再び分かれ、分断されたそれ以前の史料に関しては信頼性が薄いと大きく区別されることも多くなった。
こちらの視点で見ればただ知識が失われただけで、明確に連続している歴史なのだが、その時代を生きる彼らの視点では大きく異なる。
かつて栄華を誇りクシェナラースに滅ぼされたという大帝国ルシェランも、自分達からすればお伽噺の伝承であったように。
衰退し、簡単な魔導具の維持にさえ苦労していた彼らには、かつてそんなものを量産する魔法文明が存在していたなど神話に等しい夢物語であったのだろう。
灰の冬が終わって、失われたものを取り戻すまでの長い年月。
多くの一次史料が失われ、人々が代を重ねるほどに、自分達の時代が創作混じる神話や伝承に変わっていく様は実体験として目にしていた。
「あの話し合いが原因だと思われますが、ミナルシの来訪後にアルベランやクラインメールに関する史料の大々的な見直しが行なわれ、当時残っていた史料は大方洗い尽くされていたはず。新たな史料が今更見つかるとは考えにくいです」
「……そうですね、状況的にミナルシさん達も本気で調べたでしょうし」
ミナルシの来訪時、ちょっとした騒動があった。
宇宙人による星の破壊を危険視したクリシェの早とちりで存在が露見し、随分と警戒させてしまい――結果としてアルニアと呼ばれるアメーバ達と彼らの和平を仲介することになったのだ。
クリシェの腰にあるポーチの中、うねうねと眠るうにょーんを手に取り苦笑する。
自分たちの存在を忘れ、今後決して関わらない、という条件を彼らも律儀に守ってくれているようで、今もお屋敷は平穏無事。
荒唐無稽なクリシェの力を恐れた、という面も大きかったのかも知れないが――どうあれあの頃、自分達に関する調査は彼らにとって急務だっただろう。
遙か太古の一国家、アルベランに関する史料を掻き集めて調べたことは間違いなく、それが現在における歴史記述のベースとなっているはずだった。
「ここに記される記述が不自然なほど正確、ということですか」
「はい。今の記録では残っていないはずの方が何人か……わたしの記憶違いかも知れませんけれど」
「……言われて見るとそうね。流石に全員きちんと覚えている訳じゃないけれど、戦場で活躍してなかった人の名前もあるし、ちょっと不自然かしら」
セレネは眉を顰めて投影された指揮官ユニット達を眺める。
「エルヴェナ様はそれなりに記憶力も良いですもの。そう仰るならそうなんでしょう。文官貴族の名前は適当ですけれど、軍の階級を持つ貴族に関しては実在した方がほとんど……案外そういう記録がきちんと残っていたのだと思ってましたけれど」
少し気になりますわね、とクレシェンタは言い、眠るクリシェに目を向ける。
ベリーやセレネ、エルヴェナも何となく、クリシェの方に目をやった。
お屋敷で起きる事件は大体、クリシェのせいである。
「ん……ぅにっ!?」
おもむろにセレネの手がクリシェの頬をつまみ、すやすやと幸せそうに眠っていたクリシェは跳ね起きる。
「せ、せれね……?」
「どーせあなたでしょ、分かってるんだからね」
「……? な、なんの話……うぅっ」
「まぁまぁ……いじめちゃ駄目ですよ」
そうですわ、とクレシェンタはセレネを睨みつつ、指を振るう。
魔力の光が遊戯用演算器の内側に――クレシェンタは眉間に皺を刻んだ。
「どうかなさいましたか?」
「暗号化されたデータが眠ってましたの。稚拙ですけれど、今じゃ珍しい始原刻印の応用ですわね」
まぁ、とベリーは驚きつつ、クレシェンタの作った道を辿るように魔力を通す。
稚拙という表現からはほど遠く、魔力操作による体感遊戯用に作られたシステム部分に編み込まれ、高度に隠蔽された暗号文。
四象二元の刻印しか知らない今の人間では、気付くことさえないだろう。
記された文字を読み取ると、使用人は小首を傾げた。
「……お会いしたいです、マスター」
どういう意味でしょうか、と不思議そうに赤毛を揺らして。
「しかし、ゲーム制作とはね……」
「すみません……いや、流石にわたしもどうかとは思ったんですが、あまりにタイムリーだったと言いますか」
ドーグルの応接間、頬を掻くミリの隣では黒髪の少女が深く頭を下げていた。
子供の頃からの同級生で、彼女の親友――サリアというらしい。
何度もオルスの家には遊びに来ていたそうで、セナとも付き合いは長く、言われてみれば一度、自首する前にミリといるところを目にした記憶もあった。
「……事情は了解しました。セナさんのことは純粋なゲーム開発の協力者として、その出自に関しては決して漏らさないと誓いますし、必要であれば誓約書も。もちろん、それでも博士が心配だと仰るならば諦め、今日聞いた事は墓の下まで持っていくつもりです」
「君の気持ちは分かった。まぁ、頭を上げてくれ」
はい、と顔を上げる眼鏡の少女は非常に緊張した様子。
随分とゲーム好きなようで、丁度ミリは彼女にゲームを制作しようと誘われていたらしい。
内容は古代アルベラン王国を舞台にしたシミュレーションゲーム、
アルベランはその後の魔法文明の始まりとして、歴史好きの中でもメジャーな時代であったし、人類が滅亡の危機に晒されたという以前もそうだったのだろう。
数多の劇や物語、伝承という形で残された神の子の国。
彼女もその時代の熱心なファンであった。
ミリも大企業の社長令嬢として、親の力に頼らず何か自分で作りたいという気持ちがあったらしい。
その話に乗ったものの、サリアの要求する膨大なデータ制作を前に途方に暮れていたところ、セナの出自を先日知り、思わず――ということであったそうだ。
これがどれほど繊細な問題か分かっているのか、とオルスに呆れて叱られ涙目になるミリであったが、当のセナはいつも通り。
『ミリ様のお願いであれば、わたしは特に構いませんが』
と、口にした。
セナは大体その調子。
自分の話をされていても特に興味はなさそうで、今も隣で話を聞きながらクッキー割り人形。
結論を教えてくれればそれで良い、というのが常だった。
無論意見を尋ねられれば自分の考えを口にするのだが、話しかけなければ発音のツッコミを除いて黙り込んだまま。
色々な問題があって君の出自を隠したい、と口にすれば素直に応じ、自分のことも含め、ほとんどのことに興味はなさそうであった。
お返しをする、そのために要求を叶える、という二つが彼女の全て。
ただ、だからこそ彼女の言葉は少し意外でもあった。
彼女の『お返し対象』とやらの一番は恐らくドーグルで、二番はオルスだろう。
誰が聞いてもオルスの説教は妥当であったし、オルスの意見はセナのこれからを案じ、安全側に寄せたもの。
機械的に、合理的に判断するならオルスの意見を優先するのが妥当であったし、いつもであれば口も挟まぬ場面だったと思う。
けれどセナは、泣きそうなミリの顔をちらりと見た後、そう口にした。
いつも通りの無感動な無表情、いつも通りの顔に声音。
話を聞いてみるくらいはいいかも知れない、とドーグルが口にしたのは、その一言が意外に思えたからだ。
不思議と、何となく。
それを意外だと感じた自分の心が、とても大事なことに思えたからだ。
「セナはどうしたい?」
「先ほど申し上げた通りですが……イガグリ博士の許可があれば、ミリ様のお願いを拒否する理由は特にありません」
尋ねるとセナは首を傾げて答え、ドーグルは続けて尋ねた。
「君がミリちゃんのお願いを聞いてあげようと思った理由はどうしてだい?」
「どうして?」
「オルスさんは君の身の安全を第一に考えていたし、説教も妥当な言葉だと僕は思っていた。ミリちゃんもそうだろう?」
「え? あ、はい……どう考えても悪いのはわたしでしたし」
気まずそうにミリは言い、責めてる訳じゃないんだ、とドーグルは苦笑する。
「説教されるミリちゃんを気遣って、ああいうことを言ったんじゃないかって、僕には思えてね」
「……?」
「ミリちゃんが叱られて泣きそうになっていたから、君があの場で口を出したように僕には見えたんだ。違うかい?」
違いません、と答えるセナに、ミリは目を見開いた。
「例えばミリちゃんが平然としていたらどうだろう? 君は同じように、オルスさんの説教に口を挟んだかい?」
「いいえ。ミリ様が泣き出すことがあの場での判断材料となりました」
「どうして?」
「ミリ様が泣き出すと面倒が増えます」
その言葉にミリは固まり、ドーグルは苦笑した。
「ではそうだね。オルスさんがミリちゃんに説教したことに対してどう思う? 不当な叱責だったと思うかい?」
「いいえ。わたしの出自の隠蔽を第一にした、正当な叱責であったと考えます」
「その通りだろう。言ってしまえばミリちゃんは少し困ったわがままを言って、当然の叱責を受けただけ。君の出自が露見するリスクと鑑みて、ミリちゃんが泣く面倒というのは小さな問題だ。でも、君はそれを庇おうとした」
ドーグルは頷いて、
「非合理的な判断だとは思わないかい?」
彼女に向かって、そう微笑んだ。
「……非合理的」
「君の出自が露見すれば君だけではなく、僕やオルスさんを含めた、色んな人間が困ることになる。ミリちゃんが悲しむという理由だけで、微々たるものとはいえ、そのリスクを増大させることを良しとした訳だ、君は」
セナはその言葉に、眉間に皺を寄せ、考え込むように。
サリアが慌てたように声を上げる。
「ぁ、あの、博士……わたし達のこれはただのゲーム制作の話で、駄目と仰るなら本当に――」
「ああ、すまない。君達を責めてる訳でも、セナを責めてる訳でもなくてね。むしろ、僕としては君達の提案を歓迎したいと思っているよ」
「えと、それはどういう……?」
「僕は彼女と一つ約束をしていてね。今の話は、それについてのことだ」
セナをオルスのところへ預けた理由の一つでもあった。
良くも悪くも大人で、今は独り身のドーグルよりも、両親に愛されて育つ、子供のミリと接する方が多くのものを得られるのではないか、と思ったのだ。
セナはこの上なく優秀だが、精神的には子供のようなもの。
一度子供や、家族というものを見せた方が良いという想いがあった。
多分、その考えは正しかったのだと思う。
「異論はあるかい? セナ」
「……わたしの中にある優先順位、判断基準において妥当な判断であると考えます。ですが仰る通り、合理的とは言えない判断であるとも考えます」
こて、と首を傾げると、セナは不思議そうに言った。
「難解です」
「難解だね」
ドーグルは楽しそうに笑った。
「ただ、その気付きはとても大切なものだと僕は思う」
「……大切」
「人は君が思うよりずっと、非合理的な生き物だ。目先のちょっとした不利益を避けるため、少し先の大きな不利益を受け入れたり、大きな利益を手放したり。知能の問題と言えば簡単だが、そうではないと思うんだ」
例えばそうだね、とクッキーを二つ手に取る。
「君の同胞は他にもいる。同じ知能、能力を有して生まれた存在だ。けれどきっと、今では全く異なる考えを持ち、違う能力を有するだろう。その差異は何だと思う?」
「経験による蓄積の差であると考えますが」
「そうだね。これまでの経験の中で、どんな気付きを得てきたかの違いだ。例えば赤毛の女性と戦わなかった君がいたとして、それを禁じる規則に対して何かの疑問を覚えたと思うかい?」
いいえ、とセナは答え、ドーグルは頷いた。
「その疑問は君だけの気付き。そしてそんな色んな気付きが、今の君を形作った。同じ気付きを持った同胞もいるだろうが、けれど君はもはやその同胞達とは違う存在で、人もまた同じ……君はずっと、君が欲しい答えに近づいた」
「……そうなのでしょうか?」
「ああ。そう思う」
話について行けない様子の二人に目を向け、ドーグルは笑った。
「アルベランに詳しいなら……当時戦場を支配していた彼女達が、連合軍に鹵獲された理由も知っているだろう?」
「え……はい」
「アルベリネアが自分達に対し、どうしてそんな弱点を与えたのか――セナはずっと、それが疑問だったらしい」
二人は目を丸くして、目を見合わせる。
「それを聞いた僕は、彼女が自分自身でその理由を見つけるべきだと思ったんだ。知ることと理解することは、似ているようで違うことだからね」
言いながらセナの手にクッキーを一つ手渡した。
「約束というのはそのことで、彼女がそれを見つけるために協力すると僕は伝えた。その上で、ゲームという娯楽を作りたい、という君達の提案は彼女にとって良いことだとも思った。……誰かを喜ばせるための何かを生み出すということは、彼女に色んな経験と気付きを与えてくれるだろうから」
そうしてクッキーを口の中に。
元より色々な料理をマスターしているらしい彼女であったが、毎日のように作ってくれるのはクッキーであった。
古風で素朴な、蜂蜜クッキー。
ベリーという女性が教えてくれた、基本にして最高のクッキーなのだとアルベリネアは記述していたそうで、よほど愛していたのだろう。
彼女の評価基準には、ベリーという名が至る所に刻まれる。
アルベリネアに仕えたという、赤毛の使用人。
ジャレィア=ガシェアとは、そんな使用人への愛によって生まれた存在だった。
セナはそもそも、合理的になど作られていない。
判断基準も行動原理も、重み付けのよく分からない『お返し』も。
彼女は既に知っていて、気付いていないだけなのだとドーグルは思う。
ドーグルがやるべきことは、切っ掛けを与えることくらい。
それだけで、いずれ彼女は気付くだろう。
そう確信出来るくらいに、彼女はあまりに優しく生み出された。
「良ければ君達にも、彼女の答え探しを手伝ってもらいたい。それで良ければ、僕も出来る範囲で協力しよう」
どうだろう、と尋ねると、二人は再び顔を見合わせ頷き、深々と頭を下げた。
将来のことを考えるのは楽しい。
それが若者達のことであれば尚更であった。
ドーグルも見ようによってはまだまだ若いと言える年頃の人間であったが、愛しい娘が生まれたときに見守る側になったのだろう。
自分がこれからどうするか、よりも、彼女達がこれからどう生きていくのか。
そういう未来を考えながら共に過ごした。
いずれ自分は死ぬことになり、その先の世界をセナ達は歩いて行く。
セナのこれからについて考えていたことはいくつかあったのだが、思いも寄らぬことが起きたりするのも人生。
優秀な彼女の能力を活かし、オルスの会社を手伝わせるという当初の案より、若いミリ達の勢い任せの思いつきに付き合う方が、彼女らしくて良いだろう。
アルベリネアは今もよく分からない人であったが、何となく、そんな風に生きてきた人ではないかとセナを見ていれば思えたから。
常軌を逸した戦闘機械を使用人に仕立て上げ、正気の沙汰とは思えない。
思いつくまま組み込まれたお料理レシピに家事機能。
愛称評価基準なる何の役に立つのかも分からない基準に、正確な呼称を要求する発音指導への謎のこだわり。
『あのね、セナさん。じゃらがしゃというのが正式名称というのは分かったけど、勝手に修正するのはやめよ? ここはジャレ――』
『じゃらがしゃです。ミリ様』
『あー、セナさん? ミリもわたしも正確な発音として、じゃらがしゃっていう素晴らしい呼び方にしたいのは山々なんだけど、セナさんの出自を隠すっていう意味でも、ここは別の名前にしておかないと博士達も困っちゃうからさ』
『……なるほど』
無邪気な子供のような人だったのではないかと思うと、しっくりと来た。
少し頑固でこだわりが強く、自由気ままなそんな人。
二人が大学から帰って来るなり、ああではない、こうではないと夢中になり、セナはそんな二人に付き合って、昔を思い出すような賑やかさ。
そういう雰囲気につられたように、ドーグルもロクターナ社の開発部に向かうと、研究開発を行なう後進の指導に精を出した。
週末には行きつけのバーで飲み、時折オルスも交えて。
昔に戻ったように、未来についてを語り合う。
全く売れなかったらしい一作目をバネに、二作目へと前以上の情熱を注ぐ娘の姿に思うところがあったのか。
新しいことをしませんかと、宇宙用作業服の研究開発にドーグルを誘った。
エーテル生体義肢技術を流用し、体の動きを阻害せずサポートしながら、無重力空間での移動や精密作業に適した作業服。
そちらが評価され、市民権を得ていけば、人体全てを置換するエーテル生体義体を世に出しやすくなり、セナのような存在も受け入れられやすい土壌も少しずつ出来ていくだろう、と。
現代ではあらゆる場所に、防犯用の監視網がある。
一見人間そのものと言えるセナであったが、機械的に被写体を調べるカメラの目を通してみれば歪な存在。
全身が義体という人間はほとんど存在しないし、どこに行くにも目立ってしまう。
そこに悪意はなくても、ごく普通の日常生活を送るだけでも特別な目で見られてしまう。
木を隠すには森が良い、とはずっと思っていた。
オルスの案は途方もない年月の掛かる、迂遠な計画であったが、それでもセナがこれから過ごす、途方もない年月を思えば悪くはない。
思ったように種が芽吹くかどうかは分からないが、百年、二百年――千年の先にそういう未来があり得るならば、夢を見るに値する。
ドーグルはその提案を受け入れて、再び彼の手を取り研究の道へ。
――振り返れば、何とも飽きない人生であった。
「イガグリ博士、お茶の用意が出来ています」
「……ああ、ありがとう」
ベッドで身を起こすと、頭を掻いてサイドテーブルの方に。
白髪になった短い髪もすっかりと慣れた。
あれからドーグルの髪が伸びてくる度、髪を整えましょうか、と告げるセナのおかげで、坊主から少し伸びた微妙な髪型で過ごす事となった。
よほどイガグリという名前が気に入ったのだろう。
彼女の悲しげな顔というものを初めて目にすることになったのは、髪を少し伸ばしたい、とドーグルが口にした時のことである。
『……せ、セナ?』
『……いえ。わたしの手入れが不要と仰るなら、何も』
『そ、そういうつもりで言った訳ではなくてね――』
それ以来、ドーグルが彼女の髪の手入れについて、口出しすることはなくなった。
セナは普段通りの無表情で、ベッドサイドの椅子に腰掛け、クッキーを食べつつ、ドーグルを見つめる。
「悪化しています。やはり義体に置き換えるつもりはありませんか?」
「まだ時代が追いついてないからね。それに生き長らえても、脳の寿命にはまだ技術的な限界があるし……ずっと君を見守ることは出来ないだろう」
あっという間に五十年が過ぎた。
開発は上手く行って、エーテルを使えない人間でも仮想筋肉を扱えるスキンスーツを更に開発して、その最新型が市場に出始め。
ああ、やれることをやり切った、と思ったところで倒れた。
長命種の寿命とも言える、体内のエーテル異常。
様々なものが解明された現代になっても、エーテルばかりは分からないことが多い。
対症療法の基本は脳移植。
基本的な問題はエーテル保護を失うことによる免疫不全と臓器不全。
生体培養した体に脳移植すれば助かるし、彼女と作ったエーテル生体義体であれば以前より優れた体も手に入る。
そうして生き長らえることを望むものも多いが、ドーグルのこれまでは半分余生。
その上でやり切った、と思った以上、自然に任せるのが良いとも思う。
「……一説にはだが」
「……?」
「僕らには感じ取れない魂と呼ばれるものがあって、肉体は器。それがエーテルを操っているのではないかと言われているんだ」
エーテル学者には、そうした魂仮説を支持するものは少なくない。
思考を司るという脳を解き明かしても、何がエーテルに影響しているのかについて、未だ人類は解明出来ていなかった。
エーテルを動かす際の脳の働きを調べれば傾向程度は解明出来たが、直接的にどう影響しているのかまでは分からなかったのだ。
「科学的には証明されていない、信仰のようなものだがね」
「……信仰」
僕も半信半疑だったが、と笑う。
「僕らのような長命種がこうして、エーテルの操作能力を失うタイミングは特に、何かをやり遂げた後だったり、満足した後だったり……まぁ、その魂がこの世でやることを終えたタイミングでそうなることが多いのだとか。実感してみると、なるほどと思える」
「死にたい、ということでしょうか?」
「後ろ向きな考えではなく、安心した、というところかな」
彼女らしい直接的な言葉に苦笑し、紅茶に口付ける。
まだ自分で彼女の茶を飲めるくらいには健康だった。
ミリ達とやっていたゲーム開発は二作目で中々の話題となり、三人で会社を立ち上げた。
いくらか問題はあったが、その後しばらくしてロクターナ社の子会社となり、今ではその娯楽事業の一角を占めている。
ミリとサリアは次期社長にセナを据えたいと色々な根回しを行なってくれたようで、人工知能が社長に就任か、なんて話題がニュースを騒がせたのも少し前。
やはり多少の騒動はあったのだが、人々に娯楽を提供するエンターテインメント事業という性質と、オルスや彼女達の根回しもあってか、大半のメディアは好意的にそれを報道し、大きな――暴力的な騒ぎにはならなかった。
その過程のインタビューでイガグリ博士という不名誉なドーグルの愛称が世に知られるようになってしまったが、真面目そうで気が抜ける彼女の一面が『人に反旗を翻す人工知能』という懸念を取り除く一助になれたのなら悪くはない。
どうあれ彼女の未来は暗いものではなく、明るい光に照らされていた。
「君は社会に受け入れられた。これから問題は色々とあるだろうが、君なら乗り越えられるだろう。その上で僕の研究も一段落ついて……君のこの先には良い未来が待っている、そう思ったら、力が抜けた」
そう言ってドーグルは笑う。
「僕の魂というべきものが、これで良いと満足したんだと思ったに違いない」
「……難解です」
「ふふ、難解だね」
いつも通りの無表情。
けれど、ほんの少し、寂しそうにも見える顔。
「僕がいなくなると寂しいかい?」
「お返しが出来ないままですから、困ります」
そうか、とドーグルは苦笑し、彼女の頭を撫でた。
「いつかの疑問にヒントを与えるなら、そうだね」
首を傾げたセナに、ドーグルは言った。
「多分、アルベリネアには沢山のお返しがあったんだろう。そしてそのお返しをすることが、アルベリネアにとっては何よりも大事なことだったんだ」
「沢山のお返し……?」
「ああ。返しきれないくらい、沢山の」
頭を撫でると目を細め、ほんの少し口元を柔らかく。
こんなことで、セナはきっと沢山の『お返し』を貯め込んだ。
そうやって彼女は、形のない『お返し』をずっと貯め込んで行くのだろう。
返しても返しても、返した気にならない『お返し』という名の何かを。
どうしてアルベリネアはそれに別の名を付けなかったのかと思う。
何よりもずっと、相応しい名前があったはず。
ならばこれほど彼女が悩むこともなかったはずで、あっさりと疑問は溶けるように消えていたに違いない。
アルベランを舞台に、自分の逸話を何度もその目にしただろう。
それでも彼女は気付かないまま、悩んだまま。
「君がくれた愛称のようなものだ」
「……?」
「アルベリネアは君がそれにどんな素敵な名前を付けるのか、そういう宿題を残したんだと僕は思う。何となくだけどね」
アルベリネアはその感情を、どんなものより大切にしていたのだろう。
それは他人が軽々しく教えるものではなく、自分が決めるものなのだ、と。
「何にせよ、アルベリネアが今の君を見たらきっと、すごく喜ぶだろう」
「そうなのですか?」
「ああ。そうして一生懸命悩む君を、アルベリネアは望んだだろうから」
ドーグルは目を閉じ、頷いた。
「彼女はずっと昔に亡くなられた方だけど……君を見ていれば、何を願って君を生み出したのかは、僕にもちゃんと、理解が出来る」
多くの知識を与えられながら、赤子のように何も知らない。
必要な材料だけを与えられ、困って戸惑う無垢なる子供。
そんな彼女が自分の力で答えを得る、そういう過程を大事にしたいと願ったからこそ、彼女はこれほどちぐはぐなのだ。
非合理的な何かこそを、大事にする人だったのだろう。
それだけは分かるとドーグルは思い、静かに微笑み紅茶を口に。
「あの、イガグリ博士」
声にそちらへ目を向けると、
「マスターはまだ生きておられると思うのですが」
――思わず紅茶を吹き出した。





