遠き遠き、未来にて 三
数々の魔導兵器が生産されたアルベナリア工廠は、王都西部に存在していた。
広大な敷地には鉄道網が張り巡らされ、忙しなく作業員や、魔術師達が歩き回る。
巨大な倉庫はいくつもあり、その後千年に渡り世界を支配した兵器群、三千機を数えるジャレィア=ガシェアが整然と並べられた倉庫内では、一人の男と少女がいた。
「ネイガル、こんなところにいたんですか?」
「クリシェ様……」
死んだように眠りにつくジャレィア=ガシェア達。
その中に収められるコア保管庫を眺めていた工廠の長――ネイガルという義手の男は、振り返るとすぐさま敬礼を。
「全機の整備が終わったと聞きました。ご苦労様です」
「……いえ」
銀の髪の少女は微笑み言って、適当なコアに触れ、魔力を流す。
共鳴するようにその場のコアが輝き、彼女は頷く。
「エルスレン戦では合計2万7543人、えへへ、学習機能と共有でお馬鹿じゃなくなって、性能もそこそこ良くなった感じもしますね」
少女は触れるだけで、その中の膨大な記録を精査する。
その数字を聞いたネイガルは目を伏せた。
五大国戦争での試験運用、その失敗を踏まえ、搭載されたのは学習機能。
『クリシェも完璧じゃないので、やっぱり抜けが出てしまいますし、じゃらがしゃ達自身が戦闘記録を精査、その都度学習するようにすれば、ああいうお馬鹿な失敗は減らせると思うのです』
それからジャレィア=ガシェアの性能は飛躍的に向上した。
学習試験にと軍で訓練用と称して、訓練場に数機置き、兵士達がこぞって訓練を。
精鋭達の連携に当初圧倒されていたジャレィア=ガシェアであったが、次第にそれを学習。
自ら包囲を抜けての、各個撃破。
ただ純粋な暴力を振り回すだけであった機械人形は戦術を覚え、軍に集う名だたる戦士達を相手に戦えば、技術を学ぶ。
少女――アルベリネアの手で改良された彼らはより精度の高い知覚能力を手にし、ヴェズレアとの戦いでは掃討戦で恐るべき戦果を挙げた。
――戦士の時代は終わりだな。
そう口にしたのは、アルベリネアに次ぐと言われる王国一の槍使い、コルキス=アーグランド。
『一対一なら負ける気もしないが、十機も二十機も向かって来られりゃ得物が保たん。それに今だからこそ負けないというだけで、若い頃なら俺もあっさりミンチにされてるだろう。これからの若い連中はこんなもんと戦うことになるんだと思えば不憫なことだ』
『アーグランド軍団長……』
『戦争も俺達に取っちゃ、もう一つの日常みてぇなもんだ。命のやり取りとは言え、互いに鍛え上げた修練をぶつけ合えば、お互いの信念や生き様、心の内やその魂が……ただ話す以上に分かったりする。荒々しいが、それも一つの対話だろう。人間同士のな』
ほんの少し寂しそうな目だった。
『だがこいつらにはそんなものもない。対話もせず、無感動にただ、目の前の敵を斬るだけ。……この先、俺達のような戦場に生きる戦士など芽吹くまい』
――戦嫌いのクリシェ様らしい、平和主義な機械人形だ。
呆れたような、惜しむような、偉大なる戦士の言葉が耳に残っている。
砦の中に立てこもり、祖国を守るため徹底抗戦を叫ぶ兵士達を、ジャレィア=ガシェアは皆殺しにした。
命じたネイガルがぞっとする、凄惨な光景だった。
これは戦いだ、仲間の命を守るためだと何度心の中で繰り返しても、胸の内側が鉛のように重くなる。
エルスレンとの戦いでは、あちこちでそんな光景があっただろう。
ネイガルも内戦では剣を握り、何人も人を殺したが、お互い様という気持ちがあった。
互いに譲れぬものがあり、そして自分もたった一つの命を晒して戦っている。
そんな言い訳があることがどれほど気楽で良かったことかと、今はそう思えた。
間の抜けた名前の魔水晶をほんの少し光らせるだけで、この鉄人形は無慈悲に敵を斬り殺す。
仲間達と共に駆け抜けた、戦場の熱気はどこまでも遠い過去のもの。
戦果を挙げるほどに体が震えて、寒さを覚え、吐き気がした。
――クリシェ様は自分達のために、こうした兵器を作り上げたのだ。
そうネイガルは理解していたし、その優しさも純粋さも知っている。
誰よりも敬愛し、生涯を捧げて尽くすべき主君であると慕っていた。
だからこそ、誰を恨むことも出来ない。
ネイガルはコアの一つを手に取った。
製造番号では三号機――彼が使うジャレィア=ガシェア。
「こいつらは、全てが終わった後、どうなるのでしょう?」
「……?」
「例えばこの先……この力が必要とされない、そんな未来が訪れたとき」
「どうにもならないと思いますが……」
少女は見た目通りの愛らしい仕草で、小首を傾げて考え込む。
「ああでも、そうですね。折角作ったのに、いらなくなってぽいだとか、倉庫で眠ってるだとかは色々と勿体ない気もします。戦場以外でもっと何か、お仕事が出来ると良いかもですね」
それから告げられた言葉に、ネイガルは嬉しそうに頷いた。
誰よりも優れた頭脳を持ちながら、時々当たり前の事に気付かなかったり、的外れなことを口にしたり、彼の主君は少し幼く変わり者。
こうして尋ねてみれば、ネイガルのような人間の言葉もちゃんと考え、悩み、彼女らしい優しい答えが返って来る。
ジャレィア=ガシェアは恐ろしい兵器だった。
彼女の持つ冷酷と言える無邪気さが作り上げた鉄の化け物。
吐き気を催すほどに理不尽で、見るだけで背筋が寒くなる。
けれどネイガルは、この手の義手と同じくらいに愛しくも思っていた。
平和主義の機械人形――誰よりも平和を愛し、周囲の人間を大切にする、そんな彼の主君が生み出してくれた発明品。
何度自分の手で砕こうかと思ったかは分からない。
しかし、ネイガルにはこの兵器が真に邪悪なものだと、そうやって憎むことは出来なかった。
先ほど彼女が平然と口にした、数字として語られる死者の命を聞きながら、
『ほら、この前の戦いで黒も沢山死んじゃいましたし、ネイガル達も腕が飛んだり足が飛んだりです。でもこういう作り物の兵士なら手足が飛んでも直せばいいですし、壊れちゃっても作り直せますから……これなら安心でしょう?』
そんな風に微笑んだ彼女の姿が今も忘れられない。
生涯忘れることもないのだろう。
このコアに詰まっているのは、敬愛すべき主君の、紛れもない愛情だった。
「荷運びだとかの今あるお手伝いさん機能もちょっと見直して、拡張してみましょうか。ネイガルが言いたいのはそういうことですよね?」
「はい、クリシェ様。言いたかったのは、まさにそういうことで」
ネイガルは手に持つコアを優しく見つめた。
「いつか平和な世界で目覚めた時、クリシェ様が我々に与えてくれたこのジャレィア=ガシェアが、人のために働き、愛されるような存在になって欲しいと思うのです。……平和のためにとクリシェ様が作られたものが、平和な世で必要とされないのは、悲しいですから」
ここに詰まった彼女の愛情が、いつか誰かに伝われば良いと思う。
無慈悲で冷酷な殺人人形などではなく、人を幸せにするためのものなのだと。
ネイガルが心から愛する主君の気持ちが、少しでも伝わば良いと思う。
ふと睨むような視線に気付いて、慌ててネイガルは口にした。
「失礼しました、じゃらがしゃですね」
「……全く。いつまで経っても訛りが消えないんですから。じゃらがしゃにもちゃんと、間違った呼称には気を付けるようにと教えておかないといけません」
腕を組み、真面目な顔で頷く主君に、ネイガルは苦笑する。
「まぁいいです。言ったとおり今回が最終調整のつもりでしたし、終わったら少し休んで、これからはがったんごーとに注力を。外装なんかの整備に関しても、以降は魔術師達に任せていきますから」
「……は。ありがとうございます、クリシェ様」
「クリシェも色々とお手伝いさん機能については考えておきましょう。ゆっくり休むように」
そう言って真面目な顔で指を立てると、とてとてと走る去る背中を眺めて、ネイガルも微笑む。
いつもいつも忙しなく、どこに行くにも大抵小走り。
面倒な仕事をさっさと終わらせ、一刻も早く屋敷に戻ろうという気持ちが透けて見えるよう。
あんなにも愛しい少女が作り上げたものなのだ。
憎んだりなど、出来はしない。
「……だそうだ。良かったな」
コアを見つめて口にすると、宝石でも扱うように保管庫の棚へ。
「この先いつか、平和な世界で目覚めるといい」
自分がどんな兵器であったかさえも忘れ去られた、そんな場所で。
――遠き遠き、未来にて。
現状、セナの存在は法的にシロであった。
それほど現行法は悪法ではない。
仮に非合法に作られた人工知能が存在した場合であっても、裁かれるべきは開発者であり、生み出された側の存在には基本的な人権が認められ、尊重される。
一定の知能を有し、生物的思考を有する人工知能という定義を満たすものに限る、という基準が存在するが、古い作業用ロボットの人工知能でさえ満たすもの。
セナであれば何の問題も存在しない。
そもそも現行法が存在しない時代の人工知能――法には触れていないという点では完全にシロと言え、ドーグルが人工知能研究を行なっていたという事実さえ除けば、裁かれる理由はない。
ただ、シロとは言っても、だから何も問題はないという訳でもなかった。
世の中には多くの主義主張があり、宗教が存在する。
様々な定義で生命倫理という言葉を語る。
人の体に機械を入れることへの是非、遺伝子治療、改造の是非、薬学、外科的治療の是非、人工知能やロボットの是非――網羅するのも大変なくらいに問題提起はなされていた。
ドーグルにも主義主張はあるし、それ自体は別に問題もない。
議論が行なわれない社会よりも、議論が行なわれる社会であるべきで、どのような主張であっても主張自体は認められなければならないと考えている。
その上で互いの主張についてを考え、歩み寄れるところは歩み寄り、妥協点を見つけていく大変な努力を経て今の社会も出来上がって来たのだから。
けれど世の中には自分の考えだけが最も正しいと考える者がいて、違う主張に対し敵意を向け、暴力的な手段で物事を解決しようとする者もいた。
ドーグルの妻と娘を奪ったのも、そういう人間達。
セナを軽々しく表に出せば、彼らの暴力に怯えて暮らすことになるし、それを止める手段もない。
言葉での主張が正しいと思うドーグルと同様、暴力もまた主張の手段であると考える人間がいることも、ある意味仕方のないことだと思う。
セナの時代から、それよりずっと以前から、人類は最終的に暴力という外交手段で物事を解決してきたし、知性的なミナルシでさえ、対話出来ない敵対的な種族と現在でも戦争を行なっている。
口論になった子供は殴り合うし、大人にもそういう人間はいるものだ。
人間は完璧ではないし、多くの者が思うほど理性的でもない。
そうでなければ、明文化された法が存在する必要などなかった。
その上で考えるべきは、どうやってセナを一人の人間として、この社会に招き入れるか。
ネックになるのは彼女の来歴であった。
あのアルベリネアが生み出した戦闘用魔導人形ジャレィア=ガシェア。
その内部に秘められていたのは、現代技術を持っても再現不可能な先進的人工知能であった――などと、どこをどう考えても人目を引く。
学者や著名人、報道関係がこの田舎町に押し寄せることになるだろうし、それだけならまだしも、反人工知能主義の過激派からすれば格好の的。
自分達の主張を世に知らしめる好機だと、彼女を害しようと考えることだろう。
とはいえ戸籍の偽造など、彼女の経歴に傷がつくような手段も取りたくはない。
オルス達と議論を重ね辿り着いたのは、少し強引な手段であった。
「久しぶりだね、セナ」
収監されていた刑務所から出ると、迎えの車の中からオルスとセナが。
「……博士」
セナは現れたドーグルに目を見開き、立ち止まり。
オルスは満面の笑みでこちらに近づくとドーグルを抱きしめる。
「本当に、ご苦労様です博士。……今日は出所祝いに、うちでパーティーの準備を。皆あなたのことを待っていますよ」
「ありがとうございます、オルスさん。皆さんにもご心配お掛けしました」
坊主頭から少し伸びた、自分の頭を撫でながら微笑む。
あれから更に半年を掛けて、セナと共にエーテル結晶を用いた人工知能を開発した。
一定の思考能力を有した、人間に近い人工知能――傷心で心を病んだドーグルが、セナという人工知能を生み出した、というストーリーを作り上げたのだ。
ドーグルに人工知能を作り上げる技術がなかっただけで、半分は事実。
それを聞かされたオルスは友人のために自首を勧めた、という形で一芝居打ってもらうこととなった。
人工知能の違法開発は罪が重い。
ただ、ドーグルが妻と娘を失ったことは悲劇として世界中のニュースで取り上げられていたし、オルスもドーグルのため大々的な会見を開き、今回の経緯についてを改めて説明してくれたこともあって、バッシング以上に同情の声が大きかった。
状況的に考えても情状酌量の余地があると減刑が認められ、懲役も十年で済んだ。
ドーグル以上に大変だったのはオルスだろう。
人工知能の開発は許しがたいこととしながらも、その気持ちは理解出来るもの。
間違いを犯したとしても彼は大切な自分の友人であるとドーグルを庇ったことで、会社は多くの嫌がらせを受けた。
その内飽きる、と口にしてはいたが、当時面会に来たときには目に深い隈があったし、一気に老け込んだように見え、それでも面会を欠かさず笑顔を向けてくれる彼には、感謝してもしきれない。
そうして離れると、オルスとドーグルは僅かに滲んでしまった涙を拭い、笑って。
「さ、車に……」
「ええ。……どうかしたかい? セナ」
セナはじっとドーグルを見つめたまま、動かない。
セナのことはオルス一家に預かってもらっていた。
何を言い出すか分からない、という怖さから面会には連れて来ないように言っていて、オルスも表向き、罪を償うという意味でもケジメとして二人を会わせないことにしている、という形で周囲には説明していたらしい。
検閲されたビデオメールという形以外で彼女を見るのは久しぶりだった。
セナは驚いた様子でドーグルを見つめている。
そして、迷うように視線を揺らす素振り。
オルスの話では、オルスの家族と過ごす内に、随分と人間らしくなったと聞いていた。
オルスの娘とは仲が良いらしく、彼女に色々と教えられ、自然と微笑むくらいは出来るようになったのだと。
久しぶりの再会にそんな顔を見せるもので、もしや、とドーグルは緊張する。
「……セナ?」
「今、色んなことが分かったような気がします。……上手く言葉には出来ないのですが」
セナは俯き、自分の胸を押さえるように、戸惑うように。
その言葉にオルスも驚いた様子で彼女を見つめた。
セナは目を閉じると顔を上げ、ドーグルを見つめた。
「――イガグリ、というのはどうでしょう?」
正確には、坊主頭から少し伸びた髪を眺めて。
「それは、その……」
「もちろん、博士の愛称です」
何がもちろんなのだろう、とドーグルは思った。
しかしセナは薄く微笑み、胸を押さえたまま。
「愛称というものは、ぴぴん、と突如舞い降りるものだとマスターは記されていたのですが……なるほど、こういうことなのかと、今……確かにわたしの中で、ぴぴん、と何かが舞い降りた気がするのです」
「そ、それは良かったね……セナ」
「ええ。ずっと博士から愛称をいただいたお返しをしなければと思っていたのですが、ようやく、わたしもお返しが出来ます」
全て、彼女のため。
とはいえ十年越しの再会に高望みをしていたつもりはないし、特に期待もしていなかった。
あくまでドーグルがやりたくてやっているだけのことだ。
しかし改めて彼女を見ると、『ああ、この子はこういう子だったな』という何とも言えない感情だけが全身に満ちてくる。
「イガグリ……イガグリ、やっぱり、すごく良い愛称です」
その喜びを噛みしめるように何度も頷く彼女の嬉しそうな様子に、まぁいいか、と苦笑して、オルスと顔を見合わせた。
オルスの邸宅はロクターナ本社のすぐ側。
車で戻ってきたオルス達を彼の妻や娘が出迎え、笑顔を浮かべた。
「ミリちゃんも随分と大きくなったね」
「ふふ、十年も過ぎましたから……お帰りなさい、博士」
「ああ、ただいま。セナが君には随分世話になったと聞いている。……ありがとう」
母親譲りの金の髪。
愛らしい笑顔を浮かべた彼女は抱きついていた体を離し、首を振る。
「セナさんがうちに来たときはまだ八歳でしたし、むしろお世話になった面の方が多いと言いますか……」
ミリは苦笑する。
「勉強を教えてもらったり、遊んでもらったり、むしろお礼を言うのはわたしの方ですよ。もちろんその分、散々泣かされたりもしましたけどね」
そして、楽しそうにセナを見つめて言った。
ドーグルが刑務所から出てくるまで、しばらくはオルスの家に居候することになるということで、自分から色々と、使用人としてオルス家の手伝いを。
ミリの世話も当然と言わんばかり、積極的であったそうだが、融通の利かないセナである。
『ミリ様、今は逆上がりの練習の時間のはず。涙を流すことは上達に寄与しないどころか、時間の無駄と判断します。わたしとしては早く練習を再開して欲しいのですが』
『うぅ……っ』
逆上がりが出来るようになりたいと言えば淡々と、
『ミリ様、方程式を学ぶ前に、足し算を今一度学ばれた方が良いのではないかと。どうして12と7を足して20という数字が算出されてしまうのか、わたしにはミリ様の頭の中でどのような計算が行なわれているのかが想像も出来ません』
『ちょ、ちょっと間違えただけでそこまで言わなくてもいいのに……っ』
『ミリ様の回答では、12個と7個のラクラの実を籠に纏めると、出所不明のラクラの実が一個、突如籠の中に生じる奇怪な現象が成り立ちます。これは『ちょっと』の範疇を超えていると考えますが、わたしの定義が間違えているのでしょうか?』
『ぅ、うるさい……っ』
勉強では些細なミスも許されず、
『ミリ様、成長しましたね。以前に比べ生存時間が向上しています』
『……あの、セナさんが強いのは分かったけどね? ちょっとは初心者のわたしに手加減してあげよう、とかそういう気遣いはないの……? わたし一方的にハメられて何にも出来てないんだけど』
『プレイ時間という点では、ミリ様の方がこのゲームをプレイされているはずですが……畏まりました。ミリ様の能力に合わせ、ゲーム中の戦術レベルを『ものすごくお馬鹿』に制限、今後は手加減したプレイを心がけようと思います』
『えぇとね、本当は全部分かった上で、わざと煽ってたりしない……?』
『……? 煽るとは?』
『ぅ、うん、気にしないで……』
ゲームをすれば一方的に、完膚なきまで叩きのめし。
最初の頃は毎日のように泣かされる彼女の姿に、オルス達も困っていたようだが、幸い良い子で、そんな彼女を嫌わず、困った姉として受け入れてくれていたらしい。
「でも、今日でお別れというのは少し寂しいですね」
「すぐ近くだ。いつでも遊びに来るといい。セナも喜ぶ」
「……わたしが喜ぶ?」
「……セナさん、そういう時は嘘でも喜ぶって言って欲しいな」
呆れたように告げるミリに、ドーグルがすまない、と頭を下げる。
ミリは苦笑し、首を振った。
「大丈夫ですよ。セナさんはこういう人だって知ってますから。今じゃ博士より、わたしの方がセナさん通ですからね」
「この子と十年も一緒にいたんだ。そう言われては勝てないね」
笑いながら、『こういう人』という言い方に、目を細める。
彼女にとって、セナは単なる機械ではなく、一人の人間なのだろう。
そう思ってもらえることが何より嬉しかった。
パーティーに集まってくれたのは三十名ほど。
会社としてではなく、友人を労うための小さなパーティーという形でオルスも考えていたそうだが、ほとんどは自主的に出席したいと願い出てくれたらしい。
多くの人は付き合いの長い開発部署の研究員。
皆心からドーグルの帰還を喜んでくれていた。
ほとんどはセナの出自に関しては知らず、表向きは人工知能の開発という違法を犯したドーグルに対し、以前と変わらぬ顔。
彼が以前のように笑えるようになったことが何よりも嬉しいと口にして、涙を流すものが何人もいて、ドーグルもまた釣られて泣いた。
セナに関しても悪感情を向ける者はおらず、何度かオルスが開発部署の問題に関わらせたこともあったようで好意的。
その『性格』に関しても理解はされているようで、現在はミリと同様『そういう子』だと受け入れられている様子であった。
無許可の人工知能開発が違法とされる理由の一つは、人道的なものだ。
人間は綺麗な生き物ではない。
人を痛めつけることに喜びを覚える人間もいるし、快楽のために利用しようとする人間もいる。
そういう人間の欲望のはけ口として、人工知能は良い道具。
所詮は作り物で人間などでないからと、それを弄ぼうとする輩はいくらでもいる。
そんな人間が不幸な人工知能を生み出さないために、手にしないために、人工知能の開発は管理が徹底され、倫理規定に則したものしか認められていない。
それが悪意でなくとも同じこと。
例えば妻や娘の代替品として作られた人工知能もまた、不幸な存在だ。
違う存在であるにもかかわらず、身勝手な理由でアイデンティティをねじ曲げられ、誰かの代替品として扱われるのだから、決して許されるべきではない。
心を病んだドーグルもその点に関しては同じように考えていたし、妻や娘を失った心の隙間を埋める存在としながらも、その名前を彼女につけよう、などとは思っていなかった。
それに関しては他の者も懸念していたようだが、セナは妻や娘と見た目こそ似ているものの、完全に別の存在。
明るかった二人とは似ても似つかぬ、真面目で融通も利かず、笑顔の一つも見せない彼女――あくまで人工知能としての人格をきちんと認めた上で、生み出された存在なのだと理解し、随分と安堵したらしい。
ドーグルのもう一人の娘として認め、彼女に接してくれていた。
善良で、優しい人達。
ここの人達もまた、ドーグルの大切な家族だった。
心を病んでいたときの自分は、そんなことも忘れていたのだと思えば恥ずかしくなる。
オルスだけではなく、多くの者がドーグルのことを深く案じてくれていたのだ
オルスに気持ちを伝えると、
「博士なら多分、そう仰ると思ってました。もちろん相応のリスクはありますが、博士と同様、私も人の善意を信じてみたいと思います。……セナ君の未来のためには、多くの善意が必要ですから」
集まった者達に、墓の下まで秘密を抱えられる者だけ集まって欲しい、と応接間に来るよう呼びかけ、セナの出自についてを彼らにも語ることにした。
一万四千年も前に生み出された、アルベリネアの英知の結晶――
「――1万3562年前です、イガグリ博士」
「……すまない」
度々突っ込みによって話は中断したものの、逆にそれも良かったのだろう。
あまりにも優秀すぎる彼女に関して、いくらドーグルとはいえ一個人が生み出せるものなのかという疑問を抱いていたものも少なくなかったようだった。
ただ、彼女はアルベリネアが生み出したロストテクノロジーの産物なのだという突拍子もないドーグルの説明はそれでも受け入れがたいものだったはずだが、そんな彼女の反応のおかげで彼らも納得が行ったらしい。
エーテル義肢に携わる人間でアルベリネアの名を知らないものはいないし、ドーグルがかつて信じていなかったアルベリネア神話についての根強い信者もいる。
そして――
「セナさんが、ジャレ――」
「じゃらがしゃです、ミリ様」
「うぅ、驚きの言葉くらい遮らないで欲しいんだけど……ともかく、歴史の勉強の最中に訳の分からない発音を教えられた理由に納得いったかも……パパもわたしにくらい教えてくれても良かったのに」
ミリはオルスを睨み付けつつ深く嘆息し、セナに目をやり口にする。
「あのね、セナさん。一つお願いがあるんだけど」
「……お願い?」
「うん、えっとね――」
何がどう絡み合って、どんな未来に繋がるのか。
良いものも、悪いものも含め、先のことなど分からぬものだ。
一つの出会い、一つの言葉が何かを大きく変えてしまうことがある。
この日のやりとりもそうだろう。
ドーグルや聞いていた者達も、年若い少女の突拍子もないお願いを、先ほどの話を聞いていたのだろうかと呆れて笑った。
けれど誰にも、先のことなど分からない。
案外、絡み合ったものが愛や善意ならば、良い未来に繋がるものではなかろうか。
恐らくはきっとそうやって、この子はこの時代へと流れついたのだろうから。





