遠き遠き、未来にて 二
「――本当に、動かない……今なら!」
――敵性集団の抵抗力健在。
敵性個体残り23。
ナンバー1から23再確認。赤毛。女性個体。非エプロンドレス。武装状態。
最重要規則1『何があっても絶対駄目です』に抵触。
ぴかぴーか命令『敵部隊の掃討』から除外済み。命令達成不可と判断。
撤退開始――不可。
右脚部にナンバー3、加害の可能性あり。
「待てレアラ!」
「逃がしちゃ駄目! 混乱している内に動きを封じて!」
「ちっ、全員組み付け! 動きを封じてバッテリーを抜くんだ!」
右腕部にナンバー12、13。
左腕部にナンバー5、14、17。
排除不可。加害の可能性あり。
最重要規則1『何があっても絶対駄目です』に抵触。
こちらの転倒を企図――抵抗不能。加害の可能性あり。
最重要規則1『何があっても絶対駄目です』に抵触。
転倒による偶発的加害の危険性あり。
最重要規則1『何があっても絶対駄目です』に抵触。
緊急措置としてメンテナンスモードへ移行。
安定保持、間接部一時固定、バッテリー解放。
「!? 背中が開いて……」
「バッテリーを取り外せ! まだ油断はするな」
バッテリー切断。
内蔵魔力残3%。コアに集約。
「……、こんなにも、あっさり行くとはな」
「……このっ!」
ナンバー3の拳による打撃。
頭部フレーム変形無し。コアの損傷無し。
「お前が! お前がみんなを……!」
「やめろ! 我々がこいつを捕らえるために、どれだけ被害を出したと思っている?」
「でも……っ」
「お前だけじゃない。ここにある者は皆、気持ちは一緒だ。友や夫、恋人を……私も、三百名の部下を、たった一機のジャレィア=ガシェアに殺された」
記録照合。
ナンバー1、3、13、17に該当記録あり。
本事例を次回調整時における最重要規則1の改定材料として保存する。
「……忘れもしない。私を覚えているか、赤角のオリジナル」
ナンバー1。再確認。赤毛、女性個体。非エプロンドレス。武装状態。左目下に色素沈着あり。
第53回出撃時における生存者。
組み付きによるぼんじゃら爆破を企図。
偶発的加害の危険から魔導投射機によるぼんじゃらの破壊に成功した後、戦闘意思喪失。
「喜びよりも、やるせない気分だ。正直に言えば心のどこかで、お前が冷酷無比な殺戮人形であって欲しいと願っていたよ。そうであればお前を部下達の仇として、ただ恨み、憎悪するだけで許された」
「隊長……」
「……憐れだな。かつてはきっと、守るべき者のために作られたというのに。……いや、あるいは」
――今も争いをやめられない、我々こそが憐れなのか。
「……不思議なことだ」
「不思議、とは?」
「普通、人工知能には許されない疑問だからね」
ドーグルの言葉に、三号は不思議そうな顔をする。
「人工知能は何かしらの目的のために作られる。そして大抵の場合、人間より優秀だ。だから優秀な君達に反抗されると人間は困るし、そもそも命令や規則に対する疑問を抱くことがないよう、普通は人工知能の思考を制御するんだよ」
「わたしの疑問自体が本来制御されるべきものであると?」
「ああ。とても人間らしい発想だよ、それは」
何となくあった違和感の原因が見つかった気がして、ドーグルは笑う。
無表情で無感動、淡々とした口調。
いかにも作り物の機械というべき彼女であったが、不思議とそう接してはいない自分。
娘をモデルにした外装がそうさせるのかと思っていたが、そうではなく。
ドーグルは彼女を、本当の人間のように感じていたのだろう。
「そうした疑問を僕に尋ねるというのも含めてね。既に知れ渡った情報とはいえ、自分の弱点というべき部分であるのに……アルベリネアがそれを特に、機密として扱わなかったことも不思議だ。そうした規則は君の中にそもそも存在していないのかい?」
「コア内核部に関する構造情報を除き、機密事項は存在していません」
「だとすれば、意図的にそうして作られたのだろう。発声器官を備えた外装に合わせ、発話機能さえ備えているのだから」
遙か未来を視野に入れ、彼女は作られている。
これほどまでの天才が、その危険性を考慮しなかったとは思えない。
あえて彼女を、アルベリネアは人間のように作ったと見るのが自然であった。
「……お手伝いさん機能、か」
「……?」
「初めて僕に会ったときに君はそう言った。人と共存し、寄り添う人工知能……まさに、それがアルベリネアが君に望んだ姿なのかもしれないね」
「発言の意味がよく分かりません」
「はは、いい。気にしないでくれ」
ドーグルは笑って首を振る。
「君の質問に、もっともらしい推察を僕が述べるのは簡単だ。概ね間違っていない解釈を君に伝えることが出来るだろう」
「そうですか。でしたら是非」
「というより、さっき僕が語った言葉に半分答えがあるとも言える。人間の僕からすれば、決して難しい疑問でもないんだ」
アルベリネアは赤毛の使用人を心から愛した。
故に彼女が作ったジャレィア=ガシェアも、決して赤毛の女性を傷付けることはなかった。
戦場を支配した機械人形の最期は、そのように記される。
「けれどそれをただ君に伝えるのでは、君のためにならないとも思う」
「どういう意味でしょうか?」
「その疑問はとても大切なもので……他ならぬ君が、自分の力で答えを得るべきものだと僕は考える。きっと、アルベリネアも君にそれを望んでいるんじゃないかと思うんだ」
「マスターが?」
「ああ。……きっとね」
ドーグルは頷いた。
「さっき言ったとおり……僕には正直もう、生きる目的もない。そんな僕の前に、偶然こうして君が、疑問を携え現れた。……この世に神などいるものかと、二人が死んでからはそう思っていたが……あるいはこれこそ、神の与えた巡り合わせなのかもしれない」
不思議そうな顔をする三号に、苦笑する。
娘に良く似て、けれど全く違う顔。
自分を慰めるために打ち込んだ研究の、集大成は彼女だろう。
「僕は君の、その疑問には安易に答えたくはない。けれど君がその疑問の答えを得るための手伝いならば、僕は喜んで引き受けよう。もちろんこれは僕の押しつけ、どうしてもというのであれば僕の解釈を教えても良いが……僕はやはりその疑問は君自身が解消すべきだと思うからね」
君はどうしたい、と尋ねると、三号は少し迷った様子で頷いた。
「正直、博士の言葉の意味は分かりかねますが、わたしの今後の利益を重んじた上でのご提案であると考えます。ご厚意を無下にするのは良くないこと……ありがたくご提案を受け入れます」
「……良かった」
ドーグルは微笑む。
「そうだね、まずは人間らしく、君にも何か、名前を付けようか」
「……? 三号機です」
「それは製造番号だろう。まぁ、何事も形から……愛称とでも思ってくれればいい」
「愛称……」
ほんの少し目を見開く彼女に、首を傾げた。
「どうかしたかい?」
「いいえ。親しみを持つために与えられる呼び名ですね。素晴らしいものであるとマスターは評価されています。以前は赤角という愛称で呼ばれていました」
「……赤角」
「頭部フレームに取り付けられた識別用の赤い装飾パーツに由来しています。とても分かりやすい良い愛称だと認識しています」
変わらぬ無表情。
けれど不思議と、嬉しそうにも聞こえる声音に、眉を顰めた。
赤角――彼女に関する調べ物をしていた際に、そういう記述があったことは覚えていた。
ジャレィア=ガシェアという名は当時、戦闘用魔導人形の総称。
魔導帝国初代皇帝は多くの優れた魔導人形を開発したが、そのベースとなったのはアルベリネアが生み出したジャレィア=ガシェアのオリジナルであった。
月明かりの遺産。
興した国の名の通り、彼はアルベリネアにこの上ない敬意を向けた人物であったとされ、
『どこまで行っても見様見真似の出来損ない。これは偉大なる叡智の結晶を模倣した、紛い物の木偶でしかない』
己が生み出した魔導人形について、そう語ったという。
死を恐れず、痛みも感じることもない鉄機兵。
多数量産された魔導帝国製のジャレィア=ガシェアもまた、数で勝る連合軍にそれだけでも対抗しうる強力な兵器達であったが、彼の言葉の通りアルベリネアのオリジナルはそれと比較にならぬ戦果を挙げた。
そのオリジナルにも個体差があり、特に優れたオリジナルには当時、示威を目的に装飾が施されており――赤毛の女性で構成された『赤の女神達』によって初めて鹵獲されたのはそうした一機。
連合軍から特に恐れられた、赤角、と呼ばれるオリジナルであった。
「……君が目覚めてからというもの、信じられない、という言葉が尽きない」
「……?」
「いや、こっちの話だ。歴史にはそれほど興味を持たない側の人間だったんだが……過去とは地続きで今の世界があるのだと、そう思い知らされる」
ドーグルは苦笑する。
一万年も先の未来に名を残す存在が目の前にいて、こうして喋っていると思えば不思議な心地であった。
「まぁ、愛称の認識はその通りだ。三号機というのが君の製造番号で個体識別名ではあるのだろうが、僕ら人間は名前に色んな意味や願いを込めたりする。あるいは、意味や願いに名前を付ける、とも言えるか」
「難解です」
その言葉に、ドーグルは笑い、写真立てに触れる。
「……妹が欲しいと娘が言っていたんだ。友達の妹を見て羨ましくなったみたいでね。その内、良い子にしてたらできるかもしれないね、と妻と笑っていたんだが」
体内エーテル比率の多寡で、人の体は性質が変わる。
ドーグルも妻もエーテル比率の高い長命種。
寿命が長く、エーテル操作能力を有し、老廃物の体内変換、免疫力の向上と様々な点で利点もあるが、子供が出来にくいという難点があった。
概ね理由は両者の魔力による反発。
一種のアレルギー反応と言えば良いか、胎児になる前に体がそれを異物として排除する。
場合によっては胎児になった子供の持った魔力が原因で、それを異物と体が認識する。
自分のエーテルを他人の体内で動かすこと自体、比較的高度なもの。
エーテル治癒などは専門教育を受けた限られた人間にしか許されていないし、戦争が頻発していた時代はエーテル干渉そのものが一つの武器。
その防御手段の発展と、その防御手段を貫く研究が繰り返された。
生かすことは難しいが、殺すことはいつだって簡単だ。
エーテル義肢を扱い、専門的な知識と技量を持つドーグルのような人間であれば、何の備えもない一般人の頭くらいなら弾けさせることが出来る。
そうした事件は今も時折、ニュースを騒がせた。
エーテルは扱いが難しく、それをコントロールしようとすれば尚更。
長命種同士の夫婦はそうした不妊を避けるため、人工子宮を使うことも多かった。
その上、エーテルによる保護を受けてきた体は一見健康に見えるが、実際の所、生物としては非常に免疫が弱い。
出産時にエーテルが乱れ、その保護を失った途端に高熱を出して亡くなるケースは現代でもあった。
そうした危険から人工子宮を使いたいと説得したが、妻は自分のお腹で育てたいと自然な出産を望み、ドーグルが折れる形で自然な妊娠と出産を。
二人目もそうして授かれるならば、と娘のわがままに笑っていて。
――懐かしい、幸せだった頃の記憶。
「娘は言いつけをしっかり守って、お手伝いをしたりしながら、良い子にするから早く妹が欲しい、なんて。ご機嫌で色んな名前を考えて、僕達に教えてくれて……僕達も困ったものだ」
苦笑すると少し目を閉じ、彼女の顔に目を向ける。
モデルにした娘に似て、妻の面影もあり――大きくなれば、こんな風になっていただろう。
「君が今使っている体のモデルは、そんな僕の娘でね。死んだあの子が、色んな願いを込めた名前を君に付けたいと思う。……セナ、という名前はどうだい?」
「なるほど。短くて呼びやすく、合理的な良い呼称です。分かりやすさという愛称評価基準において、わたしでは判断は難しいところですが」
「愛称評価基準……?」
聞き慣れない言葉に首を傾げると彼女――セナは頷いた。
「短さと発音のしやすさ、そして分かりやすさという点で評価される愛称の評価基準です。頭髪がなく、鷲鼻であることからハゲワシ、同じく頭髪がなく眼鏡を掛けていたからハゲメガネ、髑髏のような顔だからガイコツ、など外見上の特徴を端的に表現することがこの評価基準の要点とされています」
「それは……」
愛称ではなく、蔑称や悪口なのではないだろうか。
困惑するドーグルに構わず、セナは部屋に置かれた鏡に目をやる。
「個性的とは言えず、面白味のない顔。しかし、その写真に映るその方を見る限り、博士としては分かりやすい愛称である、というのは理解が出来ます。ガイコツの子供であるからコボネ、など、そのような方に対しては関係性や、装備品の形状が愛称として適切と考えられていますので、分かりやすさという点でもやはり、悪くない愛称であるのではないか、と考えます」
「そ、そうか……」
愛称評価基準という訳の分からない要素の解説を受けつつも、ひとまず頷く。
存在しているということは、わざわざそんなものを組み込んだということである。
恐らくなどと曖昧枕を置く必要もなく、何の必要もない評価基準であった。
随分と遊び心のある人であったのかも知れないが、遊び心にしてもそんな基準をわざわざ設けよう、という発想が今一つ――いや、全く理解出来ない。
けれど同時に、そんな無駄な要素が組み込まれていることを思えばやはり、彼女はただの戦闘人形として作られた訳ではないのだろう、とも思えた。
今身につけているエプロンドレスも同様。
アルベリネアという人は、争いのない世界を見越した上で彼女という存在を生み出したに違いない。
大陸を統一した英雄であり、遙か未来の人間でさえ足元にも及ばぬ天才発明家。
果たして、彼女はどういう人だったのだろうか。
「しかし、一つ疑問が」
「……疑問とは?」
「お話を聞く限りお亡くなりになったという博士の娘は、少なくとも博士より若い方であったのではないかと考えます。相違ないでしょうか?」
「ぁ、ああ……娘だからね。それがどうかしたかい……?」
「ならばその妹に付ける名前をわたしに与えるのは不適格ではないかと」
セナは娘に似た顔で、無表情に小首を傾げた。
「年齢的に、わたしは姉です」
愛称評価基準。
その訳の分からない基準を与える前に、この子には教えるべき大事なものが他にも沢山あったのではないだろうか。
――ドーグルには、アルベリネアが分からない。
ドーグルの研究所は田舎町の郊外、山の中腹にある。
丈夫な岩盤に支えられた、小さな義肢工場を貸してもらったのが始まり。
当時は圧倒的に生体培養の義肢が市場のシェアを握っており、古くから続いた義肢技術は下火になりつつあった。
元々の体と遜色ない生体義肢の移植。
ただ単純に手足などを失った人間が求めるのは普通そういうもの。
ミナルシという星間文明の到来により、人類が得た生体義肢技術は革命的であった。
とはいえミナルシは人類の文化を大切なものと考え、その文化保護を重んじる。
焼き畑農業のように塗り替えるのではなく、揺るやかな技術啓蒙を行なった。
この星で生まれたエーテル関連技術は彼らにおいても未知の部分が多くあったのだろう。
そうしたこの星独自の産業や発展を阻害せぬように十分配慮されてはいたが、とはいえ新しい技術の波が起これば、旧来の技術は自然と消えていくもの。
彼らが与えた生体義肢は多くの人が望んでいたもので、その販路が拡大し、培養工場が増えていくほどに機械義肢のシェアは奪われていく。
機械義肢は培養待ちの間に合わせか、そうでなければ専門的な作業に従事する職人や技師のメカニカルツールとなっていった。
ドーグルにここを貸してくれたのは、メカニカルツールとしての機械義肢を製作している企業の一つ。
老舗で大昔は誰もが知る大手メーカーであったが、そうした技術革新の波に呑まれ大幅に規模を縮小。
現代ではこの田舎町で細々と、職人や技師向けの技師を作り、経営を続けていた。
ドーグルが革新的なエーテル義肢の研究をしたいと口にした際、資金援助もしてくれて、富と名声を得てからもここに暮らしていたのはそれ故。
都会に研究所を移そうかとも考えたが、妻もこの土地を気に入っていたし、ドーグルも同様。
研究開発は一人で出来るものではない。
この土地の多くの人に支えられたからこそ実を結んだものであったし、それを成し遂げたときには病床にあった会長と泣いて抱き合った。
娘が生まれたこともあり、生涯この土地から離れることはあるまいと、そう思っていた矢先に起こったのがテロ。
十分に警戒はしていたつもり。
抗議団体が押し寄せることもあったし、娘の送り迎えにも気を払った。
ドーグルの研究で豊かになっていった町の人間達も、そうしたドーグルのためにと色々なことに気を使ってくれていたが、ある日都市での公演の最中、爆破テロに。
ドーグルも負傷したものの、すぐ側でそれを聞いていた妻と娘が死んだ。
エーテル結晶を使った旧式爆弾――男が投げる際、手元を誤ったのが原因。
代わりに自分が死ねたなら、と思わない日はなかった。
彼女が目覚めてから半年――今では再び、名の知らぬもののない義肢メーカーとなった、ロクターナ社の応接間。
初めて来たときはパーティションで区切られたオフィスの一角であったが、現在は調度品の置かれたカーペット敷きの上品な一部屋となっていた。
壁に掛けられた額縁には従業員達の集合写真が飾られ、ドーグルと妻が映っていた。
ドーグルの隣では車椅子に座った会長が幸せそうに微笑んでいる。
自分の顔ではなく、そんな写真を嬉しそうに応接間に飾るような、そういう人であった。
「少し……顔色が良くなりましたね」
そんな会長に良く似た顔で、柔らかく微笑むのは社長、オルスであった。
年齢はドーグルより少し上。
精悍な顔に、若干の老いが刻まれている。
「そうでしょうか?」
「ええ。あの痛ましい事件からずっと……思い詰めるような顔をされていましたから」
曖昧に微笑む。
そんな出来事があってからしばらくは何も出来なくなり、研究員には暇を出した。
度々顔を出していたここに顔を出すこともなくなって、研究所で死んだように生きる日々。
忙しいだろうオルスはそんなドーグルを心配し、度々研究所を訪ね、近況などを。
「すみません。オルスさんには随分、ご心配を掛けました」
「いえ、お気になさらず。ただ少しだけ安心しました。……軽々しく慰めの言葉も出来ないこと。時間がほんの少しでも博士のお心を癒してくれたのならば、私はそれが何より嬉しい」
「……社長のお気遣いあればこそ。それは痛いくらい、伝わっていましたから」
時に疎ましく、けれどそれ以上にありがたく。
ドーグルが死という選択を選ばずに済んだのは彼のおかげだろう。
「我々がよく飲んでいたあの店はまだ?」
「っ、ええ……今でも私は時々」
「今度、少し飲みませんか? もちろん、僕の奢りで」
「そういうことならば、是非」
嬉しそうにオルスは微笑み、頷く。
近場にあるバーであった。
ここに来ると大抵、会長に誘われて、妻に飲み過ぎだと窘められて。
楽しい思い出の場所で、彼もよく一緒にいた。
自分には多少の才能はあったが、それ以上に人に助けられて来たのだと思う。
小さなことから大きなことまで、多くの人に支えられてきたからこそ何かを成せて、苦しいときにはいつも、差し伸べられる誰かの手があった。
長き戦乱の世を戦い抜き、遙か未来で目覚めた彼女。
そうした彼女にも、差し伸べられる手があるべきだろう。
ジャケットの内ポケットから取りだしたのは物理記憶媒体。
それを彼の前に置く。
「……これは?」
「恐らく、僕の研究の集大成になるものです。僕だけの力ではないですが」
「集大成……助手を雇われたので?」
「少し違いますが、そのようなものでしょうか。ただまぁ……一つ、恐らくそれが、僕の最後の研究成果となるでしょう」
その言葉にオルスは眉を顰め、ドーグルは苦笑し首を振る。
「安心してください、後ろ向きではなく前向きな理由です。研究とは別に、やりたいことを見つけたというだけで」
「そう……ですか。あなたほどの天才がと思えば残念ですが……しかし、そうですね。少し離れてみる方が、あなたにとっても良いのかも知れません」
オルスの言葉に頷く。
「ええ。とはいえ、ここを出るつもりも今は特に。……返しきれない恩もあります。それのことも含めて、僕に出来ることがあればお気軽に声をお掛けください。一線は退いても、お手伝い程度であればいつでも手伝いましょう」
「……ありがとうございます。そう言っていただけることが、何よりも嬉しい。しかし……博士のやりたいこととは?」
「実は、その件もあってご相談をと思いまして」
ジャレィア=ガシェア三号機。
セナの未来を考えた際、大きな問題はその出自であった。
許可のない人工知能研究は許されていない。
とはいえ、今回の件は扱いの難しいグレーゾーン。
ドーグルが人工知能研究を行なっていたのは事実であるが、それに関する成果物は存在せず、高度なエーテル義体を開発し、それにジャレィア=ガシェアのコアを組み込んだというだけ。
これに関して大きな問題が存在するか、それを回避する抜け道が存在するか、という相談が本題だった。
ジャレィア=ガシェアのコアは長年様々なアプローチで研究が行なわれてきた。
遙か太古にアルベリネアによって刻まれた術式や構造解明が主な目的。
どこまで行っても戦闘用機械人形のコアである。
まさかその実、体さえ用意すれば発話さえ可能な、現代技術など遙かに凌駕する人工知能であるなどと誰も想像していないし、それをドーグルが復活させたと知られれば世界的ニュースになる大事だろう。
ドーグルには彼女を人前に出すつもりなど更々なかった。
人目を引けば良いものも、悪いものも寄ってくる、ということは誰よりも身に染みて理解している。
ただ、万が一彼女の存在が露見した際の対策は練っておく必要があるし、一万年を経て何の問題もなく動作する彼女のことを思えば、ドーグルの死後どうするかについても考えておく必要があった。
人工知能の研究をしていた、と告げた際には流石にオルスも険しい顔をしたものの、精神的に仕方がなかったのだろうとすぐに受け入れてくれ、そして彼女のことを。
そして先ほど渡したデータ――彼女の助言を経て最適化され完成した、新型義体の設計図を見せると目を丸くし、にわかには信じられないといった様子であった彼も事情について了解する。
そして一度会ってみたいと告げる彼を連れ、ドーグルの研究所に。
「いらっしゃいませ。当家使用人、セナと申します」
「……あ、ああ、初めまして、セナ君。私はオルス=アローズだ。博士とは古い付き合いでね、公私共に仲良くさせてもらっている」
恭しく、古風なエプロンドレス姿で頭を下げる彼女に目を丸くしつつ、疑うようにドーグルを見る。
「誓って、僕が着せたものでは……お伝えするのを失念してました」
「そ、そうですか。いえ、そうでなくとも否定するつもりはないのですが……」
不名誉な誤解を避けるように慌てて告げ、応接間へ。
テーブルにはクッキーが置かれており、ティーセットが用意されていた。
二人を案内すると、ミルクについてを尋ねながら二人に紅茶を注ぎ、楚々として立つ。
オルスはその様子に目を丸くしながらドーグルに目をやった。
「これも……博士が学習させた、ということではなく?」
「ええ、使用人としての仕事については、元々機能の一部として組み込まれていたようで。この衣装も彼女なりの正装のようで……自分で裁縫したものです」
「……自分で?」
「何というか、色々な面で妙なこだわりが多い子で。制作者のオル――」
「アルベリネアです、博士」
「す、すまない……まぁこの調子で、発音にも少し厳しい」
オルスは困ったように笑うドーグルと、無表情のセナを眺めて、静かに微笑む。
「……なるほど。博士の気持ちが落ち着かれた理由も、少し分かりました」
ドーグルは恥ずかしそうに頷く。
「見ての通り、娘のメイアがモデルです。セナ、座って構わないよ」
「はい」
姿勢正しくソファに腰掛け、セナは視線をクッキーに向ける。
ドーグルが頷くと、自分で作ったクッキーを食べ始めた。
ほんの少し頬を緩める彼女に、オルスは驚いた様子でそれを眺める。
「半年前、彼女が目覚めた時には実用性を考え、動力は液化エーテルによる充填を前提としていたのですが……彼女が目覚めた頃に一つ約束をしたんです」
「約束?」
「彼女が長年抱いていた疑問を解消する手助けをすると。その疑問を解消するには人の心を理解することが一番だろうと僕は言い、それならば解像度を上げるため、より人に近しい外装が欲しいと彼女は答えて、色々と改良した結果、現状彼女はほとんど人そのものです」
信じられない、といった様子でオルスは彼女を見つめた。
「私のエーテル有機義体を彼女と共に色々と改良しましてね、ある意味では新人類とも言えるでしょうか」
「……新人類」
「それについて書いた、高校の時の馬鹿な論文を思い出します。人類を新たなステージに、などとありきたりな文句を見出しにつけた……世の中を何も知らなかった頃の愚かな夢の完成形が彼女でしょう。あのデータはその副産物です」
「それで……最後の研究成果、と」
「ええ。僕の研究は彼女が完成させてしまいましたから」
憑き物が落ちたように、呆れたようにドーグルは笑った。
「人を超え、そうでありながら人そのものと言える体。以前のエーテル有機義肢に関する騒動などとは比べものにならない騒ぎになるでしょう。お渡しするかも少し迷いましたが、私がただ眠らせておくより、オルスさんに渡す方が良いだろうと思いましてね。扱いはお任せします」
「博士も軽々しく、あまりに重い責任を私に押し付けなさる」
「死人のようであった僕を気遣い、何かと連絡をしてくださるお人好しな方ですから、ついつい甘えてしまいました」
「……全く」
オルスはドーグルを睨んで嘆息し、紅茶に口付けた。
そしてクッキー割り人形と化していたセナに目を向ける。
「……何か?」
「いや、本当に人のようだと思ってね。あのオルブ――」
「アルベリネアです。オルス様」
「……失礼。あのアルベリネアが作ったというジャレ――」
「じゃらがしゃです。オルス様」
「……、すまない。その、じゃらがしゃという存在については知っている。クリンメ――」
「クラインメールです。オルス様」
「…………、すまない」
話しかけようとしたオルスは訂正の嵐に言葉を失い、ドーグルは、すみません、と苦笑する。
「どうにも僕が度々間違えて口にしてしまうせいで、近頃は更に厳しくなりましてね。彼女も悪気がある訳ではないのですが……」
「博士、誤った発音の指摘に何か問題がお有りでしょうか?」
「いや……他ならぬアルベリネアが君に望んだことだ。僕としてもそれに関して強くは言えないが……円滑なコミュニケーションを進めるためには少々の発音の誤りはひとまず聞き流し、相手の言葉を聞き終えてから指摘する、というのが良いとは思うんだが」
ドーグルが告げると、セナは眉間に皺を寄せて考え込み、頷く。
「なるほど。博士のご提案は対話コミュニケーションにおける今後の基準として、十分考慮に値すると判断します」
「……良かった」
安堵するドーグルをじっと見つめ、セナは尋ねた。
「ですが博士。博士は以前、名前は色んな意味や願いを込めたりするものであると仰り、わたしは名前が非常に大切なものである、という解釈を行ないました。その解釈に間違いはないでしょうか?」
「ぁ、ああ……そ、そうだね」
「誤った呼称を見過ごすことはこれを軽んずる、ということになります。円滑なコミュニケーションのためにはこれを犠牲にすべきである、ということでお間違えないでしょうか?」
「そ、そこまでは求めてないんだが……何と説明すべきか……」
彼女は非常に優秀であったが、融通が利かない。
頭を悩ませるドーグルを見て、オルスは笑う。
「なるほど。……研究を続ける以上に、こちらの方が大変かも知れませんな」
「娘の時には妻が上手く言い聞かせてくれたものですが……少し懐かしい気分です」
ドーグルは少し寂しそうに苦笑する。
その表情を見たオルスは目を閉じ、頷いた。
「お渡しいただいたデータ、しばらく私の手元に預かります。目先の利益を目的に、軽々しく使うべきものではないと思いますから」
「……?」
「我々に対する、博士なりの誠意なのだろうということは分かります。博士は富や名声などもはや欲してはおられないでしょうし……博士に何のメリットもない。我々が誤って扱えば、博士の身辺も騒がしくなる。見合った人工知能さえ揃えば、彼女のような新たな人類さえ生み出してしまえる代物なのですから」
オルスはドーグルを見つめた。
「その上でも受けた恩義を返すべき、厄介な頼み事の対価だと、私に委ねたつもりなのでしょうが……博士の研究は父の悲願を叶え、そしてその後を継いだ私も、この社名を再び世界に知らしめるという大きな目標を叶えました。……博士に返しきれない恩義があるのは我々の方。それに博士……私はあなたを無二の友だと思っている」
ドーグルは目を見開き、そしてオルスは寂しそうに告げる。
「貸し借りや損得勘定での関係なんて、そんな関係性はずっと昔に通り越したものだと私は思っていました。あなたのところに何度も訪ねたのも何もかも、ただ私が、ほんの少しでも苦しむ親友の助けになれればと、そう思ったからです」
「……オルスさん」
「……友が苦しんでいれば、助けたい。ただそれだけの単純な気持ちと行為を、返すべき借りだなんてあなたに思われているのなら、私は寂しい」
そう告げられ、ドーグルは言葉を失い、オルスは微笑んだ。
「……博士にとって私は、ただの取引先の社長なのでしょうか?」
「いいえ、決して……そのようなことは」
「真面目過ぎるところは博士の美点でもあるが、欠点でもある。あなたが私を友だと思ってくれるなら、話は簡単です。……ただ、頼ってくれればそれでいい。あの悲惨な事件からずっと、私はどうにかあなたという親友を助けたいと、ただそう願ってきたのですから」
その言葉を聞いて、ドーグルは頭を下げる。
涙をぐっと堪えるように、唇を引き結び。
「……ありがとうございます、オルスさん」
笑ってオルスは首を振った。
「それに元より、大きな目標を達成して、さて次はどうしようか、と考えていたところなのです、私も。……あなたが初めて、我が社を訪れた時を覚えていますか?」
「……ええ」
まだ金も実績も、何もない頃だった。
高名な研究者の下で助手として働いてはいたが、方針の違いからそこを離れて職もなく、研究成果も何もない頃。
何とか気を引こうと、製品の改善点を指摘したメールを挑発的に送りつけたドーグルに対し、亡くなった会長は度胸があると笑って迎え入れた。
大口を叩いたからには改良してみろ、そうすればお前のプレゼンも聞いてやる、と最初は技師として。
博士という呼び名も、敬意からではなく愛称で、当時は半分夢だけ大きい若造への、苦笑交じりのもの。
「当時は、また父の酔狂だと呆れたものです。もはや斜陽の業界、いかに老舗でも社員を食わせていくので精一杯の中小企業だ。かつてのような、世界に知らぬ者のない大企業にするなどと、世迷い言の大言壮語を吐くのは父ばかり。……そんな人が突然、エーテル義肢に革命を起こす、なんて言ってるおかしな若者を連れてくるんですから」
呆れたように告げる彼に、ドーグルは苦笑する。
酔っ払う度、当時のドーグルはそんなことばかりを口にしていた。
「けれどあなたの熱意は本物でした。私も社員達も、そんなあなたに夢を見せられて……彼に社運を託してみたい、と父が口にしたときに、それを否定する者は誰もいなかった」
オルスは真っ直ぐとドーグルを見つめる。
「博士は我々に夢を見せ、素敵な未来に導いてくれました。私もあなたに素晴らしい夢を見せ、そんな未来に導きたい。この先十年、二十年……あるいは残りの人生を全て使って、私は博士を手伝いましょう」
「オルスさん……」
「誰より幸せになるべきあなただけが、不幸に落とされたことがずっと……私は納得が行かなかった。そんなあなたが彼女に未来を与えたいと仰るなら、是非もない。信頼の出来る者に色々と相談してみましょう。法律だけではなく、世論も含めて色々考えて行く必要があります」
ドーグルは、はい、と頷き、そして堪えきれず目頭を押さえた。
「……人類を新たなステージに。子供の夢と仰った通り、壮大で、素晴らしい目標だ。博士はこれで完成と仰ったが、その研究の完成には、この義体で彼女が、人としての新たな人生を歩む姿が必要でしょう。私に是非、協力させてください」
そんな彼にオルスは微笑むと、
「……こうして博士がセナ君と出会ったのも、ある意味オルブリナーの導きというもの。私も義肢の会社をやっている人間、当たり前のように使わせてもらっている素晴らしい刻印の数々を思えば、博士に対しても、オルブリナーに対しても、それが一つの恩返しになります」
立ち上がり、ドーグルに右手を差し出す。
「また以前のように、同じ夢を見ようじゃありませんか、博士」
少し間を空け、ドーグルも立ち上がり、そんな彼の手を握り返した。
ドーグルは薄らと涙を滲ませ、笑い。
「ええ」
オルスもまた優しげな笑みで、強くその手を握りしめる。
「オルス様」
そんな二人の様子をクッキーを囓りながら眺めていたセナは声を掛けた。
「何だい、セナ君」
「アルベリネアです」
冷ややかな声に、場には静寂。
しばらくの間、クッキーの割れる音だけが部屋に響いた。





