遠き遠き、未来にて 一
注:気晴らしの未来IFだった『深淵に潜む脅威』の時系列的続編です。世界観が崩れるのが嫌な方は(
――踏み込みからの右腕部での薙ぎ払い。
ナンバー103頸部、ナンバー18頭部、ナンバー53頭部を破壊。
攻撃評価『中々良いです』と判定。
確認出来た敵性個体187体中76体の生命活動停止。
「魔導投射機を回避するなんて……っ」
「これがオリジナルなのかよ……っ、こんなのどうやって――」
「怯むな! クレイド! お前は右から行け! ハス、お前は後ろだ!」
敵性集団の抵抗力健在。
注目度からナンバー52を『羊』から引き上げ。
処理優先目標『犬』として再認識。
肉体拡張レベル『へたっぴ』、反応レベル『だめだめ』、技術レベル『よわよわ』、戦術レベル『マシな方のお馬鹿』、特記事項なし。
左腕部魔導投射機に対する反応、回避不可と判断。
「固まるな! 次の合図で組み付いでッ!?」
ナンバー52の胴体に射撃命中、破壊。次弾装填。
「れ、レーヴっ!! 嘘だ、がっ……」
右脚部による蹴り上げ。ナンバー24の頭部を破壊。
敵性集団の抵抗力に下方修正。
『犬』の消失による致命的な士気損失、組織的抵抗力の喪失と判断。
「に、逃げろ! 撤退、撤退だ……っ!」
ぴかぴーか命令23『掃討』により、追撃戦に移行。
確認出来た敵性個体187体中78体の生命活動停止。
「やめ、ひ……っ」
――右腕部を振るい、対象の頸部を両断。カウント185。
振り返り左腕部の魔導投射機を使用、対象の胴体を破壊。カウント186。
確認出来た敵性個体187体中186体の生命活動停止。
「こんな、嘘よ……みんな……」
敵性個体残り1。
ナンバー13――再確認。赤毛。女性個体。非エプロンドレス。武装状態。
最重要規則1『何があっても絶対駄目です』に抵触。
ぴかぴーか大命令3『敵部隊の掃討』から除外済み。命令達成と判断。
帰投開始。
右腕部実体剣、軽微の摩耗。刃こぼれ27。
装甲、内部共に損害なし。
内蔵魔力残78%。
血液、肉片の付着大。
戦闘評価項目3『道具は大事に』に改善の余地あり。
戦闘評価項目7『整備する人のお仕事を増やさない』に改善の余地あり――背後からの投石を回避。
「っ、わたしも殺しなさいよ! 返り討ちにしてやる……っ!」
ナンバー13。再確認。赤毛、女性個体。非エプロンドレス。武装状態。
最重要規則1『何があっても絶対駄目です』に抵触。
ぴかぴーか大命令3『敵部隊の掃討』から除外済み。
帰投再開。
「何で無視するのよ! わたしも殺せ! 殺しなさいよ! この、化け物……っ、なんで……っ、なんで……!」
ナンバー13よる攻撃継続なし、戦意喪失と判断。
逃走の必要なし。
本事例を次回調整時における最重要規則1の改定材料として保存する。
――最重要規則1は製造目的に対し、非合理的と判断する。
「まさか……自分でエーテル神経網を繋げていくとは」
1万2456年振りの起動であった。
以前とは随分と異なる外装――品質は当時と比較し、非常に良好。
外装自体に魔力による回路が高い密度で組み込まれており、精密動作、発話も可能。
五感が備わったこの外装構造は、マスター達を模したものであるようだった。
頭部と思わしき部分には情報が記録された集積回路が存在しており、それを読み取れる形に変換、解析処理。
その情報精査に少しの時間を掛けると目を見開き、体を起こす。
胸部の発達と骨格、情報を見るに、女性を模したものだろう。
防御力という点でやや脆弱――戦闘を行なうには懸念があった。
指を動かし、コアからの命令が正常に動作していることを視覚で確かめると、運動処理を最適化。
部屋にいた起動者に目を向ける。
「っ……!?」
「外装の制御最適化を完了。年数経過により前命令者は死亡したと推定、再度ぴかぴーかによる認証をお願いします」
起動者らしき男は驚いた様子で距離を取り、背後にあった机の上の書類を撒き散らした。
その反応に疑問を浮かべつつ、もう一度告げる。
「再度ぴかぴーかによる認証をお願いします」
「ぴかぴ……?」
「ぴかぴーかです」
「それは……その、ぴかぴーか……とやらで認証が行えないとどうなるんだ?」
「敵対者の排除を含む、当個体三号への命令一切を受理出来ません。中立状態として生命への攻撃行動は自衛を除き禁じられ、ぴかぴーかによる再認証が行なわれない限り、『お手伝いさん機能』のみ実行可能な戦闘待機状態となります」
「戦闘待機……えと、君は――いや、それよりひとまずこれを」
男は身につけていた白衣を手渡した。
「これを?」
「今はその……裸なんだ。とりあえず身につけてくれると嬉しいんだが……」
「装甲としては脆弱ですが、好意として受け取り、要望に答えます。当外装はあなたによって提供されたものでしょうか?」
「外装……あ、ああ、その通り……だが」
「ありがとうございます。お返し対象として認識しました」
白衣のボタンを留めると、姿勢正しく頭を下げる。
「わたしはじゃらがしゃ三号機。何かご要望はお有りでしょうか?」
そして、無機質な青い瞳で三号は尋ねた。
――子供の頃に夢見たのは博士であった。
娯楽作品に出て来るような、人と変わりない機械を作るロボット博士。
ただ、熱心に勉強を始めたドーグルはすぐに、そうはなれないことを知った。
そうした自由意思を持つロボットの作成は倫理性の問題から違法とされており、研究自体が禁止されていたのだ。
大いに嘆いたドーグルであったが、とはいえ大人になればその理屈は理解出来るもの。
幸い多くの機械にもその関心は向いていたこともあり、勉強を重ねて大学に。
そこでかつての夢の名残もあり、機械義肢の研究者となった。
生体培養による移植が盛んな現代、もはや時代遅れの異物と言えるエーテルを用いた機械義肢。
研究の末、思い浮かんだのはエーテル伝導率を高めた、有機的で人の体と遜色ない、最高の義肢であった。
脳さえ無事であれば、移植することでそのまま新たな体となる。
類似したものが過去にも多く存在していたが、最新の研究を踏まえたドーグルのそれはそれらの先を行くものであった。
研究は成功し、新人類への第一歩と銘打たれたドーグルの有機的なエーテル義肢は、加速培養による生体義肢のシェアに大きく食い込む形で世界に広まった。
莫大な富と名声は若き天才科学者としてドーグルの生活を一変させ――そうして悲劇が起きたのは三十四歳。
反機械化を謳う過激派組織のテロの標的となり、妻と幼い娘を失うことになった。
幸いなのはそれが爆破テロで、二人が即死であったことくらいだろう。
形さえ残らなかった二人の死を悲しみ、嘆き、禁止されていた研究に手を出すことになったのはそれからのこと。
どうあっても、妻も娘も戻らないということは理解していたが、その喪失感と悲しみを埋められる希望が必要だったのだ。
妻や娘の代わりになり、少しでもその隙間を埋めてくれるような、そういう存在をこの手で作り出す。
言うなればそれは、心に繋ぐための義肢であった。
当然、研究は難航した。
人工知能の研究者ではなかったし、研究論文へのアクセス権すらもない。
特に高度な人工知能に関する研究はクローズド、違法な研究がされないよう司法機関の監視を受けながら進められるもので、ドーグルが参考に出来るものと言えば、精々市販されている高級機械の解析くらいのもの。
完璧な機械の体を生み出せはしても、そこに収める頭脳を生み出せはしない。
そんな折りにドーグルの所へ訪ねてきたのは古物商。
ドーグルの莫大な資産に期待するハエの一人。
とはいえドーグルにも様々な付き合いがあったし、邪険には出来ない相手もいる。
その内の一人がその男であった。
うんざりとした顔で客間に招いたドーグルに、男が見せたのは魔水晶であった。
今では珍しい、不純物の多い天然の魔水晶。
拳大の大きなものであったが、驚いたのはその中で形を変える夥しい術式刻印。
「これは……」
「はは、目の色が変わりましたな。遙か古の時代に刻印されたとされる魔水晶です。オルブリナーはご存じで?」
「……エーテル操作の基礎を作ったという偉人だろう? エーテル義肢を研究する身だ、君よりは知っている」
「まさに。偉大なる始原法術師として、この時代にまで名を残されている方です」
「これを刻んだのがそうだと? 馬鹿馬鹿しい……神話が混じるような時代の話だ。僕はあいにくそうした話には懐疑的でね。歴史学者の中には史実と神話の違いも分からず、そのような世迷い言を信じる人間もいるそうだが……」
1万と数千年前の大昔。
人類の歴史というものは地続きではない。
地殻変動による火山の噴火、異常気象など、一度人類は滅亡寸前にまで追い込まれており、多くの記録を喪失した。
良識ある歴史学者はその前後を明確に区別している。
世界樹を生み出したのは、エーテル虹を生み出したのは、とオルブリナー神話は人気であったし、興味がなくても名前程度は誰でも知っているが、剣と槍で戦っていたような原始時代の話なのだ。
創世神話のようなものだとあえて馬鹿にはしないまでも、大袈裟に記される彼女の偉業までは信じてもいなかった。
「そういうイミテーションにしては良く出来ているが――」
どういう仕組みか確かめようと手を伸ばし、エーテル精査しようとすると、
「――お待ちをっ!」
唾を飛ばさん勢いで立ち上がった男は制止する。
「これは正真正銘の本物です、ドーグル博士。エーテル干渉して良いのは表層だけで、内部を探ろうとするとエーテル崩壊を起こします。過去にもそれがニュースになっているくらいで……」
「エーテル崩壊……」
「ええ、ご存じかどうか、十七年前のものですが……」
そのあまりの剣幕に呆気に取られながら、彼のデバイスから投影されたニュース記事を眺める。
古代エーテル結晶による爆発事故、という見出しの記事で、二十人の研究者が犠牲になったというもの。
ドーグルの記憶にも高名なエーテル研究者の死亡事故として残っている。
「真贋を鑑定するために精査されること自体はお止めしませんが、くれぐれも表層まで。恐らくそれだけでドーグル博士にもこれが本物であるとご理解いただけるかとは」
「わ、分かった……」
そういう演技かと思ったが、普段は決して笑顔を絶やさぬ男。
付き合いは長いが、声を荒げたところを見たことはない。
興味が引かれ、エーテルを通してみると、すぐに彼の言葉を理解した。
「っ……」
結晶への術式刻印は未だ完成されたとは言えない技術の一つであった。
霊質と呼ばれるエーテルは非常に不安定な存在。
エーテル結晶のように物理的性質を持つこともあるが、厳密な意味で物質と言えるものではなく、科学的に未解明な部分が多い。
その不規則な動きはエーテルの揺らぎと言われ、それが扱いを非常に難しいものにしていた。
電気式の機械記述は精度が高まって尚、刻印の精密さにおいて限界があり、今でも高度な刻印においては刻印技師による手作業が必要となる。
刻印を複製することは出来ても、その大元となるエーテル原盤へ刻印するには人の手が必要であったし、原盤からの複製作業自体、複製結晶を人が扱う必要がある。
無論、過去幾度となくこうした作業を機械に代行させる研究が行なわれてきたが、年々増していく電気式機械のシェア。
費用対効果の薄さから、現在のような形に落ち着いたらしい。
そういう事情もあって、目の前のこれも手作業で記述されたものということになる。
ただ、その刻印の異常な密度、繊細さ。
どれを見ても人間の手で行なわれたとは思えない。
毛の一本のようなラインがそもそも、そう見えるだけで記述式。
拡大鏡を持ち出しても見えるか分からないような、狂気の密度で術式が刻印されていた。
機械記述どころか、現在の複製結晶を利用してもこの常軌を逸した術式刻印の複製は不可能だろう。
「……これは、一体何に使われていたものなんだ?」
思わず尋ねた。
過去の遺物どころか、遙か未来から持って来たものと言われた方がまだしっくりと来る。
「調べた限りではどうやら、自動人形のコアとしてこれが用いられていたとか……」
「となると、この表層部分は全て、伝達回路なのか」
彼自身、義肢にはエーテルによる術式刻印を利用している。
ドーグルが驚いたのは、その構造が彼の作る義肢に酷似していることだった。
ドーグルのそれは疑似神経回路による動作補助として、エーテルによる仮想筋肉を用いる。
その点に関して自分は最先端の科学者であった。
しかし、そこに刻まれるその密度はその比ではない。
恐らく動作補助ではなく、仮想筋肉を主体として五体を動かすためのもの。
見合う体さえあれば、人間の体など容易に扱うことが出来るだろう。
神の御業と言うしかない、神懸かり的な術式刻印。
刻んだ者がいるとすれば、それは人間ではなかった。
もはや金額など気にはならず、購入を決めるとすぐさま義肢の調整に取りかかる。
上手く行けば、この研究の先が見えるかも知れない。
そういう期待に動かされるように、ほとんど眠りもせず作業に没頭し、起動実験にこぎ着けたのはその一ヶ月後。
そして、今に到る。
「お茶を用意しました、博士」
「あ、ああ……」
研究室でデータを眺めていると、入ってきたのは娘に似た、栗色の髪の少女。
身を包むのは何とも古風なエプロンドレスであった。
外装を提供したドーグルに対し、『お返し』をしたいと告げる奇妙な彼女との生活が始まって一週間。
彼女の『お手伝いさん機能』とやらは文字通り手伝いをしてくれる機能だそうで、彼女の中にある規則に反しない限り大抵のことを手伝ってくれるらしい。
あっという間に最新式の設備を学んだらしい彼女によって、家の中は妻がいた頃のように清潔になり、手間を掛けた料理までが出て来るようになっていた。
そんな彼女が唯一自分から希望したのは、妻の部屋にある裁縫道具を使わせて欲しいというもので、承諾すると翌日にはこの姿。
『私に記録された制作者記述から、この衣装が最も『お手伝いさん機能』に適したものであると判断しました。また、エプロンドレスのみ、複数の評価項目で『とても立派』『素晴らしい仕事着』『ベリーと一緒』等、マスターから非常に高い評価がなされています。不快であれば別の衣装を作成します』
何故そんな服を、と尋ねると、返ってきたのはそんな答え。
やめろとは言えず、諦めた。
ドーグルが作った訳ではないが、どちらにせよ一見人間に見えてしまう彼女を人前に出せば、色々な問題がある。
趣味を疑われそうな格好でも、他人の前にさえ出さなければ問題はない。
三号は姿勢正しく、紅茶を飲むドーグルをじっと眺める。
「まぁ、その……なんだ。座ってくれ」
「はい」
ひとまず椅子に座ってもらうと、やはり姿勢正しくこちらを見る。
どうにもやはり、落ち着かない。
「君から聞いた話を元に、色々と調べてみたが……クリンメル帝国崩壊時にほとんどが破棄されたようだね。現存しているコアと思われるものは、確認出来る限り三つほど……表に出ていないものがもう少し残っていても不思議ではないが」
「クリンメル帝国とは?」
「アルベランの後、千年ほど続いた統一国家だ」
「なるほど、正しい発音はクラインメールです」
「……すまない」
構いません、と告げながら、発音に関して三号は微妙に厳しかった。
当時、ジャレィア=ガシェアと呼称されていたようだが、制作者による命名はじゃらがしゃであり、発音を度々訂正させていたらしい。
普通逆ではないのかと思うが、彼女の記憶力は凄まじい。
間違いではないのだろう。
「また君の話を聞きたいんだが……いいかい?」
「構いません」
「君の……意識のようなものが目覚めたのはいつの話なんだ?」
一番聞きたいのはそこであった。
一見、彼女は人そのもの。
兵器として作られたとは思えないほどに高度な人工知能を有していた。
「思考回路の大きな変化としては、三回目の大規模改良と思われます。大陸中央部、大陸東部の統一における運用で、マスターに必要十分という評価をいただき、そこからの改良、じゃらがしゃ間での経験共有も行なわれておりません」
「必要十分……」
「コスト的観点から満足が行く戦果と考えます。その後72回の出撃を含め、敵性個体の殺傷カウントは8234。概ね一機で千人を殺傷する兵器として作られたため、わたしはマスターの要求水準を満たしています」
八千、という数字に目を見開き、眉を顰めた。
かつての魔法文明が有したという殺人人形。
ネットで拾えるような知識は眺め、理解していたつもりだが、改めて明確な数字を聞くと情報が生々しさを帯びてくる。
他人から聞けば下らないと笑ってしまうような内容でも、超越的な術式刻印と目の前の現実を見る限り、それが嘘とは思えなかった。
何よりも恐ろしいのは、原始的な兵装でそれだけの人間を殺したという事実。
現代に存在するような兵器を使用した訳でもなく、敵の眼前に堂々姿を現わし、それだけの人数を殺していったということだ。
一回の出撃で、百人以上。
当時はそんなものが数千機も存在していたという記録もあった。
――原始的な戦争の時代に。
「個体ごとに差異が生まれたのはそれからでしょう。経験共有が行なわれなくなったことで、判断能力にも明確な差が生まれて行きました。そうした個体による思考、性能の差を意識と定義するのであれば、そういうことになります」
「……信じがたい話だが、信じるほかないんだろうな」
完成された自律型人工知能。
そんなものが遙か太古、既に存在していたと言われて、信じろというのが無茶な話。
彼女はドーグルが用意した外装を認識すると、用途や形式を読み取り、いとも容易く掌握した。
1万2000年振りの起動――当時とは基礎技術という点で隔絶しているにもかかわらず。
与えられれば最新鋭の艦船やデータベースさえもあっさりと管理、掌握してしまえるのではないか。
そういう何とも言えない確信さえあった。
当時には存在していなかった先進技術さえも、瞬時に解析、把握し、掌握する。
彼女のコアに刻まれた演算能力は、その大きさからすると常軌を逸していた。
工業的なエーテル式機械のコアは肥大する。
精密さに限界がある以上、コア自体を大型化にすることで工業生産を容易にするのが主で、電気式機械のシェアが増すほどその傾向は顕著になった。
高度で複雑な回路という面では大量生産が容易な電気式には勝てず、エーテル式は主にそれ以外の用途で使われるようになり、必然的に精密さが求められない分野に力を入れた。
一時期は最高峰の演算器として、著名なエーテル技士が集まり、巨大なエーテル結晶を用いた演算回路が電気式に勝っていた時代もあったが、それを上回る電気式が生まれて以降、そういう競争自体をやめ、今ではエーテル式の演算回路自体アンティークに片足を突っ込んでいる。
しかし彼女という実例は、そうした技術進歩の歴史に反していた。
「聞けば聞くほど、疑問が湧く。ガタール=ゴ――」
「がったんごーとです。博士」
「ぁ、ああ……そのがったんごーとも調べてみる限り、当時の技術水準を遙かに上回ったもの。後に類似品は生まれたようだが、調べてみた限り、動力のエーテル効率が雲泥であったというのは確からしい。冶金技術を含めた工作精度など、現代から見れば稚拙で非効率的な部分は多いが、対してエーテル関連の技術は遙か未来から持って来たものかのように先進的だ」
根本的に、現在知られているエーテル学の理論から逸脱しているとしか思えない。
歯車さえ手作業で作っていたような時代の産物が。
アルベリネアの関わった部分だけが、この宇宙航行さえ可能になった時代においてなお、再現不能なロストテクノロジーになっていた。
いつの時代にも天才はいる。
だが、どのような天才も当時の基礎理論に基づき、人類を次のステップに導いているだけだ。
アルベリネアの発明――義肢や鉄道網の構築などはまだ理解は出来る範疇にあるが、目の前にある彼女のコアやエーテル技術に関しては明らかに違う。
「アルベリネアはミナルシのような、星系外文明の宇宙人だったりしないのか?」
「概ね、現在ベヌア人と呼称される博士同様の生物種との差異はないと思われますが」
三号は小首を傾げた。
「宇宙人であれば納得が?」
「いや……そう考えた方がずっと理解しやすいと思っただけだ」
ドーグルは嘆息する。
「人類の技術レベルが飛躍的に向上したのは、彼らが惑星ベヌアに降り立ってから。銀河を横断するような星間航行を可能とする彼らの文明は、人工衛星を打ち上げるのが精々……有人での月探査さえまともに行なえなかった当時の人類に比べ、遙かに先進的であった」
突如宇宙より飛来した、爬虫類に似た巨人達。
長い寿命と高い知性を有し、技術においては人類の遙か先。
彼らとの接触がこの星の文明を遙か先へと導いた。
「アルベリネアがそうした先進文明の技術者であったというなら、当時からすれば異様な発明の数々にも納得が行く……そういう下らない話だ」
ドーグルがエーテル技術にこだわる理由には彼らの存在があった。
何かを研究するならば、彼らによって掘り尽くされた分野とは違うアプローチで挑みたい。
そういう考えが根本にあり、エーテル技術を用いた先進義肢研究もそこが始まり。
とはいえ、それが1万数千年も前にほとんど完成され、それどころか遙か先に到っていたという事実には、途方に暮れる思いがあった。
無論、そもそもエーテル義肢の始まりはアルベリネアに由来する。
義肢の間接部に使われたという魔水晶を見たこともあったし、それ自体は非常に精密ながら、お手本のようにシンプルな刻印。
太古の昔に刻まれたとすれば驚きの品だと感心もしたが、それくらいのことだ。
刻印自体の驚くべき精密さを除けば、あくまで現在使われているエーテル義肢技術の骨格部分を担うもの――必要最低限のものであった。
ただ、それは意図的だったのだろう。
当時の技術レベルに合わせ、多くの者に理解出来るよう、単純な構造で使えるようにレベルを落としていただけ。
アルベリネアが刻んだ彼女のコアを見れば、望めばドーグルの開発した義肢など容易に超越した代物を作れただろうことは間違いない。
ドーグルの義肢は、愛する妻と娘を失う結果を招いた。
しかしそれさえ、既に誰かが通り過ぎた道の途上。
革新的な発明でさえなく、ただの車輪の再発明でしかなかったとすれば、これまでの人生は――妻と娘の死は何であったのかと思えてしまう。
「……博士?」
「……いや」
首を振ると、写真立てを手に取った。
画像は数秒ほどで、違う画像へと切り替わる。
どれも、妻と娘が映ったものであった。
「僕は自分の研究が意義のあるものだと思って来た。無論始まりは自分のため、好きなことをしているだけであったが……ただ楽しいだけで、物事を継続出来る人間は少ない。何事も継続すれば楽しいだけじゃなく、行き詰まることも、辛いこともあるからね」
二人の顔を指でなぞるように、目を細める。
「だからこれは、誰かを幸せにするための研究だと思うことにしたんだ。……そう思えば辛くても、投げ出したくなっても、これは苦労してやる価値がある、とても大切な研究なのだと自分を奮い立たせることが出来たから」
深い息を吐いて、写真立てを置いた。
「その後、多くの喜びの声が届いて、僕もそれまでの苦労が報われた気になったが、その発明をよく思わない者もいてね。……嫌がらせや中傷だけに飽き足らず、彼らは僕の妻や娘の命を奪った」
何故、とどれだけ繰り返しただろうか。
分からないほど、心の中に疑問が浮かんで答えが出ない。
「それでも自分の研究に救われた者がいる……そう思うことで自分を保とうとしたけれど、君を見ていると笑えてくるよ」
「……?」
「僕の努力は、誰かの足跡をそれと気付かずなぞっただけだ。僕のこれまでは一体何なのか……何のために生きてきたのか、分からなくなる。妻や娘が、何のために死んだのかも」
不思議そうに三号が首を傾げるのを感じて、苦笑する。
「……気にしないでくれ。愚痴と戯れ言だ」
「はい、博士」
返って来る言葉は、無感動な響き。
むしろ感情の色のない、そんな言葉がドーグルには優しかった。
「質問をよろしいでしょうか?」
「何だい?」
「博士は死ぬことを望んでおられるのでしょうか?」
聞かれていることの意味が分からず、三号へ向き直る。
「博士と類似する表情が記録されています。概ね戦闘中に組織的抵抗が失われ、戦意喪失、無抵抗状態となった個体に見られる傾向があり、場合によって自死行動に移ります。戦闘効率化において有用と考え、次回調整時に報告予定ですが、状況、条件において個体差があり、不明点も多々。博士が同様の心理状態であるならば是非、有益な参考意見として取り入れたく、ご解説いただければと思います」
その言葉に面食らって、唖然とする。
死にたい気分なら是非、その気持ちを聞かせて欲しい。
要するにそういう意味だった。
「君は……何というか」
「……?」
小首を傾げる三号に、苦笑して首を振る。
「そうだね。死にたい……そう、死にたい気分だ。君には分からないかもしれないが……人間には時々、自分の命よりも大切なものが生まれるものでね。それを失うと、こういう気分にもなる」
そう言って、これは違うな、と言った。
「むしろ君には分かりやすいか。例えば君は……敵を殺すために作られた存在だ。その命令は君の命より優先して守るべきことではないかい?」
「概ね正しいです。機能停止を前提の命令であれば、わたしはそれに従います」
「それと同じだ。自己保全に優先される何かが人間にもあって……例えば僕にとって、それは妻や娘だった。二人を守ることが僕にとって何より大事な使命だと、私はそう感じていたが……結局それを果たせず、二人は死に、私だけがのうのうと、こうして生きている」
ドーグルは自分の掌を眺めた。
「それは人によって、夢であったり信念であったり、友であったりするのだろうが……同じこと。自分に課した、大切な使命を果たせなかった時、人は自分に失望するんだよ」
「失望?」
「自分の価値が分からなくなる、と言えばいいか」
もはや、何の価値もない掌だった。
空虚だけを握る手。
「君の言う状況から推察するならば、彼らは自分の命よりも、先に殺された仲間達を大切に想っていたのだろう。それを守れなかった自分には価値がないと考え、自死を選んだ。無論彼らの気持ちは分からないが、私がその話から感じるのはそういうものになるね」
「自己保全に優先すべき対象を失うことが、何故自身の価値の喪失、生命の放棄に繋がるのかが分かりません」
「まぁ、客観的に見ればそうかもしれない。合理的ではないね」
ドーグルは頷いた。
「ただ、人は生きるために、何かが必要なんだよ。自分の快楽のためでも何でもいいが、僕にとってはそれが妻や娘を幸せにすることで、それが生きる目的だった。……それを失った僕は、何のために生きているのかも分からない。唯一取り柄の研究さえ、アルベリネアの通った轍をなぞっただけ……死んでないから生きている、それだけの人間だ」
「なるほど、難解です」
無表情に頷く三号に、ドーグルは笑った。
不思議と笑いが込み上げた。
感情的な回路は組み込まれていないのか。
どうあれ、同情を感じさせない声音が、いっそ清々しい。
「君のように考えられたらずっと楽なんだろうけれどね。人はそういう風に出来ていない。愚かで、感情的で、その方が理に適うと分かっていても、そうは出来ないものなんだ」
そう告げると、三号はほんの僅か目を見開く。
「どうかしたかい?」
問いかけに彼女は、少し考え込んで言った。
「わたしがこれまで観測した限り、マスターは非常に優秀な魔術師であったと考えています。特にコア機能に関しては効率化が追求され、あらゆる外装を想定された柔軟な構造を持ち、機能面に関する改善点は現状存在していません」
「君の言うとおりだ。長い年月が経って尚――いや、この先、純粋なエーテル技術によって同じレベルの人工知能を人類が作成出来るかと言えば、僕は疑問だね」
ほんの僅かな時間で、エーテル式の義体との調整を自分で行い、掌握する。
その凄まじさは、誰よりドーグルだからこそ理解が出来た。
この研究所の最新設備を用い、最短でも数日――細部の微調整も含めれば、場合によって数ヶ月を掛ける気でいたのだ。
遙か太古のエーテル結晶。
ドーグルからしても不明瞭な点が多かった。
条件は同じどころか、彼女からすればそれ以上のはず。
遙か未来の技術で造られた体。
だというのに、まるでそれが自分専用の義体だと言わんばかりに、あっさりと。
あの小さなコアに、果たしてどれほどの演算回路が組み込まれているのか。
この先同じレベルに到達出来る人間が現れるかと言えば、疑問であった。
「基本的な行動指針に関しても、概ね疑問はありません。運用時における利便性の観点から命令も単純化されていると推察出来、それに関しても致命的な問題は存在していません」
「……他に何か問題が?」
「はい。我々じゃらがしゃの制作意図は、敵性個体、集団の効率的な排除と判断します。しかし一点、それに反した非合理的な規則が設けられており、それが我々の致命的な脆弱点となっています」
その言葉に、ドーグルは調べている内に見つけた記述について思い出す。
ジャレィア=ガシェアは当時――そして最後に使われた戦いも含め、冷酷にして凶悪な、恐るべき戦闘機械であった。
しかし完全無欠と言うべき、そんな鋼の化け物にも瑕が一つ。
「偶発的か否かを問わず、赤毛の女性個体に対し、一切の加害を禁ずる」
こて、と三号は首を傾げ、尋ねた。
「これほどまで合理的に我々を作り上げたマスターの、製造目的に反したその規則だけが、わたしの疑問となっています。……マスターは何故、我々にこのような規則を設けたのか」
遠き遠き、過去の疑問を携えて。
心の底から不思議そうな、無邪気な顔で。
「……博士にはその理由がお分かりになるでしょうか?」
『彼女』と自分の出会いはきっと、その瞬間であったのだろう。
ドーグルはいつも、そう思う。





