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兎剣 狂狂朱 下

本日2巻発売です!

「――仇を取る!」


班長の声と共に、怯えながらも向かって行ったのは確かであった。

死体を量産し続ける銀の髪をした首狩人。

人とは思えぬ化け物であり、近づく人間を無造作に斬り殺す姿はもはや、概念というべきだろう。


それは、少女の姿をした死であった。


隊の仲間が次々と斬られる様を見せられながら、あれほど長い一瞬があっただろうか。

剣を手に走りながら、囲まれながらも一方的に人を殺し続ける少女を見ていた。

現実感を損なう景色。

夢にあるような心地であった。

水の中を走るように脚は重たく、風が纏わり付く。


少女がこちらを一瞥すると、まず血花が咲いたのは班長であった。

迫るこちらに踏み込み、首を裂いて抜けたのだろう。

けれどまるで風が通り過ぎたかのように、反応さえ出来なかった。

血が噴出する様に、彼女の仕業と知って背後を振り返り、しかしそこには誰もいない。


隣でまた、鮮血が舞うのを目の端で捉え、そちらを見ればまた隣で。


「タルタ!」


声が響いて、衝撃があった。

兄のように慕っていた男に蹴られたのだと気付いたのは、転がった後のことだ。

そして顔を上げたときには鮮血を吹き上がらせる彼の姿――それで、班の仲間が全員死んだことに気がついた。


立ち上がろうとする間もなく、目が合った。

凍えるような、紫色の瞳。

夜闇に浮かぶ影絵のような、クリシェ=クリシュタンドが立っていた。

怒りを覚えるより先に、憎悪するよりも先に、恐怖が体を支配して、右手に握っていた剣を手放した。


慈悲を乞うように。

――まるで世界が止まったように、長い時間であった。


「ハゲワシ、砦を焼きます」

「は!」


視線が途切れた瞬間に、覚えたのは安堵。

家族を失ったことよりも、何よりも――その時のタルタは自分の生が許されたことに安堵した。









生き残ったのは八名。

ほとんどが殺されるか、復帰不可能なほどの重傷を負った。

己を恥じるタルタに、同じ生き残りの隊員はむしろ優しい言葉を掛け、そしてヴィリング将軍も奇襲に立ち向かい、隊が壊滅するまで戦い抜いた勇者達であるとタルタ達を称賛した。


軍団長と副官の死による壊乱。

あの場にいた二千人近い人間のほとんどが逃げ出した状況。

軍としての体面を保つためにそうしたのだろう。


何も出来なかったタルタは伍長に昇格した。

その後、クリシェ=クリシュタンドと黒の百人隊による惨劇の夜が続いたことで、多くの兵士が狂を発し、ベルナイクに登るものがいなくなり、無傷であったタルタは探索に志願。

勇敢な男だと兵長を任じられた。

怯えて何も出来なかった自分を恥じ、半ば死を望んでのもの。

勇敢だった訳ではない。

家族を守れず死に損なった臆病者が、自棄になり、己を奮い立たせただけ。

結局そこで再び相見えることはなく、タルタはやはり死に損ない、その内に百人隊長となった。


運が良かったと言えばそうだろう。

何一つ出来ないまま勇敢な男と敬意を向けられ、評価されることが運だと言うのであれば。

真に勇敢だった者が死に、臆病者が空いた席に座っただけだ。

それからは、死ぬために生きよう、と思った。

家族達と共に――あるいは母を守ることなく、生に縋った醜い己を恥じて。


内戦は終わり、五大国戦争。

死に場所は与えられず、齢ばかりを重ねていく。

死は望むほどに遠ざかり、後悔を振り払うべく己を鍛えるタルタのことを、周囲の人間は軍人の鑑であると評価した。

内戦時、あのアルベリネアと対峙しながらも生き残った猛者である。

クリシェ=クリシュタンドの名が英雄として天に轟く内に、臆病者の恥は武勇伝に――否定すれば謙遜と取られ、これほどの恥辱もあったろうか。


尊敬に値する男などではない。

それどころか、侮蔑されて当然の卑劣な男だ。

ただただ、己の生を終わらせ、あの日を償う機会が欲しかった。


そうして始まったのがエルスレン解放戦争。

今では解体戦争と呼ばれている、大国エルスレンとの大いくさ。

初戦を圧勝した後、大隊長となっていたタルタは周辺地域の安定化、治安回復を任じられた。


エルスレンは広い。

村の数も多く、そこに匿われるエルスレン敗残兵も少なくはないだろう。

匿われる人数が一人、二人であればともかく、集まれば賊徒となる。

それを未然に防ぐのがタルタの役目であった。


過ちを犯したのはその時のこと。


これまでにないほどの大侵攻。

動員された兵士は新兵が多く、賊と変わらぬ屑が混じっていることは理解していた。

多少遅れてでも不安のある隊は自ら同行、あるいは別の百人隊と共に運用すべきだっただろう。


けれど、タルタは前線に、己の死に場所ばかりを求めていた。

この仕事はさっさと済ませ、前線に合流しよう。

そういう考えがなかったとは決して言えない。


「――よって、一時的に大隊を分け、各村々を百人隊で視察する。皆が承知の通り、此度の戦は侵略戦争に非ず、エルスレンによる圧政からの解放を目的としたものだ。民間人への暴力は厳に戒めよ。隊員の略奪も連帯責任とし、お前達も処罰の対象となる。場合によっては死罪もあり得ると心得ておけ」

「は!」


天幕に百人隊長を集め、そう伝えた。

懸念があった百人隊は二つ。

どちらも新兵揃いであり、どちらも百人隊長が戦死と負傷。

片方は兵長を昇格させ、片方は別の軍団から異動してきたばかり。


「アルベシュ、リーンズ、お前達の百人隊は新兵が多い。掌握も難しいだろう。任務が任務だ、片方は私が同行しよう。万が一を考え、もう一方は別の百人隊と同行するのが至当と考えるが――」

「は。ご配慮、ありがたく思います。しかし恐れながら近傍の村落配置を見るに、隊を合流させた場合、再集結が遅れることになりましょう」


声を上げたのはザヌベア=リーンズ。

二十の半ばか、貴族生まれの若者であった。

地図を指で示しながら、その時は堂々としていたように見えたが、彼もまた功を焦っていたのだろう。


「アルベリネアのご活躍もあり、初戦に大勝したとは言え、エルスレンは大国。戦いの趨勢はこの後の戦果拡張次第でしょう。一日、二日とはいえ、この遅延を看過すべきではないと思います」


彼の言うことにも一理あった。

後の結果で言えば、圧勝――文字通りの解体戦争。

アルベリネアの活躍と、その魔導兵器に為す術なく、エルスレンは解体されることとなったが、当時多くの軍人はそこまで楽観視していなかった。

分裂して二百年、大陸中央を席巻してきた超大国であり、かの国との戦いは一進一退を余儀なくされてきたのだ。


三国侵攻をたった一人で返り討ちに、初戦でエルスレンを圧倒するアルベリネア。

それ以前の、山中でのクリシェ=クリシュタンドも目にしている。

そんなタルタでさえ、当時のエルスレン侵攻においては楽観視をしていなかった。


「我が隊に関して、兵の掌握は問題なく。少々品のない連中ではありますが、反抗的態度は収まり、結束も固まりました。ご心配は重々承知しておりますが、お任せいただければ」


若干の気負いはあるように見えたが、その年代には当然のもの。

周囲に負けじと必死だった、過去の己を重ねたのかも知れない。


「分かった。アルベシュ、私は君の隊に同行する」

「は!」

「リーンズを含め他の者も、隊員には今一度、先のことを言い含めておけ。……これより経路の割り振りを決める」


――何よりの失敗であった。

己を重ねた相手が、どうしていざという時に剣を振るえると思ったのだろうか。


弱い己を取り繕うため、強い言葉を吐いていただけ。

貴族のお坊ちゃんだと隊の者に笑われる己を認めたくなかっただけ。

弱さを受け入れる強さがなかっただけのことだ。


経緯は後で聞いた。

地図にない小さな村があったのだ。

最初はそこで小さな揉め事があり、兵士が一人を斬り殺した。

制止したザヌベアであったが、そうする内に二人、三人。


『隊長、どちらにせよこうなった以上、バレたらマズい。地図にない村なんです、いっそなかったことにした方が良いでしょう。証人がいなきゃ、俺達がやったなんてバレないですよ、賊の仕業だってことにして見て見ぬ振りをすればいい』


剣を引き抜き村人を守るのではなく、ザヌベアはその甘言に流された。

味方はおらず、殺されるのが怖かったと言い、自分の名に傷が付くのを恐れたと言った。


そのために三十四人の住人が陵辱され、殺された。


偶然通りがかった伝令が気付き、少し前方にいたアルベリネアに報告。

再集結と同時に天幕へ連れて行かれ、状況を伝えられた。


「セレネの命令は伝わっていたはず。民衆を保護するどころか虐殺するというのは、悪意ある反抗として見なして良いでしょう」


膝を突くタルタに、クリシェ=クリシュタンドはそう告げる。


「……軍の大義を傷付けたこともあり、今回はおまけで全員一律四肢裂きとします。異論はありますか?」

「……ありません」

「上官であったあなたの責任も重いです。軍籍、爵位剥奪の上、死罪を適用しようと考えていますが、自己弁護は許されます。何かありますか?」


当然であった。

一日二日を惜しんだために、村が一つ。

何の罪もない者達が、賊徒の如き連中に殺されたのだ。


己がやったことは、かつて故郷を襲った連中と変わらない。

二度とこのような悲劇が繰り返されぬように。

そう望んで軍に入ったというのに、初心を忘れ、臆病な己の生を終わらせるために終始し、挙げ句に村を滅ぼした。

死すら生ぬるいものだろう。


「一つ、よろしいでしょうか?」

「何でしょう?」

「……死罪ではなく、私も四肢裂きに。今後二度と繰り返されぬよう、見せしめにしていただければと思います」

「はぁ……わざわざ痛い思いをしたいだなんて、変な人ですね。それでも別にクリシェは構わないですが」

「元より、死に損なった身であります。……ベルナイクであなたに、見逃されて」

「……? 顔を」


顔を上げると、少女は眉を顰めて考え込み、ぽん、と手を叩く。


「ああ、砦にいた人ですね。思い出しました」


何十年も前の一兵士――そんな顔を見て笑う。

彼女には様々な逸話があったが、一度見たことを忘れないと知られているとおり、その記憶にはあの臆病者の姿が残っていたのだろう。


「あの時、仲間の仇を討とうともせず……あなたを恐れ、命を惜しんだ。その結果です。……私には当然の罰、彼らと共に四肢裂きに」

「あの状況で無意味に命を捨てるのもどうかと思いますけれど……でも、良い心がけです。考慮しましょう」

「……ありがたく」


ただ、その願いは聞き届けられなかった。

部下や他の大隊長が助命を嘆願したのだと。


死すら与えられぬことを嘆くタルタに、彼女は告げる。


「――他の人達のお話を聞く限り、あなたは大隊長として尊敬されてるようですし、あなたの処刑は見せしめよりも不利益が大きいようです。よって処刑は取りやめとしました」

「ですが――」

「それに、昔言われたのです。……悪いことをちゃんと反省して、真剣に考えることが大切なんだって」


彼女は言って、頷く。


「自ら四肢裂きを希望するようなあなたに反省の念がないとは思いません。今後二度とないように、真剣に考えて……それで良いとクリシェは思いますし、クリシェにそう教えてくれた人なら多分、同じ事をあなたに言うと思います」

「……しかし」

「罰が足りないと思うなら、自分に罰を。その分、沢山良いことをして償っていけば良いです。ただ、それはクリシェや誰かが命じることではありません。そんな感じでしょうか」


首を振るタルタを眺めて、優しげに。


「あなたを心から尊敬しているって、色んな人が言ってました。……一番大事なのは何よりも、そうやって信じてくれる人を裏切らないことなのだと思います」


何かを懐かしむように目を細めた。


「良いことだとか悪いことだとか、クリシェにはわかりませんが……でも、それだけは間違っていないって、クリシェは思ってますから」










「……サラニスの母はその村の生き残りだ。両親に隠され、息を殺していたらしい。その後、村人の埋葬に向かった際に見つけ、戦後に養子として引き取った」


道場で聞いた話とは、随分と違う印象を受けた。

しかしそういうものだろう。

見ていた人間からすれば、賊と変わらぬ屑が処刑され、不憫にもそれに巻き込まれかけた大隊長がいたと、それだけの話。

一面を見ればそれは真実であって、それ以上のこともない。

戦場という世界で起きる様々な悲劇を思えば、小さな事。

けれど当事者からすれば、別の物語があるものだ。


大きな世界の中にある、余人の立ち入ることの出来ない小さな世界。

それをこうして口にしてくれるのは、自分をその世界に受け入れてくれたからだろう。


「命を絶とうと考えていたが……アルベリネアの言葉が頭によぎった。死は償いではない。せめて私を恨んでくれれば良かったが……サラニスと同じ、優しい子だった。……あの子の両親のことは?」

「……お父上と共に、出先で流行病に掛かったと」

「……その村が彼の故郷であったそうでな」


老兵は頷く。

父親は行商、結ばれた後は共に各地を巡っていたらしい。

夫婦揃って善良で、その村に病があると知りながら、薬を届けに向かったのだと聞いていた。


「サラニスの父も、良い男であった。剣などは使えぬが、信念に忠実な。薬師としての心得もある、自分が行かねば誰が助けるのかと私の言葉を聞かず、娘もまたそんな夫に同行した。……その甲斐もあってか村は助かり、しかし二人は病に倒れ、帰らなかった」


いつも勇敢な者ばかりが死んでいく、と静かに告げる。


「臆病者の私は、大切なものを守ることさえ出来ない。死のうとしても死ねず、罪を犯して尚、のうのうと生きて……情けない」


天井を見上げると、再びこちらを見つめた。


「ただ、そんな二人から、サラニスを頼まれた。その願いだけは……あの子の幸福な未来だけは、必ず守ってやりたいと思っていた。私に出来ることは、その相手を見定めることだけ」


ボジーは改めて背筋を正し、真っ直ぐと彼を見る。


「一つだけ、名に誓って欲しい。……私の代わりに、必ずあの子の幸せを守り抜く、と」


すぐさま答えようとして、言葉は出なかった。

先ほどの話を聞いた上で、必ずなどという言葉を自分に言えるのだろうか、と。

それはどこまでも、薄っぺらい言葉だろう。


「……恐れながら、私は未熟者です」


正直に、タルタへ告げる。


「剣も半人前の付け焼き刃、サラニスへの愛情に嘘偽りもありませんが、それでも赤子の頃からあの子を見てきたあなたのそれには及ばないでしょう。……私一人では、あなたに対して何かを誓えるような確かなものを、何一つ持ち合わせておりません」


深く、頭を下げた。


「バウルゾン男爵。未熟な私がそのお言葉に正しく誓うならば、未熟な私を時に正し、戒め、見守ってくださるあなたのような存在が必要です。……それをご了解いただけるならば」


――この名に誓って、是非もなく。

そう続けると、しばらくの間が空いた。


「……一人では名に誓えんと?」

「私は市井に生まれたパン屋の息子です。あなたのような苦難も苦悩もなく、多くに守られ、ここまで生きてきました。……そんな私が上辺だけの言葉を吐いても意味がありません」


顔を上げると、ボジーは微笑む。


「それに、これは指南所の教えですが……決して一人で勝負に挑まず、頼れるものに全て頼って勝ちに行け、と。英雄譚を聞いて育った子供の頃には卑怯だと思ったものですが、半人前でも大人になり、自分の身の丈を知れば、良い言葉だと思えるようになりました。……自分一人の最善では、限りがありますから」


その言葉を聞いて、少しして。

タルタは目元を柔らかく頷いた。


「……そうか、そうだな。君が正しい、軍人の原則だ。どれだけ己を蔑んだところで、己以外の誰かにはなれぬもの……最善を尽くすならば、人に頼って当然だろう」


そして深く頷く。


「……己に囚われて数十年、思えば私の過ちは何よりも、そんな当たり前の原則を忘れていたことかも知れないな。半人前は果たしてどちらか」


少し遠い目で苦笑して、首を振った。


「情けない誓いかも知れませんが、それでよろしいでしょうか?」

「……十分だ。この老骨に出来ることがあるならば、いつでも頼りたまえ。半人前同士……あるいはそれで、ようやくお互い一人前か」

「私の方は、そうかも知れません」


笑うと、タルタも笑い、しばらく部屋を笑い声が満たした。










それからは和やかに。

サラニスからある程度は聞いていたが、改めて君の話を聞きたいとボジーのこと。

タルタは筋金入りの軍人であったため、むしろ市井のパン屋がどのように日々を過ごすのかについて色々と興味があったらしい。

仕込みや仕入れなどの話も興味深そうに尋ね、その内にサラニスが帰って来る。


食事時にはこの先のことについて。

両親に挨拶をしたいと口にする彼は男爵。

こちらが二人を連れてくると口にしたが、サラニスを預けるのだからと首を振り、月末には両親との顔合わせも決まり――そうして翌日、指南所にも報告を。


サラニスもお礼を言いたいと同行した。


「ぉ、お初にお目に掛かります、アルベリネア……」


丁度――恐らくはボジーの結果確認も兼ねてなのだろう。

訪れていたアルベリネアはエプロンドレス。

そういう人だとは伝えてはいたのだが、やはりサラニスも貴族の娘。

王姉アルベリネアがまさか子供に肩車させられているとは思わなかったようで、気付かずまじまじと見つめてしまったことが恐れ多いと平伏した。


「えーと、初めまして……平伏しなくて良いですよ。クリシェ、お忍びなので」

「は、はい……」


顔を上げたサラニスは顔面蒼白。

ボジーは苦笑しながら、大丈夫だから、と声を掛け、腕を取る。


本当に大丈夫なのかと時々思うのだが、ことアルベリネアに関して、不敬だなんだと咎められたという話は聞いたことがなかった。

本来的には往来を歩いているのを見掛けでもすれば、下々は立ち止まって頭を下げ、顔を見るのも恐れ多いというくらいの立場なのだが、客寄せが声を掛ける程度に軽々しい。

咎めるべき立場の衛兵や貴族がそうした場面に出くわしても見て見ぬ振り。

アルベリネアはそうしたものとして扱われていた。


「おかげさまで、晴れて婚約者となりました。サラニスです」

「えへへ、良かったですね。ちゃんとくるくるしゅって出来ましたか?」

「ある程度は……実力差もあり、勝つことまでは。ただ、認めていただけました」

「ボジーは良い子ですからね、実はあんまり心配はしてなかったのですが……」


偉いです、と子供を肩車したままボジーの頭を背伸びして撫でた。

乗っていた子供も偉い偉いとボジーの頭を撫でる。


「お前まで撫でるなロンダ。それと、いつまでアルベリネアに肩車させてるんだ全く」

「離せー!」


乗っていた子供を持ち上げ下ろすと、それを見ていたサラニスの顔にようやく笑みが戻る。

それからミアやカルア、他の師範達も交えて挨拶を。

サラニス自身色々とタルタや母親から事情を聞いていたこともあり、少し緊張していたのだが、アルベリネアもそうであれば隊員も同じく。

黒旗特務と言えば第一に名が上がる英雄部隊なのだが、皆気さくで軽い人達。

元々平民ばかりというのもあるのだろう。


『もう軍人じゃないし、生まれつきの貴族でもないしね。わたしは元々田舎生まれの田舎娘だし、肩肘張ってるの大変だもん。ここにいるのは似たような人間ばっかりだから、むしろ自然な感じで丁度いいかな。不相応なのが元々の形に戻っただけで』


館長ミアなどはその筆頭。

今なお軍人達から敬意を向けられる黒旗特務の元中隊長で、考えてみれば物凄い経歴なのだが、見た目も含めてあまりに気安く腰が低い。

もう少し相応の態度を取ってはどうかと提案してみると、そんなことを口にした。


『クリシェ様もそうだと思うけどね』


と苦笑しながら。


かつては田舎村で育ったとは聞いていた。

実際気安い雰囲気はそうしたところから来るのかも知れない。

子供の相手を苦にも思っていないようで、見た目通り。

子供達の中では、ちょっと大きなおねえさん役、という雰囲気であった。

恐らくはミアの言うとおり、それが本来の彼女なのだろう。


サラニスはカルア達に質問攻め。

アルベリネアはミアの膝に乗りながら、ご機嫌な様子。


「んー、ミアもぺたんこじゃなくて、もう少し胸があったら良かったですね。もう少し背中のクッション性が良くなったと思うのですが」

「く、クッション性……」


ミアとそんなことを話していた。

ボジーは苦笑しながら、帰り際にしたタルタとの会話を思い出す。


『ではまた。……次に手合わせさせていただく時のためにも、あの剣にも磨きを掛けておきます』

『……磨き、か』

『……?』


タルタは首を振る。


『君の振るったアルベリネアの剣……確かに素晴らしい剣であった。技として磨くは良い。ただ、極めることが良いとも言えない剣だ』

『それはどういう……?』

『歩法と組み立て……その先を極めるとなれば、心構えであろう。必殺の剣を振るうためには必殺の心構えがいる。それが真の必殺剣となり得るのは、情を廃し、捨て、それを振るう者がそういう境地にあればこそ……市井に生きる者が目指すべき剣ではなかろう』


そう言って、壁に掛けた剣を眺める。


『剣は飾りにする時代だ。君達のような者はその一端を理解出来れば良いと思うし、技として磨き、振るわず持っていればそれで良い』

『振るわずに持つ……』

『そう。強くあるための剣……君が極めるべきはそのような剣だと思う。あのアルベリネアのように、自在に舞えるようにはならずとも良い』


――あの方がそういう時代を終わらせたのだから、と一言続けて。


ボジーはほんの少し目を閉じると、アルベリネアに向き直る。


「……アルベリネア、一つ質問をよろしいでしょうか?」

「何ですか?」

「剣とは……何でしょうか」


不意に尋ねると、アルベリネアは首を傾げた。


「ん……剣とは何かと言えば、剣だと思うのですが……」

「クリシェ様、多分そういうことじゃなくて……ボジー、質問するならもうちょっとクリシェ様にわかりやすいようにね。ふんわりした言い方理解出来ないんだから」

「……ミア、クリシェのことをお馬鹿扱いしてるでしょう?」

「そ、そんなことは……うぅっ」


不機嫌そうにミアの頬を引っ張る少女を見ながら、確かに自分が悪いと首を振る。

そもそも、何故この人に尋ねようと思ったのか。


「え、えぇとですね……ここで学んだ剣を、我々はどのように使うべきなのでしょう?」


若干後悔しつつ、もう一度尋ねると、指先で唇をなぞって考え込む。

考え込むときにする、アルベリネアの癖だった。


「別に使わなくて良いのではないでしょうか? 使う必要もないでしょうし」


もしものための剣ですから、と続ける。


「振らずに済むならそれが一番。クリシェはたまたまそれが上手で役に立ちましたけれど、剣なんて役に立たない方がずっと良いことです」

「役に立たない……」

「はい。大陸を統一したのだってそのため」


文字通り、天下無双の剣神は微笑んだ。


「クリシェの剣が役立たずになれば良いなって、そう思ったからですから」


ありとあらゆる剣豪、英雄を斬り伏せて、未来永劫残るであろう名を史に刻んだアルベリネア。

恐らくは、この世で誰より人を殺した大英雄。


エプロンドレスで微笑む姿に、ボジーも笑って頷いた。


「つまり剣とは、趣味でしょうか」

「今は多分そうですね、平和ですから趣味なのです」


なるほど、と目を閉じた。

役に立たない神の剣――あれはタルタの言うとおり、きっとそういうものなのだろう。


「……では趣味として、これからもほどほどに学ばせていただきます」

「はい、ほどほどに頑張ってください」


頭を下げると、彼女は嬉しそうに頷いた。


「美味しいパンを焼くのはほどほどの趣味じゃ駄目ですからね」


肝に銘じます、と告げるボジーの頭を、えへへと笑ってぽんぽんと叩いた。


剣に目指すべき究極があるとすれば、きっとそれは彼女だろう。

けれど極めた先の彼女の手には、もはや剣はなく。

ただ、笑って子供を撫でるため、どこまでも優しく、柔らかく。


――なるほど、確かに剣など趣味で良い。


ボジーは静かに笑って、頷いた。

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  2024年11月20日、第二巻発売決定! 
表紙絵
― 新着の感想 ―
何という針の筵。 彼の望まぬ英雄譚、だ。 剣は趣味。 そうだわな。その内剣道やフェンシングみたいな競技が出て来るんだろう、きっと。 あ~、でも魔獣とかいるから完全に趣味にしてしまう訳にはいかないよな…
こういう本編を膨らむような番外編大好き(語彙力ゼロ と思ったら四肢裂きも番外編でした。全部書籍化したら何年かかることやら。 ただの管理不行き届きの大隊長が、ここまで複雑な背景があるとは思わなんだ。甘酸…
語彙力が無さすぎて、とても良かったとしか言えなかった……。 素敵な話をありがとうございます。
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