兎剣 狂狂朱 上
11/20に2巻発売ということで、三日連続で投稿されます。
書籍版実に良い仕上がりですので、よろしければ是非!
「こう、くるくるーっと回り込んで、しゅっとやるのです。くるくるしゅっ、です」
「……は、はい。くるくるーとして、しゅっ、ですか」
――それは統一歴29年、王都、黒旗剣術指南所での事である。
門下生ボジーが訳の分からない説明を聞いている理由は、一週間前に遡った。
黒旗剣術指南所が王都に建てられたのは十五年前。
当時少年であったボジーは誰よりも早く、その門下に加わることを決めた。
理由は平民の英雄達――ボジーも憧れの黒旗特務中隊の元隊員達が作った道場であること、そして家が近所にあったことである。
多くの者が厳しい鍛錬に現実を知りやめていく中、ボジーは十五年間毎日のように通い詰め、その実力を伸ばし、師範代として後進の指導を任されるまでになっていた。
今では並の軍人など相手にならぬような剣を身につけ、その実力は一部の隊員達からは勝ち越せるほど。
それでも研鑽を怠らずにいられたのは、上には上がいることを知っていたため。
元々の素養があり、今では魔力と呼ばれる力を扱う術も身につけていたが、だからこそ理解が出来る天井の高さ。
隊員達でも師範を任されるような実力者には未だ劣り、アルベリネアの黒猫と呼ばれた筆頭師範カルアなどはもはや空に霞む雲の如くである。
そして黒旗剣術指南所は剣術道場としては未熟ながらも、剣術以外――実戦的な戦闘術にも力を入れていることもあって、学ぶことは山ほどあった。
ここで過ごす時間はボジーの人生、その中心となっている。
しかし、そんなボジーにも近年、一つの悩み事が。
実家のパン屋へ毎朝訪れていた客であり、恋人であるサラニスのことであった。
半年ほど前にデートへ誘い、そして想いを打ち明け――それから先日、自分の妻になって欲しいと彼女に伝えた。
彼女は涙を流してその言葉に頷いてくれたが、問題はその後のこと。
サラニスは貴族の家に生まれた娘。
そして両親を早くに失った彼女を育てた祖父は、十五から軍で鍛えられた厳格な老人であった。
色々な話を彼女から聞いていたようだが、己の腕で確かめると剣の相手を求められ、ボジーは終始押されるまま続けて三度の敗北を喫し、話にならんと追い返された。
軍においては大隊長。
部下の不始末により一度爵位を取り上げられ、百人隊長に降格されてなお武勲を挙げて返り咲いた生粋の武人。
戦場で鍛え上げられたその剣を前に、ボジーは為す術がなかったのだ。
当然、相談するのは師範達。
夜の道場で皆笑いながら話を聞き、落ち込むボジーを励ましていた。
「んー、しかし大隊長のバウルゾンか……なんか聞いたことあるような」
「バウルゾン大隊長?」
そうして現れたのは館長のミア。
筆頭師範のカルア共々、年齢に見合わず若々しい栗毛の女性であった。
黒旗特務中隊の隊長でここの館長をしている責任者――トップなのだが、隊員達からの扱いはわりとぞんざい。いつも忙しそうにしており、何かと面倒ごとを押しつけられていた。
年齢は七十を過ぎているのだが若々しく、雰囲気が何とも可愛らしい人であまり威厳も感じない。
「あ、ミア、仕事は終わったの?」
「……今日は終わり。わたしばっかり書類仕事でカルア達だけ楽しそうなんだもん」
「それは終わりじゃなくてサボり――」
「うるさい。……その人がどうかしたの?」
カルア達は仕方ないとボジーの話を要約してミアに聞かせ、聞いていたミアは難しい顔に。
うーん、と眉間を揉んで、不憫なものを見るような目でボジーを見て、カルアを見た。
「……わたしの記憶が正しければ、バウルゾン大隊長ってクリシェ様が処罰した人だと思うんだけど」
「うさちゃんが……ああ、じゃらがしゃで四肢裂き量産した時の人か」
「多分。確かあの時の大隊長がバウルゾンって名前で、その後の活躍で許されたとか何とか聞いた覚えもあるし」
「四肢裂き……ですか?」
「そうそう、百人隊が村を襲って酷いことをしたから見せしめにって、うさちゃんがみんなの前で百人を一人残らず四肢裂きにしたの。エルスレン解体戦争の時だね」
うさちゃんという言葉で、ちょくちょく顔を出すエプロンドレスの少女を思い浮かべる。
銀の髪をした妖精のような美少女。
毎回手作りクッキーを持ってきて差し入れるため、子供達からはアルベリネアというよりクッキーのお姉さんと人気者。
ボジーも昔はそんな彼女と天剣の異名、王国が誇る古今無双のアルベリネアという二つ名が長いこと一致しなかった。
今では彼女がそうであることに一切の疑念を抱いていないが、とはいえやはり、こういう話を聞くと逸話と本人のギャップに若干の混乱がある。
「建前上は圧政を敷くエルスレンからの民衆解放戦争だったから、余計に容赦なくてね。まぁ、うさちゃんは元々容赦って言葉を知らないんだけど……すんごい光景だったなぁ。2万人が囲む前で『はい、じゃあ次の人です』って流れ作業みたいにじゃらがしゃで両手両足を切り落としていくの」
「……確かにあれは忘れられん光景だな」
左目を刃傷で潰した強面の師範、ザーカが頷き、他の男達も同調する。
「ほんと、うさちゃんは頭がちょっと病気だからなぁ。順調ですね、とか微笑まれても、あたしはなんて答えたらいいのか分からなかったよ」
「あんまり思い出したくないからやめて」
ミアは嘆息した。
ボジーは幼げで可愛らしいあの姫君が笑顔で四肢裂きを眺めるのを想像して、そしてその想像が奇妙なほどにしっくりと来ることに背筋がざわつく。
彼女は普通に接する分には見た目通り、その立場から考えると異様なほど腰が低く、親しみやすく、実に優しく善良な少女に見える。
実際そういう人なのだろう。裏表なく、誰に対しても彼女は優しい。
ただ、一度お願いしてその指導を受けてからは『冷酷なアルベリネア』という逸話の中の彼女もまた真実なのだろうと理解は出来た。
踏み込んだ足。その膝を軽く足で踏みつけ、こうすれば膝を簡単にへし折れます。
この辺りは骨がないので斬りやすいです、胸はあばら骨があるので突くときは寝かせると良いですよ、首は素手でも簡単に潰せるのでおすすめです、兜を被っていても顎の下からなら簡単に脳へ届くので――等々、お手軽人体破壊講座を笑顔で説明する彼女の様子。
子供が虫の手足をもぐように、彼女はまさにそんな雰囲気を持っていた。
「それはともかく、まぁ……見せしめにバウルゾン大隊長も処刑されそうになってたし、もしかしたらクリシェ様に対して思うところがあるんじゃないかなって。ここも黒旗特務の道場だし、もしかしたら目の敵にされてたり……」
「しょ、処刑ですか……?」
「うん、部下を掌握出来なかったバウルゾン大隊長の責任は重いって。……でも、随分慕われてた人だったみたいで、他の百人隊長や大隊長が何人も嘆願しに来て、それが考慮されて爵位剥奪の上降格って形になったの。問題の百人隊も新編の百人隊、その上百人隊長が戦死して新しい百人隊長に変わったばっかりだったみたいだしね」
ミアは思い出すように唸り、腕を組んだ。
「……クリシェ様としては開戦してすぐだったから、重く処罰したいってところもあったんだと思うけど……運悪くその標的になった側としては割り切れないと思うし」
確かに、話を聞く限り具合が悪い。
ボジーが顔を青ざめさせると、ミアが慌てたように首を振る。
「ま、まぁ勝手な憶測、あっちは全くそんなつもりはなくて深読みかも知れないけどね」
「は、はい……そうだといいのですが……」
「んー、ま、うさちゃんの方針はわりと一貫してたし、それだけ慕われるような人なら逆恨みなんてしなさそうだけどね。……うさちゃん本人がどう考えてるかはともかく、故郷が賊に襲われて育ての親を亡くしたって話も結構有名だし」
「……そうなんですか?」
カルアは頷いた。
「民間人への暴力なんかは問答無用の処刑だったり、うさちゃんは昔からその辺りには一貫してすごく厳しいんだよ。理由の一つにはそういう昔のことがちょっとはあるんじゃないかなーってあたしは思ってたりはするんだけど」
「なるほど……」
「まぁその想像が当たってるかどうかは分からないけど、関わりのない人からすればそういうの、結構納得しやすい理由かなって。……もちろん処刑されかけた方は堪ったもんじゃないだろうけど、重い処罰自体は時期も考えると正当性もあったからね」
「……色々な話を聞いてて思いますが、軍人って本当大変なんですね」
大隊長は千人を指揮する。
千人である。十人二十人、という数ではない。
荒くれ者はいるだろうし、どうしようもない奴もいるだろう。
新編部隊となれば、それをきっちりと把握出来る時間もなかっただろうし、百人隊長も成り上がったばかりとなれば尚更。
それが屑であったというのは悲劇でしかなく、その責任を取ってお前は死ねと言われるのはあまりに理不尽に思えた。
「まぁ、根本的に理不尽な所だからね、戦場は。戦に勝つことが最優先で根本的に命が軽いし、上官に死ねって言われたらそれに従い死ぬのが兵士で、兵士が不始末を起こせば一緒に死ねって言われるのが上官」
あっけらかんとカルアは言った。
「あたし達はうさちゃんの下だから色々良かったけど、明日死ぬかも知れないストレスで誰もが自棄になる環境だから、理不尽なくらい締め付けなきゃ成り立たないところがあるんだと思うよ」
言わんとしているところは理解出来る。
軍とは暴力を前提とした組織――なりたくてなる、という人間もいるが、職にあぶれたなど、貧困を理由に入る人間も少なくないし、賊もいる。
悪く言えば多くの兵士は質の悪い消耗品、消耗を前提に使われる道具なのだ。
明日死ぬかも知れないそんな人間達に道徳を説くよりは、恐怖で示す方が手間もなく、ずっと効果も高いだろう。
軍という組織は勝つために、人が尊ぶべき様々なものを犠牲にする。
「あれだけの侵攻でそれほど民間人に被害が出なかったのは、初っ端にうさちゃんがそれだけ厳しく処罰したからという面はあると思うし……十を殺して百を生かすというのは真っ当な軍人の考え方。叩き上げで大隊長にまで行くような人なら、そういう理不尽な理屈は当然理解してるんじゃないかな」
実際どうなのその人は、と尋ねられ、少し考える。
「俺はそんなに長い時間話した訳じゃないんですが……サラニス――恋人の話では、曲がったことを許さない、すごく真面目な人であるとは。実際の雰囲気も聞いた通りで」
「ならまぁ、考えすぎ……単純にボジーが孫娘の相手として不足だったってだけの話なのかもね。ボジーで駄目だと要求はちょっと高そうというか……シェリシアはどうすればいいと思う? 同じく審査する立場として」
「う……っ」
話を興味深そうに聞いていたシェリシアは、頬を真っ赤に目を泳がせた。
あっという間に師範代まで駆け上がった黒旗剣術指南所、期待の新星。
愛らしい容貌に反して、鋭い剣を自在に操る天才剣士は、年相応の反応を見せては口ごもる。
「わ、わたしは……その、そういうのではなくて……」
「自分より弱い男は眼中にない、だなんて意地を張ってるんだから、似たようなもんだと思うけど」
「あのね……誰のせいだと思ってるの。カルアがそれを面白半分にはやし立てるから二人とも余計に引っ込みつかなくなったんでしょ。キューリスもちょっと馬鹿なところあるんだから……」
呆れたようにミアが告げる。
シェリシアには家族ぐるみ、半ば親公認の恋人付き合いをしているキューリスという青年がいるのだが、その発言もあってどうにも進展出来ずにいるらしい。
とはいえ傍から見てもわかるほどの両思い、互いの両親も好意的という状況を見れば、ボジーからは微笑ましい悩みに思えた。
「シェリシアもミアくらいのお馬鹿さというか、そういうのがあるといいんだけどね。知ってる? ミアがあたしに告白してきたときなんてさ――うぇっ!?」
「……カルア、その話したら本気で怒るから」
「ちょ、髪……既に怒ってると思うんだけど」
「うるさい」
馬の尾のような後ろ髪を引っ張られ、カルアは恨めしそうにミアを睨み、顔を赤らめたままのシェリシアを除いた全員が笑いを零した。
全くもう、とミアは手を離し、嘆息するとボジーを見た。
「まぁそれは置いておいて……そういう人なら仕方ないし、認めてもらうまでひたすらチャレンジするしかないかもね。勝てないまでも成長を見て、『良し分かった、それだけの覚悟があれば娘を任せようじゃないか』だとか認めてくれるかも知れないし」
「そうですね……やっぱりそれが正攻法でしょうか」
「確かに……まぁお前なんかに娘はやらん! と言いたくなる気持ちは分からんでもない。本気であればいずれ許しはもらえるだろう。俺にも息子じゃなくて娘がいたら、とりあえず言ってみたかったセリフだからな」
「ザーカみたいに単純だといいけどね。……まぁどちらにせよ特訓あるのみかな。仕方ない、あたしが一肌脱いであげようじゃないか」
カルアは立ち上がると壁際に。
木剣を投げてよこすと、笑って言った。
「さぁ、どこからでも掛かってきなさい。おねーさんが特別に、優しく剣の手解きをしてあげよう」
「……ありがとうございます」
「カルアはいつまでお姉さんのつもりなの?」
「ミアは馬鹿だね。美人はいつまでもお姉さんなんだよ」
黒旗剣術指南所にいるのは皆、気の良い人達ばかり。
歌にもなるような王国の英雄達――しかし気取ったところはどこにもなくて、皆、面倒見も良く、暇な時間にはそうしてボジーの稽古に付き合ってくれた。
とはいえ一朝一夕で上達するほど剣というものは甘くはない。
元々伸び悩んでいた所もあり、そんなボジーを見かねて呼んでくれたのは一人の少女。
「こう、くるくるーっと回り込んで、しゅっとやるのです。くるくるしゅっ、です」
「……は、はい。くるくるーとして、しゅっ、ですか」
その名を知らぬ者なき大英雄、クリシェ=アルベリネア=クリシュタンドであった。
いつものエプロンドレスではなく、白に黒ラインのワンピースドレス。
まさに姫君という言葉が似合う美しさ――高貴と幻想の狭間にある、遙か彼方の殿上人。
しかしそんな王姉アルベリネアは、フットワークが凄まじく軽かった。
カルアがお願いしてみると二つ返事で了解し、剣を教えてくれることになったらしい。
クッキーを籠にぶら下げては平然と道場に顔を出し、立場的にそれで本当に良いのだろうかと以前から思っていたものだが、わざわざ王姉がただの平民――ボジーのために顔を出すというのは何とも畏れ多いところがある。
ボジーも昔はクッキーのお姉さん、程度で実感も湧かなかったものだが、大人になってみればやはり、立場や体面というものを多少は気にするもの。
しかしやはり、当のアルベリネアは普段通りである。
クッキーのお姉さん程度にしか彼女を知らなかった子供達は、初めて目にするアルベリネアの剣技に唖然の表情。
一目見れば子供でも分かるだろう。
木剣を手に持って、舞いでも踊るような彼女の剣はただただ美しい。
柔らかく、緩やかで、淀みなく――それに反して、凍り付くほどに鋭く、無駄がない。
躱したと思ったはずの剣がいつの間にか躱した先にあり、首の真横に添えられている。
相対すれば、何が起きているかも分からぬほどの剣を操るのだ
アルベリネアとはまさに天剣を持つ者であった。
先ほどから教えてもらっているのは要するに回り込み。
右から薙ぎ払うように剣を放ちながらも慣性に逆らわず、相手の右脇を背後に抜けつつ、くるりと反転。
抜けたと同時に踏み込みの体勢を作り、間髪入れず背後からトドメの一撃を放つ。
脇の下を潜るため姿勢を低く保ちながら、重要なのはその独特の歩法。
剣に振り回されるほどの勢いを、踊るように制御する軽やかな足の動き。
「んー、感覚的にはとん、たっ、どんっという感じです」
「と……とん、たっ、どんですか」
「違います。最後はどんじゃなくてどんっ、です。どんっ、は踏み込みのどんっ、ですから」
――なるほど、全くわからん。
内心で諦めが生じそうになるのを必死に堪えて考える。
そんなボジーを見て、助け船を出すようにカルアが告げる。
「あー、要するに、右の横薙ぎの勢いで脇を抜けようとしたら、勢いつきすぎてこけそうになるでしょ?」
「あ、はい……」
「横向いたままこけそうになった状態で、もう一回地面を蹴って無理矢理体勢を整えつつ……」
そして目の前でそれをゆっくりと見せてくれた。
最初は踏み込みと右の薙ぎ払い。
勢いに任せれば自然と、体は前進しながら左回りに回転する。
本来はそうならないよう、剣を外した瞬間、働く慣性を殺して隙を消す。
しかしこの剣はその慣性に身を任せるのだ。
カルアは転倒する寸前、更に右足で軽く床を蹴り、回転を加速させながらこちらの背後で反転――前進する勢いをしっかりと両足で受け止め、しゃがみ込む。
こちらの背後を取った状態で、そのまま踏み込みの姿勢が完成していた。
「前進の勢いを両足で殺せば、着地の姿勢がそのまま踏み込みの姿勢。そのままどんっ、と跳べば、こちらに向き直ろうとしている相手に次の一撃が入る、という寸法だね。要するに最初の踏み込みを含めて地面を蹴るのは三回……最小限の動きで攻撃、回り込み、次の攻撃を完結させるというのがうさちゃん流剣術、秘剣くるくるしゅっというわけだよ」
「なるほど……」
「これをマスターすればうさちゃん流剣術の三代目、あたしの後継者としてここの総師範にしてあげてもいいね」
「それは、その……それくらい難しいということでは……?」
そだね、とからから笑ってカルアはボジーの肩を叩いた。
「まぁ、意識しないで使えるのはあたしみたいな超一流くらいだけど……でも、決め打ちでやるだけなら練習すれば形になるんじゃない? シェリシアも出来るでしょ?」
「へ? あ……その、出来る、というほどでは……」
キューリスの隣で見ていたシェリシアは立ち上がり、申し訳なさそうにボジーの前に木剣を構えた。
そして姿勢を低く、右からの鋭い薙ぎ払い。
咄嗟にボジーが身を躱し、振り向こうとすると、既に背後では踏み込みの姿勢を作っていたシェリシアが突きを放ち――たたらを踏みながらも反射的に木剣をかち上げる。
シェリシアはそれで体勢を崩し、追撃はなく、恥ずかしそうに彼女は告げる。
「こんな感じでまだ、練習中で……」
「シェリシアもとんとんどんって感じですね。とんたっどんっ、ですよ。たっ、が重たくて遅いから受けられてしまうんです」
「はい、もっと練習します……」
ぺこりと頭を下げるシェリシアに応じつつ、なるほど、と理解する。
シェリシアは剣才に恵まれていた。
いずれは追い抜かれるだろうが、しかしまだ20にもならない身、現在の実力はボジーが上回る。
だが今の一瞬に感じた寒気――確かに、もう一瞬早ければ受けようがなかった。
右薙ぎを受けず体捌きで躱した時点で、必殺となる魔剣なのだ、これは。
「基本的に体勢を崩すのは良くないことですが、意図的に、自分の掌握出来る範囲で崩す分には問題ありません。こけるかこけないかのギリギリで……」
再びクリシェがボジーの前に。
恐ろしいほどに速い剣というわけでもないのに、気付けば目の前にあるかのような横薙ぎ。
咄嗟に床を蹴って躱すほかなく――
「くるくるーっと回ってさっさと首を跳ねる」
こちらが着地する前には既に、背後から首筋に木剣の感触。
これだけ説明され、来ると分かっていても反応さえ出来なかった。
「首の横に切っ先で半寸切り込み入れればいいだけですから、あとはすっごく簡単です。後ろからですし……別に突きでも何でも良いのですが、クリシェとしては剣を大事にしたいので首がお勧めでしょうか。脇の下でも良いです、血が出るので」
「は、はい……」
木剣であるのに恐ろしい程の圧力があった。
本来ならば、『あ、死んだ』の『あ』が出る前に死んでいる。
寒気さえもが一拍遅れてやって来て、木剣が首筋から離れると、不思議と安堵の息が出た。
彼女が戦場に出ていたのは随分と昔――ボジーが生まれた頃のこと。
想像でしか知らない世界であったが、当時の戦士達が皆、彼女を恐れたという理由は彼女の剣を見ればよく分かる。
ふざけたような名前に反した必殺の歩法。
しかしそれは、例えばザインの剣のような流派の奥義という訳ではない。
これはあくまで彼女の剣技、その僅か一片を切り離したものでしかないのだ。
恐らく自分が目にしているものは、誰もが追い求める究極の剣であった。
気持ちを入れ替え、再び構えて歩法を真似る。
――再戦はそのひと月後のことであった。
 





