光輝醜彩
魔力を送り続けて、二刻半が過ぎた頃。
空では月が山に落ち、黒藍の空が白み始め、
「――おねえさま!」
死んだように動きを見せなかったクリシェが動きを見せたのはそんな時だった。
手を添えていたクレシェンタが更に身を寄せるが、クリシェの動作に動きを止め、その手を見下ろす。
クリシェの右手の下――大地に浮かんだのはこの巨大な窪地を満たすほどの魔法円であった。
そしてその手が上げられると同じく、すぐさまにその周囲を展開された魔力のラインが掌の上――目にも見えない何かを取り巻き、包み、幾重にも重なり――小さな魔力の結晶を作り上げた。
狂気というべき膨大な幾何学紋様の描かれた青い結晶。
曇りが取れるようにそれは透明度を増し、その内側には薄紅の光。
それらの色は混じり合って、二人の少女の瞳のような、美しい紫の輝きを放つ。
クレシェンタ達は言葉を失い、少女はごく自然に、眠りから覚めるように目を開く。
そして身を起こすと、浮かんだ魔水晶を宝物のように、愛おしげに胸に抱いた。
『お前には何度も驚かされるな、クリシェよ。――正直、望みはないと見ていたが』
「ありがとうございます、リーガレイブさん」
言って、クレシェンタに目をやる。
「それから……クレシェンタも。えへへ、全部クレシェンタのおかげです」
優しげな、いつも通りの笑みだった。
けれど久しく見たことがないもののように思えた。
クレシェンタは彼女が持つ魔水晶を眺め、呆然と視線を揺らした。
「……わたくし、は」
「ベリーの魂の上から何重にも、停止の術式が刻まれていました。それがなかったら見つけられなかったかも知れません。ベリーも魂をちゃんとした形で維持できなかったかも」
魔水晶を撫でて、ただただ幸せそうに微笑み。
「多分、危なくなったベリーをなんとかして助けようとしてくれてたんですよね。クレシェンタがベリーの側にいてくれて本当に良かったです」
言って妹に口付け、魔水晶を手に持ったままクレシェンタを抱きしめた。
けれどクレシェンタは呆然としたまま、言葉を発さず。
「……クレシェンタ?」
不思議に思ってクリシェが尋ね、それからふと気付いたように言った。
「……ごめんなさい、謝るのが先でした。ここにいるってことは、心配してクリシェを急いで追いかけてきてくれたんですね。とっても心配掛けちゃいました」
セレネにも謝らないと、と思い出したようにクリシェは言い。
「クリシェ、ベリーのことばっかりで……でも、もう大丈夫です。ベリーの魂はちゃんと連れてきました。後はいくらでも――」
「……それ、は」
「ベリーですよ。肉体に入っていても見えるようにしたんです。魂は体に入っていると見えないので……ほら、わかりませんか?」
クリシェはクレシェンタの顔の前に魔水晶を持ってくる。
青に閉じ込められた薄紅。
一見、単なる光としか見えず――けれどもその美しい輝きに、覚えのある何かがあった。
少なくともそれは、クレシェンタが知らないものではない。
「……本当に」
「はい。後は体を用意するだけですけれど、色々と考えないといけません。魂はとても繊細ですから念には念を入れて……」
あ、とクリシェは糸が切れたかのように倒れかけ、咄嗟に魔水晶を胸に抱き。
クレシェンタはそれを支えた。
「……少し、お休みになって下さいまし。お話は後で聞きますわ」
――今度はちゃんと。
心中でそう続け。
「……、はい、ごめんなさ……」
言い切ることもなく、気を失ったかのようにクリシェの体から力が抜ける。
ほとんど食事を取っていなかった。まともな睡眠が取れていたかも怪しい。
――それ以上に、先ほどまで彼女が行っていた行為が心配になり、魔力でその体を精査する。
少なくとも目に見えるような異常はなく、ほっと息をつき。
『我と汝の殺し合いはどうやら流れたらしい』
断続的に魔力が揺れ、リーガレイブはその鼻先を近づけるようにして目を細めた。
『我はその愉快な者の帰還と命拾いを喜ぶべきだろうな。とはいえ……お前は喜ぶでもなく、随分と複雑そうに見えるが』
「……蜥蜴は黙っていて下さいまし」
その言葉にまた、愉快げに魔力が揺れ。
ただ見守るだけだったクレィシャラナの男達――その内の一人が何かを言いかけ、ヴィンスリールが手で制する。
「アルベラン女王陛下。どうであれ、我々の前でそのような発言はお控え願いたい」
クレシェンタは不機嫌を露わにそちらを見つめ、嘆息する。
「それから、事情を。国としての――外交上の問題としたい訳ではないですが、流石に黙って見過ごせるほどの些事ではありません。無論、女王陛下もそのご様子では相当に急を要した事態であったのでしょう。……族長の家に宿を。そこでお休みになって頂き、明日改めてそれを伺う、ということでいかがでしょうか?」
クレシェンタは少し迷いを見せ、クリシェを見ると目を閉じ、考え込み。
それから深い溜息をついて、周囲の魔力を霧散させると頷いた。
「……ひとまず、おねえさまを休ませたいですわ。仰るとおり急を要する事態、大体察しの通りしばらくまともな状態じゃありませんでしたの。不作法を致しましたわ」
言葉は尚も柔らかさがなく、けれどヴィンスリールは何も言わずリラに目を。
流石に他国の女王を男の後ろに乗せるわけにも行かない。
成長し大人になったラーネルは女三人を運ぶには十分であった。
ここが里から近いというわけでもなかったが、グリフィンにとってはそれほどの距離ではない。
リラは頷き二人に近づくとラーネルを呼び、クレシェンタはリーガレイブを振り返る。
「一応、礼を言っておきますわ。……おねえさまが起きたら帰り道、また寄ることになるでしょうけれど」
『楽しみにしておこう。是非に見てきた世界の深奥――その話が聞きたいものだ』
告げるリーガレイブに構わず、クリシェを抱き上げグリフィンの背に。
それから、彼女の持つ小さな魔水晶――その内側に宿る光をただ眺めた。
翌日――クレシェンタは特に何も隠すことなく全てを正直に話した。
話を聞いたのは老いを増したアルキーレンス、ヴィンスリールとリラ、そして他数名。
クレシェンタがクリシェの側を離れたがらないこともあって、里の会議場ではなく、先日クリシェとベリーが泊まった族長の家。
囲炉裏の前に座ったクレシェンタは一通り語り終えると、平然と反応を待つ。
特に何かを言い訳することもなかった。
彼らに見せたものを言い繕うのは不可能と考えたこともあるし、正直に言えばどうでも良かった、ということも理由にあるだろう。
どうあれ、彼らが突如襲いかかってくることはない。
これで関係がこじれようが大きな問題があるわけでもない。
少なくともクレシェンタにも、クリシェにも。
このしばらくに起きていた問題に比べれば、どこまでも小さな問題であった。
「……嘘を仰る意味もないでしょう。他の者が語ったのであればにわかには信じられぬ話ではあるが……クリシェ様であれば、と納得できるものはある」
聖霊の力を借り、クリシェは亡くなった使用人の魂を連れ戻しに行っていた。
クレシェンタの言葉に男達は何とも言えぬ表情で目を見合わせていたが、アルキーレンスの言葉で疑念を捨てる。
あの場に居合わせていたものはヴィンスリールとリラ、後の一人はベーグ――先日の五大国戦争に従軍していたその男程度。
とはいえ、この場にある男達は皆、先日起きた聖霊とクリシェの戦いを目にしていた。
クレィシャラナにおいてさえ、魂などというものはあくまで信じるべきものでしかなく、その実在を心の底から信じているものは少ない。
それを本心から信じ願うのは、身内を亡くしたものくらいであろう。
とはいえ、クリシェであれば――そう思えるだけの未知を彼らは知っていた。
神の如き聖霊に立ち向かえるものなどありはしない。
そう思っていた彼らはあの少女にその固定観念を打ち砕かれたばかりであった。
そしてその少女がこれだけの大事を引き起こし、魂を連れ戻すため彼岸へと旅立ったのだと言われれば、理性で納得できずとも受け入れることは出来た。
それを語るのが大国の女王クレシェンタであったし、ヴィンスリールやリラ、ベーグが疑念など欠片も見せず、真剣な顔で彼女の荒唐無稽な話を聞き入っていたこともあって、そういうこともあるのだろう、と比較的素直な理解を示す。
彼らは皆、修行者であり思想家でもあった。
人間の矮小さを知り、その上で個としての己と、その限界を見つめてきたもの。
己の知らぬものがこの世にどれほどあるかを誰よりよく知っていたし、己の未熟さを日々問う彼らであればこそ、あっさりと受け入れられたと言っていい。
「その、ベリー様は……?」
口を開いたのはリラであった。
クレシェンタはその声にクリシェの眠る扉を指で示す。
「わたくしもはっきりと、何かを言えるほど理解が出来ているわけではありませんの。おねえさまが仰るならば大丈夫なのでしょうけれど、おねえさまが起きないことには――」
言いかけ、腰を上げようとして。
それより先に、扉が開き、中からクリシェが現れる。
大事そうに魔水晶を両手で包み、この場の状況を眺めて少し考え込み、それから頭を下げた。
「えと……なんだかびっくりさせてしまってすみませんでした。多分集まっているの、クリシェが原因ですよね?」
「……おねえさま、構いませんからもう少し休んでいて下さいまし」
「もう平気ですよ。前回で体に馴染む感覚はつかめましたし――」
「そういう問題じゃありませんの」
クレシェンタはクリシェを睨み、それから溜息をつくと腕を引き、隣へ座らせる。
表情は柔らかく顔色も良かったが、少しやつれた様子は変わらない。
ここしばらくはずっと、まともな生活を送っていなかったのだ。
その上で無茶をしている。
クリシェは魔力の扱いに長けるだけで、そもそも体の丈夫さは常人以下であった。
栄養失調気味な上、疲労も溜まり――決して元気と言える状態ではない。
「……お目覚めになったようで何より。少々心配しておりました」
「はい、ご心配おかけしました。この前ぶりですね、ヴィンスリールさん。リーガレイブさんのところでも見たような……」
「ええ。それで、今回の事情を女王陛下より伺っていたところです」
クリシェはなるほど、と納得したように。
子供を褒めるように、クレシェンタの頭を優しく撫でた。
クレシェンタは何かを言いたげに、しかし目を伏せて黙って受け入れる。
「ベリーの魂を連れ戻しに行っていたのです。それでリーガレイブさんのところに――」
説明はクレシェンタのしたそれを極めて稚拙にしたものであった。
ただ、経緯と事情については彼女の話したとおり――改めて男達は目を見合わせる。
この世界に重なる高次元な領域と、全ての魂、その輪廻転生を生み出す巨大な何かの存在。
子供のような語り口ではあったが、だからこそ信じられるものがあった。
彼女は言葉を飾ると言うことを擬音語、擬態語を用いる程度にしか知らないし、あったことをあったままに語るだけ。
二人目の話であったが、誰もが真剣に話を聞いていた。
場合に依れば精神に異常をきたしたと魔水晶を大事そうに抱く彼女を憐れむものもあっただろう。
ただ、彼女はどうあれ明瞭で、その力のほどは誰もが知っている。
疑念の余地なく、その言葉を彼らは黙って受け入れた。
「ベリー様はそこにいらっしゃるのでしょうか……?」
「はい。魂の状態は不安定なので、何か容れ物が必要なのです。それで今は魔水晶の中に入ってもらってて……」
リラの質問にクリシェは答え、
「……意識はありますの?」
姉の話に口を挟むでもなく、黙って聞いていたクレシェンタはそこでようやく尋ねた。
クリシェは、んー、と指先を唇に当て、告げる。
「眠っているような状態でしょうか。意図的に起こそうと働きかければ起きてくれるのでしょうけれど、この中に閉じ込められたまま起こしちゃうと色々びっくりしちゃいそうですし、ちゃんと体を用意してから、ですね」
早く会いたいですけれど我慢です、とクリシェは微笑む。
「ちょっと考えたのですが、あの次元とこの次元――それとは別の世界を一つ作りたいですね。魔力の影響が薄いこの次元だと色々な面で問題が大きそうですし、あっちはあっちで問題だらけですし、一から全部新しい世界を作ってしまった方が早いかも知れません」
愛おしげに魔水晶を撫でて、ただただ童女のような笑みで。
言葉の意味をほとんどのものが一瞬理解できなかった。
「魔力で作った体が馴染むまではどう考えたって専用の空間の方が良いですし、魔力で一から作るなら死なない体だって用意できます。そこならベリー達とずーっと一緒で……」
それから、ああ、と妹を見つめた。
「――クレシェンタの言う鳥籠ですね。とっても丈夫で、酷いことをする人たちもいない世界。……この世界のどんな場所より安心できる、永遠の鳥籠です」
どうでしょう、とクリシェは尋ね。
クレシェンタは姉を見つめ、それから魔水晶を見つめ、そうですわね、と頷いた。
ただただ上機嫌なクリシェはクレシェンタの視線とその表情に少し首を傾げたものの、これから準備で大忙しです、などと気にすることなく微笑む。
それからくぅ、と控えめな腹の音が響き、クリシェは頬を染め。
男達は笑みもなく、先ほどの言葉を反芻し、ヴィンスリールとアルキーレンスは顔を見合わせ、うなずき合う。
「女王陛下が仰った通り、ひとまず少し何かを口に入れてお休みになった方がよろしかろう。いかにクリシェ様とはいえ、ヤゲルナウス様のお体ほど強靱な訳ではない」
言って、アルキーレンスは男達を見た。
「場合によれば未熟な心を迷わせ、修練の妨げともなるだろう。……ここで聞いた話の一切を他言無用のものとする。その命を全うするまで、剣に誓え」
男達は曲剣の柄を叩くようにして応じる。
少女の口から語られた言葉の意味合いを、単なる例えとして受け取ったものはいない。
「聖霊に等しき御身のこと。個人としては称賛し、祝福したい。そしてそのお望みの是非を問い、否定するつもりもありません。喜ばれるお気持ちも分かる。……しかしどうあれ、そのようなお話は余人のある前でなさらぬ方がよろしいでしょう」
「……えと?」
「歩けば意図せず虫を殺すことがあるように――ご自身がどう考えているかはともかく、クリシェ様は我らのような凡百、只人にとってはそのようなお方です。あなたにとっては軽い言葉の一つであっても、他の者がそうであるとは思わぬ方がよろしいでしょう」
クリシェは少し首を傾け、唇をなぞり。
アルキーレンスは言葉を重ねた。
「あなたのお言葉は聖霊の羽ばたきに等しい。ヤゲルナウス様が空に舞い上がろうとするならば、意図はどうであれ周囲の全てはその翼が起こす嵐になぎ倒されるでしょう。……同様に、あなたの些細なお言葉一つが、他の者にとっての嵐となることもある」
蓄えた真白い髭をなぞり、真剣な――危ういものを見るような眼差しで。
「……死は絶対の理であると多くのものは理解し、そう理解するが故に、心情はどうあれ受け入れているのです。日々それを恐れるものなど至る所にいる。……そのことをただお伝えしたい。あなたの語る永遠は、多くのものにとってどこまでも甘美な果実でしょう。みだりに人に聞かせれば、それはいつか必ず災いを呼ぶことになる」
クリシェはその言葉を聞き、いつぞやのベリーの言葉を思い出して頷く。
それから恥じらうように頭を下げた。
「ごめんなさい、アルキーレンスさん。嬉しくて、ちょっとはしゃいでしまって……確かに軽率だったかもです」
「おわかり頂けたならそれで構いません。クリシェ様には不遜なれど、老人の忠告程度のもの。……欲とは尽きぬもの、我らであっても永遠の時間を己の修練に捧げたいと、そのような考えがよぎることもあります。年を重ね、死が近づくほどに」
ヴィンスリールは少し驚いたようにアルキーレンスを眺め、しかし彼はただの老爺のように微笑んだ。
それからヴィンスリールを示し、目を細める。
「良き跡継ぎに恵まれ、伝えるべき全てを伝えた今もなお。……しかし人とは個ではなく、集団で紡ぎ、多くの繋がりを築き上げて生きるもの。私はこれまで我らの先祖がそうであったように、この身をその流れに委ねたいと思うのです。……永遠の大花より、枯れて種を残す凡百の花の姿に美を感じ、生を全うしたいのです」
丁寧な言葉を用いて、懇願するようでありながら。
老人が子供に説いて聞かせるような柔らかい声音であった。
「……どうか、私のようなものを迷わせるようなことがありませんよう。ご自身のお力を良くご理解なさった上で、これからはその振る舞い一つ、言葉一つをお考えいただけると幸いに思います」
窘められていることは理解していて、素直にクリシェは頭を下げる。
不思議と、仮にここにガーレンやエルーガがいても同じようなことを言われるような気がして、そう思えば余計に自分の浅慮が恥ずかしくなった。
「……気をつけます」
アルキーレンスは満足そうに頷き、再び男達に目をやる。
男達は頷くと、失礼します、とそのまま外へ。
「リラ、食事を。それから何か食べやすいものをクリシェ様に持ってきてくれ」
「はい」
リラは頷き、クリシェに目をやる。
「……どうであれ、ご無事で何よりでした。ひとまずは何より、わたしはそのことを嬉しく思います」
クリシェは微笑みを返し、リラは言った。
「個人的にも、今日のお話はとても……」
――母も今頃新たな人生を歩んでいるのでしょうか。
彼女が抱く魔水晶の光を眺め、そう漏らして笑みを浮かべ。
「……そうだな。今生の分、きっと来世は随分な長生きとなろう」
アルキーレンスは娘の言葉に頷いた。
早世した妻のことを思い出していた。
大事を取って、更に一晩をクレィシャラナで過ごし、クリシェはクレシェンタとこれから先のことについてを話し合う。
クレシェンタもまた落ち着いたように、彼女の提案に対して明瞭に案を出した。
根源に満ちた莫大な魔力を解き放ち、天地に満たし、クリシェ達が世界さえを自在に操れる環境を整えること。
そしてその魔力を利用して、物質よりも魂に比重を置いた新たな次元を生み出すこと。
自分が全てを自由に出来る世界を作り上げ、管理掌握が容易になれば魂の容れ物――肉体の安定化は容易となる。
ベリー達がその新たな体に慣れ、安定するまでそれを補佐してやれば良い。
彼女たちの小さな箱庭――いかなる外敵も存在しない永遠の鳥籠。
創世神の領域にさえ手を伸ばしてなお、少女が求めるものは安心と平穏だけだった。
明日の予定を語るように数十年単位の計画を横になりながら練り上げて、日の出にはアルキーレンス達に礼を言い、里を出てリーガレイブの所に。
クリシェは改めて礼を言い、多分またすぐに来ることになる、とその上で伝え、転移を。
日の出の時間を選んだのはなるべく騒ぎを起こさないため。
二人は王都の側を選んで降り立ち、守衛の目をかいくぐるようにして王領の屋敷へ。
朝早くから翠虎に餌をやっていたエルヴェナがそれに気づき、慌てて彼女はセレネを呼ぶ。
クリシェが何かを口にする前にセレネはクリシェの細い体を強く抱きしめた。
両目の下に隈を作ったセレネに何度も謝りながら、涙を流す彼女が落ち着くまで待って。
それからクリシェは事の顛末を少しずつ語り、それから『永遠の鳥籠』についての計画をセレネに説明する。
安堵していた彼女の顔が少しずつ強ばっていくのを、抱きしめられていたクリシェは気付かなかった。
「えへへ、そこでならみんなずっと一緒に――」
「……クリシェ」
言葉を遮るようなセレネの声に、クリシェは首を傾げた。
「あなたが無事に帰ってきたのは嬉しい。ベリーのことも。……けれど、それとこれとは話が別。わたしは遠慮させてもらうわ」
「え……?」
セレネはクリシェから距離を取るように身を離し、涙を拭うとクリシェを見つめた。
その唐突な話を聞いていた二人の使用人は空気が変わったことに気付いて目を見合わせ、クレシェンタは目を細める。
「……もちろん、邪魔をするつもりはないし応援もするつもり。……でも、わたしは嫌」
「どうして――」
「……クリシェには分からない理由かしら」
クレシェンタは呆れたように言った。
「拗ねていらっしゃるのかしら?」
「茶化さないでほしいわ。……あなたにとってはくだらないことでも、わたしは真剣に言ってるの」
声を荒げることなく言い。
そんな様子を見て、クリシェは彼女に近づこうとする。
けれどセレネはその肩をやんわりと制した。
「あのっ、セレネ、怒っているなら――」
「怒ってないわ。あなたのことはこれまで通り愛しているし、あなたの気持ちだって分かるもの。……ちゃんと、あなたのことは理解できているつもり」
クリシェが首から提げているのは、紐を通された魔水晶。
彼女がそれを両手でぎゅっと包み込むのを眺め――その内側で輝く光を眺めた。
どこまでも綺麗な輝きで、どこまでも目映く見えた。
ベリーの魂は、どうしようもなく美しかった。
果たして自分はどうなのだろう、と考える。
彼女にはどう見えるのだろう、と考える。
内側にどろどろとした、重たいものが溜まっていくような感覚。
自分に魂があるとするなら、どうしようもなく醜いものであるように思えた。
「……あなたが悪いわけじゃない。わたしの問題。……今日は、一人にして」
「セレネ――」
「お願いだから、一人にして。……、疲れたの」
あれほどに目映く美しいもののためならば、彼女が命を賭ける理由も分かる気がした。
「……色んな事に、疲れたの」
そこには残酷なほどに美しい物語があった。
美しい登場人物、命さえを賭ける美談。
ただ、それを眺め続ける心も資格も、セレネは持ち合わせていない。
「わたしは……あなたたちとは違うもの」
――何もかもを持ち合わせていた彼女のように、セレネは特別な存在ではなかった。





