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少女の望まぬ英雄譚

レドは5万の兵を引き連れて来ていた。

左翼、北側からは本陣を狙った迂回攻撃に1万

右翼、南側からは川の下から大きく後方を狙って1万5000。


アルベリネアであれば、確実に森の中へ踏み込んでくる。

それを前提とした動きであった。


いくらアルベランとはいえ、情報の伝達速度には限界がある。

この速度を重視した侵攻であれば、相手は万全の構えを取ることなどは出来ない。

来ることが出来るのは精々一軍に毛の生えた程度だろう。

兵力に劣るあちらが森の中でこちらとまともにやりあうとは思っておらず、必然それはこちらの初動を止めるための一撃離脱と決めつけた。

あるいはその一撃離脱でレドの首を狙いに来る可能性もあったが、それならそれでレドの目的と噛み合う。


レドは己とアルベリネアが正対する状況を作り上げたかったのだ。


本陣を横から狙い、そして後方に打撃を加え相手の足並みを乱し、敵本陣をレドの真正面に引きずり出す。

調べた限り、アルベリネアは首狩りを好む極めて攻撃的な指揮官。

周囲をそのように封じられ、大将であるレドが正面に現れれば、高い確率で反転攻撃を仕掛けてくるだろう。


敵の主攻――コルキス=アーグランドの判断。

左翼にある敵軍団の高い統制と指揮能力。

多少予測のズレはあったが、ここにアルベリネアがいれば想定の通りに行く。

それ故レドは、それほどこの状況を悪いものとは思っていなかった。


誤算はアルベリネア軍を率いていたのがアルベリネアではなく、王国元帥セレネ=クリシュタンドであったことだが、しかしその誤算に彼が気付くことはなかった。


「……何を考えている?」


かつてアルベリネアがアウルゴルン=ヒルキントスと戦った地。

北を森に、南を川に挟まれながらも、樹海には広い草原が広がっていた。

そこに堂々と2個軍団、1万程度の戦列を組むのはアルベリネア軍。

そしてその先頭にあるのは、翠虎に腰掛けた、長い銀の髪。


レドは初めてその姿を目にして、けれど彼女がそうであると疑うこともなかった。

遠目にも小柄な体、乱戦となれば掴まれるようなひらひらとした外套を身につけ。

戦場にはどこまでも不似合いで、浮いた姿。


いや、その浮いて見える理由はそれだけではないだろう。

森の道を抜けてこの場に立った瞬間、得体の知れない重圧が全身に掛かった。

その1万――先に戦ったコルキス=アーグランドと戦士達が並ぶ戦列ではなく、ただ当然のように先頭にある少女一人の姿に震えていた。


「好都合だ。……戦列を組め」

「は!」


武者震い――ではない。

フェルワース=キースリトン、コルキス=アーグランドと正対した時とは違う。

仇を前にして、血が沸騰するような何かはなかった。

むしろ、煮えていたはずの血液に、冷水を注ぎ込まれたような感覚。


思わず、震えていた己の掌を眺めた。


――俺は、怯えているのか?


問いかけ、周囲を眺める。

周りの兵士達も声を張り上げ、戦列を作り始める。

しかしどこか、調子が狂っていた。

何かが空回りするように、声が若干上擦っている。

あるいは、力が入りすぎていた。

まるでそれは、怯えを意思で押し殺すように。

震えているのはレドだけではなかった。


アルベリネアが取ったのはあまりに理解しがたい行動であった。


北の軍団は良くこちらの攻勢を押しとどめている。

南から迂回する者達が敵の後方と接敵するまでには今しばらく時間が掛かるだろう。

とはいえ、それもあくまで短時間。


アルベリネア軍本陣の行動としては、この時間で軍を退いていなければならなかったのだ。

反撃、逆襲を狙うにしろ、あくまで『撤退をしている素振り』を見せてでなければ効果が無い。

森の中という人数の有利が働きにくい環境で奇襲を絡めるからこそ、初めてこの大軍に対し、その行動に意味が出てくる。


それをこのようなひらけた場所で、堂々たる正面戦闘を行うなど馬鹿げていた。

あちらが兵力で上回るならばまだしも、局所で見ても全体で見ても、大きく不利なのはあちらであった。

仮にこのような行動に出るにしろ、今レド達が立っているこの空間への出口で敵は構えるべきだろう。


わざわざ橋を背後にした対面で、あのように馬鹿げた戦列を組む戦術的な意味など欠片もなかった。

こうなった以上、アルベリネア本陣の完全撤退は不可能になってしまったのだから。


戦術的、戦略的に理解が及ばない。

いや――だからこそ不気味なのだろう。

これでアルベリネア軍がこの森を無事に出るためには、レドの率いるこの2万5000、その撃破が不可欠となった。

それはつまり、アルベリネアはここからレドを半数以下の戦力で潰す気だということ。


狂っていたし、無謀であった。

こちらは両翼から迂回させている。伏兵の報告もないのだ。

ガルシャーン、エルスレンとの戦で使ったという鉄人形も見えなかった。

どう考えても正気の沙汰とは思えない。

けれど正面――何の指示もなく、こちらが戦列を組むのをただじっと眺めるアルベリネアの姿に感じるのは、やはり得体の知れない恐怖感。


――まるでこの空間の一切が、巨大な何かの胃袋にあるかのように感じられていた。

優位はこちら、優勢もこちら。

けれどそんな理屈も関係なく、体に纏わり付く重い空気。


「アルベリネアは、何を……?」

「わからない。だが、十分に警戒しておけ。少なくとも奴には、十分な勝算があるということだ」


尋ねられた言葉に、レドはそう答える他無い。


少なくともレドが逆の立場であれば、あの状況から巻き返す手段はないように思えた。

勝敗を度外視しても、優位なこちらを更に優位にするのだから、あの構えに利点などはどこにも見えない。


そしてそれは彼の率いる兵士達も同様。

困惑はレド達の側だけではなく、アルベランの兵士達にも存在しているように見えた。


このような状況で、優勢なる敵軍が戦列を組むのをただ黙って見守る。

こんなことは兵法の論理からは明らかに逸脱していた。

当初の予定にも存在しない。


この短い時間で彼等に伝えられたのは、アルベリネアには秘策があるという情報のみ。

重い空気に思わずアルベランの兵士達は顔を見合わせ――それでも命令に背くことなく、こうして戦列を組む理由はこれまでの訓練と経験の賜物であった。


彼等はアルベリネアがいかなる存在であるかをよく知っていた。

このような無謀に見える行動も決して初めての経験ではない。

彼女自身の人格に対しては意見が分かれることがあったが、少なくともその圧倒的な強さと能力を疑う者はこの軍には一人としていない。


ガルシャーンを、エルデラントを、エルスレンを――誰もが絶望を感じたあの侵攻をいとも容易く打ち破ったアルベリネア。

その力は疑う余地のないもので、神の如き古竜に対し挑み、真名を交わしてその友誼を勝ち取った彼女はまさに、生ける神話の存在であった。


故に彼等は僅かな怯えと、強い期待に満ちた眼差しでアルベリネアを見つめ。


そして、そんな視線を気にも留めず、アルベリネアは動き出す。


アルベリネアはヴェズレア軍の戦列が大方出来上がるのを見届けると、翠虎を歩かせた。


ゆったりとした動き――開戦の挨拶でもするのかと互いの兵士達は顔を見合わせ、しかし少し歩いた両軍の中央で翠虎は止まる。

そしてアルベリネアは、翠虎の腰に提げられた、二つの大きな袋を曲剣で切り離し、その口を開くと乱暴に周囲へ。


草原に散らばるは無数の魔水晶であった。


それで仕事は終わりとばかり、欠伸をしながら翠虎はその場から背を向けアルベランの本陣に。

それから翠虎が戦列を飛び越えると同時、少女はその一つを手に取り――砕いた。


硬質な魔水晶は甲高い音と共に、魔力を持たぬものでも分かるほどの青い濃密な魔力へと変わり、一つ目の魔水晶から生じた魔力は余すことなく少女の掌中に。


圧縮された時間の中で、単なる光の曲線は交差し、分かれ。

三次元的な青き幾何学紋様は、少女の手の上で焔の如く。

それはある種の演算回路と言えるだろう。

時間すらを超越する少女の思考を、更に高みへと到らせる仮想の頭脳。


それが意味するものは、ただ一つの法と論理であった。


多くの者にとって、それは舞いか何かに見えただろう。

巫女が己に神を降ろすかのように。

もしくは自ら、その領域へと足を踏み入れるかのように。

踊るようにくるりと回れば、少女の外套と長い髪がふわりと揺れて、草原に散らばっていた全ての魔水晶が砕け散り。


――天を震わせる硬質な連鎖と共に、少女を包むは青き焔と青き曲線。


「あれ、は……」


両軍からざわめきが生まれる。

それが何か、何をしているのかを言い当てられるものなどは、少なくともこの場にはいなかった。


それは芸術品のように精緻で美しく、おぞましくも夥しい、魔法円の集合。

二つの尾のような、銀の長い髪が風もないのに左右に揺れて、その外套が棚引く。

周囲を青い光が飛び回り、その内側でアルベリネアが頭上に手を翳した。


青き光は少女の小さな掌の上に集い、形を変え、目映い光を放つ。

光は少女の身の丈よりも遥かに長大で、大気の弾けるような音を周囲四方へと響かせて。


表現するなら、それは槍のような何かであった。


――あるいは、それはまさに雷光そのものであった。


それは天神がその怒りを示す矛であり、下界の全てを焼き払う嵐の杖。

神と人、天と地とを明確に分けるもの。

絶大な力を掴んだ少女は軽やかに駆け、ただ手に持った暴力を前方へ。


迫る少女とその槍に、反応が出来たものなどいない。


未だ人を殺したこともない半人前も。

修験者の如く、生涯を武に捧げた達人も。

その社会にて、その名を知らぬもの無き勇者でさえも。


無差別で、無遠慮で、理不尽に。


「――――」


轟音よりも先に飛来し、天地を満たした閃光が、それら全てを呆気なく無に変えた。


ヴェズレア軍、その戦列左翼を貫いた閃光は天を焦がすような火柱を上げ、一拍遅れて轟音が大気と大地を震わせる。

この場にあった誰もが、唖然と動きを止めていた。


閃光が消え、少しして煙が晴れれば、そこにあるのはえぐり取られ溶解した大地。

当然、戦列を組み存在していた左翼数千の兵士などはその存在そのものが消失していた。


いや、空から降り落ちる雨のような何かに、その残滓程度は存在していただろう。

運が良ければ体の一部が原形を留めたまま、大地へ転がることを許されていたかも知れない。


確かなことは、雑兵から名だたる勇者まで、その爆心地にあったものが皆――今の一瞬でこれまで積み重ねた生を終えたこと。


少女は自然な動作で淀みなく、その手の中に暴力を。

二本目の雷槍は戦列右翼に。

先ほどと同じ光景が再演され、蒸発する体液が靄を、炭化し溶解した肉が少し遅れて地表に降り注ぐ。


アルベリネアの戦士達は尚も硬直したまま、唖然とその光景を見つめ、


「ひ――退け! 後退しろ!!」


時が止まった世界で、先に動いたのはヴェズレア軍の戦士達。

その反応の差は当然のものであった。

明確な死と暴力が向けられるのはただ一方なのだから。


この場は、ただ唯一の法と論理が支配する世界。


誰もがこれに立ち向かうことが無謀であると理解していた。

嵐に対して剣を向けるものがいないように、盾を構えるものがいないように、それは自然な摂理と言えただろう。


どれほどの軍勢を引き連れようと、どれほどの戦列を組もうと、どれほど過酷な訓練を積み、血反吐を吐くほどに努力をしようと。


所詮、彼等は天意に対して抗う術を持たない、実にか弱き生き物であった。


あまりの現実を受け止められず、棒立ちになるものがあった。

吹き飛ばされ、辛うじて息を繋ぎながらも、身を屈めて蹲るものがあった。

そして当然、生き残ったその多くは後退を始め、本来指揮する側にある勇壮なる戦士すらが、大将の指示すら待たずに独断で退却を叫び、命じる。


――この場に置いて、アルベリネアはただ唯一の神であった。


それを疑う人間などは存在せず、二本の槍で趨勢は決し、けれど構わずアルベリネアは三本目の大光槍を作り上げると真正面へと放り投げる。

それは道中の小石を蹴飛ばすようなもので、特に何かの意味があった訳ではない。

ただ歩くだけでも彼等は道を空け、彼女の前から逃げだしただろう。

それは彼女にも分かっていたし、けれどどうでも良かった。


放り投げる。火柱が上がる。また二千、三千の命が消える。


彼女には『何となく』邪魔に思え、そしてその『何となく』で数千人の命が無造作に奪われた。


天才と呼ばれる者が百年を掛け、ようやく編みうる論理の極み。

一息の間に演算され、編まれた槍は、竜の吐息などとは比べものにならぬ理論限界の芸術であり、効率化された死そのものであった。

戦列を無造作に貫き崩壊させる雷槍は、個人が持つにはあまりに強大な暴力であり、されど彼女にはそれを行使することに微塵の躊躇も怯えもない。


目に映る全てが不愉快に思え、実際に自身の邪魔をしていた。

それだけで彼女にとって、それら全ては殺すに足る存在だった。


彼女に取って、この世界はどうでも良いものに満ち溢れていた。

彼等の人生に興味はなかったし、彼等がどのような努力によってこの場にあり、どのような善行を積み、どのような悪行を積んだかにも興味がなかった。

それまで彼等が積み上げた全ては、彼女に取って平等に無価値であった。

彼女の天秤は、彼等の命を何千、何万、仮に何億積み上げたところで、微かにも揺らぐことはない。

彼女は生まれた時からそのような存在であり、それは今もなお変わらない。


――王国の姫君として生まれた彼女は、生まれついての異常者であった。


少女は自分が殺した全てを、気に留めることなく前に進む。

青き無数の魔法円に囲まれ、外套を棚引かせ――薄紅の花飾りで括られた、長い二本の銀の髪を左右に揺らし。


走ることさえもなかった。

青き曲線は少女の背中に。

魔力は翼を生み出すと、彼女の体を空中へと押し上げて。

自身が無意味に生み出した戦列の穴を、ふわりと飛び越え着地する。


眼前には本陣――その総大将が逃げずにいるのを眺めて、歩いて前へ。


「……あなたが総指揮官でしょうか?」


呆然と、巨剣を掴んでいた青年に声を掛け、そうでありながら歩みを止めず。

特に答えは求めていなかった。答えずとも全員殺せば良いだけだった。

答えれば多少の手間が減る、その程度の質問でしかない。


「……、そうだ」


青年――レド=ラーニは巨剣を引きずるように構え、自身の左右にある兵士達を見た。

この状況にありながら、兵士達は怯えを殺して頷く。

もはや誰もが、この指揮官と共に死ぬことを疑う余地なく理解していた。


彼等は散開し、歩いてくる少女の左右を取る。

もはや誰もが、その死に意味を持たせるためだけに動いていた。


「シェルナの仇だ。……命をもらうぞ、アルベリネア!!」


レドが叫び、踏み込めば――対するクリシェは立ち止まる。


そして左右の兵士に視線を向け――ただそれだけであった。


浮かんでいた青き曲線が稲妻のように、目にも止まらぬ速さで彼等の所へと走り、その懐、あるいは握り締めていた魔水晶へ。


彼等が最期に見たのは、どこまでも無機質な紫の瞳。


――瞬間、青き光が彼等を包み、爆音と共に血肉が弾け、飛び散った。


何かを為すこともなく、彼等の存在はただ消える。

理由を述べるとするならば、ただ一つの法と論理に逆らったから。

それ以上に語る余地のない死であった。


レドは長年共に戦い抜いた戦友達の呆気ない死に、そして勝つための全てを失ったことにさえも、もはや動揺もしなかった。

これまで積み上げてきた全てを振り絞るように、横から切り上げの一閃を放つ。


少女は、軽く上体を反らすだけでそれを躱した。

続く一刀も、更に続く一刀も、少女は剣先から紙切れ一枚ほどの距離で見切る。

四閃目、五閃目、六、七、八――レドがこれまで積み上げてきた武の全てを、少女はただ躱し続けた。

その戦いとも呼べぬものを見守る、誰の目にも明らかだった。

両者にあるのは子供と大人、そのような隔たりではなく、それは一つの理でしかない。


決して届くことのない刃。

人にあって、戦士にあって最高峰の武を持とうと、決して超えられぬ天地の隔たり。

敵う敵わないなどと、比べることすらがおこがましい、絶対的な力の裂け目。


それはやはり、単なる摂理と呼ぶべきものだろう。


紫色の凍った瞳が、じっと自身に剣を振るうレドの姿を見つめていた。

レドにとって、まるで決して斬れない影を相手にするような感覚だった。

地獄のような戦場を潜り抜け、鍛え上げた力は、少女を前には無価値であったと気付いていた。


「あの」


少女は平然と剣を躱し、無表情に首を傾げる。

人形か何かのように、不気味な仕草だった。


「もしかして、今ので終わりですか?」


全身の魔力を振り絞り、巨剣の生み出す全ての力を掌握し。

自身の肉体が千切れるほどの暴力を叩きつけようとし。

もはや剣は、レドの認識すらも超える速度を生み出していた。


けれど少女は変わらず紙一重で剣を躱し、レドを眺め、そして曲剣を引き抜くと、


「っ!?」


レドの巨剣へとその刃を滑らせる。

レドの刃に対して斜めから当て、小さな刃こぼれを作り、そして振り抜き。

気味が悪いほどに優美で精緻な剣閃だった。

父から受け継がれた巨剣は、少女の持つ小ぶりな曲剣に両断され、その慣性を突如失ったレドは倒れ込み、膝を突く。


『――戦士として称賛しよう。だからこそ、憐れに思う。……君には何も手に入るまい』


そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

目の前にあるのは、いかなる努力をもってしても、人が届くはずもない相手であった。


「仇と言うことは、前の戦での復讐でしょうか」


倒れ込んだレドの腹を、鉄で補強された少女のブーツが蹴り上げた。

その華奢で小柄な体格からは想像も出来ないほどの威力――腹筋を貫いた一撃は内臓を破壊し、その筋肉を全身に纏った肉体は鈍い音と共に浮かび上がる。


「……でも、こんなに弱いのに、どうして攻めて来たんですか?」


レドは咳き込み、血を吐き出しながら左の脇腹を押さえて立ち上がる。

そして尚も、素手の拳を少女に叩きつけようとし。


「が、っ」

「こうならないように、クリシェは……」


その腕の根元を少女の曲剣はいとも容易く切断した。

そして同時にその体を蹴り、転がらせる。


「……こんなに弱いのに、ベリーが大変なのに、クリシェの邪魔をして」


一滴の血すら、少女は浴びることもなかった。


「それに、そもそも、攻めて来たのはあなた達で……」


少女は美麗な顔を歪め、自分の額を押さえた。

そして転がったレドの、残った左腕を踏みつける。


「……ああ、なんだか、すごくいらいらします」


レドは己を殺そうとする少女を見つめた。


シェルナの遺体には斬り合った傷すらもなく、綺麗なもので。

その戦いはきっとこのように、一方的なものであったのだろう。


――いつか、彼女が一人で見た景色だった。


「っ、しぇ、る」

「……もういいです」


何かを口にしようとしようとしたその首を、あっさりとクリシェは両断した。

そして頭を掴むと、丁度転がっていた旗の先にその首を突き刺し、大地へと突き立て、アルベランの軍へと向き直った。


セレネも、コルキスも、ベーギルも。

指揮官ですらがその光景を目にして動けず、声すら出せず、そうであれば兵士達も同様であった。


その中で誰よりも先に、黒き鎧を身につけた一人の指揮官が偉大なるアルベリネアの勝利を叫んだ。

彼もまた硬直する側にあり――それはただ、自身が敬愛するアルベリネアがこれ以上の殺戮を行うことを避けるため、勝利を確定させるために咄嗟に張り上げた声であった。


黒塗り鎧の戦士達はそれに呼応し、兵士達も同じく声を張り上げる。

アルベリネアの力に対し、彼等の多くが覚えるものは恐怖と言うべき畏怖畏敬。


軍を相手に文字通り、ただの一人で勝利する。

戦神、軍神などと呼ばれるものは過去に多くあれど、その言葉通りであったものなど彼等の前にいる彼女以外にはあり得まい。


語るならばそれは、ある種の神話であり、英雄譚であった。

大人になれば虚飾を交えた空想と知るお伽噺は、今こうして現実のものとして目の前にあった。

王家に捨てられし子は、英雄に拾われ戦士となり、英雄となり、そして神の領域にさえ到ったのだと。


今目の前で起こった非現実的な全てを、納得するための方便が彼等には必要だった。

だからこそ彼等は声を震わせ高らかに、英雄アルベリネアを天に讃えた。

運命に導かれし神の御子。

生まれついての大英雄。

絶大なる個を受け入れるために必要なのは信仰であり、彼女と言う異常への恐怖を押し殺すように、ただただ声を響かせる。


少女はどこまでも冷めた目で、その歓声を聞いていた。

称賛も名誉も信仰も、何一つ彼女は求めてなどいなかった。


ただ、自分の帰りを待つ一人の女性のことだけを考えていた。









語るまでもなく、戦いはそれからほどなく終了した。

全てを姉と部下に任せた少女は、翠虎を走らせて王都に向かう。


時折、首から提げた小さな袋を握り締め。

彼女に取って、それは何より大事な約束だった。


可能な限りの最善を尽くして、けれどそれでも不安はあって。

けれどそれも、いつものようにこのキャンディを彼女に返せば、ようやく彼女も安堵が出来た。


後ほんの少しで、自分の願いは叶うのだ、と。


邪魔が入ったことをどうしようもなく恨みながら、なるべく笑顔で彼女と会えるよう、考えないように、戦場の事は忘れ彼女の事だけを考えた。

口づけをして、お詫びを言って。

それから本当に、後ほんの少しだけだと改めて安心させて。

全部が終われば、以前と変わらぬように。

この先も変わらぬように、いつも通りの毎日を過ごす。


少女の望みはただそれだけで、苦しかったのも忘れられるくらいに、沢山彼女が喜ぶことをしてあげたかった。

少女は自分がそのためにあると信じていて、そうであると疑わない。

少女の居場所は戦場ではなく、彼女の待つ屋敷の中にあった。


王都が見えれば、自分を乗せるペットに無理をさせ、謝りながら急がせた。


そうして風のように王都を駆けて、いつもの見慣れた屋敷の前に。


首から提げた袋を取って、玄関から入る間も惜しんで、バルコニーから自分の部屋へと踏み入れる。


――けれどそのベッドの上には誰もおらず、黒髪を肩で切り揃えた使用人が一人。


現れた少女を見ると呆然と、それから顔を歪めて両手で顔を覆い、膝を突いた。


「――――」


考えたくもない想像がちらつくのを感じながら、少女は恐る恐る尋ね。


微かな望みとは裏腹に、使用人は首を横に振る。


手に持っていた小袋が、床の上に落ちて、硬質な音を立てた。

それを拾い上げることも出来ず、ただ呆然と立ち竦む。


時間が止まったかのように、温度が失われたかのように。


世界からは色が失われ、その思考は理解を拒んでいた。


ふらついて、目を泳がせて。

額を押さえて首を振った。

この世で最も貴重であった、取り返しのつかない時間が、彼女から失われたことを認められず。


頭の中では耳鳴りのように、戦場での高らかな称賛の声が響いていた。


まるで少女に怯えるように、恐れるように。


――少女の望まぬ英雄譚を、高らかに讃えるその声が。

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作者X(旧Twitter)

  2024年11月20日、第二巻発売決定! 
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ああ、ここでタイトル回収かあ………。 クレシェンタのことはバレるのか? ただ、バレてもバレなくてもベリーと一緒にいられない原因を作ったレドくんの祖国は潰されてしまいそう。 一番の悲しみを知ったクリシェ…
[一言] 心臓が痛い……
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