時間稼ぎ
――遊牧民出身者で固められた1万4000。
いや、彼等は既に1万2000となっていた。
「……ここもか?」
大族長ラヌ=カルードが険しい顔で尋ねると、聞かれた男は首を振る。
「は。少量は、その……畑に未熟なものが残されておりますが……」
敵軍を抜け王都圏。
内側に入り込み、略奪と陵辱の限りを尽くすはずだった彼等はしかし、空振りを繰り返していた。
どの村にも人の気配すら存在しない。
倉庫や家屋の中に僅かながら残されている食料は存在したが、どこも既に逃げだした後――もぬけの殻だった。
得られる食物はとても、1万を超える男達を養うに足る量ではない。
あらかじめ村人達を街へ避難させていたのだろう。
彼等が王都圏に入り込むこと――それを見越して。
「どうされますか……?」
「少し黙っていろ」
「っ、は……」
落ち着いた声音――けれどその声に怒りを感じ取り、男は口をつぐむ。
細い目と笑い顔のように柔和な顔。
だがこのラヌ=カルードの性質はどこまでも冷酷無比な狂人であった。
妊婦の腹を裂き、赤子を取り出し平気で笑う。
一度その怒りに触れれば、全身の皮を剥がれて殺されるか、生きたままはらわたを取り出されるか、良くて四肢裂きであった。
ラヌは細い目を閉じ考え込み、誰も声を発しない。
既に2000は飢餓状態に陥ったこの軍から逃げだしていた。
内の半分以上を見せしめに殺し、なんとか規律を保っているが、しかし限界がある。
豊かなアルベランの平原、馬の食料はそれでなんとかなる。
だが、人間には限界がある。
替え馬をいくらか潰して食いつないでも、そう長くは持つまい。
恐怖による統制は束縛が必要不可欠だった。
妻や子、敵地であれば食料――繋ぎ止める縄がなければ逃亡を防ぐことは不可能だ。
あまりにあっさりと敵が王都圏侵入を許した、とは思っていた。
だが、その理由はここにあるのだろう。
アルベランはあえてラヌ達を王都圏に誘い入れ、自滅させることを狙っていたのだ。
騎馬弓兵だけでは城壁を破り、街を落とすことなどは出来ない。
送ったはずの伝令も帰ってきていなかった。
死んでいるか、あるいは逃げだしたか。
どうあれここから逃げ出すのは容易ではないだろう。
「西から敵の増援は見られないのだな?」
「は。今のところは――」
「副将の読み違い、敵の策に嵌められた。これ以上王都圏に留まることは不可能――これ以上戦力を損なわぬうちにウルフェネイトの南を突破し、閣下の所へ戻る」
取れる行動はその他にない。
南北にそれぞれ二万――敵は砦を築いていた。
行きは素直に通してくれたが、帰りはそうではないだろう。
間違いなく止める気で来る。
だが所詮2万。
打って出てくるならば、殲滅も可能であった。
「砦に籠るならばすり抜けるが、止めに出てきたならば皆殺しだ。そうなれば閣下も、私に文句は言うまい」
平野での決戦ならば負けはない。
確信と共に断言し、ラヌは握る手綱に力を込めた。
「――あの小娘がッ!!」
大天幕の内側――エルスレン神聖帝国大公、バズラー=ルーカザーンは激昂のまま拳を机に叩きつけた。
簡素な長机はへし折れひしゃげ、上に乗っていた木彫りのコップが黒豆茶を撒き散らして地面に。
全軍の主立った指揮官がこの場にあったが、居並ぶ面々は皆バズラーに視線を合わさず、目線を下に。
怒り狂う大公の理不尽をその身に受けたいと思う者などそうはいない。
「おい、新しい机を持って来い」
副将リンカーラ=ウォーカルだけが平然と傍らの従兵に告げる。
兵士達の士気が完全に崩れていた。攻撃中断は妥当である。
相手に休息を与える不利益を考えても、彼等はそうせざるを得ない。
距離を取っているにも関わらず、死臭はここまで漂ってきていた。
ウルフェネイトは北をクーレイル、南をカルビャス山脈に阻まれる。
この時期この辺りを抜ける風は西から東――それも必然だろう。
「仕方ありませんな、相手が一枚上手でした」
リンカーラは呆れたように告げる。
「王都圏に入ったカルードからは連絡がありません。便りがないのは元気の証拠と言うべきか……伝令が殺されているか」
「ふざけるな。……敵は分断を狙っていたと?」
「可能性はありますな。とはいえ、今のところ野戦に出てくる気はなさそうですが」
北壁の軍は城壁の外にも襲撃を受けた。
騎馬弓兵があればあれほどの壊乱を防げたかも知れず、目的はそこにあったのか、あるいは別の狙いか。
「折を見て外からの回り込みの可能性も多いにある。南北二手に分けて攻めるのは危険ですな」
死体の残る東を避けて南北――騎馬弓兵があれば敵の頭を潰せるだろうが、彼等のない今それを選択するのはあまりに危険であった。
北と東、あるいは南と東、すぐに連携を取れる配置にしておかねば、分断され各個撃破される危険性がある。
「まだ続行を?」
「当然だ。止め時とでもほざくのか?」
「いいえ、これだけの被害を出しては退けませんでしょうな」
目を細めて考え込む。
先日――リンカーラが提案したあのタイミングが最後。
退くには損害が出すぎていた。
性質の悪い博打のようなもの――戦というものは負けるほどに退けなくなる。
「まぁ前提として、状況が極端にこちらへ不利という訳ではないでしょう」
「……どういう意味だ?」
「あの気狂いアルベリネアのやり方は実に効果的――実際こちらは軍を退かざるを得ないほどの士気損失です。とはいえ、それはあちらの兵士にも同様」
リンカーラは告げる。
「アルベリネアは閣下の槍を容易く防ぎ反撃を行った訳ですが――」
「……貴様」
「――あれだけの力を見せつけて、しかし歓声は上がらず。投石機を貫いた時とは大違い、あちらの兵もどうあれ快くは思っていないようだ。ああいうやり方は諸刃の剣ですな、自らをも傷つける」
敵の死体とは言え、投石機で外に投げ捨てる。
非道であることは間違いない。
そして兵士達は非道を嫌う。
主義主張を違えど同じ人。
仮に剣を向け合い殺し合う関係とは言え、兵士と兵士の間に怨恨の情がある訳でもない。
偶然住む土地と国が違っただけ。
戦う兵士達はむしろ、ある面では戦場という歪な世界を共に過ごす同胞であった。
個人的な感情さえなくば、死者に鞭打つことを正しいと思う者はいない。
「少し絡め手と行きましょう。どうあれ、現状よりは好転する」
「罵声でも浴びせる気か?」
「近しいですな。相手がどのような選択を取るかによりますが」
綺麗に剃った顎を撫で、リンカーラは目を細めた。
「攻城戦の勝敗は結局、士気の多寡。相手が非道を為すならそこを突けば良い。簡単な事です」
翌朝――エルスレン神聖帝国の戦列から、青い旗を振りながら現れたのはバズラー=ルーカザーンとリンカーラ=ウォーカル、そして数名の護衛。
青い旗は聖霊協約に則った、戦意なきことを示す交渉旗である。
当然ながら矢を放つような真似は誰もせず、翠虎に乗ったクリシェと共にノーザン=ヴェルライヒが東中央門の城壁上に現れる。
「何用か侵略者の長よ。ここに来て青旗とは、ついに降伏を決意したか?」
ノーザンは堂々とバズラーを見下ろし告げる。
荒々しくはなく、けれど響き渡る声。
誰もが口を閉ざし成り行きを見守っていた。
「馬鹿な事を。要求は今日一日の停戦――戦場の清掃、死者の埋葬を行いたい」
バズラーは笑ってその言葉に返し、左右の手で東に飛び散った死体を示した。
夕刻から朝まで絶え間なく、東壁から東の平原は血で赤黒く染まり、万を超える死体で染まっていた。
「ノーザン=ヴェルライヒ、貴君の武勇、奮戦には敬意を表する。国を守るという大義のため、全力を尽くすということ自体に関しては否定もしないが……ただ、この有様はあまりに非道と思わないかね?」
青旗を掲げて来た時点で用件はおおよそ理解が出来た。
ノーザンは黙ってそれを聞き、バズラーはいかにも貴族らしく語りかけた。
「国も違う、信仰も。だが、同じく大義のために戦った戦士の亡骸。それに対してこのような扱い――貴君の胸に生じるものはないか? それとも、これが正しく義であると、堂々と胸を張って告げるのか?」
ノーザンは、さてどうしたものか、と隣――翠虎の上でキャンディを味わうクリシェに目をやる。
クリシェは視線に気付いて考え込み、クリシェはどちらでも、と答えた。
「いや、それを聞くべきは貴君ではなく、そちらの姫君――アルベリネアなのだろうな」
そしてその様子を見て取ったバズラーは視線をクリシェに。
クリシェは突然水を向けられ、首を傾げる。
「……この所業、ヴェルライヒ将軍の決断ではあるまい。これまで我らが行ってきた戦いとは大きく異なる。戦士達の亡骸をぞんざいに扱い、汚物か何かのように撒き捨て――王家の忌み子と聞いた噂はどうにも、嘘偽りない事実であったらしい」
「……最初からあなたたちが攻めてこなければ良かった話なのですが――」
「聞けウルフェネイトの兵士達よ!」
クリシェの言葉を遮るようにバズラーは声を張り上げた。
「諸君らはこれを侵略と思っているのだろうが、仲を違えていた三国全てがアルベランに侵攻した理由を考えるといい! 発端はここにいるアルベリネア、彼女が聖霊協約を蔑ろにし、聖霊の力を独占しようとしたことから始まった!!」
クリシェはむぅ、と唸りつつ。
小さくなったキャンディを飲み込み、新たなキャンディを口の中に。
「先に無法を行ったのはアルベランであり、そしてこのアルベリネア。この有様を見れば私の言葉が事実かどうか、誰もが一目に理解出来るだろう! 我が戦士達の亡骸に対し、このような非道を行う正当性はどこにある!? 戦場での殺しあいは必然、死も必然! だが、死者となった戦士に対し敬意を向ける精神がなくば、戦場は汚泥に塗れた肥溜めとなろう!!」
言葉通り、彼の立つそこは汚泥に塗れた肥溜めであった。
緑が見えなくなるほど臓物が撒き散らされ糞便と血肉が飛び散っている。
万を超える死体――当然だろう。
「私が求めるものはただ、戦場における最低限の秩序である! 諸君らは一度、冷静な目でこの光景を見つめるべきだ。諸君らの指揮官が作り上げたこの光景が正しいものかどうか――果たしてアルベリネアが正義であるのかを!!」
城壁上の兵士達は顔を見合わせ、視線をクリシェとノーザンに。
国を守るためなら致し方なし――とはいえ確かに非道ではあった。
散らばる死体に憐れむ気持ちは当然あったし、誇らしいと胸を張るつもりもない。
「――アルベリネア、アルベラン軍の指揮官として返答を求める。自身の行いに悔いるところはないというのか、それともその心に僅かながらも人としての情があるのか」
――死体色で染まった草原。
神聖帝国軍が攻撃を続ける場合、大きな問題はこれであった。
流石にこの状況で兵士に攻めろと命令することは出来ない。
とても士気は保てないだろう。
これからより腐敗が進めば尚のことだった。
素直にこれに応じるなら悪くない。
そこから仕切り直し、同じ手は使えない。
応じないならばそれもまた悪くない。
敵兵士達はアルベリネアに対し強い不信感を募らせ、断られたと言えばこちらの兵士達にも非道を行う相手として今一度戦意を芽生えさせることが出来る
これだけ語った後――どちらの選択を取ったとしても、アルベリネアに対して覚える敵兵士達の意識は変化する。
目的は先の言葉であり、アルベリネア個人を狙った心理策であった。
ノーザンは兵達の様子を眺めた。
悪くないやり方――クリシェを狙い、バズラーはノーザンが口を挟めぬ空気を作り上げている。
ここでクリシェに代わっての結論を出すのは容易だが、兵達からアルベリネアへの疑念が強まるだけだろう。
「困りました。クリシェ、お話しするのはあんまり得意じゃないのですが……」
キャンディを転がしつつ、今だけクレシェンタが代わってくれないだろうかとぼんやり考え顎に手を当てる。
「クリシェは城内の死体を外に出しただけ。あなたたちが攻めて来て門が開けられなかったから投石機で放り投げただけです。そちらが埋葬したいというならいいですけれど、中にまだまだ死体が一杯あるんです。戦場清掃というのならこちらの処理も行いますが、よろしいですか?」
意外なほど素直な言葉に僅かな驚きを浮かべつつ、バズラーは顔には出さない。
「ほう、これだけのことをしておきながら素直な返答だな? 無論、出来るならばそちらの埋葬も行おう」
「それに加えて、そちらの捕虜が現在5000ほど。この返還を行う代わり、清掃のための停戦は明日まで、ということでいかがでしょうか?」
「二日、と?」
「はい。一杯血肉が飛び散って城内のお掃除が大変なのです。城内清掃に捕虜を使いますから、その返還が明日ですね」
バズラーは少女の顔を見上げ、考え込む。
素直な捕虜返還、どういう意図か――兵糧に限界が見えた?
いや、あり得ない。三、四ヶ月の備蓄はあって然るべきだろう。
時間を稼ぐことに何かの意味があるのか。
その可能性は大いにある。
「二日は必要ない。一日で十分だ」
「なら、お話は終わり。戦闘を続けましょう」
クリシェは平然と言った。
「現状そこは死体で埋め尽くされていますが、問題があるのは攻め手のそちらだけ。籠城するこちらにとっては清掃の必要を感じない有利な状況です。あなたが戦場清掃を言い出した理由もそこにあるのでしょう」
翠虎の首を撫でつつ優美な笑みを浮かべた。
「その解消を行うならばこちらの城内清掃も同様に。その上で兵達に休息を与える時間をもらって然るべきです。あなたが秩序だとか正義だとかを言い出すのであれば、交渉には公正さが必要不可欠だと思うのですが」
紫の瞳はただただ、太陽の光に煌めき。
バズラーを見下すように眺めた。
「下らない建前ばっかりですね。戦争は勝つためにやるものです。そして多くを殺して士気を崩した方の勝ちです。……死者への敬意がどうだとか、秩序がどうだとか、それを言うなら今からでも、一対一でクリシェと戦って終わりで良いのでは?」
翠虎を叩くと、城壁上から血濡れの大地に。
巨獣は死体の肉を踏みにじるようにして歩き、バズラーの前へ。
「そうすればアルベランの兵士も、エルスレンの兵士もこれ以上死ぬことなく、転がる死体は一つで済みますよ。……クリシェもこういうの、いい加減うんざりなのです」
そして大地に降り立ったクリシェは鋭利な曲剣を引き抜いた。
瞳は、無機質な紫に輝き。
「怖いならそこにいる護衛も合わせて一対八でも構いませんけれど……」
突きつけた剣は、ぴくりとも動くことはなく。
人形のように、無機質な微笑を浮かべる。
「――あなたの言葉は結局全部、勝ちたいがため。下らない建前はやめにしましょう? クリシェだって好きでこんなところにいる訳じゃないんです」
バズラーは憤怒を浮かべ剣の鞘を掴むが、リンカーラはそれを手で制した。
そんなバズラーを、見上げるように見下した。
「こちらの提案を呑むか呑まないか。……選ぶのはクリシェじゃなくてあなたです」
「……小娘が」
苛立たしげにバズラーは吐き捨てると、馬の手綱を引いて踵を返す。
リンカーラは渋面を作りつつ告げる。
「……良いでしょうアルベリネア、休戦は明後日の夜明けまで。捕虜返還は明日中――そういうことでよろしいですな?」
「はい。適当にこちらから使者を出します。詳細はそれで」
「……エルスレン神聖帝国公爵にして副将、リンカーラ=ウォーカルの名に誓い」
「クリシェも名に誓います。お引き取りを」
面倒くさそうに言って翠虎に飛び乗ると、再びクリシェは城壁の上に。
そこにいたノーザンに声を掛ける。
「明後日の夜明けまで休息となりました。ヴェルライヒ将軍、適当に手配をお願いしますね」
「は。……お見事です」
「どちらでも良かったのですが……まぁ、これで終わりですね」
小さな欠伸をして告げると、クリシェは小さく伸びをした。
「クリシェ、朝食を食べ損ねたので戻ります。お昼ぐらいに――」
「いえ。今日はこのままお休み頂いて結構ですよ。働き通しでお疲れでしょう」
「んー……えへへ、じゃあクリシェ、お言葉に甘えますね」
クリシェは嬉しそうに答えると、そのまま翠虎を走らせ街の中央へ。
――これで終わり。
クリシェは真実、どちらでも良かったのだ。
西の戦いを終え、休戦明ければ二十日――既に北の迂回は済んでいた。
その日の真夜中、言葉の通り。
ウルフェネイト上空の闇に、黒い影が舞い降りた。





