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少女要塞

「お久しぶりです、ヴェルライヒ将軍。わんわん達も」

「ええ、お久しぶりです、クリシェ様」


前に垂れた赤銅の髪を掻き上げ、ノーザンが敬礼を。

それに倣うようにグランメルド達も立ち上がり敬礼する。


「……その愛称は変わらないんですね」


グランメルドは半ば諦めた様子で溜息交じりだった。


到着したのは巨大な城壁と深い壕に囲まれた、城郭都市ウルフェネイト。

その中央にある城砦の中――ここは会議室であった。

アルベラン東の地図が机の上に敷かれ、その上にウルフェネイト周辺図。

無数の駒が戦場の様子を表わしていた。

それに一瞬目を落としつつ、クリシェは困ったように銀の髪を揺らし、首を傾げた。


「愛称って変わるものなんでしょうか?」

「……そういうもんでもないですが……いや、もういいです。諦めました」

「……?」


クリシェはますます不思議そうに首を傾げ、ノーザンは苦笑しながら自分の隣を彼女に示す。

誘われるままクリシェは座り、出された黒豆茶に視線を向ける。


「おい、ミルクと蜂蜜を」

「っ、は!」


禿頭眼鏡に筋張った神経質な顔――第二軍団長サルダン=ガルカロンが告げ、慌てたように従兵はミルクと蜂蜜を取りに部屋を出て行った。

中には甘党のものもいたが、黒豆茶は眠気覚ましという意味合いが強い。

真面目な会議でミルクと蜂蜜をくれと言い出すものもおらず、この会議室には置かれていなかった。

サルダンは特に甘党という訳ではなかったが、流石に飲み過ぎた黒豆茶に飽き飽きしていたところ。

彼女が来たのは良い機会であった。


「ありがとうございます。ガルカロン軍団長」

「いえ。私も少し黒豆茶の飲み過ぎで気分を変えたかったところ……丁度良い機会でした」


神経質そうな強面。

サルダンはそう見えて子供好きな一面もあり、先日の内戦からクリシェの人となりはよく知っている。

優しげな微笑を浮かべて告げ、その表情を見てクリシェもまた微笑み。


「……そういえばガルカロン軍団長には先日のお礼がまだでした」

「お礼……ああ、キールザランの件ならお気になさらず。軍務上当然の提案をしたまでです」


当然、という言葉にますます嬉しそうに。

それからじっと、熱っぽくサルダンを見つめた。


「えへへ、クリシェなんだかぴぴんと来ました」

「……?」


サルダンは首を傾げ、


「ガルカロン軍団長の愛称ですっ、ハゲメガネってどうですかっ?」


そして硬直する。

場の空気は凍り付き、グランメルドだけが飲んでいた黒豆茶を噴き出し、顔を押さえて俯きながら肩を揺らす。


「つるりん、って言うのも良いかな、と思ったのですが、ガイコツもハゲワシも頭はつるつるですし、それだと個性が出ないような気がして……でも、ハゲメガネなら誰だってガルカロン軍団長だってわかりますしっ」


すごく良い名前ですっ、などと頬に手を当てふりふりと。

まるで自分のネーミングセンスに恐れおののくようであった。

実際、この場にあるほとんどのものは彼女の名付けた愛称に恐れおののいていた。


「く、クリシェ様、お気持ちはありがたいのですが……」


笑うグランメルドと、密かに笑いを堪えているらしい妙に真面目な顔をしたノーザンを睨みつつ、サルダンは硬直から立ち直る。


「えと……もしかしてつるりんの方が好きですか?」


だが、クリシェは生まれながらの狩人であった。

断るか受け入れるかではない。ハゲメガネかつるりんか――勝ちのない二者択一へとただの一言でサルダンを追い詰める。


「そういう訳では――」

「ん、確かに、ハゲメガネより響き自体はつるりんの方が良いとは思ってはいたのですが……えへへ、大丈夫ですよ。微妙な差ですし、つるりんでも……?」


時間さえ許せばサルダンは彼女を説き伏せる何かを見いだしたかも知れない。

しかしその時響いたのは、少し遠くで鳴り響く破砕音であった。


「……あちらの投石機ですね」

「ああ……なるほど。結構早いですね」


ノーザンの答えにすぐさまクリシェは理解を示す。

ウルフェネイトの東側には、少し離れてエルスレン軍が陣を敷き、ここに引きこもったヴェルライヒ軍に対し、攻城の準備を進めている最中――彼等は大型の投石機を組み上げている所だった。


「まだ試射の段階でしょう。今晩夜襲を掛けようかと思っていたのですが――」


言いかけたところで再び破砕音。振動。

迷惑そうにクリシェが眉を顰めた。


「んー、でもうるさそうですし、早めに処理しておきましょうか。夜に起こされたりするのも嫌ですし」


ちょっと行ってきます、とクリシェは立ち上がり小走りに。

内戦――キースリトン軍に対する彼女の戦いぶりを見ていたノーザン達は顔を見合わせ、同じく立ち上がる。


「どうにも、面白いものが見られそうだ」

「到着が早くて助かったな。……面倒が一つ、早々に消えたようだ」


グランメルドの言葉にノーザンは苦笑し。

会話を打ち切られたサルダンだけが呆然と、なんとも言えない顔である。

外に出る前、グランメルドはわざわざ反対側に座っていた彼の隣に行き、


「安心しろガルカロン、俺には選択肢すらなかったのだ。辛くない方を選べ」


などと笑いながら肩を叩いた。


「……全く嬉しくないお言葉ですな」


渋面を作り、サルダンは答える。








――ルーカザーン大公率いるエルスレン神聖帝国軍。

その戦列の中、城郭都市ウルフェネイトを前にして笑うは馬に乗った二人の男。


「ははは、これほどの大型投石機と攻城塔をこれだけの数――中々早いではないかサルシェンカ公爵」

「いえ、それほどのことでは。連れてきた技師と工員の力です、大公」


黒を基調とした軍服姿――僅かな老いの見え始めた、しかし整った顔に茶金の髪。

ビーナル=サルシェンカ公爵は声を荒げる技師の男を手で示しながら告げる。


その男の側には大型投石機、小さな砦の如き木組みの化け物。

ギアを回転させて巨大な重りを引き上げ、落下。

てこを使い、重りの反対側に伸びた長い腕を振り回し――振り子のように巨大な石塊を投石する。


荒縄や動物の腱をねじりあげ、その弾力によって投石を行う投石機などとは射程、威力共に段違いであった。

投石機というよりも投岩機。

試射はウルフェネイトの強固な城壁には命中しなかったが、その前後に落ち、いずれも一里近くの距離にも伝わる地響きを。

街の中の家屋を倒壊させたであろう轟音を響かせ。


それが十二機、この戦場には組み立てられようとしていた。


「先年の失態を取り返そうとする貴様の努力は私もよく理解した。貴様を連れてきて良かったと心から感じる」


エルスレン神聖帝国大公、バズラー=ルーカザーンは整えられた男らしい髭を撫でながら笑って言った。

身を包むのは優美な金刺繍、煌びやかな装飾の施された軍服とマント。

エルスレン神聖帝国では帝位継承権を持つ三大公家の一つ、ルーカザーン家当主であり、エルスレンという大帝国にあって五本の指に入る雲上の存在であった。


「……ありがたきお言葉。このような機会を与えて頂き、感謝の言葉もありません」

「うむ。過去は過去――私もそれに囚われるつもりはない。案ずるな」


頭を下げながらも、ビーナルの心中には怒りが揺らぐ。

先年の敗戦――弟のアレハによる愚かな失態も理由にあったが、その責任全てをアレハとサルシェンカ家に被せたのは、総指揮官であったこの男。

多額の賠償金を支払わせ、領地の没収。

サルシェンカ家はこの男のせいで窮地に立たされていた。

その上で善人面で近寄り、手を差しだして恩を売り。


アレハの失態も含め、全てがこの男の謀略であったのではないかと思うほどであった。

この男がダグレーン=ガーカに破れ、軍を退いたことに対しては誰一人声を上げることはなく。

全てが目障りとなったサルシェンカ家を潰すための策であったのではないか――そう思えるほどに鮮やかな保身と立ち回り。

とはいえ、そんな男に対してさえ、ビーナルは頭を下げなければならない。


攻城兵器の手配――腕のいい技術者や工員を大量に雇い入れたせいで生じた借金。

それを解消するだけの利益を得るためには、この男に取り入り、多大な勲功を挙げる必要があった。


「お前の投石機と攻城塔だ。……どう思う?」


作りかけの巨大な攻城塔に視線をやり、バズラーはビーナルに尋ねた。

意図を半ば理解しながらも告げる。


「は。此度は聖戦――悪しきアルベランを滅ぼすための戦。自身の利益にこだわる気持ちはありません。大公の勇ましき軍、その勝利のためお使い頂ければと」

「はっはっは、よく出来た男だ。だが、これだけの事を行った貴様に報いんというのは貴族の恥。……自らの手でウルフェネイトを攻略し、汚名をそそぐ機会を与えてやろう。……どうだ?」

「……、ありがたき幸せ」


金を吐き出させ、バズラーが命じるのは潰れ役であった。

先の戦でウルフェネイトが攻略出来た理由は、野戦でアレハが敵将カルメダを一撃で葬ったからに他ならない。

将軍の戦死によって総崩れとなったアルベラン軍――それがなければ攻略にどれほどの時間が掛かったことか。

手柄を掠め取るようにウルフェネイトを攻略したバズラーがそれを知らぬはずもない。


完全に態勢を整えたウルフェネイトは今もなお、難攻不落の城郭都市。

あの時とは状況が全く違う。

この戦はここの攻略だけで二ヶ月を想定しているのだ。

一番槍など単なる潰れ役でしかない。

まして敵はクリシュタンド一の配下と呼ばれていたノーザン=ヴェルライヒ。

その手腕はあのクリシュタンドと劣らず、そしてそれはここまでの鮮やかな撤退戦を見れば明らか。


広大な平野に各個撃破を恐れず軍団ごとに戦力を分け連携――夜間の後退によって弓騎兵を罠に掛け、削り取りながらの後退。

並の手腕でないことは明らかであり、カルメダ以上の難敵であった。

そんな化け物が籠城するウルフェネイトを容易く攻め落とせるはずもない。


だが、それでもビーナルは戦果を挙げざるを得なかった。

彼の言葉に否と言える状況などではない。


「とはいえ……まさかオールガンの間抜けが早々に敗れるとは思わなんだ。あまり猶予もない。早々にここを攻め落とさねばならんことは覚えておけ」

「は。……必ずや攻略への突破口を開きましょう」

「うむ、それでよい。期待しておるぞサルシェンカ公爵」


計画に組み込まれた略奪は行えず、大金を支払って占領した街から輜重を購い。

その上、ガルシャーンがアルベランに敗れ、南からはダグレーン=ガーカが圧力を掛けてきている。

手こずれば、責任を取らされるのは間違いなくビーナルであった。

そしてそれはもはや家の断絶を意味する。


頭の中でこの攻城戦でどのように成果を挙げるかを考え、しかしふと、兵達が騒がしくなり。


「――ッ!?」


突如、辺りに響いたのは破砕音であった。

何が、と聞こえた方向を見ると、歪な木製のオブジェが目に映る。

――それは投石機だったもの、であった。


小砦が如きであったそれは、片側の支柱を失い、歪な音と共に傾き。

地面に横たわると無数の悲鳴と轟音を響かせた。


「っ――、何事だ!?」


吠えるようにバズラーが叫ぶ。

ビーナルは硬直し、呆然とそれを眺めていた。


「と、突如投石機が――」


側にいた兵士が言いかけ、再び轟音。

その隣に立っていた大型投石機が崩れ落ちる。悲鳴が上がる。


ウルフェネイトとの距離は一里近い。

この大型投石機の射程限界。

破損か何かか――そう考えていたバズラーも二機目の投石機が崩れ落ちるのを眺めると、これが単なる事故でないことに気付き、咄嗟にウルフェネイトに視線を向ける。

そこに敵の投石機や設置式の床弩が存在してはいたが、小型のもの――迫る攻城塔や破城槌に対するものだった。

この距離――敵投石機は射程外。

大型床弩であれば届かぬこともなかったが、届くだけ。

この距離ではあの大型投石機を破壊するような威力などなかったし、嫌がらせの域を出ないもの。


一体何が――そう考え、そしてその目で捉えたのは左手、城壁の端。

そこから飛来した影であった。

再び轟音、作りかけの三つ目が今度は粉砕する。


「な、何が……」


あまりのことにビーナルは呆然とし。

そして城壁から飛び降りたのは、黒と銀の小さな影であった。


ウルフェネイトの城壁から響くは大歓声――城壁の上から槍が放り投げられ、飛び降りた何者かはそれを受け取る。

そしてそれを逆手に構えると、走り、放ち。

常軌を逸した速度で飛来した槍は、四つ目を。

木組みの化け物は呆気なく崩れ落ち、木片が弾け。


「っ……、何をしている! 弓騎兵を出せ!! あいつを殺せッ!!」


ようやく全てを理解したバズラーは叫んだ。


それは単なる敵の投槍であった。

――ただ、その威力は常軌を逸していた。







ウルフェネイト上空に響き渡るは大気を裂くような大歓声。


とてとてと城壁前――その壕に沿うよう小走りに。

城壁の上から投げられた槍を手にすると、投石機に槍を放って転がった。

風切り音、一拍置いて破砕音。

その木組みの化け物が崩れ落ちるのを見ることもなく、再びそのままとてとてと。

右手で投げては次は左手、銀の髪を揺らし、少女は大歓声を受けながら壕の前を走って行く。


全て城壁の上から潰せれば良かったのだが、敵陣に対し直角に走る城壁の端はともかく、距離が足りない。

一里の距離から竜すら貫く投槍。

その反動を殺すに城壁は狭すぎ、地面に降りたのはそういう理由であった。


「――アルベリネア、弓騎兵です!! お戻りを!!」


歓声の中、敵を認めた兵士の声を聞きながら、再び槍を。

構えて放ち、破砕音。

潰した投石機はこれで八つ。

いとも容易く敵軍に対し多大な損害を与えながら、クリシェは敵戦列へと目を向ける。


彼女の正面に正対するは、左右数里を見渡せねばならぬほど――十万を超える敵の布陣。

その隙間から現れたのは弓騎兵であった。

彼我の距離は一里弱。

クリシェは真っ直ぐこちらに向かってくる弓騎兵に唇を尖らせ、そちらに向けて槍を放る。


空間を縮めるような加速から、暴力的な急制動。

ただ魔力によって全身の運動を制御し、加速――体そのものを弓のようにしならせて、その手が放つは狂ったような破軍槍。

弓騎兵――その先頭を貫き、槍は止まらず、人体に風穴を。

後続に破片を飛び散らせては殺傷し、ただの一投で騎兵隊列を崩壊させた。


怯えた馬が暴走し、乗り手の騎兵を振り落とす。

弓騎兵――彼等のような遊牧民出身者が乗るような馬は足の速い軽種であり、近接戦闘に向けて専用の訓練を受けた近接騎兵の馬とは根本的に違う。

十数匹を容易く殺傷した槍を見て、動じぬ強馬など存在しない。

一隊に対してはその一投げで十分であった。


その隙にもう一本の槍を放って投石機を破壊。これで残すところ三つ。

とはいえ、敵戦列の他の部分からも無数の弓騎兵が現れていた。


「むぅ、ちょっと多いですね」


矢を浴びながら槍を投げるのも面倒。

ひとまず休憩にしようと壕を飛び越え、城壁の僅かな出っ張りに足を掛けつつ、三十尺の高さにある城壁の上に軽々と。


ふぅ、と一息を吐くと周囲にあった兵士達がますます歓声を強め、クリシェは迷惑そうに耳を塞ぐ。

すぐに悲鳴のような声が聞こえ、城壁の上を駆けてきたのは八尺二丈、優美な翠の大虎だった。

無言でぐるるんに跳び乗ると、そのままクリシェは城壁の下へ。

溜息をついて城壁を見上げ、迷惑そうに眺めながら唇を尖らせる。


「……うるさい人達ですね」

「ははは、仕方のないことです。クリシェ様が現れたことに皆喜んでおるのですよ」


屋根を飛び移るように追って来たらしい、ノーザンが降りてきて、グランメルドがそれに続く。

他の軍団長達が城壁の上で声を張り上げるのが聞こえた。

アルベリネアが来た以上、もはや我らに恐れるものはなし――そのようなことを口々に、城壁の上にある兵達に告げる。


「お体は?」

「無理をしてないので平気です。ちょっと休憩してから残りの三つですね」


クリシェは言いながらぐるぐると肩を回し、ぐいぐいと腕を伸ばした。

呆れたようにグランメルドが笑う。


「いやはや、改めて見てなお驚きますな。そんな体でよくもまぁあんな真似を出来るもんだ」


体重で言えば自分の三分の一もないだろう。

小柄で華奢な少女の投槍は、その外見から一切の想像を許さぬ異常であった。

大型の投石機を槍の一本で容易く潰すのだ。

彼女の存在はただそれだけで、攻城戦、籠城戦というものを変えてしまう。


これが仮に、逆の立場での攻城戦なら単独夜襲で敵将すらを討ち取りかねない。

この状況における彼女は、ただの個人でありながら、一軍以上の価値があった。


「どうにも先日は古竜に挑んで真名を許されたとも聞きましたが……」

「えと、挑んだのではなく謁見……」

「後にしろグランメルド。こんな場所でそんな話をするな」


ノーザンは周囲を見渡し嘆息する。

聖霊を信仰するものは兵士にもそう少なくはなかった。


「……大丈夫ですよクリシェ様、我々は事情をファレン元帥補佐より」

「ああ、そうなんですね」


竜に槍を投げつけたのは一応秘密。

少し困った様子のクリシェに対し、ノーザンは微笑み頷いた。


「しかし、良いタイミングでした。女王陛下の演説から、間を置かずにクリシェ様――もはや兵士達もこれが負け戦などと思っているものはいないでしょう」

「セレネから聞いてます。結構エルスレンの相手は大変だったとか」

「野戦ではなんとも……恥ずかしながら、ウルフェネイトに入ってほっとしたくらいです。上手く罠に掛けられたのでいくらか削れましたが……とはいえ、こちらの兵士達の目からは我々が為す術なく撤退している、というように見えていたでしょうから」


入念に準備した上での段階的後退――直接戦闘を避けて被害は少なく、与えた損害の方が多いだろう。

だが、事情を知らぬ兵士達に見える景色は全く異なるもの。

これを単なる逃げと考えるものも多かった。


想定通り、だからこそ敵もこちらを疑うことなく追って来たのだが、兵士達の士気は想定以上に落ち込み――三国から攻められているという状況のせいだろう。

空元気を浮かべるものか、死人のような顔をしたものか。

そうした兵士達でノーザンの軍は溢れかえり、そしてこの街に残る民衆も同様。

悪化すれば暴動が起きかねない状況だった。


だが、先ほどの『演出』で完全に彼等も士気を取り戻している。

後退で失った士気損失はこれで回復したと見て良い。

今日の内に『アルベリネアの投石機潰し』は街中に広がり、完全に持ち直す。


元よりノーザンの軍にあるものは内戦で彼女の槍の威力をほとんどが知っていた。

少なくとも兵士達にそれを疑うものも出ないだろう。


「んー、まぁそれなら何よりです。話の続きは後で。クリシェ、残りもぱぱっと潰してきますね」

「ええ、我々も」


翠虎はただの跳躍で高い城壁へと跳び乗り、ノーザン達は屋根を挟み上へ。

少しして、再び響くは風切り音と破砕音。

地響きと歓声が、ウルフェネイトの天地を満たした。




――その日、アルベリネアは単独で大型投石機を十二機、作りかけの攻城塔を三機破壊。

倒壊に巻き込まれて死んだ死者は高名な技術者、職人を含めて200名を超え、エルスレン神聖帝国軍はただ個人のために後退を余儀なくされることとなった。


アルベリネアの投槍は、10万の軍すらを退けるに足り。

五大国戦争におけるアルベランの勝利は、まさにアルベリネア個人にあったと見るものも多い。

戦場における彼女の逸話を素直に読み解けば、そうならざるを得ず――どうあれ少なくとも、彼女が当時無双の武人であったことを疑うものは存在しないだろう。

アルベリネアはそれほどの異端であったと、当然の事実として多くの記録で語られている。

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  2024年11月20日、第二巻発売決定! 
表紙絵
― 新着の感想 ―
ハゲメガネっ!? つるりん!? 無双の武人であっては、そのネーミングセンスも無双だというのか!? 現代ならパワハラだなんだと言われそうだが、そんな概念が生まれるのはまだまだ先だろう。 可哀想なガルカロ…
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