手間
部屋は静まりかえっている。
椅子に座ったベリー=アルガン(邪教徒)の前――机に腰掛け腕を組むのはセレネ=クリシュタンド(異端審問官)であった。
『純粋無垢なクリシェを優しく見守る教』の教えに反したベリーに対し、落ち着かなさそうに金の髪を指で弄びながらもただただじっと青い瞳でベリーを見つめる。
クリシェ=クリシュタンド(ちょっと大人)は視線をきょろきょろと、セレネとベリーを困ったように眺め。
クレシェンタ=アルベラン(おねえさまはわたくしの派)はそんな姉の上に横乗りになって抱きつきつつもベリーを睨んでいた。
ベリーはクリシェをちらちらと見ながら、セレネに「お話がある」と言っただけ――他に何かを口にした訳ではなかったが、そのほんのり赤い頬。
そしていつの間にか屋敷に帰ってきていたクリシェを見ただけで、セレネは彼女が極めて重大な戒律を破ったことに気付いていた。
彼女に二の句を紡がせないままセレネは彼女の言葉を無言で遮り、そしてちらりと二人の使用人に目を向ける。
アーネとエルヴェナも何やら察した様子で、顔を見合わせ、
「あ、アーネ様、く、クッキーの焼き方を教えて頂いても……?」
などとエルヴェナが提案。
アーネが、そ、そうですねっ、などと若干上擦った声で応じると、そそくさと二人は顔を赤らめながら退出する。
そうして二人が扉をゆっくり閉めて。
セレネは足音が消えるまでそちらを眺めた後、視線をベリーに。
ベリーは目を泳がせつつも少し考え込んで、お嬢さまと声を掛けるが、セレネは冷ややか。
「事情は理解したわ。……何か、申し開きがあるのかしら?」
「……え、えと……ありません」
「……心配して損した。一人でベリーは大丈夫かしら、なんてクレシェンタと話しながら帰ってきてみればびっくり、随分と幸せそうなんだもの」
「う……」
「……わたくしはアルガン様の心配なんてしてませんわ」
実に不満げに。
ベリーを睨み付けながらクレシェンタは告げる。
「けれどなんということかしら。無知なおねえさまを言いくるめて騙した挙げ句、手まで出しただなんて。前々からろくでもないと思ってましたけれど、外道――むぐっ」
「……もう。クレシェンタは何回言ってもそういうことを言うんですから」
クリシェは困ったように言いながらも、手を出すの意味を考え込み、尋ねた。
「ベリー、ああいうのは手を出すというのでしょうか?」
「……え?」
クリシェ=クリシュタンドは以前までの彼女とはひと味違う。
――ちょっと大人なのである。
このよく分からない流れがどのような理由で始まったのか――彼女はちょっと大人になったその思考を巡らせ、場の空気を理解するための努力を見せていた。
しかし所詮はクリシェ=クリシュタンド(ちょっと大人)である。
努力を見せるまでは良かったが、大してよくも考えず素直に疑問を口に。
愛するベリー=アルガン(邪教徒)を谷底へと叩き込む。
「えと、ぁ、その……」
顔を真っ赤にしたベリーが口ごもり、静かに頷くのを見て。
クリシェはぽん、と手を叩いて微笑む。
「なるほど。……違いますクレシェンタ、それは勘違いですよ」
「……勘違い?」
「はい。ベリーではなく、わるい子はクリシェの方なのです。ベリーはお酒に酔っていましたし、理性も働かず、善悪の判断も付かないとても大変な状態だったのです。ですから多分手を出したではなく、クリシェが手を出させたが正解に……」
言い訳めいたベリーの言葉を思い出しながら、それを補強するようにうんうんとクリシェは頷き。
「……えへへ、手を出してもらいました」
ほんのりと染まった頬に両手を当てて嬉しそうにふりふりと。
クリシェ=クリシュタンド(大分子供)は平然と愛するベリーを谷底へ突き落とした挙げ句、全くの善意で追い打ち、鉄槌を振り下ろす。
ベリーは絶句。完全に固まっていた。
「……おねえさま。お気持ちは分かりますけれど、それでは余計最低になっただけですわ」
「……?」
昇らされていた梯子を盛大に蹴り飛ばされ、追い打ちを掛けられたベリーを眺めつつ、クレシェンタはもはや呆れたように言った。
セレネもまた呆れたようにベリーを見て、クリシェを見る。
「そ、そう。クリシェ、あなたはしばらく口を開かないでいいわ」
「はぁ……」
「いい? どうあれそういうことは他の人の前でみだりに口にしないの」
クリシェは困ったように首を傾げつつも口を閉じ。
セレネは目頭を揉んでため息をついた。
「図らず流れまで理解出来てしまったわ。……要するに、あなたはお酒を言い訳に手を出した訳? わたし達がいないことをいいことに? わるいのはクリシェだって言い張って?」
「……仰るとおりです」
「……、心配して損した」
「はい……申し訳ありません」
セレネはじっとベリーの赤毛を眺め、頬を緩めた。
「最低ね」
「はい」
「その上卑劣で外道かしら」
「……はい」
「淑女の風上どころか風下にも置けないわ」
「……、はい」
「どうしたの? いつもみたいに屁理屈を捏ねてもいいのよ?」
うぅ、とベリーは顔を真っ赤に目を泳がせ。
セレネは笑みを濃くして実に愉しげであった。
さながら邪教徒を裁く異端審問官の如くである。
「……、大人げないですわ」
「う、うるさいわね」
よほど鬱憤がたまっていたのだろう。
普段のお返しここぞとばかり。
ようやく手にした大義名分で一方的にベリーを殴りつけるセレネの姿はなんとも情けなく――それを眺めるクレシェンタは若干引いていた。
セレネは頬を赤くしつつクレシェンタを睨む。
「たまにはいいの。いっつも屁理屈捏ねて言いくるめようとするんだもの。いい薬だわ。この前わたしに言った言葉をそのまま聞かせてあげたいくらいよ全く。……ねぇ、ベリー? よこしまで邪念に溢れていたのは一体どちらかしら?」
「……、わたしでした……」
「単なる補正具に卑猥でいかがわしい目線を向けていたのは?」
「……わたしです」
「ふふん、素直ねベリー。あなたは普段からその素直さをせめて一割くらい持つべきだわ。大体あなたは――」
文句も言えないベリーを断罪するは、三割の正義に七割の私情を交えたセレネ。
それをなんとも言えない様子でクレシェンタは眺めて嘆息する。
姉にろくでもない教育を行い、挙げ句とうとう手まで出したベリーはやはりどうしようもない女であったが、この情けないいじめっ子のようなセレネに乗っかって彼女を攻撃するのは流石のクレシェンタにも抵抗があった。
自分の品位が落ちるだけだと姉に抱きつく。
別に女のベリーが姉に手を出したところで子供が出来る訳でもない。
姉の体に何か危険がある訳でもなく、姉はいつも通り脳天気。頭の中は幸せ一杯のお花畑である。
もはやどうでもよくなり姉の体をよじよじと、甘えるようにキスをした。
クレシェンタ=アルベラン(おねえさまはわたくしの派)は極めて即物的で動物的な利己主義者。
「それよりおねえさま、わたくしとっても頑張りましたのよ」
「そうなんですか?」
とりあえずこの話が終わるまで姉は自分のものである。
そういう快楽に身を委ね、甘えるように姉にべったり体を擦りつける。
「そうですわ。おねえさまのために――」
頭を撫でられ目を細め――そしてふと首を傾げた。
「……? 魔水晶なんてどうしましたの?」
クリシェが首から提げた小袋、飴玉入れに入った魔水晶を感じ取り、中から取り出す。
「ああ、えへへ。すっかり忘れてました。味ぴりりんです」
「おねえさま……またそんな名前を」
呆れたように言いながら、紫の瞳を細めるように魔水晶の内側――その極めて精緻な刻印をじっと眺め、そこに刻まれた術式の意味を読み取り、なるほど、と頷いた。
「……へぇ、発想の転換ですわね。魔力での味覚再現……」
「……何それ?」
実に愉快げにベリーを罵倒していたセレネはその魔水晶を見て首を傾げ。
ベリーは少し安堵したように、ほっと静かに息をついた。
ミアのふとした発言から発想を得たこと。
それから魔水晶を使い、味ぴりりんを作り上げ、様々な試行錯誤を行ったこと。
ベリーの舌に関するものだったためか。
クリシェのそうした説明は随分と丁寧なものであった。
「……良かった」
「お嬢さま……」
セレネは涙を目に浮かべながら、ベリーに乗りかかるようにぎゅっと体を抱きしめた。
話している最中にやってきたアーネとエルヴェナもほっとしたような顔をして、アーネは目元をハンカチで拭う。
クレシェンタは一人呆れたようにセレネを見つめ、アーネ達が持って来たクッキーを摘まみながら告げる。
「……さっきまで大人げなくアルガン様を責めてたかと思えば、次は泣き出して。セレネ様は本当忙しい方ですわね」
「……うるさいわね。ちょっとは空気を読んでちょうだい、お馬鹿」
セレネはクレシェンタを睨み付け、袖で涙をごしごしと拭う。
セレネ様より賢いですわとクレシェンタは言いながら、魔水晶を眺めた。
「……術式は難しくなさそうですけれど」
「そっちは簡単なのですが、粒々の特定がちょっと」
エルヴェナが興味深そうに少し近づき、魔水晶に目を凝らす。
難しくない、と言われた魔水晶に刻まれているのは、極めて繊細なラインが無数に交差する、夥しい幾何学紋様。
髪の毛ほどのラインに見えたものがその実、無数の術式の羅列がそう見えているだけであることに気付いてエルヴェナは硬直する。
じゃらがしゃやぼんじゃら、ぴりりんに使われる術式と違い、蠢くような暗号術式によって覆い隠されず、なまじはっきりと術式が見える分、それは一層常軌を逸した複雑怪奇な代物に見えた。
「これが簡単……」
クレシェンタはエルヴェナを横目に見て告げる。
「微細なだけで、術式の大部分は特定因子を捉えるために感知精度の拡大を繰り返しているだけ。その辺りは難しいものではないですわ」
「申し訳ありません、勉強不足で……」
「おねえさまの術式は無駄がなくて見やすいですし、こういう機会に勉強をなさって」
「は、はい……」
クレシェンタは味ぴりりんをエルヴェナの手に渡してやる。
従順かつ要領の良いエルヴェナはクレシェンタのお気に入り――優しくしておいてその内アーネとの入れ替えを認めさせようと、そこには極めて利己的な考え。
「……おねえさま、わたくしにエルヴェナ様を預ければすぐに――」
「エルヴェナは色々忙しいのでしばらく駄目です。クレシェンタはその前にアーネをちゃんと教育するべきです」
「うぅ……わたくしの仕事じゃないですわ」
しかし姉はアーネをクレシェンタに押しつけようと頑なであった。
クリシェは子供に教えるよう、指を立てて言った。
「クレシェンタ、何事も嫌がらず進んで仕事をするのが良い大人というものなのですよ」
どこをどう見ても自分よりお子様な姉の説教を受けつつ、感動した様子で涙を拭ってよかったよかったと繰り返すアーネを見やる。
どうして女王である自分がこの使用人の面倒を見なければならないのか。
言いたいことは山ほどあったが、とはいえ姉には通じまい。
嘆息すると諦め、エルヴェナの手に乗った魔水晶を見て考え込む。
「甘味と酸味……何か理由がありますの?」
「ああ、単に蜂蜜の味がちゃんと分かるようにしたかったのと……他の味は戦場だと試行回数が足りなかったので後回しに」
改めて細分化すると結構複雑なのです、と困ったようにクリシェは言った。
「書物で語られているような四味以外にも、意外と結構複雑なので」
「……なるほど」
「特に旨味だとかコクだとかそういうのが――」
そんな話を聞きながら、ベリーに抱きついていたセレネは少し体を離し。
眉間に皺を寄せてベリーを睨み付ける。
「もう。……あのね、あなたったらどうしてそれを先に言わないのよ」
「ま、まずはそれをお伝えしようと思っていたのですが、お嬢さまが……」
ベリーはお話がある、と言っただけ。
クリシェとのことも話すつもりではあったのだが、それは後回し。
ひとまず自身の味覚に希望が見えたことをまず伝えようと考えていたのだが、お話があると伝えた直後、ベリーはセレネに言葉を手で制されたのであった。
セレネの次の言葉は、
『事情は理解したわ。……何か、申し開きがあるのかしら?』
である。
ベリーがその話をするタイミングもなく、先ほどの審問が開始されたのだった。
その言葉で全てを理解したセレネは、う、と小さく唸り、ここぞとばかりにベリーを嬲って楽しんでいた自分の姿を思い出し。
頬を染めるとベリーを睨む。
「あ、あなたの日頃の行いが悪いのよ。屁理屈ばっかり捏ねて」
「……今日ばかりは反論できませんね」
「何が今日ばかりよ。これを機会にこの先自分を改めなさい」
じーっとセレネはベリーを見つめ、
「それに関しては終わっただなんてと思わないことね。後でまだまだみっちり説教するんだから」
嬉しそうに微笑んで、その頬を撫でた。
「……でも、本当に良かった」
「……はい、ありがとうございます」
ベリーもまた嬉しそうに微笑みを返して、頷く。
「…………」
クレシェンタはクリシェの話を聞きつつ、そんな二人の姿を横目に少し考え込み。
クリシェの頬を両手で挟んで微笑んだ。
「おねえさま、わたくしもお手伝いしますわ」
「クレシェンタが?」
「後必要なのは試行回数、戦場に出ているおねえさまよりは余裕もありますし……ふふん、そうすればおねえさまは半分わたくしのものですの」
「もう、まだそんなこと言ってるんですか?」
いけない子ですね、などと言いながらも微笑み、キスをして。
クレシェンタの頭を抱き寄せ撫でた。
「えへへ、でもクレシェンタがお手伝いしてくれるならもっと早く終わるかもですね」
「そうですわ。わたくしはとっても賢いですの」
褒めてくださいまし、と言いたげにすりすりと身を寄せ、クリシェの腕を抱きつつ。
嬉しそうな様子のベリーを睨み付けた。
「……別にあなたのためじゃないのですわ」
「……、はい」
「クレシェンタは素直じゃないですね。もう」
困ったようにクリシェは言って、クレシェンタの頬を優しくつまんだ。
その日はささやかな宴であった。
珍しくセレネまで料理に参加して食事を作り、風呂にも入り。
そうして、夜は再びクリシェの部屋に。
クリシェとクレシェンタを寝かしつけると、ベリーは寝巻き姿でソファに座ったセレネの横に。
セレネは悪戯に笑うと、ワインを注いでベリーに手渡し言った。
「あんまり酔わせたら襲われちゃうかしら?」
「……もう」
拗ねたように頬を赤らめ、ベリーはセレネを睨む。
セレネは愉しげに身を寄せて、腕を絡めた。
「これでクリシェは自分のだなんて思わないことね」
「……思っておりませんよ」
「どうかしら。ちょっとくらいは思ってるでしょ」
ベリーはますます頬を赤く、セレネは楽しげにくすくす笑う。
はぁ、と嘆息して、口付けたワインを置いてベリーは言った。
「……、クリシェ様はそういう方ではありませんから」
「そういう相手を選んだのはあなたよベリー」
「はい。……そういうクリシェ様が好きなのです」
どちらともなく指を絡めて握りあい。
セレネはベリーの肩にもたれ掛かった。
「わかってるならいい。……この前みたいにクリシェを悲しませるようなことしたら、本気で寝取ってやるから覚悟することね」
「……はい」
「言っておくけれどわたし、ちょっとは嫉妬してるの。……卑怯者」
「……、はい」
セレネは微笑み、絡めた指を引き寄せた。
「でも、それよりずっと、今日は色々と嬉しい気分かしら」
心の底から嬉しそうに言って、それを聞いたベリーは微笑む。
「……お嬢さまは本当、お優しい方ですね」
「知らなかった? わたし、どこかの使用人さんと違って素直でとっても性格がいいの。……その使用人さんはとってもいい性格をしてるんだけれど」
「言葉は近しいですね」
「少しの違いが時に大きな違いになるものよ、ベリー」
セレネは楽しげに、ベリーもくすりと笑ってセレネの髪を梳くように。
金の髪は少し傷んで、けれど滑らかだった。
セレネは撫でられるままに目を細め、言った。
「あなたにも嫉妬するけれど、クリシェにも嫉妬しちゃうわ。……わたしの大事な使用人を奪っちゃうんだもの」
「……わたしはこの先も、お嬢さまの使用人でもありますよ」
「本当かしら?」
「本当ですよ」
答えるとベリーは立ち上がり、棚から櫛を持ってくる。
再びソファへ腰掛けると、セレネを持ち上げ膝の上に。
少し傷んだ髪を丁寧に梳かしていく。
セレネは少し恥ずかしげに、けれど抵抗もせず。
櫛の感触に眼を細め、笑った。
「膝の上に乗って櫛なんて久しぶり。……昔から上手よね。お母様と違って」
「ねえさまはお嬢さまより大雑把な性格でしたから」
一気に櫛を入れようとして、絡んだ髪を引っ張り。
姉の長い髪に櫛を入れるのは長年使用人やベリーの仕事であったためか、姉は櫛を入れるのも下手だった。
痛がって逃げ出す小さなセレネを思い出して、くすりと笑う。
しばらくそうして。
さらさらと流れるように髪が解けると、セレネはベリーの櫛を奪い取り、反対向きに。
わたしもやってあげる、とベリーの髪に櫛を当てた。
「ちょっと長くなってきたわね」
「……今回の戦が終わってから切ろうかと」
「そういうおまじないが好きよね。気持ちは分からないでもないけれど」
赤みを帯びた髪は手入れが行き届いていた。
櫛を通す必要もないことに気付くとセレネはすぐさま諦め、唇を尖らせた。
面白くない、とその髪を指で取る。
「切らなくても、いっそ伸ばしてみればいいんじゃないかしら。お母様と同じできっと、もう少し長い方が綺麗よベリー」
「……長いと少し手間がありますし」
「……自分にくらいもう少し手間を掛けなさい。それに……」
セレネは手櫛を振りながら、額に額を押しつけた。
「世の中にはあなたに手間と時間を掛けたい奇特な人間もいるんだって、あなたはそろそろ理解しなさい」
ベリーはその大きな瞳でセレネを見つめ、セレネは優美な瞳を楽しげに。
透き通るような青の瞳は、金糸に包まれ細められ。
「……一体これから何回言えば、あなたにもちゃんと伝わるのかしら?」
彼女はぎゅっと、ベリーの体を抱きしめた。
大好きよベリー、とセレネは続け。
「……、はい。わたしもです」
とベリーは返した。





