光と影
段階的な後退――こちらの侵攻遅延を敵が目的としているのは見えていた。
森の多いアルベラン西部、有利はこちら。
しかしそれでもアルベランの兵は強い。
アルベラン軍は一個軍団ごとに広く戦場を動き回り、こちらの攻勢を寡兵で凌ぎながら、こちらの隙を見ては脆弱部を食いつぶす。
6万少しに対してこちらは総勢12万であったが、相互連携という点で劣る。
完全に組織化された軍とはこのようなものであるのだろう。
竜を象る鎧を身につけた老将――齢百を超えるという男はしかし、反応は鋭敏。
レド渾身の一刀を馬上から槍で弾き返し、その上で動揺すらも浮かべない。
「チ……ッ!」
「はっはっは、若いが良い目だ。筋も良い。しかし……その程度ではこの老人の首は取れんぞ」
古将フェルワース=キースリトン。
数十年前に無数の戦場を荒らし回った、アルベランの誇る名将。
その輝かしい戦果は、エルデラントに生まれたレドでも知っている。
この見事な段階的後退もこの男ならば納得がいく。
退くように見せ、しかし不用意に踏み込めば包囲撃滅の罠へと変わり――レドも仲間達を囮として置き去りにすることでしかこの男の前には辿り着けなかった。
そして老いてなお、レドの巨剣を弾き返す技と剛腕――古将は今なお錆びぬ名刀としてレドの前に立っている。
「レド、時間切れだ! このままじゃ尻まで包囲されるぞ!!」
「くそ……!」
敵将を討つための強引な突破。
猶予は僅かな時間――だが、それで仕留めきれなかった以上、今回はレドの負けであった。
まだ若さの残る顔に戦意を滲ませ、レドはフェルワースを睨み付ける。
「お前は必ず、このラーニのレドが討ち取る――忘れるなよ!」
「威勢が良い。……とはいえ、ファレンはわしよりも恐ろしい男だぞ。捨て台詞を吐く暇があるならばさっさと逃げた方が良いだろうな」
「この野郎……ベズ! 後退するぞ! ズレンを拾いに行く!」
「おう!」
青年は部下に叫び反転――背を向け、フェルワースの副官、老兵トルカも叫び、騎兵に彼等の追撃を命じる。
そしてトルカはフェルワースを見た。
「中々将来有望な若者ですな。いずれ名のある将となりそうです。ここで始末しておきたいですが……」
「引き連れる部下も中々精強だ。あの若者は生き残るだろう」
言ってフェルワースは咳き込み、咄嗟にトルカはその体を支える。
フェルワースは苦笑し、大丈夫だ、と言った。
「念入りに錆びた体を鍛え直したはずだが……しかし歳だな。あの程度で息が切れるとは。槍も随分と重い」
「フェルワース様……」
「そのような顔をするな。大したことはない。ファレンがあれだけ頑張っておるのだ、先達としての見本を見せねばな」
楽しげに笑い、戦場音楽を耳にし、目を細めた。
若い頃はそのほとんどを過ごした世界。
命と命がぶつかり合って生じる火花、そしてそこで生まれる何か。
思い出すのは、かつて戦い抜いた無数の戦場。
「それにきっと、陛下も今のわしを見ておられるだろう」
自らが仕えた戦王アルバーザの顔を思い出し、フェルワースは皺の刻まれた顔に深い笑みを浮かべた。
エルデラント王国は軍を大きく三つに分けていた。
北、西、南、三方からの外線作戦――戦略的意図がそこにないではなかったが、それを選んだ理由はアルベラン西部軍の打破という戦略的理由だけではない。
エルデラント王国は23の部族によって成り立つ国。
その仕組みは封建制と呼ぶものに近しくあるだろう。
部族は各々に認められた領地を治め、そしてその時代最も強き部族の長が次代の王となり、それを束ねる。
23の部族いずれも武威を示せば王になり得る資格を有するが、実際の所は部族同士の力関係に上下があり、エルデラントを治める可能性がある部族は現時点で精々三つ。
今代王ゴルキスタが長となる大部族ヴェーゼ。
そしてゴルキスタに王権を奪われるまで五代続いた大部族ミークレア。
残る三つ目は近頃急成長を見せるアーカズ。
この戦はある意味、次代の王を決めるための戦争とも言え、ここでの武功とその土地の分配によって、この三つの部族の中から王が選ばれることになる。
必然彼等が共同歩調など取るはずもなく――軍を三つに分けるというのはそうした事情であった。
西――中央をヴェーゼ。
南――右翼をミークレア。
北――左翼をアーカズ。
そしてラーニ、レドの部族は中央ヴェーゼの傘下。
今日の戦闘を終えたレドは皆が宴に騒ぐ中、全身から汗を流して巨剣を振るう。
「く……っ」
「動きが遅いよレド。そんなだから敵将を討ち取れずに帰ってくるのよ」
「わかってる、よ!!」
対するは亜麻色の髪美しい、美貌の女であった。
膝下を絞ったズボンとシャツに外套。
特に華美でもなく、しかし美しい女は細身優美な直剣を鮮やかに操り、巨木すらをへし折らんレドの剣をいなし続ける。
「……これで――ぐぇ!?」
機を見たレドは巨剣を手放し足刀を繰り出し――しかしそれを読んだ女はあっさり躱してレドの腕を掴み、大地に叩きつけた。
「はい、レドの負け。そーやって勝負を急ごうとしないの」
「くっそ……なんでそんなに強いんだよお前……」
「お前じゃなくてシェルナ様と言いなさい、負け犬レド」
控え目な乳房を張って笑い、小柄な女――シェルナ=ヴェーゼは手を差し出す。
それを憮然とした顔で掴むと起きあがり、レドは黒い短髪をガリガリと掻いた。
「あなたは力に頼りすぎなのよ。冷静さが足りないし、動きも無駄が多いし、足運びもダメダメ。キースリトンに殺されなかったことを感謝しなさい」
「ぐ……」
「はっはっは、レドもシェルナ様には頭が上がらねえな」
無骨な顔の大男は笑い、レドはそちらを睨み付ける。
「黙ってろズレン。誰が助けてやったと思ってるんだ?」
「おお、怖ぇ。そういうお前は俺達が囮になってやったことを覚えてやがるのか? 負け犬になって帰って来やがって情けねぇ、俺に任せりゃ討ち取ってやったってのに」
「はん、俺が討てなかった相手にお前が勝てるかよ」
「言ったなこの野郎? よぉし、俺が相手に――」
「やめなさい。無駄に体力を使わないの」
シェルナは呆れたように言って苦笑する。
「でも、まぁレドが地べたに頭を擦りつけてお願いするなら、今度はわたしが一緒に出てあげようか?」
「馬鹿にすんな、次は必ずやる。それに総大将のお前が前線に出てどうするんだよ」
シェルナ=ヴェーゼは体調を崩した父王に代わり、この軍の総大将。
最前線に出るなど狂っている。
「ん……それが一番手っ取り早いと思うけれど」
「真面目に言うな、なんだか腹立つぞ」
だがシェルナの深い、藍の瞳。
言葉には嘘偽りなく、事実そうだと感じているのだ。
まだ二十歳の彼女はしかし、ヴェーゼの剣姫と呼ばれる、天才的な剣技を持つ異端。
先日のガルシャーンとの戦でも軽々と戦獅子長を討ち取った。
二十二という年齢からすれば抜きんでた実力を持つレドであるが、彼女を相手の手合わせではこれまで一勝すらも手にしていない。
未だ底知れぬ――まさに彼女は天才と言うべき存在なのだろう。
レドのように訓練に熱心というわけではなく、必要なければ月に一度も剣を持たない。
しかし一度剣を持てば負けることはなく――フェルワース=キースリトンは確かな猛者であったが、とはいえ彼女に勝つ姿を想像することは出来なかった。
「なんだか卑怯な奴だよな」
「何よ、拗ねてるの?」
シェルナは美しい顔を近づけ、微笑むとレドの頭を撫でた。
「レドもちゃんと、強くなっては来てるよ。まだまだだけど」
「うるせぇ」
その手を掴むと嘆息し、レドは東を見た。
「それより、明日以降はどうすんだ? あっちは随分と下がったぞ」
「……そうね。警戒を強めつつ距離を狭めるくらいかしら。膠着する前にミークレアかアーカズが先走って欲しいところだけれど。まぁヴェーゼの狩猟隊はちょっとの間お休みかしら」
「休みか……なんだかなぁ」
「大事よ、休みは。……そこそこの被害があったんだから、落ち着く時間くらい必要だと思うけれど」
シェルナは小声で言い、周囲で騒いでいる男達を見た。
無理な突破、敵の追撃――3000からなるシェルナ直轄の私兵、レドが率いるヴェーゼの狩猟隊は5分の1が死傷した。
初戦でレドが敵軍団長を討ったこともあり、彼等は酒を飲み明るい雰囲気を保っているが、しかし今日の失敗には多少のダメージがあるだろう。
レドはシェルナの言葉に頷き、そうだな、と答えた。
「ズレン、悪いが……」
「ああ、適当に見ておく。……シェルナ様、あなたがいらっしゃると兵達も泣き言は言えんでしょう。今日は適当に」
「……わかった。あなたに任せる」
言ってシェルナはレドを目で促し、少し離れた自らの天幕に向かって歩き出す。
レドも何も言わずに続いて、彼女の天幕へ入った。
「……はぁ」
シェルナは跳び乗るようにベッドに突っ伏し、嘆息する。
レドは頭を掻きつつ、何も言わずに紅茶を淹れた。
「爺達に何か言われたのか?」
「まぁちょっとね。無理をしてでも敵将の首を狙えって念押されちゃった。現状ヴェーゼが第一功だってジーグレット様が庇ってくださったけど」
「戦果……か。すまねぇな」
「あなたが誰より頑張ってくれてるのはわかってるからいいの。わたしを妻にするために、ね」
「……お前な」
シェルナは楽しげに笑って、横向きに。
こうして二人の時は少しだけ子供っぽくて、昔からそれは変わらない。
ヴェーゼ第一王女シェルナとレドは、親同士の付き合いから幼なじみと言うべき関係であった。
そしてヴェーゼとラーニ、部族の力関係から来る身分の差はあれど、今回の戦で手柄を挙げればレドはシェルナの婿として結婚することを許される。
つまりは婚約者、というわけだった。
「……今回の戦でヴェーゼが大勝を収めれば、エルデラント統一が見えてくるんだもの。祭長達の気持ちも分かる」
「エルデラント統一……本当に出来るのかね」
「出来るよ。……あなたも手伝ってくれるんでしょう?」
身を起こし、レドから紅茶を受け取ってシェルナは微笑む。
強きものが王となる――古くからのしきたりに縛られたエルデラント。
王が死ぬ度に身内同士で争いが生じ、国は安定はせず――ヴェーゼとラーニ、今は盟約を結ぶ二人の部族ですら先々代の頃には敵同士であった。
一度エルデラントは生まれ変わる必要があるのだ。
強い力で全てを壊して、一つの大きな国として。
「アルベランを破ったら、次の内戦を最後の内戦にしてみせる。……きっと多くの人が死ぬと思う、でも、なんて言われたって構わない。それで数十年後に平和が訪れるなら」
「内戦……か」
「ええ。気が進まない?」
「……いや。思い出しただけだ」
シェルナもレドも内戦を二度経験した。
最初は子供の頃――シェルナの父ゴルキスタが王位を勝ち取った戦。
二人の周りにいた多くの大人達が死んだ。それに巻き込まれて多くの村が焼かれ、エルデラントは悲しみの声に包まれた。
五年前は小競り合いというべきもの。
ある部族の土地へ視察に行ったシェルナが攫われかけたことが切っ掛けで、しかしそれも多くの血が流れた。
シェルナの護衛であったレドの初陣はその戦――何十人もの人を殺した。
焼かれる村の実態を初めて目にして、何度も吐いた。
武勲に彩られた戦争の輝きと共に生じる、汚泥のような暗い影。
レドの記憶には人の悪意が生み出したその光景が、今も深く刻まれている。
今回の戦も、逃げ遅れたらしいアルベランの村が焼かれるのを目にした。
指揮官を処罰して、しかし――村の僅かな生き残りとなった女と子供達の目を忘れない。
シェルナがその選択を取ったことに、軍の中にも反発があった。
戦で綺麗事を言ってどうなる、と。
所詮女のシェルナには総大将など務まらないという声も聞こえた。
「……人間は、どっちなんだろうな」
「いきなり何?」
「……意地と意地のぶつかり合い、今まで培ったものを、互いに一つしかない命を賭けてぶつけ合う……その在り方は正直、心惹かれるもんがある。でも、結局それは単なる殺人でしかないんだ。暴力で相手を従わせて、奪うんだからな」
子供の頃には無邪気に憧れて、今もその感情は残っている。
「殺し合って、踏みにじって……それを悦ぶのが人間なんじゃないかって時々思う。綺麗な言葉で飾り立てて、自分の気持ちがいいルールを押しつけて、勝てば見下して。俺は村を焼いて悦んでる屑達と何が違うのかってさ」
どんな言葉を用いても、殺人は外道であった。
理不尽で、不条理で、問答無用。
戦場で高揚した後、正気に返って考えるのはそんなこと。
「さぁね。人間が善か悪かなんて高尚な疑問、わたしにはわからない。くだらないことで悩んでるのね」
「お前な、俺が真面目に考えてるってのに」
「わたしがこの世で一番無駄だと思うのは、レドの馬鹿頭でする考えごとかしら」
「……あのな」
シェルナは微笑み立ち上がり。
それからレドの頬を撫でた。
「正しいって何? 善悪って何? 結局そんなのは言葉遊びよ。人それぞれ違うんだから」
深い藍の瞳が長い睫毛に包まれて。
シェルナはいつも、美しかった。
「例えばわたしは、頭が悪くてだらしないレド一人を幸せに出来れば十分よ。でもレドは馬鹿だから自分だけ幸せなんてのも喜べないでしょうし、だからついでに他の人も幸せになれるような国を作るの」
「…………」
「お母様が亡くなったとき、レドはわたしを幸せにしてくれるって言ったの。だからわたしも、レドを幸せにする。人間というものはそういうもので、良い社会というのはそういうものじゃないかしら?」
レドはガリガリと頭を掻いて目を逸らす。
「……お前って賢いように見えて馬鹿だよな」
「馬鹿ね。賢いからこそ無駄なことを考えないのよ。……でも、ふふ、そういうレドの馬鹿なところは嫌いじゃないよ」
シェルナは唇を押しつけて、レドの頭を抱きしめた。
「戦争が終わって、内戦が終わったらいくらでも付き合ってあげる。だからそーいう考えごとをする前に、自分が無事に生きて帰ってこられるように、自分の事を一番に考えてちょうだい。レドはまだまだよわよわで心配なんだから」
「……うるせぇな」
「うふふ、照れてるでしょ」
「照れてねぇよ」
シェルナは楽しげに笑って離れ、嬉しそうに。
レドは頬を染めつつ目を逸らし。
「……辛いのはもう少しだけ。頑張りましょう?」
「……おう」
それでも互いに拳を合わせた。
――王国南西部に存在する、斑な森の中。
中央将軍一人とエルーガの増援もあり、フェルワースの段階的後退は上手くいっているらしい。
密偵を排除し、先行し偵察に向かっていた獅子鷲騎兵からの報告を聞く限り、彼等の動きは想定から大きく外れたものではなく、クリシェとしても満足がいくものであった。
「……ここですね」
「最近出来た村でしょうか……王国の記録にはないのですが」
太陽もまだ空高く、ヴィンスリールに案内された焼けた村を眺め、クリシェは目を細める。
目的は戦略的奇襲であった。
クリシェと獅子鷲騎兵、黒旗特務のみを先行――後ろに連れた1万5000が相手の索敵に掛からないようルートの選定を行う。
エルデラント軍右翼、南部に展開する軍からはそれなりの距離が離れており、ここまでは順調であった。
しかし黒旗特務を先行した獅子鷲騎兵が発見したのは地図に載らない小さな村。
そこは既にあちこちが焼け、家も柵も崩れ落ち、もはや村の機能は果たしていなかった。
「避難馬車がちゃんと回ってなかったのでしょう。臭いが酷いですね」
「……確認を?」
「ええ。ハゲワシ、一部は周囲の警戒を」
「は。コリンツは北と東、タゲルは西を見ておけ」
ダグラは険しい顔で指示を飛ばす。
カルアは悪臭に眉を顰め、ミアは既に想像したか視線を泳がせていた。
村の外からでも柱や木に吊られた死体が見えている。
入り口であったのだろう場所から中へと進めば、その状況は悪化した。
無造作に転がされた首や、並べられた首。
子供も例外なく死体に混ざり、若い女の死体からは衣服が剥ぎ取られていた。
死体を喰い漁る狼やカラスを散らしながら進み、クリシェは翠虎――ぐるるんから飛び降りる。
広場の中央では尻から口までを木杭に貫かれ、磔にされていた老人の死体。
それをじっと眺め、平然と腕を組む。
あまりのむごたらしさにほとんどのものは目を背けていた。
「死んでからそれほど経っているようには見えませんね」
「そうですね。二日といったところでしょうか。腐敗の度合いは軽微……気温が低かったのかも知れませんけれど。……ぐるるん、これは食べちゃ駄目ですからね」
死体を眺めるぐるるんに言いつつ、横に並んだアレハの言葉に頷く。
若干の腐臭はあれど、死体の肉はまだ新鮮なものと言えた。
「ハゲワシ、死体は?」
「今の所は……60名ほど。村の大きさを考えると、この村には精々200人弱といった程度ではないかと。エルデラント兵の死体も3つほど転がっていたと」
「となると少し一方的ですね。戦闘の痕跡から考えると」
簡素な武装をした自警団らしき死体がある。
全くの奇襲というわけではなく、警戒していたのだろう。
簡素な見張り櫓周辺に死体がいくつか転がっているところを見るに、一応抵抗したのは確か。
相手はある程度統制の取れた集団だろう。
「敵右翼の本陣からは離れてますし、独立した小部隊によるものでしょうか」
「そう遠くない場所にいる可能性はありますね。……単に軍の逃亡兵か、それとも索敵を目的としたものかは分かりかねますが」
「どちらにせよ面倒ですし、皆殺しですね」
クリシェは冷ややかに宣言した。
アレハはクリシェに目を向ける。
「自警団を失った段階でこの村は戦意喪失してたでしょうし、この状況を見るなら行われたのは虐殺です。都合が良いですね、見つけたら聖霊協約を気にせず拷問に掛けて情報を聞き出せますよ」
あくまで村に対する略奪や陵辱が許される理由は暗黙の了解でしかない。
それを認める法などどこにもなかったし、無抵抗の人間を傷つけることは表向き人道を語る聖霊協約に反した行いであった。
軍は原則、軍を相手に戦うもの。
村を焼き虐殺を行った時点で、それを行った相手を敵国捕虜として認める必要はなく、それに対する扱いは賊と同様、遠慮の必要もない。
クリシェの顔に義憤などはなく、微笑すらが浮かんでいた。
アレハは背筋がざわつくような怯えが自身に生じるのを感じ、苦笑し、首を振る。
他の者達も同様、何を言うでもない。
元より、この少女はそのような生き物であった。
「ヴィンスリール、獅子鷲騎兵は夜を待って空へ。多分この様子ならそう離れてないところで盛大に火を使ってくれるんじゃないでしょうか」
「……は」
「ハゲワシ、ここは臭いですし、風上で早めに休息を。近ければ夜の内に始末します」
「は。……クリシェ様」
「……?」
クリシェはダグラに目を向ける。
「出来れば、埋葬をさせて頂きたく。……そうですな、死体は病の温床となるとか――後から来る軍に悪影響がないよう腐敗の少ない内に処理しておきたいのですが」
「ん……あんまり兵を疲れさせたくはないのですが」
クリシェは困ったように考え込み、カルアが近づき背中から彼女を抱く。
「うさちゃん、敵は小規模なんでしょ? 平気平気、ここのところみんな歩いてばっかりで体も鈍ってるし、戦闘前にちょっとは体を動かさないと」
「むぅ……なるほど」
ダグラの意図を理解してカルアが告げ、クリシェは泣きそうな顔をしているミアに目を向ける。
「……、ミアも同意見ですか?」
「……はい。こんな酷い状態で野ざらしなんて、あまりに酷いです」
「アレハは?」
「私もダグラ隊長と同意見ですね。それにこの惨状、後方に続く兵達の士気も下がりかねない。ミア副官の反応は人として真っ当なもの……戦場ならばともかく、誰もが軍人として事実を事実として捉えられるものばかりではありませんから」
クリシェは更に少し悩んで唇を尖らせると、カルアから離れてミアの頭を撫でた。
「仕方ないですね。副官なんですからミアはもっと毅然とするべきです」
「……すみません」
「ハゲワシ、許可します。ただ、盛大に煙を上げるのは駄目ですからね。埋めるだけです」
「は、ありがたく。……コーザ、クリシェ様の命で兵達に埋葬を行うと伝えろ。タゲル達にも何班か出すように、と」
精神的な問題で、必要性があった訳ではなかった。
死体の処理など喜ぶものは多くない。
クリシェの意見も妥当で、放置という選択も十分にあり得た。
だがダグラはクリシェを理解し、その上で心酔するが故、兵に命じる。
戦場の輝きと、その影の汚泥。
論理と感情。
「んー、じゃあベルツ、あなたはひとまず昼食の用意を。もうお昼ですし、みんなそろそろお腹も空くでしょう」
「は。きょ、今日の昼は野菜を中心にしたいのですが……」
「……? はい、それでクリシェは構いませんけれど……ぐるるんにお肉も。お腹いっぱいにしておかないと転がってる死体を食べちゃいそうですし。丁度良く家畜の死体があれば良いのですが……」
そこで生じる彼女の歪さを削ぎ落とすのは、他でもない彼等の役目であった。