好き嫌い
※189話のエイプリルフールネタ『魔法少女マジカル☆ベリーReincarnation』は4月4日に『女王の鳥籠』に置き換わっています。
エイプリルフールネタは174話に挿入されました。
予定通り――それ以上の結果であった。
オールガンが素直に降伏し、反抗なきよう命じたこともあってガルシャーン兵士は比較的大人しい。
ダグレーンも彼等に酒を与え、それのせいで喧嘩騒ぎが多少起きたが全体を見れば悪い選択でもなかっただろう。
「ベルツ、うさちゃんのおかわり――」
「カルア、今日はいいです」
「……あれ、うさちゃんおかわりしないの?」
「はい。今日はそんなに動いてないですし……」
夜の星月すら霞むような篝火に包まれた世界。
宴会騒ぎの野営地――黒旗特務に割り当てられたスペースだった。
誰もが楽しげに、新兵達も今日を切り抜け、その上挙げた大戦果に大盛り上がり。
その中で早々に食べ終わったクリシェは皿を重ね、カルアだけではなく近づいてきた強面の黒旗特務料理指導役、ベルツは困惑したようにクリシェを見た。
「……お口に合いませんでしたか? クリシェ様、今日のは自信作だったのですが……」
「いえ、とっても美味しいですよ。ベルツも結構料理が上手になりましたね」
ベルツはその言葉に安堵したように微笑む。
そしてクリシェから皿を受け取り――隣のカルアは不思議そうにクリシェを見た。
「近頃あんまり食欲ないね。何か悩みごと?」
内戦中は二回目、三回目のおかわりも普通であったクリシェ。
しかし今回王都を出てからは明らかに食欲が減っているように見えた。
もちろん、そもそもクリシェ用の盛りつけ自体たっぷりなもので、それでも健啖と言えたが、小柄な体に大量の食事を詰め込む普段を知っていれば、やはり少ない。
カルア達が気を使っておかわりを持ってくれば食べはするが、自分でおかわりを求めるということはなかった。
カルアはクリシェの体を抱き上げると膝の上に座らせ、頭を撫でた。
「……ベリーさんのことかな?」
ここのところ覚えていたそんな違和感。
クリシェの悩みごとに、これからの戦場の事などは入っていまい。
内戦からここまでで彼女のことはよく分かっている。
自分が出陣する戦場に、彼女は一切の不安を覚えない。
竜の顎でも、ギルダンスタイン戦でも、彼女の不安の種はいつも自分の手が届かないところ。
どれだけ不可能に見える戦場や行動であっても、彼女はいつだって自分の勝利を当然のものとして疑わないのだ。
彼女が主導で動く今回の戦――元帥セレネは後方、戦場に出ていない。
厳しい戦いであろうと彼女に不安要素はないはずで、あるとすれば全く別のことだろう。
――となれば、大体彼女の悩みの原因はベリーであった。
「もしかして、その……あんまり体調が良くないとか」
「いえ……そういうわけではないのですが」
元気そうな姿も何回か見ているが、刺されたのは事実。
何かあってもおかしくはない。
それに加え、エルヴェナであった。
週に一、二度帰ってくるエルヴェナは最近妙に料理熱心なのだ。
屋敷ではクリシェやベリーが担当のはずで、エルヴェナが料理をする機会などそれほどないはずだが、帰ってきては凝った料理を近頃作っていた。
どうしたのかと聞けば、色々勉強をしておきたい、などと話すだけ。
使用人として当然ながら屋敷でのことはあまり話さないし、こちらからも尋ねはしないが、少し妙に思うところもあった。
もしかするとベリーの体調があまり良くはなく、代わりに料理が出来るよう特訓しているのか、と考え――しかしクリシェの答えはやはり違う。
クリシェが首から提げたキャンディ袋を何の気なしに手で弄び、カルアは再び首を傾げた。
キャンディの中身はほとんど減っていなかった。
「悩みごとがあるならおねーさんに話してみなさい。うさちゃんがそんな風だとみんな心配しちゃうよ?」
「そうでしょうか……?」
「そう。どうしたの?」
クリシェは少し迷うようにして、それからキャンディ袋をカルアの手の上から押さえ。
静かに口を開いた。
「……リーガレイブさんの血で、ちゃんとベリーは元気になったのですが――」
語られるのは少し前にあったことだった。
辿々しく、最初から。
何をどう説明するべきかを悩む様子で、随分と丁寧で遠回りな説明だった。
元気になって喜んで、でもカルアに言われたことを思いだして、ベリーを気にするように。
気にしてみれば料理の最中も、食事の時も、ほんの少し違和感があって。
夜にこっそり調味料を舐めているのに気付いて、もしかするとと不安になって確かめることにして――
「――クリシェが美味しいって言ってくれて、お料理を手伝ってくれれば、それで幸せってベリーは言いました。……でも、やっぱり、味が分からないのはすごく辛いと思うんです。クリシェだったら、すごく嫌ですし、不安です」
クリシェは顔を俯かせて、静かに続けた。
「ベリーだって同じはずで、でも、きっと、我慢してて……クリシェが気にしないよう、悲しくならないようにって、そんな風に。……ベリーはすっごく優しいですから、だから辛くても辛い、なんてクリシェに言わないんです」
「……あの人はまぁ、そうだろうね」
周囲にあった男達は二人の話を気にする様子で見守っており、カルアはしっしっ、と手で払う。
視線こそ慌てて背けられたものの、気にしない振りをしながら意識をこちらに傾けており、先ほどまで騒がしかった会話音が明らかに減っている。
「クリシェも、早く治してあげたくて……でも、全然上手く行かなくて。そうしたら、お料理を食べて美味しいって思っても、なんだか、その……ベリーのこと思い出して、それで……」
「ふふ、うさちゃんは優しい子だね」
クリシェは首を振って、銀の髪を揺らした。
「……悪い子です。ベリーは気にしないで欲しいって、クリシェにいつも言って、でも気にしてしまって、ベリーを困った顔にさせて……」
「……うさちゃんが悪いんじゃなくて、お互いがちょっと真摯過ぎるのが問題なだけかな」
カルアは困ったように言って。
「……わたしの不真面目さを少し分けてあげたい気分」
くすくすと笑い。
華奢な体を抱きしめ、その頭に頬を寄せた。
「そんなうさちゃんも含めてベリーさんは大好きだし、幸せなはずだよ。辛いのは確かだろうけれど、そんな風にうさちゃんが思ってくれるのはとっても嬉しいと思ってるだろうし、我慢と言うか、ん……なんて言うべきだろうね」
言葉は難しい、とカルアは苦笑する。
「ベリーさんは料理が大好きなのかも知らないけれど、あの人にはやっぱりうさちゃんが一番で、今頃は多分、自分の舌のことなんかよりうさちゃんを心配してるだろうさ。怪我をしてないか、ちゃんとご飯を食べてるだろうか、とかね」
「…………」
「これからの戦いなんて全然気にせず、ベリーさんの舌を考えてるうさちゃんと一緒。お互い心配するところが相手のことばっかりで……ふふ、本当二人は似たもの同士なんじゃないかな」
今のベリーはきっと、自分の舌を気にしていない。
けれどクリシェはそれを気にして。
今のクリシェは、この先の戦のことなど気にしていない。
けれどベリーはそれを気にする。
きっとお互いがお互いのことを一番に考えていて、心配していて。
自分よりも大切な相手のことを考えて。
綺麗に見えるのは、だからだろう。
自分よりも他人のことを想える人間ほど歪んでいるものはなく。
それ以上に、美しいものもこの世にはないと思う。
この少女はそれの最たるもので、生まれたての雛のように盲目で、一途で、純粋だった。
その美しさをなんと讃えれば良いものだろうか。
「うさちゃんもベリーさんも、ちょっとお馬鹿なんだろね」
「……クリシェもベリーもカルアより賢いです」
「ふふん、知能と知性は別物だようさちゃん。二人はあたしより賢いのかもだけど、お馬鹿でへたっぴなのは力の抜き方かな」
カルアは両手でクリシェの目を覆う。
「近づきすぎれば見えないものでも」
それからゆっくりその手を遠く、前へ。
暗闇からクリシェの目には光が戻り、カルアの両手が目の前で揺らされるのを捉えた。
「……少し離れて見てみれば、その全体が見えてくる。うさちゃん達は相手のことを思うあまりに踏み込み過ぎ。それはまぁ、うさちゃん達はあたしに比べりゃ物事をずっと細部まで捉えることができるのかもだけど、それじゃ見えないこともある。大切なのは距離感だとあたしは思うね」
「……距離感」
「そ。うさちゃんも良く言ってるでしょ? 目の前だけじゃなく、戦場は全体を見るべきだって。人間関係だって一緒、あたしはうさちゃんとベリーさんが実際どう思ってるかなんてはっきりわかんないけど、外から見てるからこそよく見える」
カルアはぎゅうとクリシェを抱きしめ、微笑んだ。
「小さな事にこだわって、うさちゃんは全体が見えてないんじゃないかな。ベリーさんはうさちゃんにニコニコ笑ってもらって沢山料理を食べて欲しい。でもベリーさんの舌のことばっかり考えるうさちゃんはそう出来なくて……盲になっちゃってるんだね」
それから袋の中、飴玉を取り出すと、クリシェの口に押しつける。
「ベリーさんも折角沢山作った飴玉をうさちゃんがほとんど残して帰ってきたら、もっともっと気に病んで、心配しちゃうよ。それはちゃんと味わって、ありがとうって言わなくちゃ。……折角うさちゃんのためにって作ってくれたのに、食べてもらえない方がずっと辛いでしょ?」
クリシェは迷うようにしながらも頷き、飴玉を口の中へ。
小麦粉をまぶした内側に、甘い蜂蜜の味が滲んで、舌を喜ばせ。
美味しいです、とクリシェは言った。
「美味しいものは美味しいでいいの。早く帰れるよう頑張って、美味しいです、ってちゃんと伝える。それから、ベリーさんの舌はちゃんと治す。ベリーさんの舌のことだけ考えて我慢するのは健全じゃないし、うさちゃんが我慢することなんてベリーさんも望んでない。一つ一つやっていけばいいし、ベリーさんもきっとそうして欲しいと思ってるよ」
「……はい」
「うさちゃんは真面目な顔をしてると怖いんだから、ほらほら笑って。美味しいんでしょ?」
クリシェは頷き、カルアは笑いながら、その柔らかい頬を上に寄せて無理矢理笑顔を作らせる。
戦場での彼女を知った新兵達は戦々恐々とその様子を見守って、古参兵達は呆れたようにカルアに目をやり。
「うー……お腹空いた……」
「……全くお前は。クリシェ様、打ち合わせは終了しました」
そんな折り、ダグラと共に戻ってきたのはミアであった。
「はい。ハゲワシ達も後は休んでいいですよ」
「は」
兵員の損耗確認、各軍団との折衝、明日の行軍に関しての打ち合わせ。
『面倒なのでそれもハゲワシたちで』などと本来クリシェの仕事まで押しつけられ、あちこちを回っていたのだった。
疲れたように肩を落とすミアを呆れたようにダグラは見つつも、今日は叱らず苦笑した。
昼からまともに食事の時間も取れず、あちこちを歩き回っていたのだ。
勝利の後ということもあり、今日は大目に見てやろうとダグラは何も言わず、食事をベルツから受け取り別れる。
そして彼はネイガル達工作班に囲まれ、曲刀を受け止めた義手の具合を確かめているワルツァの所に向かう。
アレハもダグラ達に同行していたが、途中でコルキスに捕まり別れていた。
ミアもまたベルツから食事を受け取り、うぅ、と嫌そうに顔を歪め。
それからクリシェとカルアの側に腰掛ける。
「はぁ……今日もベーズ豆かぁ……」
「……ミア、好き嫌いは駄目ですよ」
「うぅ……はい」
スープに入った緑色の豆――王国南部からガルシャーンを中心に栽培されるベーズ豆をスプーンで転がし、ミアは嫌そうに嘆息する。
甘みが強いだけで別に不味い訳ではないのだが、ミアはあまり好きではない。
その上この数日、毎食毎食ベーズ豆の入ったスープである。
戦場で好き嫌いなんてわがままは、とこれまでミアも多少我慢していたが、流石に疲れて帰ってきた空腹な体に追い打ちのようなベーズ豆。
ミアはうんざりである。
「……甘くて美味しいと思うけど、ベーズ豆。流石にまぁ、これだけ続くとちょっと飽きるのはわかるけど」
「……その甘いのが嫌なの。果物で甘いのは好きだけど、料理で甘いのはなんか嫌なの」
ミアは不機嫌そうにクリシェを抱いたカルアを睨む。
「はぁ……今この瞬間だけ甘味というものが消えればいいのに。豆になんか甘さを求めてないんだけど」
「み、ミア……馬鹿っ」
「……?」
ベリーが味覚を失ったという先ほどの話、その直後である。
流石のカルアも慌ててクリシェを押さえた。
「……なんか変なこと言った?」
「あ、あのね……ミアは本当タイミングが悪いというか、なんというか……」
カルアは恐る恐ると抱いたクリシェの様子を見て、その顔を覗き込む。
ミアもクリシェに目をやり、首を傾げ。
クリシェは少し目を見開いて、ミアを見つめていた。
「……甘味だけ」
「どうかしました? クリシェ様」
クリシェは少し考え込んで、顔を上げ。
「ベルツ、果物取ってください。適当に」
「え? あ……はい」
「ミア、ベーズ豆」
「えーと……?」
それからミアに手を差し出す。
ミアは首を傾げつつ、ベーズ豆を一つスプーンですくって、その小さな手に乗せ――すぐにクリシェはそれを魔力で包み込み、その紫の瞳でじっと眺めた。
「クリシェ様……これでよろしいですか?」
果実を何種類か取ったベルツは不思議そうにクリシェを眺め、籠を差し出す。
カルアもまた首を傾げつつ代わりに受け取り、クリシェの膝の上に置く。
クリシェは飴を飲み込むと、ベーズ豆を口に入れ、味わい。
そして次に林檎を。
同じように魔力で包み、じっと眺め、一口囓ると味わい、飲み込む。
それから首から提げた袋の中から飴玉を取りだし、同じことを繰り返し。
「……簡単な事でした。毒ぴりりんと一緒ですね」
クリシェは勢いよく立ち上がると、ミアに近づき、その頭を撫でた。
「えへへ、ミアはお馬鹿ですけれど、くろふよの副官にして良かったです。これまでで一番の活躍ですね。褒めてあげます」
「へ? あ、はい……あ、ありがとうございます……?」
クリシェは嬉しそうに微笑むと、そのまま小走りに。
「ネイガル、予備の魔水晶をちょっとください」
「っ、は!」
ワルツァの側にいたネイガルの袖を引っ張り、声を掛け。
そしてジャレィア=ガシェアの倉庫となっている天幕へと二人は走り去っていく。
ミアとベルツはぽかんと呆けたようにクリシェを見つめ。
カルアは少し考え込んで、微笑む。
「……カルア、どういうこと?」
「んー、多分、良い閃きでもあったんじゃないかな。……ふふ、お馬鹿なミアのおかげで」
「……、馬鹿にしてる?」
「いいや。うさちゃんみたいに賢い子には、ミアみたいなちょっとのお馬鹿さが必要なのかもね。良いお馬鹿さだって褒めてるよ」
カルアは楽しげに笑って立ち上がり、ミアの頭を撫でた。
「うさちゃんに取っては今回の戦、何よりミアが第一功かもね」
「……? はぁ?」
ますます眉間に皺を刻むミアを撫でつつ、クリシェの向かった先を見て。
「……万事解決なら何よりだ」
カルアは優しげに目を細めた。
「うさちゃん、もう遅いし今日は寝たら? 明日も行軍なんだから」
「もーちょっとだけ……」
「だーめ。ほら、魔水晶離して……続きは明日すればいいでしょ? 戦の後はすぐ体調崩すんだから、休むのもうさちゃんの仕事」
「うぅ……」
その日の夜は毛布の中でも魔水晶を手放さず。
「コーザ、クリシェのお肉がちょっと少なかったのですが……」
「こ、これは失礼致しました。すぐにおかわりを」
「……パンも」
「は。おい、パンを出せ」
――翌朝のクリシェは、いつになく食欲旺盛だった。