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アルベリネアの黒き旗

※一間=約1.8メートル。五十間は90メートル。


一角獣→サイっぽい生き物。

「くく、流石に持ち直せはしまいか。なんとも鼻っ面を殴られたような気分だ」

「……笑える状況ですか」


象の上からオールガンはおかしくてたまらないといった様子で、向こうの戦列へと消えていく翠虎とクリシェを眺め、意気消沈した兵士達を見下ろした。

士気を立て直すべく声を張り上げたが、兵達は未だ混乱の最中――いかにオールガンの言葉とはいえ伝わらない。


あの巨体は敵を恐怖させるためだけのものではなく、兵士達の精神的な支柱でもあった。

かつてのガルシャーン内戦では戦列を薙ぎ倒し砦を粉砕、反乱軍の勝利に対し多大な貢献をした獣。

兵士達はアルカザーリスの出陣に大いに沸き立ち、アルベランなど敵ではないと盛り上がっていた。

それだけに、この死に方が与える影響は凄まじい。

兵士達の精神が受けた衝撃は、勇猛なる指揮官の討ち死に以上だろう。


「有言実行、想像出来たか? はは、あの距離から槍の一投であの巨体が沈んだのだ。これほど笑える状況もあるまい」


しかしオールガンは実に愉快そうに笑う。

必殺と言うべき獣が容易く打ち倒され、その上でなお目には力があった。


「最初から想像出来れば温存するよう言ってますよ」


ザルヴァーグは呆れたように答える。


「せめてこちらを狙って欲しかったものですね。その方がまだ良かった」

「……勘弁してください、武官長。こっちはたまったもんじゃありませんよ」


象の騎手が心底嫌そうな顔で告げる。

オールガンやザルヴァーグならばともかく、象の上に腰を降ろして座る騎手があれを避けられるはずもない。

騎手は兵列の隙間を抜けるように、手綱から象の耳を引っ張り本陣へ向かって歩かせる。


「そんな不作法はせんさ。あれは単なる見世物だ」


特に明確な何かがあるわけではない。

だが、開戦の挨拶を行うということ自体が正々堂々の戦いを意味する。

その後は、両将が互いの陣に戻ってから戦闘を開始するというのが暗黙の了解、作法であった。


一里という距離に互いに軍を配置する理由も、通常野戦で用いられる小型投石機、床弩の有効射程限界であるため。

互いに効力射とはなりがたいし、与える損害に対して卑劣という印象を味方の兵士に与えてしまうことになる。

どうあっても、普通はデメリットしかないこのタイミングで攻撃などは開始しないものではあるが――とはいえ単なる個人が一里の先から投槍で攻撃を加えるというのであれば話は別だろう。

称賛こそされても、それを卑劣などと罵倒する人間などどこにもいない。


敵は当然ながら、一里先からの先制攻撃に腹を立てる兵士などこちらにもいなかった。

要は空気の問題なのだ。

そうと作られた兵器であれば卑怯でも、それが戦士の個人技ならば敵ながら天晴れと言うしかない。

それをただの一投で終わらせるならなおさらであった。


「しかし、してやられたな。敵の士気は最高潮、こちらの士気は一気に落ち込み――相手は精神的優位を掴んだ。相手は何を狙う、ザルヴァーグ」

「……当然突破でしょう。あれだけ盛り上がれば動かぬ手はない。士気の高まった兵士は象相手にも立ち向かいます」


怯える兵士を相手に、戦象ほど強い獣はいない。

ただその体躯によって正面を蹂躙する彼等の姿は、見上げる敵兵を一息で壊乱させる。

しかし相手が熱狂によって恐怖を相殺し、その上で一定の冷静さを保つならば、象は決して無敵の生き物ではない。

それでも優位には変わるまいが――


「私が狙うならばアルカザーリスの抜けた穴ですね。兵の士気が最も落ち込み、周囲の象も怖じ気づいている」

「……妥当な線だな」


ガルシャーン軍はガーカ軍に対する左翼にキルレア率いる5万5000。

そしてアルベリネア軍に対する右翼にエルカールの3万を置き、そしてその両軍の境、その後方へオールガンの本軍2万を配置した。

アルカザーリスはエルカール軍の左翼に配置されており、本来であればアルベリネア軍右翼を壊乱させる形となっただろう。


しかしそれが失われた今、エルカール軍左翼はむしろこちらの脆弱部となった。

これが抜かれることは十分にあり得る。


アルベリネア軍は左翼を完全に城郭都市ナクリアに預けているため、戦闘正面は僅か二軍団。

だが、彼等の後方には一軍団が予備として温存されている。

間違いなくその兵力をこの一点突破に用いると考えられた。

ならば最悪は二個軍団、1万近くの兵力がエルカール軍後方へ雪崩れ込む可能性は大いにある。

――侮るべきではない。


「……もう片方が本命とは考えにくいな。正面に行けばエルカールの本陣もある。そちらに手を取られればこちらの本陣を落とす余力などない」


敵が右翼中央、エルカール本陣を抜き、オールガン本陣を狙うというのはあまりに強引、考えがたい。

アルベリネア軍の戦闘正面は右翼と左翼の二軍団だが、エルカールはナクリアに対する正面――右翼にも兵を置いている。

象も機動力に長けた獣もいないが、兵力は5000。

アルベリネア軍左翼が突出し中央突破を狙うならば、これがその脇腹を狙う形となる。そしてあちらもそれを理解しているだろう。

脇腹を狙われながら中央突破など不可能であるし、エルカールは弱将などではない。

単独で他国への侵攻を行える実力と経験を兼ね備えた将軍であった。

これを真正面から打ち倒しオールガンを狙うというのは無謀で、やはり敵左翼側の軍団が狙うのは精々その足止めだろう。

状況的にもやはり、敵の狙いは右翼による一点突破というのが妥当であった。


「とはいえ、俺が考えても詮無いことか。エルカールの遊び場だ。……念のため、本軍はエルカール左翼の突破に備える。ザルヴァーグ、もし敵が抜けたならばお前の遊び相手だ。嬉しいか?」

「……嬉しいわけがないですよ。エルカール将軍が突破を食い止めてくださることを祈りましょう」


嘆息しながら言って、しかしその視線を背後に。

ザルヴァーグはアルベリネア軍本陣を睨み付けた。









オールガンの読み通り、アルベラン軍はその士気を活かさぬ手もない。

アルベランの初動は全軍前進であった。

ただし、ガーカ軍は一列ではなく、左翼から順に前進――軍全体で斜線を描き、角度を付け、右翼にて迂回を試みるキルレア軍に対し一応の構えを見せた。


当然、士気が落ちたとは言えガルシャーンも棒立ちのままそれを受け止めるということはしない。

象と地竜、一角獣からなる獣を前に、全軍を推進させる。


本来であればまずは射撃戦となる状況――当然のようにキルレア軍とガーカ軍の間では矢の応酬が開始されたが、しかしエルカール軍とアルベリネア軍の間ではそれも行われなかった。


エルカール軍の前衛は象が60。地竜が30、一角獣が20。

これに最大限の効果を発揮させるためには、象達が敵前衛を乱した所へ間髪を入れずに歩兵を叩きつけなければならない。

速度こそが命であり、そのためには獣の足に合わせて歩兵を進める必要があった。

弓兵を前に出せば入れ替えのタイミングで陣形にも乱れが生じる。

そして入れ替えによって歩兵の動きに遅れが生じれば、獣が突出する危険が生じる。


皆分厚い外皮の持ち主であったが、それでも降り注ぐ矢雨は十分な脅威。

騎手は彼らほど頑丈ではないし、そして所詮は獣――栄誉や大義名分などのために戦っているわけではない。矢雨降り注ぐ危険な状況には彼らも本能的に怯えを見せる。

突出した獣に対し矢を集中されては最初の突撃すらも成功しない上、弓兵のように戦列を組まない軽装散兵は彼らが最も苦手とする相手。

一方的に前衛の獣をなぶり殺しにされる可能性もあった。

こちらも弓兵をぶつけ妨害するにしろ、相手は個々の間隔を広く取る散兵状態。

致命打にはなり得ず、射撃戦での損害は当然、獣を失うこちら側に大きくなる。


そのため象などの獣を前列に置くならば、攻撃こそが最大の防御であった。

単純明快な全軍突撃こそが最大の効果を生じさせ、こちらの損害を抑える。

戦象のすぐ後ろに戦列を組んだ歩兵の姿があれば、敵も弓兵を早々に引くしかない。

先述の通り、入れ替えのタイミングには陣形にも必ず乱れが生じるためだ。

そして戦象と続く兵列を前には統制力の低下は致命傷――相手は何よりもそれを避けねばならず、総攻撃を食らえば必然的に受け身にならざるを得ない。


巨獣とはそれそのものが真正面のぶつかり合いに圧倒的優位を作るもの。

彼らを操る上で必要なのは緻密な計略や小細工ではなく、勇気と大胆さなのだ。

敵の矢の雨降り注ぐ中であっても単純明快な力業で押し通し、その力が持つ純粋な正面戦闘力によって敵戦列をこじ開けるのが究極にして最上。


ガルシャーン軍の士気は大幅に低下、アルベラン軍の士気は最高潮。

しかし一度噛み合いさえすれば、再びこの士気差も縮まりを見せるだろう。


ガルシャーン軍右翼の将軍――巨人のエルカールはそう考え、兵士達にはただ普段通りの戦いをすれば良いと声を掛けた。

真正面からのぶつかり合いに負けたことはない。

この士気差であれば戦象、地竜や一角獣を用いてすら膠着することもあり得るが、とはいえ膠着はむしろ望むところ。

単純な削り合いに持ち込めば、何を考える必要もない。

兵力差によって自然と勝利はこちらに転がり込む。


自然界の法則と同じく。

一度止まったものを再び動かすには強い力が必要となるものだ。

一度止まってしまえば、後は押し合い――外からの力がなければ戦列を崩しての突破などは出来もしないし、そして相手にはそこから手を打つための余力も持ち合わせがない。

初動さえ防げばこちらの勝ち。

この戦いはそういう、簡単なものであった。

だが――


「……妙だ。敵は何故矢雨を降らせぬ」


七尺の超人的な体躯。

胸と兜の中央に象のシンボルのみが彫刻された無骨な鎧と兜。

象の上から戦場を一望しながら、エルカールはそのただでさえ険しい顔に渋面を浮かべた。

前方のアルベリネア軍は戦列を前進させるのみで、こちらの獣兵に対し弓兵を並べる素振りすら見せない。


「……士気を存分に活かすつもりなのでは? もしくはいつぞやガーカが行ったように裏へと流すか」


エルカールと比べずとも、男として小柄な体躯だろう。

副官ネイクルは前方――アルベリネア軍を眺めて答える。


過去にガーカは象による先行突撃に対し、見事な陣形変更によって戦列に隙間を作り誘導――鮮やかにその突撃を受け流して見せた。

訓練された戦象とはいえ所詮は獣。

見た目とは裏腹に臆病な気質の草食獣であり、そうして隙間を作られ誘導されれば本能的に逃げを選ぶ。

槍に対し真正面からぶつかることを避けるのだ。


象と幾度となく戦ってきたガーカ故――敵ながら見事な采配であった。

そうした象への対処法を共有していることは間違いなかったが、しかし。


「その二つならば前者だろう。あの時は象が突出したからこそだ。だが、今回は獣も象だけではないし、歩兵がすぐ後ろにある。あのような大技は使えん」


この状況で象を流すような真似をすれば、開いた隙間から追随する歩兵や地竜に戦列を砕かれる。


「とはいえ士気の高さで押し込む、か……あれがガーカの軍であるならばそれも悪くない案には思えるが、果たしてあそこに象を知る人間が何人いる?」

「……私は少なくとも選びませんな。無謀な博打です」


ガーカの軍であれば、単純な真正面からのぶつかり合いという選択はある。

長く南部――ガルシャーンの侵攻を食い止めてきた歴戦の兵達。

獣の相手も慣れており、あれだけ士気が高まれば象や地竜ごと戦列を食い破る可能性は十分にあった。


だが相手はアルベリネア率いる王国中央の軍。

アルカザーリスをただの一投で沈めた手並み――アルベリネアが尋常ではない戦士であることは確かで、当然率いるあの軍も精鋭なのだろう。

だがそれはあくまで、人を相手にした場合の精鋭、という話でしかない。

初見の獣を相手にして十全な能力を発揮出来るものなどそうはいないもの。

これが士気の高さによる真っ向勝負であるならば、随分な博打であった。


「しかし、やはり動く気配はないな。本気のようだ」


喋っている間にも距離は縮む。

博打――とはいえ侮る気持ちなどはなかった。

王国軍の兵士はそもそもがガルシャーンの兵士とは違う。

統一された装備を与えられ、徹底された訓練を受けた強兵。

獣を抜きに単なる兵士同士を比べた場合であれば、その能力はあちらが上回る。

仮にその博打を上々に成功させるのであれば、戦列を貫く可能性は十分にあった。


「旗手、右翼に迂回機動を取らせろ! 敵の脇腹を突く!」

「は!」

「その上で本陣全体を前に出す。予備は全て動ける準備をしておけ!」


エルカールは声を張り上げ、自身が乗る象が動き出したのを見て再び視線を前に。

遠方――アルベリネア軍に目を凝らし、眉根を寄せた。


「……戦車? あの位置にか」


象の上に乗ればこそだろう。

左右に分かれる敵軍――その左翼の戦列に紛れる妙な馬車へと目を向ける。


「二頭立て……しかし戦車にしては弓手もいません。単なる荷車のように見えますが」

「どちらでもいい……しかし何故そのようなものを戦列に混ぜる?」


布を被せた荷車を後ろに、荷引きの馬は二頭。

荷車としてもあのような邪魔な場所に置くのは不自然であるし、仮に戦車であっても同様であった。


鐙もなかった時代――戦車は馬上でまともに戦えなかった頃の骨董品。

仮に今更それを引っ張り出すにしろ、運用は騎兵とさして変わらない。

両翼からの回り込みに使うものだ。

それを何故戦列の中に紛れ込ませるのか。

不可解――というよりも不気味であった。


「伝令、中央ダールトンに敵中に用途不明な奇妙な馬車、あるいは戦車を発見。十分に注意しろと伝えよ!」

「は! 復唱します!」

「いらん! すぐに行け!! 閣下にもこれを伝えろ!!」


エルカールは叫ぶように伝令を走らせ――響き渡るは雷のように激しい地鳴りと喊声。

戦象達が突撃の間合いに入ったのだった。


エルカールは再び顔を上げ、そして。


「――あれは」


猛進し始めた象の向こう。

一瞬目を離した隙に敵戦列から無数に翻るは、三日月髑髏の黒き旗。

そして滲み出るように現われた、黒塗り鎧の兵士達であった。







ベーギルの第三軍団、コルキスの第二軍団の中間。

アレハは兵士達と共に進みながら空を見上げ、戦場の風に目を細めた。


敵は総勢十万を超える大軍勢。

正面には三万の軍、そしてこちらはその半分。

本来は無謀な突撃であろう。

真正面からのぶつかり合いなどは馬鹿げていると、将軍であった頃のアレハは思っただろう。


――だが、クリシェ=クリシュタンドにとって、これは博打などではありはしない。


「いやはや、股間が縮み上がる気分ですなアレハ殿」

「私は逆だなザーカ班長。こんな戦の先鋒を任され、全身が昂ぶっている」


美貌の青年は笑った。

左目に眼帯を着けた班長はその様子に笑みを返し、楽しげに答える。


「竜の顎での戦を思い出します。敵は大軍、こちらは高々百人隊――クリシェ様に付き合わされベルナイクの山中で一週間戦い続けた」


左目を眼帯の上からなぞり、一瞬目を閉じる。


「称賛もなく、援護もなく。あれに比べれば随分な贅沢か。何より、今日一日で終わりというのが良い」

「前向きに考えるのは良いことだよ。……考え方だな」

「……?」


アレハは前方にある象を眺めて、ザーカに告げる。


「戦場で人はまず死の恐怖を覚えるが、それは単に失敗の結果だ。考えるべきは成功する自分の姿。常に思い描くべきは理想の自分であって、そしてその理想に到達するため自分がどうあるべきかを見つめること」


美貌を歪め、苦笑しながらアレハは続けた。


「一人の軍人として自分を考えるならば、それが前向きで良い。そうやって私は自分を理想に近づけ、兵長から将軍に昇り詰めた。……くく、知っての通り最後にはそれが驕りに変わり、クリシュタンド将軍とクリシェ様に鼻っ柱をへし折られたが」

「……それに関しちゃ、俺はなんとも言い難いですが」


ザーカは呆れたように言う。

上官の失敗談は反応に困るものがあった。


「まぁ、要するにだ。……戦場に身を置いた時点で賭け金は結局、敵が強かろうが弱かろうが自分の命」


アレハはその目に狂気を宿し、頬を吊り上げる。


「敵が強大であればあれほど、それを打ち負かす自分の栄誉は大きなもの。どちらにせよ同じ賭け金を支払うならば、敵が強大であればあるほど良いとは思わないか?」

「……上官に言うのは失礼ですが、イカレてますね」


ザーカは笑い、けれどアレハはそれを咎めもしなければ否定もしなかった。


「くく、そもそも栄誉と名誉などという不確かなもののために、一つしかない命を賭けるのが軍人だ。そんな人間が正気であるとでも思うのか?」

「思いませんな。最近はよく分かります。優秀な軍人ってもんは、きっと頭のイカレ具合で決まるんでしょう」


ザーカは言って、親指で背後を示す。


「誰より頭のイカレた指揮官の下で、こうして戦えることを喜ぶべきか、悲しむべきか。時々迷うところがありますが」

「当然、心の底から喜ぶべきだ。……狂った環境、狂ってなければ損だろう?」

「確かに。……そろそろですか?」

「ああ、そろそろだ」


敵の先頭――戦象との距離は百間を切る。

弓兵があれば完全に射程内、戦象の突撃開始距離であった。


アレハは神聖帝国の軍人として神聖帝国西部全体で戦って来た。

当然王国のみならずガルシャーンと戦をした経験もあり、戦象がどのように動くかについてはアルベリネアの軍内で誰より知っている。


「狂気の戦場へ、兵士全ての道先案内人となってやろうじゃないか、ザーカ班長」

「は! ボグス、前に出るぞッ、旗を掲げろ!!」


応じるように倒していた旗を掲げる。

後方から大きな鐘が打ち鳴らされ、そしてそれと同時、正面の戦象が歩行から走行へ体勢を変える。

――それが合図であった。


アレハは前に飛びだし、ザーカ班五人がそれに続く。

旗手を除けばその全員が二本の槍を掴んでいた。


戦列の前に踊り出たアレハは、一人更に踏み込む。

左手の槍を放り投げ、右手に持った槍を逆手に。

猛獣の如く極限まで加速したその肉体――踵を大地に叩きつけるように上体をしならせ。


「っ……!」


距離は七十間。

全身のバネから弾き出されるのは矢よりも速き白兵槍。

ごう、と風切り音を響かせ、進む先は戦象――その眉間にある鼻の付け根であった。

頭蓋の隙間――正確に鼻腔を貫き抉り込まれた槍は、ただの一投でその頭部の内側を完膚なきまでに損傷、即死させる。

巨体はそのまま転倒し、大地を削り取るようにしながら地に伏せ。


「アルベリネアの狩人は前に出よッ! 象の如きは単なる的――間抜けの獣使いに、アルベリネアの戦いというものを教えてやれ!!」


吠えるようにアレハは叫び、旗手は旗を振り回した。

呼応するように喊声を響かせ、戦列から次々に現われるのは二百の戦士。


同じ黒き鎧を身につけ、各々が槍を携え、誰もが馬よりも速く疾走し。

そして手に持つ槍を眼前にある象へと叩きつけ――再びアルベラン軍に沸き起こるのは大歓声。


単なる投槍散兵などではない。

全てが魔力保有者で構成された、特殊投槍兵。

アルベリネアの狩人達――それが放つは魔槍というべき凶器であった。


彼等の歓声とは真逆。

ガルシャーン軍からは無数の象が悲痛な悲鳴を上げた。

未だ五十間の距離から、その身に突き立つ槍は深く。

ガルシャーン兵士達は全軍突撃の熱狂から一瞬で醒め、眼前にある黒塗りの化け物達に怯えを見せた。


アルカザーリスを一里の先から、ただの一投で沈めたアルベリネアの存在を忘れてはいない。

そこに翻っていた三日月髑髏の黒き旗の存在も。

そして今も、同じ旗が何本も自分達の前に掲げられていた。


兵士達は、一度折れた心を無理矢理熱狂に奮わせていたのだ。

無数の風切り音と共に次々と倒れ込む戦象を目にすれば、熱狂から醒めれば――そこに残るは得体の知れないものに対する恐怖だけ。

超越者アルベリネアの魔槍は、ただの一投で終わらない。

五十間の距離から容易く戦象を射抜いて殺す異常者の軍勢。


彼らには、眼前にある全てが理解を超越した化け物に見えた。


――倍程度の人数で、こんな化け物達に敵うはずがない。

そんな考えが彼等の脳裏に滲み、表面化する。


「速度を緩めるな! 精鋭は少数、数の差で押し込める!! 恐れず進め!!」


それでもなお冷静さを保ち、状況を分析する能力を残した優秀な指揮官達は声を張り上げる。

だがこの状況――それを兵士達が信じるはずもなかった。

アルカザーリスを沈めたアルベリネアだけではなかったのだ。

所詮は個人の武勇であり、この戦いの優位はこちらにあるのだと、そう指揮官達は彼等の恐怖を和らげ、しかし。


「ひ――っ!?」


目の前の現実はそれを嘘にするものであった。


アルベリネアだけではない。

アルベリネアの軍を前には、戦象や強靱な獣達ですら相手にならないのだ。

いつだって先陣を切り、敵戦列をなぎ倒してきた獣達。

それがある限り、真正面からの戦いで押し負けることはない――そうした彼らの自信、その根拠は根底から崩されていた。


恐怖に逃げ出そうと足並みを乱すものが現われ、後ろに押されて倒れ込む。

そして障害物となった戦象の死体――戦列の乱れは軍全体に波及する。

一度心の折れた軍は、もはや軍ではなかった。

彼等は完全に前進する力を失い、統制を失い。


「全軍――突撃を開始せよ!!」


そして対面では、天へと突き立てる剣を描いた王国紋――巨大な突撃旗が翻り、突撃を示す喊声が一際大きく響いた。

失われた象の足音の代わりに、彼らは大地を揺らして迫り来る。


ガルシャーン軍にある全ての兵士が、ようやく理解していた。

真正面からのぶつかり合い、それを制するものがどちらであるか。

蹂躙されるのは果たして、どちらであるのか。


――彼等の前にはただ、アルベリネアの黒き旗が揺れていた。

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  2024年11月20日、第二巻発売決定! 
表紙絵
― 新着の感想 ―
象さん、逃げてぇぇぇぇぇぇっ!? ぐるるんのご飯が沢山確保できそうな戦い。 そうだ、この戦さの勝者はどちらの国でもなく、ぐるるんと飼い主のクリシェなのだ!
[一言] かわいそうなぞう…… いや、本当に自分の意思で来てる人間が死ぬよりよっぽど可哀想
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