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博徒の武人といかさま師

――アルベラン王国は侵略のため、聖霊を利用しようとしている。

女王就任の会談もあって当初夏頃を予想されていた三国の共同侵攻が、雪が溶けた春に行なわれる言い分はそのようなものであった。


聖霊協約には竜に刃を向けぬことという原則が記されるが、竜に関する規則は多岐に渡り、その力を独占せず、国益のために利用しないという文言もまた記されていた。

特例として信仰による貢ぎ物の類は許されてはいるが、その助力を請うなどの行為は明確にそれに反した行動。

今回起きた聖霊ヤゲルナウスによる王都アルベナリアへの訪問は、アルベランがこれに違反した証拠であると彼等は声高に叫び、自らの正当性を広く伝える。


王国の友好国、アーナ皇国にも聖霊協約に反したアルベランを討つべきだと各国からの使者が訪れ、その事実確認のため大神官ザーナリベアが王都を訪れるが――


『国としてではなく、おねえさま個人の謁見の結果ですわ。聖霊協約に反したものではありません。それにどうあれ結果として聖霊の盟約者となられたおねえさまに、まさかアーナは剣を向けるおつもりなのでしょうか?』

『しかしですな……』

『アルベランが死ねば、次はアーナ。いずれ必ずそうなりますわ。ふふ、わたくしたちは同じ船に乗っているんですもの。全て今更、好意的に解釈してくださいませ。……もちろん、アーナ皇国には申し訳ないとは思っているのですけれど』


――どうあれ、もはや後の祭り。

個人が行なったことで王国は無関係、などという言い分は王家の人間であるクリシェの立場を考えればそうそう通るものではなかったが、クリシェは一応の所、王族ではなく先代クリシュタンド辺境伯の養女という扱いである。

ここに来て王族として公式に復帰していなかったことも役に立った。


当然アーナとしても『ならばクリシェ個人を罰するべきだ』と言うこともできるが、結果として竜の盟約者となった相手である。

聖霊を信仰する彼等がその盟約者を罰することを求めるなどあってはならない話で、宗教的な立場から言えばクリシェは巫女姫の上に立つ存在。

紅茶を飲みつつ成り行きを見守る、何も考えていなさそうな、実にのほほんとした銀髪の少女――クリシェに裁きを求めることなど出来はしなかった。


その上アルベランはアーナの盾。

クレシェンタの言い分はもっともで、


『……はぁ。まぁ、今更何を言っても仕方ないでしょうな。申し訳なく思う、というお言葉を女王陛下がお忘れにならないことを祈りましょう』


などと全面的に王国の言い分を聞くほかなく。

ザーナリベアはベリーの甘いクッキーに癒やされながらも、胃の痛い思いでアーナを走り回り、神官達に頭を下げる羽目になった。


敵も不和の種を蒔く事が目的。

その程度の工作でまさかアーナの離反を促せると思ったわけでもないだろう。

結果として彼等の工作はアーナ国内に些細な不満を生むに留まり、大きな影響はなかった。

この戦が長期に渡るものとなるのであればそうした種が芽吹くこともあるだろうが、元より王国にその気はない。


――短期決戦。

王国はそれだけを見ていたし、そして必然的に迫る三国もそれを選択せざるを得なくなる。


編成される各国の大軍勢は隠しようのないもの。

密偵を走らせその動きを読み取ると、クレシェンタは早期に全土へお触れを出し、民衆に王国中央部への避難を呼びかけた。

その中心となるのは聖霊協約の庇護下にない――要するに略奪を受ける集落や村の人間で、そのために国からは馬車までを走らせる。


当然ながらクレシェンタに善意など欠片もなかったが、稀に見る人道的措置。

それだけに逃げるための足がなかった民衆達の好感を大いに集め、偉大なる若き姫王とその名声が高まった。

内戦からまたしても莫大な金を吐き出すことになったものの、王国が今求めるのは金ではなく兵士――そうした避難民を兵士に仕立て上げるは容易で、幼き女王のため、悪辣な三国から故郷を取り戻すという大義名分は何より彼等の心を奮い立たせる。


そして彼等をこうして村から引きはがす理由は何も兵士に仕立て上げるためだけではなく、何より敵の士気を下げることにある。

厳しい行軍や訓練、死と隣り合わせの戦地。

そうした苦痛に日々苛まれる兵士達にとって、暴力によって女を犯し金品を奪うという行為は何よりのストレス解消法。

それを先んじて奪ってやれば敵兵士達の不満は爆発的に増大することは間違いなく、そして彼等はそこを封じられればその不満を解消する手段を持たない。

軍の大きさの問題であった。


三国共に大軍勢を編成することは自明だが、しかしその大軍勢の欲望を発散させるには一定以上の村や集落の存在が前提となる。

なぜならばある程度の人口規模がある街は、聖霊協約によって名目上略奪からは守ってやらなければならないからだ。

商取引として娼婦を雇うにしろ、兵士達の欲求を満たすには明らかに数が足りない。

村を襲えさえすれば若い女は皆そうした『用途』に使えるが、街から得られる娼婦の数など知れたもの――娼婦を本国から連れて来て兵士達の慰安のため用いるにしろ、その侵攻軍の規模を考えれば限界がある。


大軍というのは必然、その兵站に多くの問題を抱えるもの。

ここに来て彼等は聖霊協約を名目にしたことが裏目に出る。

聖霊協約に反したとしてアルベランを攻めるのだ。

まさかその自分達が聖霊協約に反する訳にはいかない。

彼等はその建前を守るためいつも以上に『上品に』振る舞う必要があり、そして必然、その締め付けは兵士達の不満を大いに高め――村や集落を中心に避難させたのはそういう理由であった。

彼等は敵国で欲望を満たされず、お偉方の建前のために溺れ苦しむことになる。


そしてその不満は必ず、王国中央への侵攻へと兵士達を駆り立てさせる。

王国中央に入りさえすれば、女も金も思うがまま――指揮官達もそのように彼等を納得させようとするだろう。

そうした状況は自然と彼等を短絡的に、その思考を決戦へと傾けさせる。

不満を抱えた大軍勢、持久戦などは選べまい。


それがこちらの狙い目であった。


「ガーカ将軍と轡を並べるというのは初めてですな」

「にゃんにゃんもそうなのですか?」

「ええ。北部と南部――東部や西部の戦で共に戦うことはありましたが、同じ戦場に立っていたという訳ではありませんから」


にゃんにゃんという呼び名を諦めたように聞き流しつつ、馬に跨がったコルキスは翠虎に横乗りになったクリシェに告げる。

南へと向かう行軍縦列。

警戒の必要もない広い平野を眺めながら、コルキスは考え込むように顎に手を当てる。


「話している感じでは、ファレン元帥補佐やボーガン様のように巧みな戦術を扱う方というよりも真正面から戦うことを好む……そうですな、恐らく性質としては俺に近い人間でしょう。話していると見解がよく一致する」


頭の中で記録を探り、クリシェは頷く。


「やっぱりそうですか。あんまり詳細な記録がなかったので、いまいちどういう人かわからなかったのですが……クリシェ、ちょっと話しただけですし」


彼女の頭には過去の戦場、その記録のほとんどが入っていたが、とはいえ所詮記録は記録。

王都の書庫には多くの記録が存在していたものの、記述者によってその差異が大きい。

過度な装飾がなされているものもあれば、何万と何万で戦い、右翼から打ち破ったなどとあっさりとしすぎた書かれ方をされているものもあり、そこからどういう状況であったのかを読み取るのかが困難なものも多かった。

そしてダグレーン=ガーカの記録は後者が大半。


記されている戦場からの状況推察、戦勝式で話した様子で大体そうではないかと当たりはつけていたが、間違いはなさそうかとクリシェは考え込む。

正面切っての戦いは得意とするが、絡め手は苦手。

攻めはいささか強引だが大きな失敗はなく、機を見る目はあるのだろう。

戦歴も無敗というわけでもなかったが、敗北の際にも被害を限りなく抑え、致命的な被害を被ることはない。

全体として安定感のある将軍であると言えた。


「となると、兵の強さは期待しても良さそうでしょうか」

「長年最前線を戦ってこられた方……そこに関しては信頼しても良いでしょう。何より兵達から尊敬を集める方と聞く。皆勇敢であることは間違いない」

「第二軍団くらいに?」

「そうですな、恐らくは」


兵の強さというものは大きい。

例えば盤上遊戯、兵棋演習におけるコルキスなどは弱い方だろう。

しかし実戦となれば第二軍団はまさしく精強、軍団長コルキスの指揮も含め、単純ながら数字の計算では測れない力を発揮する。

ダグレーンもまた恐らく、それこそを得意とする将軍なのだろう。


最強の兵を持って、その力を最大限引き出し戦うことを重視する。

考え方の違いであった。

戦術とは相手の脆弱点を突く手法であって、言うなれば相手の戦力を弱める戦い方。

しかし例えばコルキスなどは、自分の戦力が最大限の実力を発揮出来るよう常に兵を動かした。

60の力で30を狙うやり方と、120の力で100を狙うやり方の違いと言えるだろうか。

だから時にコルキスは相手の主力に対し、一見無謀にも見える真正面からの突破を図る。

当然その突破で無用な被害を出す場合もあったが、むしろそれが相手の虚を突き、思わぬ大成功を呼ぶこともあり――戦術というものの難しさがそこにあった。


荒れ狂う川を遠くの橋まで迂回するか、それとも泳いで渡ってみせるか。

場合によればその考え方も悪くはないもの。


「まぁ、それなりに強そうで安心しました。敵の戦力は予想通り十万を超えるんだとか。にゃんにゃんは配置、どこがいいですか?」

「それはもう、これだけの一大決戦。願えるならば真正面、ど真ん中ですな」

「何よりです。クリシェも出来ればにゃんにゃんには中央をって思ってましたから」

「ははは、それは何よりありがたい」


その会話を近くで聞いていたミアは半ば引き気味にコルキスを見た。

十万の軍勢に対する真正面、それを喜んで願い出るところがもう狂っている。


戦場として予定される城郭都市ナクリア――その周辺のミルヒレア平原は西に樹海、東を山に囲まれた場所である。

中央軍からは3万5000の兵力を出してはいるが、実質使えるのはアルベリネア直轄となる1万5000のみとなる。

なぜならば西は樹海。

ガルシャーンがそこから戦力を浸透させ、背後に回り込みを掛ける可能性が大いにあるためだ。

それを防ぐためには後方にも十分な戦力を置く必要があり、兵力2万は中央の将軍に預けその防備に当たらせる必要がある。


そしてダグレーンの戦力は聞く限り3万を超える程度であり、合わせてこちらは精々5万弱。

もちろんそれでも大軍勢だが、しかし相手は十万超――文字通り桁の違う戦力を有している。

それに対する真正面を任せられて喜ぶ気持ちというのが理解不能であった。


兵士達は皆、国のため、故郷の身内を守るためと毎晩のように盛り上がっているが、それは恐怖心を覆い隠すためのものでしかない。

王国でも精強とされるクリシュタンド軍であっても、皆が浮き足立っていた。


この状況でコルキスのように笑えるものはやはり異常で、やはりミアからすれば人種の違いというものを感じざるを得ない。


「副官ともあろうものが、そうやってすぐ感情を顔に出すな」

「うぐっ」


本当にわたしは生き残れるのだろうか――そんなことを考えていると、隣のダグラに兜の上から小突かれる。


「お前は妙に図太い癖に臆病で、なんともよくわからん娘だな」

「うぅ、ず、図太くは……」

「上官に口答えをするな。そういうところを図太いと言っておるのだ馬鹿者」

「ぐっ」


ごつ、と再び手甲で叩かれ、不満を露わにダグラを見上げる。

ダグラは苦笑し、全く、と呆れたように嘆息した。


「我らはやるべきことをやるだけだ。クリシェ様がまさか、勝算もなく戦いを挑まれるとでも思うか?」

「……思いませんけれど」


二回も叩かなくてもいいのに。

やや拗ねたような調子でミアは答え、それを見ていたカルアが笑ってミアの肩を掴んだ。


「ちゅーたいちょー、どうにもミア副官はまだ不満があるようです。この顔は二回も叩かなくてもいいのに、って心の中で思ってますよ」

「カルア! そ、そんなこと思ってないっ!」

「……はぁ、お前達はもう」


ますます呆れたようにダグラは眉間を揉み、そうした様子に気付いたかコルキスが楽しげに笑い声を上げる。


「下を向くよりは良かろう。そう責めてやるなダグラ」

「は。お恥ずかしいところを……」

「気にせん。確かミアと言ったな、副官」

「え、は、はいっ、アーグランド軍団長」


咄嗟に畏まるミアに苦笑し手をあげ、コルキスは告げる。


「一人が二人を殺せば終わりだ。一人で十人を斬り殺す活躍を見せたお前達が、一体何を恐れる必要がある?」

「へ? え、ええと……」

「どれだけの大軍であろうが、所詮相手にするのは真正面の相手だけ。同時に十万人がお前に襲い掛かるわけじゃない。それくらいはよくわかっているだろう」


無茶苦茶な論理であった。

けれど確かに理屈はそうであり、クリシェにも口を酸っぱく説明されている。


「百人隊の規模で二百、三百を相手にすることなど、山中で戦うなら普通の隊でもよく良くあること。確かに不利ではあるが、ベルナイクでクリシェ様とお前達がやったことを思い出すといい。数の上では今以上、数十倍の相手に対しお前達は戦い抜いた」

「は、はい……それは確かに」

「状況はそれと何も変わらん。その時の目的は敵の行動遅延、そして今回の目的は敵本陣攻略。目的が変わっただけで、兵士がやるべきことは局所的勝利を繰り返し、局所的優位を維持するというその一点」


コルキスは自分の頭を叩いて見せた。


「単純に考えろ。お前達は先の事を不安がる必要などない。お前達が目先のことだけを考えていれば勝利できるよう、後は指揮官が考える。それが軍というものだ。……そしてお前達の指揮官は王国がアルベリネア――疑う余地などどこにある?」


そしてコルキスは隣――もはや座るのにも飽きたのか、欠伸を噛み殺し、毛繕いをする振りをしながら翠虎の上で横になろうとしていたクリシェに目をやる。

話の内容とは真逆、緊張感や真面目さなど欠片もない姿。

コルキスはなんとも言いがたい気分になりつつ、咳払いをする。


「まぁ、その、なんだ……言いたいことはだな。あまり不安がる必要はない。何も十万の敵を皆殺しにしなければならないという訳じゃないんだ。実際に戦う数など知れている」

「はい、ありがとうございます……」


これから決戦というにも関わらず、どこまでも普段通りなアルベリネアに目をやりつつ、ミアもひとまず頷いた。

確かにこの少女が負け戦を挑むなどとは思えない。

栄誉のため自らを捨て石に、などと、そんな貴族らしい崇高な考えなど持ち合わせてはいないだろう。

彼女は勝つ気でいて、そしてこの状況でもそれを疑っていないのだ。


「ミアは本当心配性ですね。もうちょっとにゃんにゃんを見習うべきです」

「……は、はい」


翠虎に寝そべり、顔だけをこちらに向けてクリシェは言った。

勇ましさからは遠く離れた、何ともやる気のない怠惰な姿である。

その実力を知ってはいても、本当に大丈夫なのかと何やら不安のよぎる姿であった。


「いつも通り、やることは単純です。目的はにゃんにゃんの言った通り敵本陣を潰すこと。順調に行けば戦いも半日で終わりです」

「……半日?」

「はい。上手く噛み合ったならそれで終了。クリシェの勝ちですから」


しかしそんな姿のまま、彼女はそう言い放ち。

コルキスだけは、なんとも楽しげな笑みを浮かべて頷いた。









王都からの旅は五日目。


王国南部に位置する城郭都市ナクリアは西をビルフェ大樹海、東を険しいカルビャス山脈に挟まれた王都の南門と言うべき場所にあった。

そこにあるガーカ家大屋敷は無数の軍人が歩き回り、応接間には無数の地図が広げられ、さながら軍の会議室と言った様子。


「来たかクリシェ。いや、王姉殿下とお呼びした方が良いか?」

「いえ、どちらでも。クリシェ、そういうのはどうでもいいですし」


そこに現われた銀髪の少女――クリシェ=クリシュタンド一行を見て笑うは、野盗か山賊のような髭面の男である。

六尺の体躯は筋肉で膨れあがり、胸元を開いたシャツからは胸毛の生えた厚い胸板。

フォーマルな格好はどこまでも似合っていない男であったが、ラフな格好をすればどこまでも似合いすぎており、今の姿はまさに賊の頭であった。

クリシェについてきたミアは露骨に、うわぁ、とその姿に呆れ、ダグラに睨まれ慌てたように姿勢を正す。


男の名はダグレーン=ナクル=ドーガリネア=ガーカ。

こう見えてもこの男は由緒正しき王国公爵、ガーカ家の当主にして王国南部を数十年に渡り守ってきた名将であった。


「くく、しかし何にせよ久しぶりだ。こうして再び会うことが出来たこと、心の底から嬉しく思うぞクリシェ、そこに座るといい」

「はい、お久しぶりですね。お言葉に甘えます」


クリシェは言われたまま遠慮なく、彼の対面のソファに座り、机に広げられた地図に目を向ける。

王国南部の詳細な地図であった。


「お前もだ、久しいなアーグランド」

「は。お久しぶりです、ガーカ将軍」


コルキスは敬礼し、ダグレーンは頷き椅子を示すとガーレンにも目を向ける。


「副官殿も座るといい。殿下との戦いでは大層な戦い振りであったと聞く。老兵ながら五人を相手取り、易々と討ち取ったと」

「易々と、ではありませんな。必死でなんとか命を拾っただけです」


ガーレンは少し驚いた様子を見せた。

王都には戻ってきていないはずだが、セレネの副官であったガーレンが、今はこうしてクリシェの副官になっていることまで知っている。

最後の戦いがどのようなものであったかまで知っているのだろう。

随分な事情通――粗野に見える姿と裏腹に、この男は無数の情報を手に入れているのだ。


「そう謙遜するな。生涯を現役として――その在り方は武人として誇るべき事だ」

「は。ありがたく」


敬礼をしながらもガーレンは目を細めた。

大胆かつ勇猛な、ダグレーン=ガーカはそのように評されることの多い将軍ではあるが、それは見せかけ。

常に緻密な計算が裏にある――彼は決して侮れない将軍であった。

促されるままガーレンはクリシェの隣に腰を降ろし、ダグレーンはそれを見て満足げに頷くとその他へと目をやる。


連れてきたのはダグラとミア、アレハの三人と、大隊長から昇格した第一軍団長キース、第三軍団長ベーギル、そしてその副官達。

彼等の顔を観察するように眺め、ダグレーンは頷くと従兵に酒を与えるように告げた。


「まずは内戦での静観を詫びよう、クリシェ。クリシュタンドにもお前にも借りはあったが、王弟殿下ともそれなりに長い付き合いでな」


グラスにワインを注ぎ飲み干すと、ダグレーンは仰け反るようにソファへ背中を預ける。


「南が不穏であったという言い訳をしても良いが、正直どちらにつくにも義理を欠く状況で手を出せなんだ。……結果としてクリシュタンドも死に、先日の借りは返せず仕舞い。そのことに関してはお前にもクリシュタンドにも申し訳ないと思っている」


天井を見上げ、思い出すように。

現在では軍人として格上にあたるクリシェに対し、とても謝罪するという態度ではなかったが、かと言って偉ぶるでもなく尊大に振る舞うわけでもなく、そうした態度には嫌味がない。

不思議と不快に思う者もおらず、当然ながらクリシェも同様だった。


「……つまるところだな、わしはお前に借りがあるということだ」

「はぁ……そうですか」


クリシェは首を傾げつつ相づちとも言えぬ言葉を返し、目の前に置かれた黒豆茶にたっぷりとミルクと蜂蜜を注ぐ作業に意識の八割を向けていた。

ダグレーンはその様子を見て笑い、続ける。


「この場では何一つ遠慮をする必要はない。わしはお前の若さを気にはせんし、神聖帝国との戦、そして内戦での活躍――お前の能力も疑わん。お前が望むのならば潰れ役でも引き受けてやろう……ということを言おうとずっと考えていたのだが――」


ダグレーンは再びグラスにワインを注ぎ、煽った。

酒気の混じった息を吐き出すと、愉しげに肩を揺らす。


「くく、どうにもその様子では、このような気遣いなど無用であったようだな。この大戦を前に、お前は欠片も緊張しているようには見えん」


話半分どころか、半分もまともに聞いていないだろう。

ミルクで砂色になった黒豆茶を眺め、満足げな顔をするクリシェである。

ダグレーンは自分の髭をつまんで弄び、目を細めた。


「しかし、オールガン率いるガルシャーンは中々のものだぞクリシェ。侵攻軍は十二万。各地を占領しながらも、本体には十万程度を残すだろう。それが後三日もすればここへ来る」

「一部を迂回させる可能性は?」

「ないな。十万をここに向ける」


ダグレーンは断言した。


「オールガンとは長い付き合いだ。まさかこの大一番でわしとの決戦を避けはせん。王都に攻め入るなら、正面から堂々とわしを打ち破ってと考えるだろう」


そして眉間に皺を寄せ、睨むようにクリシェを見た。


「無論、こちらがそれに応じるならば、だが。……クリシェ、お前次第という訳だ」

「なるほど……」

「連れてきたのは1万5000。残りの2万はどうする気だ? まずはお前の意図を聞きたいと思っていた」

「……意図?」

「そう」


ダグレーンはテーブルに両肘をつくと、両手を組み。

そして挑むように、その鋭い目をクリシェに向ける。


「南部戦線の縮小、後退。わしはこれを決戦による勝利のためと聞き、それならばと応じたが……あまりにも潔い決断だ。武人としての倫理に則りながらも、兵法の論理に反した行動。オールガンは喜ぶだろう、間違いなくこちらに全力を向ける」

「はい、そうなるなら嬉しいことですね」


何を言いたいのかとクリシェは首を傾げ。

しかし周囲の者は皆、猛将ガーカの発する他を圧倒するような気迫に体を強ばらせた。


「オールガンはまずこの状況――わしに決戦を挑まれたと考える。よもや俺が側背からの戦略的奇襲を仕掛けるつもりだとは考えんだろう。……その上でクリシェ、お前は真正面からの決戦を挑むつもりがあるのだな?」


問うているのは、彼女が将としてどう振る舞うのか。

ダグレーンとオールガン、両将のこれまでの戦いがあればこそ、この状況は作られる。

本来であればこの状況、オールガンはダグレーンを張り付けにする兵力だけを置き、大樹海へと兵力を送り込み、後方の混乱を図るだろう。

そのまま西へ向かわせ、フェルワースの側背を狙わせエルデラント軍の突破を助ける可能性もある。

無論そう見せかけて真正面からダグレーンを突破するという可能性もないではないが――要するに彼等にとって、揺さぶりの選択肢は無数にあるというわけだ。


しかしオールガンはこちらに揺さぶりを掛けるような動きを取っていない。

各都市に兵力を送り込む以外に動きはなく、ガルシャーンで編成された三軍全てが、真っ直ぐにこちらへと向かっている。

それはこれまでの因縁に決着をつけるため――ダグレーンとの正々堂々たる決戦をとオールガンが考えているからに他ならない。

これを利用し罠に掛けるのは、武人としてあってはならないことであった。


ただ軍人として、国のため勝利のみを追求し、卑劣な手段を良しとするのか。

それとも武人として、正々堂々たる対決によって勝敗分からぬ戦いへ挑むのか。


「んー、そうですね。そういうことになるのでしょうか」


その答えを誤ればどうなるか。

固唾を飲んで見守っていた彼等の緊張とは裏腹、彼女はどこまでも甘い、少女の声で柔らかく彼に答える。


「クリシェの希望は真正面からガルシャーン軍を撃破、その一撃で組織的抵抗が出来ないくらいに継戦意志を砕いてしまうことですから。……今回は力業。倍の兵力で正面対決に負けたなら、きっとガルシャーンに反撃する気なんて起こらなくなるでしょう?」


ダグレーンはその野盗のような顔に驚きを浮かべ、目を丸くした。


「残してきた2万は単なる迂回阻止です。クリシェ、オールガンさんとはこの前ちょっと話しただけで、ガーカ将軍がそう言っても安心は出来ませんし。どちらにせよ兵力は劣勢、2万なんて焼け石に水。それがあっても兵力優勢となるわけでもなく」


さも簡単なことのように彼女は告げる。

甘ったるい黒豆茶に口づけ、満足げに微笑み。


「なくても勝つのはクリシェですから、残した2万は予備の後詰めとして頑張ってくれたらそれでいいのです。意図、というほどのことではありませんね」


ダグレーンはその言葉に頬を吊り上げた。

手入れのなされぬ髭を揺らし、その顔に浮かぶのは愉悦であった。


「頭を捻ったが、わしでは良くて相打ちと考えた。十あれば八で負け、残りの二で討ち取れるかどうか。……お前は違うと言うのか?」


クリシェは答える。


「この状況を作ったのはクリシェなんですから、それで負けたらただのお馬鹿です。敵が十万も想定済みで、それを5万前後の兵力で打ち破るというのも既定事項」


宝石のような紫の瞳を真っ直ぐと。

当然のようにダグレーンを見返しながら。


「この前やってもう懲り懲り。……クリシェは博打をしないのです、ガーカ将軍」


彼女は困ったように微笑んだ。

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  2024年11月20日、第二巻発売決定! 
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それは普通なら博打なんだよ、とは言えないのか。上官だし、本人にとっては全くもって博打じゃないし。
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