やさしいせかい
銀色の髪――妖精の如き少女はワンピースの裾を恥ずかしげもなく捲り上げ、その内側を使用人へと見せつける。
「ベリー、どうですか? 似合ってますか?」
白い腰にレースの黒は良く映えた。
腰巻きと呼ぶには随分と美しい帯からは、靴下留めが四本垂れ下がり、太ももまである長い靴下を引き上げ固定する。
その上からは実に清楚な、ピンクのリボンがついた薄青の下着。
「そ、そうですね、とてもお似合い……お似合いです……」
アンバランス――いや、これはこれで見事に調和しているような。
というよりも調和しすぎているような気がしないでもなかった。
発端はクリシェの腰当て。
剣を提げるベルトが腰に擦れて痛めないように、適当なものを作ってもらおうと考えたのがはじまりであった。
クレシェンタが利用している仕立て屋に下着や靴下を頼むついでに来てもらい、あれこれと話し合い。
そうして出来上がったのは靴下留めのついたこの腰巻き――ガーターベルトである。
長い靴下がずり落ちないようガーターを兼ねるというこの腰巻きはなるほど、走り回るクリシェには良いだろうと考えたのだが、実際に身につけている姿を見ると中々これはという代物であった。
「……どうかしましたか?」
「い、いえ……」
似合っているかどうかで言えば似合っている。
しかし好ましくない方向で似合いすぎているとも言え、健康的に肉のついた太ももと黒い靴下、ガーターの組み合わせはどこか犯罪的であった。
ワンピースドレスの裾を捲り上げて下半身をさらけ出し、こうしてクリシェが自分に見せつけるという状況も良くないのだろう。
不思議そうに首を傾げるクリシェの表情も相まって、何やら裸体を見るよりもいけないものを見ているような気がしてならなかった。
いや、そういう風に考えてしてしまうことが問題なのではないか――ベリーの思考はぐるぐると回る。
クリシェはいつも通りなのである。
彼女はこの状況に羞恥心などいだいていないし、いつも通り肌着の付け心地を報告しているだけ。
不埒なことをしているように感じてしまうのは、自分の中に邪念があるからに他ならない。
しかし不埒なことを目的としたつもりは決してなかったし、今もそうである。
ならば恥じることはなく、堂々としていれば良い。
しかし、見れば見るほど、ベリーに生じるのは言いようもない罪悪感。
「もしかして、似合ってな――」
「いえっ、その、決してそういうわけではなく……あまりに綺麗で見惚れて、そう、少し見惚れてしまっただけで……」
「えへへ、それなら良かったです。腰周りもそんなに窮屈じゃないですし、良い感じな気が。靴下もずり落ちたりしませんし」
裾を捲ったまま、無邪気にふりふりと腰を揺らすクリシェの姿はどこまでも背徳的。
やはりどう言い繕おうと、自分はよこしまな人間であった。
クリシェは随分とお気に召したらしく、このまま行けば恐らく、同じようにセレネやクレシェンタにもこれを見せびらかすことであろう。
原因となったベリーが白い目で見られることは間違いなかった。
なんと言えば良いだろうかと視線を泳がせ、しかし、嘘を吐くことも出来ず――
「っ!?」
――ノックの音に慌てて立ち上がり、ドアとクリシェの間に体を滑り込ませた。
クリシェはそんなベリーに首を傾げつつ、構わず口を開く。
「……? 入っていいですよ、アーネ」
「はい、失礼します」
入室したのはアーネであった。
顔を真っ赤に硬直するベリーをクリシェは不思議そうに見つめ。
アーネもまた妙に慌てた様子の『尊敬する使用人』を見て怪訝な顔。
そしてアーネの視線は、ベリーの更に奥へ。
果たして何をしていたのか、ワンピースの裾を捲り上げたまま首を傾げるクリシェの方に向かい――すぐさま全てを理解したようにアーネはかっと目を見開いた。
そして、即座に頭を下げる。
「お、お楽しみの最中申し訳ありませんアルガン様っ、出直して参りますっ!」
「お待ちをっ、か、勘違いです、これは思っていらっしゃるようなことではなく――」
「だっ、大丈夫です! お二人の関係はわたしもよく理解しておりますので――」
――恐らく自分は、見てはいけないものを見た。
咄嗟に逃げ出すように部屋を出たアーネであったが、相手は王国一の使用人にして才女、ベリー=アルガン。
その身体能力は魔力を扱う本職の軍人と比較してなお勝るとも劣らず、咄嗟の判断力、反射神経ともに常人の比ではない。
逃げだしたアーネであったが、獲物を狙う翠虎が如きベリーに扉から二歩の所で容易に取り押さえられ、即座に部屋へと連れ戻された。
「な、なるほど、そういうことでございましたか……つ、つい早とちりを」
「いえ、いえ。ご理解頂けたならそれで。勘違いをさせてしまったこちらにも非がありますし」
その後は椅子に座らされ、貼り付けたような笑顔を浮かべるベリーに『これはこうこうこういう事情で、決して不埒なことを行なっていたわけではなく――』などと懇切丁寧に脅迫めいた説明が行なわれ、その言葉に何度も頷いた。
彼女の説明が正しいものかどうか――実に怪しいものではある。
二人の関係はアーネも良く知るところ、倒錯的な行為がここで行なわれていたとしても違和感はなかったし、恐ろしいことに何一つそこに疑問すらも浮かばない。
クリシェという美しい姫君は彼女に対して極めて従順、望まれるならばどのようなことでも躊躇なくやってみせるだろう。
想像するだけで赤面するような行為であっても例外なく、そんな姫君に愛される彼女の気持ちを思えば魔が差したとしても仕方の無いこと。
それを責める気持ちなどアーネになかったし、もはや受け入れてもいる。
ここで果たして何が行なわれていたか――様々な憶測がアーネの脳裏をよぎったが、少なくともそれを尋ねることはしなかった。
いつも穏やかで落ち着いた余裕を見せる尊敬すべき使用人、ベリー=アルガンの取り乱す姿。
有無を言わさず一瞬で取り押さえられた感覚はまさに、猫に襲われた鼠である。
鈍いアーネでも尋ねてはいけないことである程度のことは本能的に理解していた。
やはり心に秘めるのが使用人としての正しい在り方であろう。
だがアーネが目指すのは、そこから更に一歩を踏み込んだ使用人である。
「……ですがアルガン様、ご安心を。もしもこれが勘違いでなかったとしても、わたしがアルガン様を尊敬するという事実も変わりません」
「あ、あの……アーネ様、ですから、その……本当に……」
「いえ! 皆まで仰らなくても大丈夫です。このアーネ、口の硬さは金剛石にも勝ると自負しておりますゆえ……っ」
「……うぅ」
女らしく、しかしどこか華奢で小柄なその体。
それを自ら抱くように、端正な顔を真っ赤に目を潤ませ、視線を左右に揺らす姿は少女のようであった。
目上の方、可愛いと思ってしまうのは失礼だろうと思いながらも、時折彼女は見事なまでに可愛らしい。
「そ、そのですね……」
「はい」
「もちろん、その……一切無私であったかと言えば、う、嘘になってしまうのかもしれませんが、本当に……先ほどのことはアーネ様がお考えになっているようなことではなく……」
まるで懺悔でもするかの如く、か細い声音。
普段の触れあいを見ていると、何をこうまで恥ずかしがるようなところがあるのだろうかと思わなくもないものであったが、恐らくアーネにわからない重大な線引きがあるのだろう。
その赤毛と馴染みそうなほどに赤く染まった顔。
ああ、なんて可愛らしいお方なのかと半ば感動しながら、真摯な顔を作ってアーネは頷き、告げる。
「理解しております、アルガン様。その上で先ほどと同じ言葉をこのアーネ、名に誓ってお約束致します。お任せくださいませ」
「……、はぁ」
ベリーは諦めたようにため息をつくと対面の椅子に座る。
この話の当事者であるはずのクリシェは一体何の会話をしているのかと、不思議そうに二人を見て首を傾げ――しかしすぐにどうでもよくなったのか。
当然のようにベリーの上に座ると、えへへ、などと笑いながら彼女に甘え始める。
ベリーもベリーで当然のようにそんなクリシェをぎゅう、と抱き寄せ――やはりいまいちその線引きがアーネには分からない。
「アーネ、ギーテルンス侯爵は帰ったのですか?」
「はい、先ほど……」
尋ねられてようやく本題を思い出し、アーネは口ごもる。
ベリーは首を傾げた。
「どうされましたか? 浮かない顔をされて」
王領を出てクリシュタンドに来る際は大げんかをしたのだという。
久しぶりの再会、積もる話もあるだろう。
アルゴーシュがクリシェの前では非常に緊張した様子を見せることもあって、気を使い二人きりにしていたのだが、アーネの顔はあまり浮かないものであった。
もしかすると、二人きりにするのは逆にまずかっただろうかと尋ねる。
「もしかして、また何か口論に……」
「い、いえっ、そうではなく、そのですね……話せば少し、長くなるのですが」
アーネは窺うようにベリーを見た。
ベリーは苦笑しつつ頷く。
「構いませんよ。仕事は終わっていますから。お気になさらず」
「……ありがとうございます」
アーネはかくかくしかじか――
「まず話すべきは、わたしが何故こうして使用人の道を志そうとしたかでしょう……」
「え? え、と……はい……」
とは行かず、先ほど父としていた話をほぼ最初からベリーに伝え始めた。
アーネ生誕からである。
いかにして自分が使用人の道へ進み、そして今に至ったか。
まるで吟遊詩人が英雄譚でも語るが如く、妙に仰々しい難解な言い回し。
ベリーは若干の後悔をしないでもなかったが、適度に相づちを打ちつつ話を聞いていく。
「――お美しさもさることながら、アルガン様は使用人として全てを兼ね備えた、わたしの理想とするお方でありました。わたしはまるで陽気な晴天に突如、雷に打たれたかのような衝撃に……」
「あ、ありがとうございます……お、お気持ちはわかりましたから、どうかその辺りで……」
「いえっ、このことは非常に重要な意味合いを持つのです。どうか、聞いてくださいませ」
途中で美辞麗句を重ねてベリーを褒め出すのはどうにかして欲しいものであったが、彼女の中では中々に重要なことであったらしい。
ベリーにとっては半ば拷問めいた『アーネの感動エピソード集~アルガン編~』は実に半刻。
恥ずかしさでベリーが顔も上げられなくなった頃にようやく、その辺りを抜け本題に。
クリシェは話のはじめの方で静かな寝息を立て始め、ベリーの上で幸せそうに眠っていた。
「……なるほど、結婚ですか」
「はい、お父様はそうしたことについてもそろそろ考えろ、とわたしに」
これまでの前振りは果たして、本当に必要だったのだろうか。
そう思わないでもなかったが顔には出さなかった。
ベリーは少なくともそういう気遣いが出来る人間であったし、先ほどの話が更に繰り返されるのは彼女としても避けたい。
「貴族としては難しい問題ですね。わたしもアルガン家の人間としては、本来的にはどこかに嫁いで子を成し、家の再興をと考えるのが筋であるとも」
アルガン家は身を崩したが、王家により断たれた訳ではなく、実体のない形ばかりの貴族としてアルガンの名は存在している。
貴族として管理を任されていた小さな土地は、管理能力無しとして自主的に王国に返上、借金はアルガン家の借金として背負った。
王国に損害を与えた訳でなければ、罰される理由もない。
父は恐らくそこから持ち直しを図ったのだろう。
その半ばで倒れたものの、借金の問題さえ解消すれば再び返り咲くことが出来る、と。
借金が解消された今であれば、比較的容易いこと。
例えばボーガンと姉ラズラの間にもう一人子が生まれ、そちらがアルガンを継いで何らかの功績を残していれば家を再興させることは容易であっただろう。
あるいはベリーが同じようにするか、それとも婿をもらうか。
父の遺志を継ぐという一点で考えれば、それは貴族として何よりまず選ぶべきものであったが、姉のラズラにもその意思はなかっただろう。
もちろん、子供がアルガン家の再興を望んだならば喜んだだろうし、それに任せるつもりではあっただろうが、二人目をそうした理由で望んだわけでもない。
気質の問題だろう。
言うなればベリーもラズラも貴族としては不真面目なのだ。
「まぁ、それも一般論としては、でしょうか。それに関してわたしは何とも言えなさそうです。アーネ様はどのように?」
「……あまり考えたことも。これは、という殿方にお会いしたこともありませんし――」
アーネは言って、ちらりとクリシェに目をやり、頬を染めた。
ベリーが不思議そうに彼女を見ると、慌てたようにアーネは首を振る。
「いえ……そ、その、が、ガーレン様のような殿方には、こう……大人の魅力というものを感じたりはすることはあるのですが」
「ああ……ふふ、確かにガーレン様は素敵な方ですね」
ベリーはくすくすと笑う。
アーネがガーレンに良く懐いているのは知っている。
魅力的と言われれば確かにそうだろう。
厳しい雰囲気の人ではあるが、その外見からは想像できないほど優しい老人だった。
ただ彼は老人。
アーネもそういう意図で言ってるわけではないだろう。
「……恋物語などはわたしも好むところではあるのですが、いざ改めて自分に置き換えるとあまり実感が湧きません。殿方と婚姻を結び、子を成して……無論仰るとおり、それはごく自然なことではあるのでしょう。そこに女としての幸せがあると言われれば確かにそうであるのかも」
アーネはそこまで言って、嘆息する。
「とはいえ、そこに今以上の幸せがあるのかと言われれば疑問でもあります。わたしはこうして、女王陛下やセレネ様、クリシェ様にお仕えし、アルガン様の側で多くを学ぶ生活で十二分に満足をしていますから」
ベリーには何も言えなかった。
静かに聞いて、彼女の言葉を待つ。
「……多くの方が見合いとなり、強いられて結婚していることを考えると、自分が恵まれていることは自覚しているつもりなのです。……ギーテルンス家はわたしの兄が二人とも結婚して子供もいますので、お家のため、という理由では特に問題はないですし、お父様もそのように、家のことは考えなくても良いとも仰いました」
うーん、と困ったようにアーネは首を傾げた。
「お父様はそれでも今一度、これから先をどのように生きるかについてはよく考えなさい、と」
アーネは考え込み、ベリーもまたどうしたものかと考え込む。
ただ、分かることはあった。
「素敵なお父様ですね。アーネ様のことを一番に考えておられるのでしょう」
「……はい。でも多分、わたしが結婚して、孫の顔を見せるのを望んでおられるというのは確かなのでしょう。良い娘としてはそのようにするのが正しいことかとは思うのですが……」
アーネは顔を上げ、真っ直ぐにベリーを見た。
「とはいえ、どこかへ嫁ぐとなると今のように、わたしが生涯の目標とするアルガン様のお側で働くことは難しくなるでしょう」
「そ、そうですか……」
ベリーとしてはむず痒い言葉であったが、口を挟むほどに本題から遠ざかりそうな気がして諦めた。
気持ちは嬉しいが、アーネは時々直球に過ぎて反応に困るものがある。
「その上先日の事件、信用できる相手も限られる女王陛下のお立場を考えれば、では明日明後日にと代わりの人間も見つけるというのも難しい。……現状からすれば考えるまでもないことでもあるのですが」
「……なるほど」
彼女は彼女なりに、クリシュタンドとクレシェンタの事情を考えてくれているのだろう。
アーネは確かに少しばかり欠点はあるものの、思慮深い女性だった。
その思慮が時折深すぎ、悪い方に出てしまうことが多いだけで、ベリー自身は彼女のことを働き者で善良な、思いやりのある良い同僚であると見ている。
そんな彼女に対し、どうすれば良い、などと口を出せるほど自分は立派な人間でもない。
その上で告げるならば、どのようなものか。
ベリーは少し考えて、口を開く。
「……川のようなものだと思っているのです」
「川?」
「ええ。わたしたちはその川の上を漂う木の葉でしょうか。流れるまま、流されるまま、どこに辿り着くかも分からず漂い……足掻いても、悩んでも、いずれは海へと流れ着き」
巡り合わせ、運命などと姉は言った。
悩んでいても過ぎた景色に戻れはせず、何事も不可逆で、流れるまま。
「人生において、選べることなんて些細なものです。穏やかな流れに身を任せるか、激流に身を投じるか、それとも外れた支流を流れてみようか」
日常に、名誉に。
生き方は様々であっても、求めるものは同じだろう。
「それとも……側を流れた花びらに、この身を添わせてみようか、だなんて」
ベリーは苦笑して、幸せそうに眠るクリシェの鼻先をくすぐる。
彼女はむず痒そうに顔を歪め、ベリーは静かに肩を揺らす。
「結局、大事なのは見える景色が綺麗かどうかなのだとわたしは思います。誰もが流れるからと言って、その流れが正しいわけでもなく……わたしが随分なひねくれ者ですから、そのように思うだけかも知れませんけれど」
くすりと笑ってベリーは続ける。
「アーネ様が大事にすべきは、他人の事よりもまずご自身の幸せでしょう。わたしや女王陛下を気遣ってくださる気持ちはとても嬉しいものですし、ありがたいとは思います。ですが役目や立場に囚われて流されてしまうのは勿体ないことのようにも」
「……勿体ない」
「はい。折角の自由、惰性で進むよりは、進む先を選んで流れる方がずっと幸せなことです。仮にその先後悔したとて、自分で選んだ道ならば最低限の納得は出来るもの」
何かを選ぶ事で、世界が劇的に変わることなんてありはしない。
変わるとすれば、その見え方だけ。
そして、選ぶ事とはそのためにあるものだ。
「ギーテルンス侯爵が仰った、考えろ、とはそのようなことではないでしょうか」
ベリーはそう言って彼女を見た。
黒髪を後ろで束ね、飾り気なく。
けれどそんな姿が、やはり彼女の魅力だろう。
「どのような選択をなされても、きっとアーネ様のような方ならば幸せになれるとわたしは思います。自然と周りの人を笑顔にさせるような、アーネ様にはそういう雰囲気がありますから」
きっと生まれついてのものでしょう、と目を伏せ微笑む。
少なくともベリーにはないものだった。
「あると思っているしがらみなど見方を変えてみれば些細な事で、どうとでもなるものです。お気になさらず。アーネ様がご自身のため良いと思った選択ならば、どのようなものであれわたしもそれを応援します。お嬢さまも、クリシェ様もきっと」
そして顔を上げると、
「……ですからどうか、ご自身が望む選択をなさってくださ……あ、アーネ様……?」
真剣な顔で話を聞いていたアーネは、突如ポロポロと涙を流し始め。
ベリーは呆然と彼女を見つめた。
アーネは顔を覆い隠して首を振る。
「も、申し訳ありません。な、なにやら感動してしまって……アルガン様にも、そんなことを仰ってもらえるだなんて、わ、わたし……」
「そ、そんな大したことを言ったつもりでは……」
「お父様と言い、わたしはなんて幸せ者なのかと、改めて思うと何やら――」
そんな時である。
ノックもせず、優雅に扉を開いて入ってきたのは赤に煌めく金の髪。
「女王陛下のお帰りですわよアルガン様、お茶を……」
エルヴェナを伴い入室したクレシェンタは、言葉の途中で涙を流して顔を俯かせているアーネに目をやり、眉を顰めてベリーを見る。
「どうしましたの? とうとうアルガン様もアーネ様に耐えかねて、最後通牒でも突きつけたのかしら」
「ち、違います。クレシェンタ様、そういうことを言ってはいけませんよ」
「わたくしに向かって命令だなんて何様のつもりなのかしら。でも、今日は機嫌がいいから許してあげますわ。エルヴェナ様、お茶を淹れてくださる?」
「は、はい、女王陛下」
エルヴェナは泣いているアーネを気にしつつ、慌てたように机のティーポットを取り、新たな紅茶を淹れに行く。
「えと……何か喜ばしいことが?」
「エルヴェナ様ですわ、とっても気が利きますのよ。アルガン様のように無駄口も叩きませんし、ノーラの頃を思い出す快適さかしら。今後はわたくしの側仕えにエルヴェナ様を付けるべきだと思いますの」
「く、クレシェンタ様……」
なんというタイミングの悪さだろうか。
案の定びく、とアーネは体を強ばらせ、ベリーは慌ててフォローをしようとし。
「ふ、ぁ……駄目ですよ、クレシェンタ。アーネはクレシェンタの側って決まってるんですから」
部屋が騒がしくなって目が覚めたのか。
ベリーの腕の中にあったクリシェが眠たげに、欠伸をしながらクレシェンタに告げる。
「く、クリシェ様……っ」
アーネは涙を今なお残した瞳に感動を浮かべ、顔を上げ。
「うぅ……嫌ですわおねえさま。わたくし、アーネ様とエルヴェナ様を交換したいですわ」
クレシェンタの言葉に再び固まる。
「クレシェンタ、世の中には巡り合わせというものがあるのです。……クレシェンタの側にはアーネ、これもまた一つの巡り合わせというもの。ふぁ……クレシェンタはもっとアーネという使用人との巡り合わせに感謝すべきなのです……ね、ベリー」
「そ……、そうですね……」
何とも都合の良い巡り合わせの使い方である。
よじよじとベリーの膝の上で姿勢を変え、寝起きのキスをしてくるクリシェは眠たげで、至極どうでも良さそうであった。
ベリーは困ったように曖昧な笑みを浮かべる。
「クリシェ様……ありがとうございます……!」
「……?」
どうあれその言葉に感極まっているアーネを見るに、ベリーも何も言えなかった。
お礼を言われたクリシェは首を傾げつつ、ベリーに抱きつきながらクレシェンタに告げる。
「……わかりましたか? ほら、拗ねちゃ駄目です、こっちこっち」
「うー……」
不満げなクレシェンタを手招きし、抱きしめ頭を撫でつつ。
「アーネ、あなたはクレシェンタの側仕えですからね。今日はお休みさせてあげたんですから、明日からはもっと頑張るように」
「はいっ」
アーネはそんなクリシェの言葉に再び眼を拭い、決意に満ちた表情で顔を上げる。
そんな彼女を何とも言えない気持ちでベリーは見つめ、諦めたように嘆息した。





