クッキー
「も、もうここに……ベリー様、セレネ様のお部屋は終わりました」
「ありがとうございます、エルヴェナ様。ふふ、エルヴェナ様が来てからあれこれ先に済ませてしまうので、わたしもなんだかやることがないですね」
洗濯をしていたはずのベリーはどこかと捜して回り、彼女は既にキッチンで食事を作っているところであった。
見たところスープはもう既に完成しているらしい。
エルヴェナは硬直し、仕事内容を思い返して考え込む。
下着や寝巻き、洗濯物を二人で集めた後は、ベリーが洗濯を。
エルヴェナは部屋の掃除を担当という割り振りであった。
割り当てられた自室を掃除して、セレネの部屋を掃除して。
建前上クリシェの部屋――となっているベリーとクレシェンタ、三人の部屋へと掃除に行けば、既に掃除は終わっていた。
朝と比べてきっちり整えられたベッド――そこで生じたのは困惑である。
ベリーは洗濯をしているはず。
昨日は雨で干せなかったためにそれなりの量があるはずで、丁寧にやったとは言えエルヴェナが二部屋を掃除した時間で終わっているとは思えない。
しかし慌てて中庭に行けば既に洗濯物が紐に吊るされ干されていた。
洗濯物が帯びた水気はどう考えても、しばらく時間が経っている。
エルヴェナが二部屋目に取りかかる辺りで既に干されていたに違いない。
何が起きているのかと、ますますエルヴェナは困惑した。
ひとまず先ほど見掛けた玄関と勝手口を掃除しようとモップを手に取る。
昨日は夜まで雨が降っていて、入り口が少し汚れていたのだ。
――しかし、すでに汚れの痕跡はどこにも見当たらない。
先ほど中庭に出る前まではあったはず――だが、そこにあるのは磨き上げられた床である。
ベリーはどこに消えたのか。
慌てて庭に出ると翠虎――ぐるるんの所へ。
眠たげで満足そうなぐるるんは、建てられた専用の小屋でくつろいでいる。
どう見ても既に食事の後であった。
馬も干し草をもしゃもしゃと美味しそうに食べている。
ここまで来ればもはや、困惑ではなく背筋が凍る。
まだ昼にもなっていない。ふと外からキッチンを見れば、その窓からは湯気が上がっていることに気付き。
走ってキッチンに入ってみれば、既にスープが出来上がっていた。
「どうされました? エルヴェナ様」
「い、いえ……」
場合によれば、エルヴェナよりも年下に見えるだろう。
さらさらとした赤毛の髪。
頭の位置はエルヴェナよりも少し低く、大きな瞳は少女のそれ。
幼く見えて豊かな乳房とくびれた腰――その雰囲気と合わさって、どこか落ち着きのある淑女のようで、なんとも不思議な女性であった。
エプロンドレスに身を包み、小首を傾げる姿は大人びた色気があって、可憐でもあり。
――だが、見掛けに惑わされてはならない。
彼女はこう見えて、クリシェともそうは変わらぬ超人であった。
ここに来てからは基本的にクリシェの手伝い。
屋敷のことは片手間で、屋敷の仕事をまともにやり出したのはベリーが刺されてからのこと。
女王の世話と屋敷の手入れ――アーネと手分けをしてベリーの代わりと仕事に精を出していたのだが、違和感の始まりはそこであっただろう。
この屋敷はあまりに広いのである。
考えてみればエルヴェナがいつ帰ってきても、屋敷はほとんど完璧な状態。
大量の使用人を抱えたロランドの屋敷にいた頃と変わらない。
ましてベリーは女王の側付きとしてもよく仕事をしていたし、毎日を屋敷の管理だけに回せていたはずもない。
彼女もまた片手間のはずなのだった。
その上でクリシュタンドの帳簿管理を任されていたし、平然とクリシェやセレネの書類仕事を手伝ってもいた。
聞けばどんな数字でも間を置かずに出てくることを考えれば、その赤毛に包まれた頭脳にはクリシュタンドのほとんどが記録されているのだろう。
ガーゲインでは屋敷をただ一人で管理していたという、眉唾物のクリシェの話。
それが眉唾でなかった時点で、理解しておくべきであった。
彼女こそは使用人の中の使用人――ベリー=アルガン。
今のエルヴェナには、その影すら踏ませぬ相手である。
「……あ、あの、やっぱり何か?」
ベリーはほんの少し頬を赤らめ、エルヴェナの真剣な顔に戸惑ったように、体のあちこちに視線を向ける。
はっとエルヴェナが気付いて、首を振り。
「あ、ベリー様。頭に干し草が……」
「え? ああ、本当ですね。お恥ずかしいところを……」
干し草をつまむと頬に手を当て恥ずかしげに。
可憐であったが、その可憐さに見惚れることは出来なかった。
やはり馬とぐるるんに餌をやったのも彼女なのだろう。
クリシェやセレネが出かける前に餌をやったのではないかという、僅かな線はこれで消えた。
「その……改めてベリー様のお仕事振りを拝見すると、わたしなどはまだまだだと思い知らされます」
「えと……そんなことはありませんよ? エルヴェナ様は十分――」
「いえ、いえ。……仕事量を比べれば、ベリー様の三分の一……いえ、四分の一、五分の一にも満たない量でしょう。今までいかに自分が甘えていたかを思い知らされました」
心底情けないと言わんばかりにエルヴェナは嘆息し。
ベリーは困ったように苦笑しながら近づくと、その頭を優しく撫でた。
「わたしは勝手を知っておりますし、手の抜き方を覚えているだけですよ。掃除なども必要最低限でございますし、一つ一つに掛ける労力も随分と異なるでしょう。エルヴェナ様は少し一生懸命になりすぎていらっしゃいますから、もう少し肩の力をお抜きになった方がよろしいのではないでしょうか」
その視線は少し下。
けれど口元の微笑は柔らかで気品があり、女性的な魅力で溢れていた。
頭を撫でられても不快はなく、生じるのは安心感。
ただただ綺麗な人だった。
「必要なところに必要なことを。時間を取られることは並行して……理屈は単純です。肩の力を抜いて、もう少しお仕事にも慣れて、流れで全体を捉えることが出来るようになればきっと、エルヴェナ様ならすぐですよ」
「……はい。ありがとうございます。その……明日からしばらく、一緒に回らせてもらっても良いでしょうか?」
「ん……そうですね。少しの間一緒に回ってみましょうか」
ベリーは言って離れると、おたまを取ってスープを小皿に。
「味見、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい」
エルヴェナは微笑み頷き、小皿を受け取る。
鼻をくすぐるのは、溶け出した野菜の豊潤な香り。
具材はトロトロで、口を付ければ濃厚な旨味が舌を悦ばせた。
家事をしながらどうやって。
そう思ってしまうほど丁寧に作られた芸術的な一品である。
「……具材が溶け込んでて、今日のもすごく美味しいです」
「そうですか」
美味しいならば良かったです、とどこかほっとしたように彼女は微笑み。
エルヴェナは苦笑する。
これほどの料理が作れてまだ不安なのだろうか。
ロランドの屋敷で口にしたどんな料理よりも、彼女の料理は美味であった。
野菜一つ、肉一つ。
処理がどれも丁寧だからか、味付けの加減が絶妙だからか、その組み合わせか。
単純明快な焼き物一つを仕上げるだけでも芸術品。
こうした深みのあるスープなどは、何がどう美味しいのか、と聞かれてもエルヴェナの舌では説明に困るところがあった。
けれどそんな技術がありながらも満足せず。
恐らく、エルヴェナには分からない次元で物事を捉えているのではないだろうか。
「……もしかして朝には」
「ええ、と言っても下拵えして火に掛けていただけですが。洗濯物は石鹸を溶かした水に浸け置いて、それからですね」
エルヴェナはようやく、自分とベリーの差がどこにあるのかと理解した。
一つ一つ、直列的な作業ではなく、並列的に。
ベリーは全体を俯瞰し、面として仕事を処理しているのだろう。
根本的にものの見方が異なるのだ。
湯が沸く前に下拵えを済ませるように、料理だけではなく全てに対してそう考える。
「ほら、聞いてみれば些細なことでございましょう? 慣れればそれほど難しいことではありません。今日はどこまで進めるかの段取りを組んで、それに応じてスケジュールを組み立てて。洗濯物を干している間に掃除をするような、そういう些細なことの繰り返しですよ」
「……なるほど」
口にするほど簡単ではない言葉であったが、彼女が口にすればそれがとても簡単なことであるかのように響いた。
「ですから無理をなさらず。ちょっとした積み木遊びのようなものだと、気楽に捉えてください」
「……今のわたしには、ベリー様が童話の魔法使いのように見えてしまいます」
「またそんなことを仰って。ふふ、でもエルヴェナ様もすぐに魔法使いが単なる手品師であったと気付いてしまうことでしょう。わたしなんてまだまだですよ」
少し照れたようにしながら、たしなめるように悪戯っぽく笑い。
こういうところはどこかクリシェとよく似ていた。
二人曰く、これくらいは出来て当然。
きっと二人とも、自分に求める基準があまりに高すぎるのだろう。
自分が他人にどう思われているかにも気付かず、常に最高ばかりに目を向けて、だからどうしようもなく他人の評価に鈍感で。
褒め言葉を受け取れば、いつも二人は困った様子で曖昧に笑った。
この二人はきっと、互いのそんな部分に惹かれているのではなかろうか。
自分の能力を驕ってもよいくらいであるのに、どこまでも控え目で。
クリシェはベリーを、ベリーはクリシェを褒め称え――彼女らはきっと、生涯自分に満足することなんてないのだろう。
もはやその在り方は求道者で、考えてみればセレネもクレシェンタもそういう部分があり。
クリシュタンドとはそういう、求道者の集まりか何かなのだった。
うっすら感じていた超えられない壁が何かを理解して、エルヴェナはため息をつく。
壁が逃げていくのだからどうしようもない。
半ば諦めつつも、力強く微笑んだ。
「ではまず、手品師になることからはじめようと思います。これからもよろしくお願い致します、ベリー様」
「あ、あの……気楽に……」
「はい。なるべく早くその境地へ至れるよう頑張らねば」
超えられはせずともその後ろを。
そうしてついていくことはできるに違いなく、そうなればやはり努力あるのみ。
困ったような彼女を前に、彼女はただただ真面目であった。
昼には食事をしに全員が帰ってくる。
スープにパン、軽い昼食を終え、後片付け。
ひとまず今日も、いつも通り。料理も問題ない様子。
ほんの少しクリシェは元気がなく体調が優れないようで、それが少し心配だったが仕事に行くというなら止められなかった。
早めに切り上げると言っていたし、今日は肉は少なめ、食べやすく栄養のあるものにした方が良いだろうか。
昼からはエルヴェナと屋敷の仕事を片付け、部屋で帳簿を付けながらそんなことを考える。
「おかわりはいかがでしょう?」
「ありがとうございます。えと……少し休憩して頂いても結構ですよ?」
「いえ、今日はベリー様のお仕事を拝見させて頂こうかと」
エルヴェナは横で姿勢正しく。
整った顔立ちはキリッと油断なく、肩で丁寧に整えられた髪は艶やか。
一分の隙もなく、まさに使用人というべき姿であった。
ベリーは苦笑して頬を掻く。
アーネも真面目な働き者であったが、エルヴェナも同じく。ここのところは輪を掛けて真面目でこちらが恐縮してしまいそうだった。
そういう性格なのだろうが、しかしやはり頑張り過ぎなところがあって、どうしたものかと困ってしまう。
やる気に満ち溢れていること自体は素晴らしいこと。
しかし体調を崩してしまわないかと不安があったし、こうしてきらきらと尊敬の眼を向けられるのはなんともむず痒いものがあり。
注いでもらった紅茶を口にして、一息をついた。
味は分からなくとも、温かみと香りが多少の癒やしにはなる。
「エルヴェナ様もどうぞ、こちらに」
「えと……はい」
立ち上がると彼女用にティーカップを取って、机に置き。
そして紅茶を注いで座ってもらい、帳簿を閉じた。
少し気を紛らわせるための雑談でも――と思ったところだが、しかしそれこそベリーにとって一番の苦手分野であった。
「こ、ここでの生活には慣れてきましたか?」
「はい。何もかもが新しいことばかりで……最初は少し戸惑ったのですが。生活自体には随分と」
「そうですか。それは何より……」
会話が途切れ、視線を揺らす。
仕事のことや料理について、もしくは作法程度の挨拶はともかく、世間話というのは改めて考えると難しい。
用事や用件のない会話――果たして何を話せば良いのか。
天気の話が妥当だろうか。
――今日は晴れて良かったですね。
――そうですね。気持ちの良い天気です。
いや、それではいけない。話はそこで終わりだろう。
かと言ってエルヴェナの過去は明るいものではない。
まさか昔話を尋ねるわけには行かず、その辺りは禁句だろう。
今日の仕事は終わり。
なら明日の仕事の話を――いや、それでは更に気を張ってしまうのではなかろうか。
エルヴェナは不思議そうにベリーの顔をじっと見つめていた。
その顔を見てふと思いつき、頷く。
「か、カルア様にもその……ええとですね、今度、お礼を伝えておいて頂けると嬉しいです」
「ねえさんにですか……?」
「はい、あの、先日頂いたお見舞いの品の……」
二週間ほど前、カルアはクリシェを屋敷に送る途中で果実を見繕い、ベリーに見舞いの品として渡してくれていた。
そこからならば何か会話が広がるのではないか――ベリーはそう考える。
しかしエルヴェナはじっとベリーを見つめ、少し考え込むと微笑んだ。
「かしこまりました。伝えておきます」
「は、はい……ありがとうございます……」
ベリーの目論見とはうらはらに、再びの沈黙。
じーっとエルヴェナは紅茶に口づけながらベリーを眺め、ベリーは何かを探すように視線を左右に揺らし。
ベリーとしてはなんとも気まずい空気であった。
けれどそれも少しのこと。
空気を変えたのは零れるようなエルヴェナの笑い声だった。
「ふふ、こういうことを言うのは失礼だとは思うのですが……」
「あ……あの?」
「ベリー様はとても可愛らしいお人ですね。……申し訳ありません。少し、意地の悪いことを」
くすくすと楽しげにエルヴェナは笑い、ぽかんとしたベリーを見て、目尻の涙を拭う。
「無理に気を使って頂かなくても大丈夫ですよ。お気持ちはとても嬉しいのですが」
ようやくからかわれた事に気がつき、ベリーは頬を赤らめた。
するとますます楽しげに。
エルヴェナは微笑を浮かべてベリーを見つめ、ベリーは目を伏せ恥ずかしそうに口を開いた。
「す、すみません……こういう会話というのは少し苦手で」
「いえ。むしろわたしとしては安心が……ベリー様にも苦手なことがお有りなのですね」
「それはエルヴェナ様が買いかぶり過ぎなだけでございますよ。見せかけが上手なだけで、至らないところのほうが多いくらいです」
「ふふ、ベリー様のそれが見せかけならば、それにすら至らぬわたしはどうするべきかと」
「え、ええと……」
ベリーが返答に困ると、エルヴェナは笑みを濃くして笑いを零し。
再び、申し訳ありません、と苦笑する。
「ですが本当、ベリー様のそういうところはクリシェ様とよく似ていらっしゃいますね。お二人とも、控え目が過ぎると言いますか……」
「クリシェ様はともかくわたしは、その……」
「多分、同じことを尋ねればクリシェ様もベリー様と同じことを仰りそうですね」
「う……」
恥ずかしそうなベリーの顔というものは、なんとも見た目相応、乙女の如く。
普段の落ち着き方とは対照的な、そんな表情を冷静に観察しながら目を肥やす。
主従揃って、どこまでも悪戯心が掻き立てられる二人であった。
「お許しを。お二人を見ていると少し、羨ましいものがありまして」
「羨ましい、ですか?」
「はい、とてもお幸せそうに見えますから」
告げられた言葉にベリーはますます頬を赤らめた。
普段クリシェとどう付き合って過ごしているかなど隠しようがない。
彼女にも日常的に目撃されてはいたし、その感覚も多少麻痺していたが、改めて口に出されると何とも言えない恥ずかしさがあった。
「これはからかっているわけではなく、本心なのですが。恋愛感情がどうのこうの、という訳ではなく、そういう関係自体が素敵なものだと、その……」
自分で言いながら照れたようにエルヴェナは苦笑した。
「わたしも少し照れてしまうのですが、お二人のように満たされあう関係というのはとても羨ましいと言いますか、なんと言いますか。……ただ、この広い世界でこれだけぴったり合わさる相手と出会えたというのがとても、運命的なものだと感じるのです」
吟遊詩人にはなれそうにないですね、とエルヴェナは恥ずかしそうに言った。
話の流れとは言え、口に出すにはむず痒い文句であった。
しかしベリーは考え込んで、少し不安そうに顔を上げる。
「……そう、見えますか?」
「え、えと……まさか自信がないのですか?」
思ってもみなかった言葉にエルヴェナは困惑し。
ベリーは視線を揺らして、口を開いた。
「いえ、その……わたしは、もちろん、クリシェ様を愛しております。誰よりも」
断言である。
これまでの日常を見ていたエルヴェナに今更それを疑う所はなかったが、改めて口に出されると何とも言えない衝撃があった。
自分から振った話題でありながらエルヴェナは赤面し、目を泳がせ、いつぞやベリーについてクリシェに尋ねた時のことを思い出す。
「クリシェ様も、こんなわたしのことを愛してくださって……そのお気持ちを疑うところもありません。わたしはそんなクリシェ様に、一生を捧げようと誓っております」
「は、はい……」
あまりにも似た主従であった。
「でも、本当のわたしは……とても情けない人間で、こんなわたしが、その……クリシェ様にとって一番であって良いのかと思うところがあって、もしかしたらいつか、幻滅されてしまうのではないかと、少しだけ、不安で……」
エルヴェナは以前、同じような言葉を別の人間から聞いたことがある。
怖いくらいに純粋で。
そういうところが二人ともに、どこまでも似ているのだろう。
「そ、そのですね、ベリー様」
「……?」
「わたしは丁度――」
エルヴェナが言いかけた途中で、響いたのはノックの音。
立ち上がり掛けたエルヴェナを手で制し、ベリーは立ち上がると扉を開く。
「クリシェ様、お帰りなさいませ」
「ただいまです、ベリー。エルヴェナも……休憩ですか?」
「はい。少しお話を」
クリシェは顔を押しつけるようにベリーへ身を寄せて、ベリーはそんなクリシェを抱き。
エルヴェナは何を不安に思うことがあるのだろうかと少し呆れつつ、二人を眺めて新たなカップを取って紅茶を注ぐ。
そしてクリシェが袋を持っていることに気付いて首を傾げ、尋ねた。
「クリシェ様、その袋は?」
「えと……その、向こうでおやつとして作ったクッキーです。ネイガル達にあげようと作ったやつのあまりで……二人にもって」
「ふふ、ありがとうございます。エルヴェナ様、一緒に頂きましょうか」
ベリーは微笑み彼女を離し、その手を引こうとし。
それより先にクリシェは袋の中から一口サイズの小さなクッキーを取りだし、顔を上げずに身を寄せたまま、ベリーの口に。
「……ベリー」
ベリーはその様子に困惑しつつ。
「え、えと、はい……」
恥ずかしそうにエルヴェナを横目で見ながら、ひとまず諦めたようにベリーは口を開いた。
そうしてクッキーを口にすると、噛んで、飲み込み。
「今日のはすごくサクサクしたクッキーですね」
「……美味しい、ですか?」
「……? はい、とても――」
ベリーがそう言った瞬間、クリシェは体を硬直させて袋を落とした。
袋の中のクッキーが砕ける音が響き。
「……クリシェ、様?」
ベリーもまた、そんなクリシェの様子に固まった。
クリシェは後ずさるように、怯えるようにベリーを見つめる。
美麗なその顔は悲痛に歪むようで、紫の瞳は水面のように濡れて揺らぎ。
何度も首を横に振って、よろめくように。
彼女はただ、ベリーを見つめ。
「っ、クリシェ様!」
――そして、そのまま背を向け廊下へ消える。
咄嗟にベリーはそれを追いかけようとし、
「……ぁ」
しかしすぐに立ち止まり、その場へ膝をついて顔を覆った。
華奢な肩が震えて、揺れる。
「あ、あの……ベリー様……?」
何が起こったかも分からず。
エルヴェナは戸惑いつつも近づき、声に反応しないベリーを見つめた。
そしてふと、床に落ちたクッキーの袋を見て、手に取る。
そこから砕けたクッキーの一つを取りだし眺め、口に入れ。
「っ……」
思わずむせてしまいそうになって、口を押さえた。
そこに想像していた蜂蜜の甘さはほとんどなく。
それはただ、塩辛いだけのクッキーの味。
その瞬間、全てを理解して。
ただ呆然と、俯くベリーをただ見つめた。