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王国の女傑

翌日はクリシェも仕事であった。

放置していたジャレィア=ガシェアの様子見も当然ながら、しばらく参加できなかった会議へも出席する必要がある。

毎度毎度参加しているわけではもちろんなかったが、とはいえ今回は事が事。

建前上は顔を出しておいた方が良いとするクレシェンタやセレネ、エルーガの言葉にクリシェは素直に応じた。


無論、ベリーと過ごしたいのは山々であったが、彼女を助けるためとはいえ、クリシェは随分と勝手をした。

流石のクリシェも色々振り回したセレネやエルーガに対して申し訳ないという気持ちはあったし、帰ってきた当日、風呂に放り込まれたクリシェはそこで延々とセレネに説教も受けている。

彼女にも否応はない。


真面目に政務に参加する意思を見せるクリシェという、世にも珍しいものを見たクレシェンタは顔には出さないまでもご満悦。

その日の御前会議には内心大喜びでクリシェと共に現れた。


居並ぶ貴族達はシャツにスカート、外套を身につけたいつも通りのクリシェを見て、顔を見合わせながらも膝をついた。

王都上空を貫く光を見たもの、遠目であっても竜そのものを見たものは何人もいる。

十七人の貴族を証拠も残さず惨殺し、竜に挑んでは生還し、真名を許され。

彼女は女王の懐刀――疑う事なき化け物であるのだと理解すれば、身を強ばらせ、許しを乞うほか選択もない。


クレシェンタは血のようなカーペットを通って玉座に座り、クリシェはその隣に立つ。

女王は彼等の様子を見て満足していた。

単に貴族を暗殺しただけならばまだしも、今は竜と盟約を結んだクリシェ。

あの『飛び蜥蜴』はクレシェンタにとってはなはだ不愉快な生き物ではあったが、その威光自体は十分に利用が出来る。


「おはようございます、皆様。楽にしてくださって結構ですわ」


クレシェンタが声を掛けると膝をついていた彼等は立ち上がり、踵を揃えた。

いつになく儀礼通り、丁寧な所作であった。

クレシェンタは面倒という理由でその辺りの作法を簡略化させていたのだが、自主的に行なわれるならばこれはこれで悪くはないと頷いた。


「耳に入っていることだとは思いますけれど、事情あって姉上は王都を離れておりましたの。事情を伝えず、王都に無用な混乱を招いたことは申し訳なく思ってますわ」


申し訳なさなど感じているはずもないが、言うだけならタダ。

いつだって建前というのは重要なものだった。


「けれど姉上は知っての通り、聖霊ヤゲルナウス様に御名を許され、更には過去の戦から数百年――アルベランと断交状態にあったクレィシャラナとも友誼を結ばれお戻りになりましたわ。いずれ両国の関係もまた、華やかなものとなるでしょう」


ざわめきが広がる。

一様に彼等は驚きを浮かべた。


この場にある貴族であれば、クレィシャラナとの関係を知らぬものはいない。

戦勝国と言えるアルベラン側としては遥か過去の事――しかし山奥へと追いやられたクレィシャラナが抱く憎悪は今なお消えることなく、それ故不可侵を結んだ上での断交が続いていたのだ。

それが突如こうなれば、彼等が驚きを顔に浮かべるのも無理はない。


「アルベリネアとして。元々姉上は不穏な王国周辺の情勢から、懸念を覚えるクレィシャラナの動向を探るため単身アルビャーゲルに向かわれたのですが……その上で成したものを見ればまさに、それは英雄行というもの。王国としても誇らしいものだと思いますの」


クレィシャラナへの使者を兼ねた視察。

クレシェンタはこの一件を表向き、そのように処理することに決めた。

そのついでに竜との謁見を行ない、友誼を結んだという形である。

無論竜の姿と発言もあって、クリシェが竜に刃を向けたという事実は隠しきれないものだが所詮は噂。


真実などと言うものは言葉だけのまやかし。

民衆にとって真実なんてものはどうでも良いもので、確からしい言葉に流されて適当に信じたいものを信じるだけだ。

実際それを確かめる手段なんてものはないのだからそれ以上もなく、そして考える脳を持たない彼等は一番もっともらしい情報を真実と捉える。


剣を向けてきた相手を背中に乗せて王都に来ることに比べれば、謁見によって友誼を結んだとする方が彼等もずっと理解がしやすい。


「姉上は王国が武の象徴、アルベリネアであり、クレィシャラナは何よりも武を尊ぶ文化――数百年の隔たりはあれど、通じ合うものがきっとあったのでしょう。偶然彼等の宴に重なり、そこで姉上はその剣を披露し彼等と競い合ったのだとか」


たまたまクレィシャラナは宴の最中。

そこへひょっこり顔を出したクリシェであったが、険悪な関係にあるアルベランの者とはいえめでたき宴、個人としてならばと彼等から宴に招かれ、そこでその剣腕を披露。

まぁなんてお強い方でしょう、アルベランにもこのようなお方がいらっしゃるだなんて驚きです、などと仲良くなり、竜の前で剣舞を披露し――などという架空のお話が既に出来上がっており、クレシェンタはちらりとクリシェに水を向ける。


「えーと……はい、そうですね。剣……というか、槍と足のような気も……」

「ふふ、おねえさまったら。同じことですわ」


満足げにクレシェンタは頷く。


「その後聖霊ヤゲルナウス様の前で剣舞を披露し――その後は皆様が知っての通り。これで納得頂けると嬉しいですわ」


周囲を見渡す。

困惑は皆にあったが、少なくとも反抗を見せる様子はなかった。

反抗するような人間はクリシェが全員始末したのだから当然ではあるが。


「とはいえ、理由はどうあれ聖霊協約を考えると姉上の行動は手放しで称賛できるものとも言えないでしょう。その辺りを懸念される方もいらっしゃるはず。姉上も此度の騒動の責任を取りたいと仰り、此度の成果は王国に対し多大な貢献ではあれど賞罰を差し引き、恩賞はなく、それを此度の騒動に関する罰とすることになりました」


状況が状況ならばパレードを開いても良いくらいのものであったが、ここまで王国は乱れに乱れている。

クレシェンタは強権を振るっているし、粛正の後。

自粛し、形だけでも罰するのが妥当であった。


クレシェンタは絶対的権力を握ることを望んではいるが、しかしそれは単なる恐怖によっての掌握であってはならないと考える。

理想は全ての者が喜び望んで自分へ首を差し出したくなるような仕組みであった。

自分の言葉に心から従い、忠誠を捧げてひれ伏す世界。

求めるものはそういう形であって、それを整えるのは賞罰と規律。

そんな世界を作るためには少なくとも、きちんとそれらが働いていると、公平であると彼等に思わせなければならない。


独裁、恐怖政治による不公平さは敵意と叛意の温床となる。

彼等が女王の傀儡と見るクリシェをクレシェンタ自身が罰するというポーズは大切なもので、これを怠ればいずれ先日と同じことが繰り返されるだろう。

権力構造の不平等と、単なる不公平は似て非なるもの。

クレシェンタはそれを誤っては捉えない。


隣の姉はいつも通り。

悪いことをしたら罰は当然と、さも分かったような顔で立っていたが、クレシェンタはそんなお馬鹿そうな彼女を見て満足げに微笑む。

ひとまず様々な心配から解放され、こうしてクリシェが側にいる。

彼女にとってはそれで十分。


「わたくしからはひとまず以上。何もなければラーコス公爵、あなたから各種報告をお願いしますわ」

「は。女王陛下。では私の方から――」


その日のクレシェンタは非常にご機嫌であった。







屋敷の側――その厩の隣で大工達が忙しなく働いていた。

非常にてきぱきと動きながら杭を打ち込み、彼等が作っているのは厩にしては少し大きな小屋であり、そして彼等が時折ちらちらと視線を向けるのは屋敷の前で欠伸をする猛獣。

半ば野放しにされている翠虎であった。


クリシュタンドの屋敷として使われるその屋敷は元々ある程度柵で区切られてはいたが、彼等が作業するのは柵の内側。

そして、その柵の内側にある獣は単なる虎や獅子ではない。

その巨体は肩高で八尺。その顎は人の上半身を丸ごと食いちぎるだろう魔獣翠虎である。

そんな猛獣の側で仕事をする彼等は気が気ではなく、柵の拡張工事を含めて作業は非常に急ピッチで行なわれていた。


その前に立つのは金と銀、美しい少女が二人。

そして体格の良い巌のような顔の男と、ガイコツの如き邪貌の老人であった。


「えへへ、ぐるるんのにゃんにゃん仲間ですよ。こっちは二本足のにゃんにゃんです」


ぐるる、と唸る翠虎は頭を撫でられながら、眠たげにクリシェを見て、二本足のにゃんにゃんことコルキスを見る。

セレネとエルーガは初めて知った新たな被害者の存在に目を見合わせ、コルキスは何とも言えない顔で頬を掻いた。


「や、やっぱりその愛称はもう決まりなんですね……」

「……?」

「いや、いいです。もう諦めましょう」


コルキスは言葉通り、肩を落とし。

セレネはこの岩のような男を憐れむように、エルーガは愉快げ、邪悪に頬を吊り上げる。


「くく、それがよろしかろう。いかなる猛者もクリシェ様を前には形無しだ」

「……思うに、俺が一番割を食ってる気がするんですが」


ハゲワシ、ガイコツは極めて好意的解釈を行なえば、なんとか異名のように捉えられなくもない。

グランメルドはわんわん――コルキスと近しいものの、わんわんとにゃんにゃんでは明らかにこちらの方が響きが情けない。

何故俺が、と思わないでもなかったが、しかし相手は常識を越えるクリシェである。

仕方ないと思うほかなかった。


クレシェンタとの会議が終わり、これからは軍の会議。

その前にクリシェの連れ帰った翠虎を見せて欲しいとコルキスが言い出したことで、こうして四人集まっていた。

コルキスはため息をつきつつ、刺激しないように翠虎を前にしゃがみ、眺める。

クリシェに撫でられている翠虎はまるで、猫のように大人しかった。

その異様な体躯を抜きにすれば可愛げもある。


「竜の背中に乗って帰ったかと思えば、こんな翠虎まで手懐けちまって……全く、なんというか。俺もこれまで三頭ほど狩りましたが、手懐けられるような獣には見えませんでしたがね」

「ん……大きな鹿が食べきれなかったので試しに餌付けしてみたのですが、結構簡単に……この子は結構大人しいですよ?」

「大人しい……もう少し近づいても大丈夫でしょうか?」

「はい。さっきご飯もエルヴェナがあげたところですし」

「はぁ……かわいそう」


セレネは思いだしてため息をつく。

先ほど帰ってきたとき丁度エルヴェナの餌やりを見ていたのだが、彼女は怯えてほとんど泣きそうであった。

腰が引けた体勢で、肉の塊を恐る恐ると、


『ぐ、ぐるるん様、ご、ご飯ですよー? わ……わたしじゃないですからね……?』


などと言いながらこの翠虎の前に置き。

笑みを浮かべる頬は引きつり、翠虎が肉に飛びついたときには驚きのあまり尻餅をついていた。

あまりの様子にセレネも心配になって、世話はクリシェにさせようと提案したものだが、


『い、いえっ。これからここで飼うことになる子ですし、く、クリシェ様の使用人として、今は療養してらっしゃるベリー様のことを思えば、このようなことで音を上げるわけには……』


エルヴェナは実に健気であった。

身を震わせながらもきゅっと手を握り、決意に満ちた眼差し。

健気過ぎてかわいそうなほどである。彼女もまたクリシェの被害者であった。


「おぉ……確かに大人しい。しかしこうして見ると可愛らしく見えますね。森の中で見た時とは随分印象が違うものだ」


コルキスは子供のような笑みを浮かべて頷く。


「にゃんにゃんは動物好きなんですか?」

「ん、ああ……見てくれには似合わないでしょうが、動物は好きな方です。家では犬を何頭か飼っていますし。妻の趣味というのもありますが」

「犬。えへへ、クリシェも犬というか、わんちゃんごっこは――むぐ」

「……お馬鹿なことを口走るのはやめてちょうだい」


咄嗟にセレネがクリシェの口を押さえてため息をつく。

コルキスとエルーガは首を傾げ、セレネは気にしないでちょうだいと首を振り。


「あ、ベリーっ」


二階のバルコニーからベリーが現れたのはそんな時だった。

エプロンドレスではなく、珍しいワンピース姿。

肩から毛布を掛けながら、エルヴェナに支えられて顔を出す。


「上から失礼します、アーグランド様、ファレン様。おはようございます」

「おお、ベリー。元気そうで良かった。調子はどうだ」

「はい、おかげさまで」


コルキスが笑みを浮かべ、ベリーも微笑み丁寧に頭を下げる。

クリシェはぴょんと飛び跳ねると、バルコニーへ上がり、ベリーの腕を取って頬を擦りつけた。

セレネが両手を腰に当て、呆れたようにベリーを睨む。


「ベリー、あなたね……」

「ふふ、ご心配なさらず。ちょっとくらい大丈夫ですよ」


くすりと笑いクリシェの頭を撫でるが、セレネは溜息をつき目頭を押さえる。


「あなたの場合、そんなことを言って明日には普通に働いてそうだから怖いの。言っておくけれど、糸が抜けるまでは働いちゃ駄目よ。竜の血がどれほどのものかは知らないけれど、お腹の傷はちゃんと塞がってないんだから」

「はい、肝に銘じます」


分かっているのかいないのか。

少女のように、楽しげに笑みを零して翠虎を見る。


「楽しげな声が聞こえてきたので、ちょっと気になって。ほら、閉じ籠もってばかりいるのも体には良くないでしょう? 折角こんなに良いお天気なのに」

「えへへ、ベリーもぐるるん近くで見ますか?」

「はい。……よろしいでしょうか、お嬢さま?」

「……仕方ないわね、もう」




クリシェとエルヴェナに支えられ、ベリーは病人扱いに少し困ったように。

大丈夫ですよ、と苦笑しながら庭に出て、翠虎の前に出る。


「まぁ……ぶるるんも随分大きな子でしたけれど、この子はもっとですね。近くで見ると大違いです」

「はい。えへへ、すっごくおっきなにゃんにゃんです。翠虎って言うそうですよ。魔力を扱うので、走るのはクリシェより速いです」

「クリシェ様より……」


驚いたようにしながらも、スカートを膝の後ろで折りたたみ、しゃがみ込む。


「ほら、ぐるるん、こっちですよー」


それから猫を呼ぶようにちょいちょいと手招きした。

ぐるるんはちらと隣のクリシェを見て、欠伸をしながら立ち上がると、ゆっくりとベリーに迫る。

小柄なベリーがそうしてしゃがめば、翠虎の大きな口は丁度その頭の位置である。

何の気なしに口を開けて閉じれば、ベリーの上半身はすぐに翠虎の胃袋に収まるだろう。

エルヴェナは顔を青くして一歩身を引いた。


しかし翠虎はベリーの頭に顔を寄せ、匂いを嗅ぐように。

ベリーの体のあちこちをそうして探ると、しばらく彼女を見つめ、身を伏せた。

ゆっくりとベリーがその頭に手を伸ばすと、欠伸をしながら目を閉じ、素直に頭を撫でられる。


「ふふ、大きいですけれど、本当に猫みたいですね。可愛いです」

「はい、素直な良い子です」


エルヴェナにあったのは驚愕である。

ショックを受けているらしい彼女を不憫そうに見ながら、セレネは呆れたようにベリーを見る。

猛者が恐れる猛獣を相手に無警戒――ベリーはいつも通りであった。


「あ、でも毛並みに逆らって撫でたら駄目ですよ。結構ちくちくしますから」

「本当ですね。手入れするときは固めの櫛が良いでしょうか……」


クリシェも横に並んでしゃがみ、適当にぐるるんを撫で始める。

そうして並ぶと姉妹のようで、赤毛の彼女はどこからどう見ても少女であった。

エプロンドレスに身を包めば多少大人びた彼女の雰囲気も、ワンピースに着替えると見掛け通り。

初めて会ってから十数年、変わらぬ美しい少女の――女性の姿にエルヴェナを除いた三人は半ば呆れるようで、コルキスは頬を掻いてぐるるんに近づく。


「しかし、ベリー、お前は怖いもの知らずだな。初めて見た翠虎を可愛いという女は世界を見渡してもお前とクリシェ様くらいだろう。流石に俺でもそこまで大胆には触れんぞ」


言いながらコルキスは恐る恐る手を伸ばし、ぐるるんの背中を撫でる。

生きた翠虎の背中を撫でるのはコルキスとしても初めての経験で、おお、と感動したように声を上げる。

ベリーは唇に指先を押し当て、首を傾ける。


「……そうでしょうか? でも、その気になれば犬や馬だって人を殺せるもの。あるのは気性が荒いか大人しいか、懐いているかの違いくらいで、きっと些細なものですよ」


聞いていたエルヴェナは彼女の後ろで驚いたように目を見開いた。


「もちろん、アーグランド様のように翠虎と槍を交えていれば、印象はまた異なったものになっていたのかも知れませんけれど……犬に噛まれたからと言って、犬全てがそうではなく、多くの内の一匹がそうであったというだけ。要は捉え方だと思うのです」


指を立ててベリーは微笑む。

コルキスはますます呆れて両手を上げた。


「敵わんな。つくづく使用人にしておくのが勿体ない娘だ。その弁を活かしておけば今頃、宮廷で名を知らぬもの無しという女傑になっていただろうに」

「ふふ、嬉しいお言葉ですけれど、買いかぶりでございますよ。わたしは今の立場が分相応、使用人として働くだけで精一杯ですから」

「そーですよにゃんにゃん。使用人のお仕事はとっても大変なのです。剣や槍みたいに簡単じゃないんですから」

「……剣や槍が簡単だって思ってるのはあなたくらいよ」

「ぅにっ」


セレネはクリシェの頬をつまみ、エルーガは楽しげに笑う。


「くく、いやまぁしかし、ベリー君も今や王国一の大貴族、クリシュタンドと女王陛下を影で支える使用人だ。そこに華々しさはなくとも、見方によれば王国一と言える影の貢献者――もはや王国の屋台骨と言っても差し支えあるまい」

「……もう、ファレン様もお許しください。そのように言われてしまうと恥ずかしさで顔も上げられなくなってしまいます」


ベリーは顔を真っ赤にしては目を潤ませ。

その頬を両手で押さえる様はどこまでも可憐であった。


エルーガは更に楽しげに、セレネは何とも言えない目で彼女を見つめる。

自身とは倍ほど歳が違うはずだが、彼女はセレネと比べものにならないほどに可憐に見えた。

年齢詐称もいいところ――生涯自分がこういう部分で敵うことはないのだろうと諦めつつ、その額を指で弾く。


「いたっ、な、何をなさるんですか、お嬢さま」

「……なんとなく。もう、馬鹿な事を言ってないで、そろそろ行くわよ。ほらクリシェも離れなさい」

「あ……、むぅ……」


セレネはクリシェの腰を掴んで持ち上げ、ベリーの側から引きはがす。

クリシェは唇を尖らせつつも抵抗はせず、ベリーに微笑んだ。


「じゃあベリー、クリシェ行ってきますね」

「ええ、行ってらっしゃいませ」

「エルヴェナ、お料理は出来上がってますから、お昼になったらベリーの所に」

「はい、かしこまりました」

「えへへ、早く治るようにいっぱい具材を溶かしてみましたっ。早く元気になって、一緒にお料理しましょうね」

「え、と……」


ベリーは一瞬視線を泳がせ、すぐに微笑み頷いた。


「……はい、もちろんです」

「……?」


クリシェは首を傾げ、ベリーは首を振って立ち上がり、その額にキスを落とす。


「行ってらっしゃいませ、クリシェ様」

「はいっ、行ってきます」


クリシェはセレネに腕を絡ませると、そのまま手を振り歩き出し。

ベリーは手を振りそれを見送ると、静かに目を伏せて。


「べ、ベリー様!」


そんなベリーの手を両手で掴んだのはエルヴェナだった。

驚いたベリーは身を仰け反らせ、顔を寄せてくるエルヴェナに困惑しながら首を傾げた。


「ど、どうされました、エルヴェナ様……?」

「いえ、その……、さ、先ほどのお言葉に感銘を受けました! わたしはこのぐるるん様を恐れてばかりで……内心では怯えながら、その、嫌々お世話をしていたのですが……心得違いでした。これではクリシュタンドの使用人としては失格でしょう、申し訳ありません」


エルヴェナは心底申し訳なさそうに頭を下げて、ベリーはきょとんとそれを見つめる。


「は、はぁ……その、そこまで気に病むことも。苦手なものは誰にでもあるものですし、仕方のない――」

「いえ。ベリー様が動けない代わり分、わたしが頑張らねば。今までは流されるまま、与えられた境遇に身を委ねて過ごしてきましたが……しかしきっと、これは巡り合わせなのでしょう。……今後は精一杯、ベリー様を補佐させて頂きます」


その黒髪の下には、尊敬に満ちたきらきらとした瞳であった。

頭も良く、真面目で努力家、性格も良く穏やかで――ベリーはエルヴェナに対して不満などなく、むしろ頑張りすぎくらいに思っていたのだが、このような目を向けられるとなんとも答えづらい。


「あ、ありがとうございます……ですが、今でも十分なくらいエルヴェナ様は頑張っておられます。あまり気を張らずに……」

「はいっ。これからもご指導ご鞭撻の程、お願い致します」


ベリーはむず痒い気持ちで頬を掻き、エルヴェナは目指すべきものを見いだし――







「――アーネ様、気遣いはわかりますけれど、いくらなんでも蜂蜜を入れすぎですわ」

「は、はいっ、申し訳ありません女王陛下。すぐに――」

「もういいですわよ、もう……どうしてアーネ様はいつもそう極端なのかしら」


後日アーネはライバルの覚醒に一人衝撃を受けることとなった。

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  2024年11月20日、第二巻発売決定! 
表紙絵
― 新着の感想 ―
味覚か?
「考えてみたら、クリシェ様にとっては虎も大きい猫扱い。逆に言えば、にゃんにゃんは虎の鳴き声と言っても良いのでは!?」 と、コルキスはクリシェのにゃんにゃん呼びに対して何とか納得できる理由を探していたり…
[一言] コルキスがそう自覚してるかはともかくとして、考えてみれば翠虎はコルキスが息子を失うことになった原因の一端にはなったものなんですよね
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