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血の王都

医者が立ち上がり、クレシェンタとセレネを見た。


「……ひとまずこれ以上は。女王陛下の対処も良く、できる限りのことはいたしましたが……今夜を越えられるかどうかは神の導きとしか」

「ありがとう。行っていいわ」

「は。では私はこれで」


ベッドに身を横たえるのは赤毛の使用人。

意識はなく、ただ眠りについていた。

その側でクリシェはただ彼女の顔を眺めていた。


医者が立ち上がり出て行くのをアーネとエルヴェナが見送り、クレシェンタは表情のない姉の顔を見つめた。


「あの、おねえさま……」


クリシェはここに来て一言も発することなく。

ただ眠るベリーの頬を撫でていた。


「女は捕らえていますわ。何も知らないようですけれど、すぐにわたくしがこのような真似をした者を探し出して捕まえてきます。だから、その……」


クレシェンタは怯えたような顔だった。

他の誰でもない。刺されたのはベリーである。

姉がどのような行動に出るかは彼女にも分かりかねた。


ナイフには一夜の雫と呼ばれる致死性の毒。

それなりに知られている毒物で、クレシェンタは解毒薬も所持していた。

駆け付けたクレシェンタが症状からすぐに判断し、応急処置を施したが、毒というのはだから大丈夫、と安心出来るものではない。

むしろ、このままベリーが死ぬ可能性の方が高いだろう。


そもそもがクレシェンタを狙ったもので、ある意味原因は自分にある。

だからこそ、クレシェンタは姉が怖かった。


クリシェの紫色が、ちらりとクレシェンタに向けられる。

クレシェンタの体が強ばった。


「大丈夫ですよクレシェンタ。ベリーは死にませんから」


クリシェは怯えるクレシェンタに言って、その頭を撫で。

困惑を浮かべるクレシェンタを気にした様子もなく、クリシェはベリーに手を向ける。


その瞬間――青白い魔力が彼女の手から迸った。


セレネが目を見開き、クレシェンタは眉を顰める。


クリシェの手から生じたのは魔力が織りなす幾何学的な紋様だった。

魔水晶に刻まれる術式と似たもので、大きな違いはその異様なまでの密度。

そしてそれが宙空に描かれるということだけだろう。


青白く発光する線と線が弧と鋭角を描き、交差し、結ばれ。

描かれる紋様は加速度的に肥大し、部屋を埋め尽くしていく。


セレネやアーネ達には何が起きているのかも分からず、クレシェンタだけが姉の作り出すその紋様――それが意味するものを理解した。


部屋を覆った魔力は収束し、そしてベッドを包み込む青灰色――半透明な球体をその場に作り上げる。


「クリシェ、何を――」


驚きを隠しきれないセレネが尋ねるより先に、ふらついたクリシェがその場に崩れ落ちた。

咄嗟にクレシェンタはそれを支える。


「……空中に術式を描きましたの。自分の魔力に術式を刻んで……原理は魔水晶と同じですわ」


吐き気がするのか口元を押さえ、クリシェは眉間に皺を寄せて体を震わせる。

いつもと比べてあまりに弱々しく思えるのは、体の魔力を吐き出しきったからだろう。

今の一瞬に放出された魔力は肉体拡張とは比べものにならないほど膨大であった。


停止、停滞、不動、維持――クレシェンタが読み取れた式はその程度。

ただ、球体に包まれたベリーを見れば、何が起きたのかは理解が出来た。


先ほどまで行なわれていた呼吸はない。

ベリーの胸は上下もしておらず、まるで死んでいるかのように思えた。

しかし違う。

その内側では宙を舞う小さな埃ですらが止まっていた。

まるで、ではなく、文字通り時間が止まっているのだ。


「おねえさまは多分……時間を止めましたの」

「……時間?」


セレネが近づき球体に手を伸ばす。

そこにあるのは硬質な――ガラスのように滑らかな感触があった。

まるで見えない壁があるような、そんな得体の知れない感覚。


「クレシェンタ」


クレシェンタに弱々しい力でクリシェが抱きついてくる。

魔力がなければクリシェは見た目通りの少女でしかない。


「……ちょっとだけ」

「……? あ……」


接触した部分から、魔力の吸い上げられる妙な感覚。

クレシェンタは抵抗せず、されるがままにした。


すぐにそれは終わり、クリシェは深い息をついて身を起こす。


「その部分だけ切り取って、違う空間を作ってるんです。これで、ベリーは死にません」

「違う空間……」

「あんまり詳しく説明すると長いのですが」


クリシェは言って、エルヴェナに目をやる。


「この間になんとかします。エルヴェナ、手伝ってください」

「手伝い……ですか? 何をすれば――」

「書庫で調べ物です。とりあえず、やれそうなことをやります。アーネは夕食を作っておいてください」

「は、はい……わかりました」


アーネは困惑しながらも姿勢を正して頷いた。

誰より取り乱すのではないかと考えていたクリシェの言葉はしかしあまりにも明瞭で、混乱していたアーネもその力強い言葉に持ち直す。


「セレネ達は普段通りでいいです。クリシェが全部しますから気にしないでください」

「……そう言われてもね。何か手伝えることはないの?」

「ん……しばらくじゃらがしゃと、クリシェの軍のことはお願いします」


そう言って足早に、クリシェは部屋を出て行った。

すぐにエルヴェナが小走りに後を追い、それを見送ったセレネとクレシェンタは眠るベリーを見た。


「……やれそうなことをやる、って言っても」

「おねえさまの気が済むまで任せるしかないですわ」


クレシェンタは椅子に腰掛け、深く息をつく。

そしてその球体に目を向け、目を細めた。


「それが可能なことなら、おねえさまは必ずやってみせるでしょう。むしろ、やってもらわないとこの先どうなるかわかりませんもの」

「……そう、ね」

「アルガン様は自分の体が王国にとってどれだけ大切なものかわかっているのかしら。どうあれ、刺されるだなんて短慮としか思えませんわ」


眠るベリーを睨みながら言って、クレシェンタは立ち上がる。


「セレネ様はおねえさまの言うとおりに。わたくしも少しやることがあるので失礼しますわ」

「ん、わかったわ。気を付けてちょうだい」

「……誰に言ってますの」


クレシェンタは唇を尖らせ、部屋を出て行く。

護衛のキリク達は屋敷の外に待たせてあるが、慌てたようにアーネが見送りのためそれに続いた。


一人残ったセレネはベッドサイドの椅子に腰掛け、顔を覆って嘆息する。


「……あなたがこんな風になって、一番取り乱してるのはわたしかしら。……情けないわね、ベリー」


そして、目に滲む涙を堪えるように、両の掌を瞼の上から押しつけた。











王城地下――ここには王族など、表に出せない罪人を捕らえるための牢がある。

久しく使われていなかったが、現在ここに例の女は繋がれていた。


「ダグリス、手を出してないかしら?」

「ええ、女王陛下」


ロランドの元密偵――ダグリスは現在、女王の目であり、手足である。

王宮で昔から使われていた裏の人間は基本的に色々なしがらみがあって面倒が多い。

クレシェンタが個人的な用事を頼むのは基本的にクリシェに忠誠を誓ったらしいこの男で、欲がなく密偵としての能力にも不足ないダグリスにクレシェンタは満足していた。


「じょ、女王陛下、お許しを、お、お許しを……」


椅子に縛りつけられた女はクレシェンタの姿に震え、クレシェンタは微笑を浮かべた。


「よくもまぁ、何よりいっちばん面倒なことをしてくれましたわね。わたくしは結構温厚な方ですけれど、今回は結構怒っていますわ」

「ひ……っ」

「どういう風に痛めつけて殺してやろうかと考えましたけれど、やっぱり下品なのは趣味じゃありませんし、今回はシンプルに行こうと思いますの」


女の顔立ちは比較的整っている。

拷問を命じられれば悦ぶ変態も多いだろうが、クレシェンタの趣味ではない。

人を使えば使うほどに面倒も増えることを考えれば内々で済ますのが一番だった。


どうしてこの女が自分を殺そうとしたか――思い当たる理由はありすぎたし、特にそのことに興味もない。

拷問したところで大した情報を吐き出すことはないだろう。


使われたのは一夜の雫、広く知られるこの毒物は出回りすぎて、入手経路の特定は困難――恐らくそれを狙って使用されたもの。

彼女は王領の使用人で、日常的に接する貴族の数は膨大だった。

何枚とクッションを重ねた向こうの犯人をこの女の証言から特定出来るとは思えない。


要するに、これは無意味な拷問だった。

クレシェンタにとっては比較的珍しい行動であったと言える。

殺してしまえばそれで終わり――特に自分の手で、などと無意味なことにこだわることもないのだが、今回に限ってはそれでは溜飲が収まらない。

少なくともこの女は、一番やってはいけないことをやったのだった。


女の両手は台の上に広げられて置かれている。

クレシェンタはダグリスの用意していた道具の中から金槌を手に取ると、女に微笑む。


そしておもむろに、その指目掛けて金槌を叩きつけた。


指先が爪と骨ごと砕かれて、うるさいくらいの悲鳴が上がる。

牢の中を反響する音にクレシェンタが眉を顰めると、女は何でもお話ししますからどうか、とクレシェンタに許しを乞うた。

クレシェンタは笑顔を浮かべつつ猿ぐつわを噛ませる。


「安心なさって。あなたの口から出る情報に興味はありませんの。どうせ大して知っているわけではないでしょうし、聞いても無意味ですもの。わたくしがすっきりして飽きるまで痛い思いをして、そうして死ぬのがあなたの役目ですわ」

「っ――!?」


クレシェンタには何の躊躇もない。

猿ぐつわを噛ませると、マッサージでもしてやる程度の自然さで、金槌を振り下ろして指を砕く。

他人を痛めつけることに良心が痛むような、真っ当な神経を持ち合わせてはいなかった。


「アーカサコス公爵かしら。それにしても少し杜撰ですわ」

「……確かに、少し妙ではありますね。殺してくれとでも言っているようなものだ。脅しに効果がなかった、とも考えられますが」


指を砕きながら自然に口を開いたクレシェンタに、ダグリスは応じる。

虫も殺さぬような愛らしい姫君がその実異常者であることなど、既に承知の上。

シンプル、と言っていたように、指を潰す拷問も長年の経験で見慣れたもので、ダグリスは特に気にもしなかった。

人を痛めつけながら食事を取れる程度にはダグリスも狂っている。


「やり方が甘かったのかしら。やっぱり早めに殺しておいた方が良かったかも知れませんわね。よりにもよってアルガン様が、だなんて」


左手の指先を潰し終えると、そのまま右手へ。

小気味良い音を響かせながら嘆息する。


「おねえさまがもしあなたのところに行くなら、可能な限り協力を。後のことはともかく最優先でいいですわ。逆らったら殺されますもの多分。おねえさまは今、大激怒ですわ」

「逆らうなんて。……あの方の恐ろしさは身をもって理解してますよ」


ダグリスはキールザランの路地で出会った彼女の姿を思い出して告げる。

クリシェを敵に回すのは単なる自殺であった。そしてダグリスに自殺願望はない。


「ある意味では、仕事は随分とやりやすくなりそうですね。問答無用だ」

「わたくしとしてはこれまでの努力が無駄になってしまいそうで少し残念ですわ」


指先を桜色の唇に押し当てて、困ったような顔をする。

そして、右手の最後の指を無造作に叩き潰した。


「わたくしはどちらかと言えば、善良で民に優しい立派な名君というイメージの方が好みですの。その方が、民衆が進んで命を投げ出してくれそうでしょう?」

「まぁ、否定はできませんな。権力掌握という観点で見れば、恐怖で縛りつけるやり方も悪くはないと思いますが」

「そういうやり方は敵を作りますわ。グラバレイネを知っているかしら?」

「詳しくはありませんが……最期は毒殺されたのでしたか」


クレシェンタは頷き、しゃがみ込む。

両手が終われば両足だった。

靴を脱がして裸足にすると、再び金槌を振り下ろす。

指がひしゃげた。


「無敵の大国を作り上げた女王も、最期はそんなもの。わたくしは同じ目に遭いたくはありませんもの。だからわたくしは同じ轍を踏まないように気を付けようと思ってますの。もちろん、そのやり方が楽なことは確かですけれど」


ぺきぺきぺきとリズミカルに指を潰して、唇を尖らせた。


「この女の顔を叩き潰して四肢を切り落として、出来上がったものを生家に送りつけてやっても良いのですけれど、それでは余計な恨みを買うだけでしょう? しばらくの間はわたくしを恐れてそれで従うのかも知れませんけれど、そういう憎悪は年月が解消するものではありませんもの。それならば拷問中の事故で死んでしまったということにした方が後に禍根を残しませんわ。女王の命を狙った者が拷問を受け、それで死ぬのは仕方の無いことですもの」


クレシェンタは両足の指を叩き潰すと、また手に戻る。

次に手にしたのは大きく無骨なハサミであった。

痛みと恐怖で気を失いかけていた女が再び抵抗を強めた。


「なるべく罰を与えるにしろ、そういう風に仕方の無いこと、でわたくしは済ませたいのですわ。まぁこの際、貴族に関してはもうどうでもいいのですけれど」


刃の隙間に指を挟んで、躊躇なく持ち手に力を込めた。

猿ぐつわをしていても、悲鳴が部屋を満たして響く。


「問題は民衆の感情、でしょうか」

「そうですわね」


クレシェンタは何か良い案があるかしら、とダグリスに視線を向ける。

ダグリスは少し考え込んで、口を開いた。


「女王陛下の不名誉、という形を避けるのであれば、やはり身代わりは必要でしょう」

「やっぱりそうなるかしら」


不満そうにクレシェンタは唇を尖らせる。

ハサミで人間の指を切り落としながら、そうする姿だけは子供のようだった。


「まぁ、何が起こるかによりますが」

「アルガン様はおねえさまの歯止めですもの。決まってますわ」


クレシェンタは呆れたように言った。


「あなた方から言わせれば、おねえさまは元々わたくしとおんなじ病気ですの」


自分の頭を指で示しながら。











数日の間、クリシェはエルヴェナと共に王城の書庫へ閉じ籠もっていた。

彼女の前に積み重なった本、それを手早く片付けて、新しい本を持ってくる。

クリシェは読んでいるのかいないのか、ただページを捲っているかのような速度で本を消化する。

書庫にある司書も総動員で、ただ彼女のために動いていた。


万を超える蔵書の中から適当なものを読み終えるまでは慌ただしい時間が続き、それを終えるとクリシェはエルヴェナの淹れた紅茶を飲み、腕を組んだ。

エルヴェナからすれば意外なほど、クリシェは落ち着いているように見える。

ベリーに甘える普段の姿を考えれば不自然に感じるほどで、エルヴェナが休むよう、食事を取るようにお願いすれば、特に抵抗することもなく素直に応じた。


「秘薬や万能薬と表現され、記述があるものは3875個。内同一のものと考えられるものを除外すれば37個です。この内、単なる薬の範疇を出ないだろうものが23個、実在が疑わしいと思われるものが12個。試して良いと思えるのは2個ですね」


思ったよりも少ないです、とクリシェは言った。

司書達は彼女の異常な言葉に困惑を覚えたが、エルヴェナは今更驚きもしなかった。

彼女の知性は通常の人間と比べられる次元のものではない。


「……2個」

「一つは材料を探すのに手間取りそうですから、後に回しましょう。まずはもう一つの方……こっちはすぐに行けそうですね。場所も分かっていますし」

「……それは」


けれどそんなエルヴェナも、その言葉には目を見開く。

クリシェの言う2個の内、それが何を意味しているかを理解して。


「クリシェ様、それは――」

「試す価値があるならやるだけです」


聞いたことがないほどに冷たい声だった。

異論を許さないものがあって、エルヴェナはようやくそこで、彼女が平静を装っているだけなのだと言うことに気がついた。


「セレネが聞いたら駄目って言いそうですから、クリシェが出るまで黙っておいてください」

「……はい」


クリシェは困ったように、エルヴェナの頬を撫でた。


「クリシェ、エルヴェナを怒りたくないですし、セレネとも喧嘩したくないですから、ちゃんと約束ですよ?」

「……かしこまりました。クリシェ様のお心のままに」

「帰ってくるまではアーネと分担して、クレシェンタの世話や屋敷のことをお願いしますね」


言ってクリシェは背を向けた。


「クリシェ様は……今から出るのですか?」


もう、日も落ちた夜であった。

月明かりも雲に隠れた暗闇が窓の外には広がっている。


「ん……ちょっと用事がありますから、王都を出るのはそれを済ませてからですね。夜の方が都合がいいですし」






女は使用人を傷つけて終わり。

成功してもらっては困るのだから、上々と言えるのだろう。


「さて、失敗は予定通り――後は女王がどう動くかだな」


ファーレ=アーカサコスはソファに腰を降ろし、ワインを傾けながら告げる。

落ち着かなさそうなナルケス伯爵は呆れたようにファーレを見た。


「よくもまぁ、そう落ち着いておられますな」

「結局、なるようになるだけだ。期待しようが不安になろうが、伏せられた札が変わるわけではない。捲ってみてから後のことは考えればいい。そうだろう?」

「……あなたは不本意かも知れませんが、そういうところはお父上に似ておられますな。わたしはそうはなれません」


ナルケスは一層老け込んだ様子で、ワインを呷りため息をつく。


「そう腐るな。お前のようなものは側に必要だ。客観的に物事を見られる人間というのは大切にしたい。……父上にはそういう存在がなかったから、老いと共に矜持ばかりが膨れあがった」


ファーレは言ってワインを流し込み、舌の上で転がし味わう。


「上々の出来だろう、証拠はない。仮に上手く行かなかったとしても、父上は私達の仕業とは思うまい」

「だと良いですが」


ナルケスは気分を変えたくなったのか窓に向かい、ファーレは苦笑する。


「全て終われば久しぶりにのんびりと、狩りでも行いたいところだな。私はからっきしだが、お前は腕が良かっただろう」

「狩りですか……良いですね」


ナルケスは窓を開け、答えた。


ファーレは剣や弓が得意ではなかったが、ナルケスは違った。

性格も得意不得意も違う。けれど不思議と気が合った。

友情というのは能力ではなく、もっと別の部分に感じるものなのだろう。

様々なものを捨ててきた数十年――それを少しでも取り戻したいとファーレは思う。


「鹿が良い。幼い頃に食ったあれは格別だった。……硬い肉だったはずなのだがな」


今度は少しの間が空いた。

返答はなく、代わりにどさ、という音が響いた。

眉を顰めてそちらを見る。


ナルケスは床に伏していた。

泥酔というほどは飲んでいないはずで、ファーレは眉間に皺を寄せる。

――そして、喉に硬質な感触を覚えた。


視界の端に銀色がちらつく。

倒れたナルケスの首の下――そこに血溜まりが広がっていくのが見えた。


ファーレの呼吸が止まりそうになる。


「ま、待て、何のつもりだ。私を誰だか知っているのか――」

「ファーレ=アーカサコス。アーカサコス公爵家の嫡男だそうですね」


耳をくすぐる声は、どこか幼い。

女王のそれに、よく似た声だった。

視界の端に先ほどから映る銀の髪――ファーレは自分の背後にいるのが誰かをようやく理解した。


「ま、待ってください。何故、何故私を。誓って、私は今回の事に無関係です」

「そうですか、でも、どちらでもいいです」

「か、は――?」


突如、呼吸が出来なくなる。

声を発することも出来ず、代わりに顎の下でコポコポと、不気味な音が響いた。

喉から焼けるような痛みを感じてファーレは転がる。


「安心してください。王宮の貴族で今クレシェンタに従っていない人間を、王家に対する不服従として虱潰しに殺していってるだけですから。あなたが犯人だってクリシェが決めつけてるわけじゃないです。ちゃんと一番悪かった人も一緒に死にますよ」


右肩で激痛が走り、耐えられずにのたうち回る。


「クリシェには誰が一番悪いのかよくわからないですけれど、でも、全員同じにしてしまえばそれでおしまいですから」


右腕の感覚がなくなっていることに、少し遅れて気が付いた。


「反逆罪は四肢裂きなのでこうしているのですが、もし違ったら不服従の罰としてはちょっと過剰だと思うかも知れません。……でもちゃんと全員、同じ目に遭わせますから安心してください。あなただけが痛い、なんてことはありませんから」


逃げようと這うように左腕を伸ばし、すぐに切断される。

熱したナイフでバターに刃を入れるように、何の抵抗もなくファーレは両腕を失った。


「ああでも、ナルケス伯爵の方は先に殺しちゃいましたね。ちょっと不公平でしょうか……まぁ後でちゃんと同じにしてあげますから、死体になった後は一緒ですよ」


声も出せぬまま首だけで振り返る。

美しい銀の髪の少女――その瞳が宝石のように、紫の輝きを放つ。


「クリシェはただ、もう二度とこんなことが起きないようにしておきたいだけなのです。ほら、お部屋が汚かったら掃除するでしょう? 丁度、そんな感じで……」


口元には微笑があった。


その瞳には凍える様な、怒りと憎悪が満ちていた。


「悪いものを全部全部綺麗にして、そうしたらクリシェも安心です」


そうして、足がゴトリと切断される。











――王国歴458年。

この年新女王の戴冠から間もなく、王都アルベナリアで一晩の内に17人の貴族が四肢を裂かれ惨殺されるという前代未聞の大事件が発生した。


犯人は一人として捕えられず、目撃証言すらもなく。

その被害者は皆新女王クレシェンタに対し恭順の意を示さない保守派の貴族であったとの記述もあり、貴族の殺害という重大な事件にも関わらずその後の調査が打ち切られている。

そのため今なお評価の分かれるアルベラン女王、クレシェンタによるものであったのではないかという見方が強く、クレシェンタの大粛正と呼称されることが多い。


主犯は女王クレシェンタの姉――クリシェ=クリシュタンドであったと匂わせる記述が多くの手記に残されていたが、彼女が裁かれたとする公式記録は存在しない。


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  2024年11月20日、第二巻発売決定! 
表紙絵
― 新着の感想 ―
クリシェンタが最初に言ってたようにアーカサコス公爵家を始末しておけばこんなことにはならなかったのにな 下手人として使われた女性が一番痛い思いして可哀想
[気になる点] 時間停止とか、前の治癒魔法っぽいのとか………、ひとりだけ魔法使いみたい。 魔力持ちは身体強化ばかりだしなあ。 [一言] 報復が来た!! アーカサコス以外の人達はとばっちりだけど、放って…
[一言] 愛する人を傷つけられてブチギレのクリシェにゾワゾワしました。もはやベリーの存在が国の命運を握ってますね
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