忠誠
アレハとワルツァは一時的に黒旗特務の訓練教官として、ダグラ達と行動させることとした。
出来ることならば将軍や軍団長として使いたいところではあるが、他の者達からの信用や王国の評判を考えると、しばらくは大っぴらに使うわけには行かない。
お披露目に合わせた各国との会談が控えている現状、面倒事は避けておきたいというところでセレネやクレシェンタの意見は一致する。
問題は彼と刃を交えたクリシュタンドの軍団長。
これには話を通しておく必要があるとのことで、クリシュタンドの屋敷に集まり顔合わせを行なうこととなったが――
「ははは、こうして会うのは初めてだが……いつぞやのことはよく覚えている。若いのに腕が良い、また機会があれば軽く刃を交えたいところだな」
「ええ、是非とも。私も再戦の機会を得られるなら望むところです」
「将軍も高く評価しておられた。今こうして、この場にアレハ=サルシェンカがいると聞けば流石の将軍も驚くに違いない」
楽しげに笑うのは顔まで筋肉で出来たような大男――第二軍団長コルキス=アーグランド。
そしてその隣で邪悪に微笑を浮かべるのは、元第四軍団長にして元帥補佐のエルーガ=ファレンであった。
隣に座りクッキーを延々と食べ続けるクリシェを微笑ましそうに目をやりつつ、対面のアレハとワルツァの隣、セレネに視線を向ける。
「ヴェルライヒ将軍もセレネ様とクリシェ様の決めたことと言えば特に反対はしないでしょう。その辺りはさっぱりとした方だ」
「そう、少しだけ安心したわ。あなたたちに思うところがあるならどうか、と少し思っていたから」
周囲はともかく、身内であり古くから父の部下であった彼等に難色を示すものがあるなら、その扱いに関してはもう少し考えようとは思っていた。
優秀な将軍となり得る逸材とは言え、それが不和の種となるなら問題の方が大きい。
クリシェはその点気にしなさすぎるのが問題であった。
殺し合っていた相手でも、戦が終われば微笑を浮かべてこんにちは。
ある意味では健全な在り方と言えるが、あまりに健全すぎて周囲の人間がついて行けない。
二人の様子を見てひとまずの安心――セレネはようやく肩の荷が降りた気分だった。
なるように任せ我関せず、話はセレネに任せっきり。
クッキー割り人形と化していたクリシェがそこでようやく口を開いた。
「しばらくは二人とも黒旗特務の副官として組み込みます。人員増加で指揮出来る人間が足りないでしょうし……折を見て第四軍団を任せようかと思っているのですが」
「それがよろしいでしょう。指揮運用の手並み――十二分に実力がある」
第一軍団はこれまでも色々と任せてきた元第三大隊長キースを。
第二軍団は今まで通りコルキス。
第三軍団には元第一大隊長ベーギルを置く。ベーギルには元々それだけの器があるため問題はない。
だが問題は第四軍団、これは新編の必要があった。
元帥補佐――場合によればセレネの手足となって各地を回るエルーガにも戦力が必要で、その軍団に元第四軍団の将兵がそっくりそのまま配属されたためだ。
クリシェの率いるクリシュタンド軍は各方面へ中央からの応援として動くため、一軍団が欠けることに大きな問題はないものの、いずれは四軍団編成としたい。
だが適当な人物というのは中々いないもの。
第四大隊長バーガはどうにもクリシェと仲がよくはなかったし、キースの副官として補佐へ。
第二大隊長ファグランは大隊長の地位が気に入っている様子でベーギルの下に。それに加えどうにも、狼群の元上官であるベーギルやグランメルドと同じ軍団長になることにも抵抗があったらしい。
第五大隊長ガインズも優秀であったが、狩人出身で戦術知識も浅い自分は軍団長の器にないと辞退したため、第四軍団長に綺麗に収まる人間がいなかった。
テリウスの率いていた第三軍団から選ぶ事も出来たが、めぼしい人物は戦力回復を急務とする東のノーザン、西へ行ったフェルワースの所へ異動となっている。
優秀な士官は多いが軍団長を任せるとなると、残っているのは実績に乏しい者達だけ。
そこに丁度良く現れたのがアレハであった。
元々将軍位――色々な事情を除き、能力としては太鼓判を押せる人物であったし、軍団長として見ればこれ以上ない適役である。
将来的にはもちろん将軍として使おうと思っていたが、将軍を任せるにはやはり年数と実績が必要であるし、敵将であった彼は更に周囲からの信頼を積む必要があり、様々な観点で手元で使うには何より丁度良い人材と言える。
とはいえまだ第四軍団再編の目途も立っていない状況で、色々と王宮もざわついており。
ポストだけでひとまずの所はダグラの下、クリシェの雑用兼ミア達の教育係として黒旗特務の所属として働いてもらうことになっていた。
「元敵国将軍を軍団長に据えるというのは中々大胆なものですが……」
エルーガはアレハとワルツァを見た。
冷たさすら感じる怜悧な眼差しに二人は僅かに居住まいを正す。
先日まで軍団長の地位にあったとは言え、その軍歴と戦場での活躍は輝かしいもの。
軍人はその地位と同じく、時にそうした経験に対し強い敬意を示した。
敵として幾度となく戦った彼等はエルーガ=ファレンが現在の地位に不足ない実力者であると知っている。
その態度は当然のものだった。
「戦術をクリシュタンドから学び、ボーガン殿を越えるべき相手として尊敬していたと告げる言葉に嘘はないでしょう。扱う戦術にはそれらしきものが散見されていましたし、並々ならぬ執着があるのだろうということは以前から感じておりました」
エルーガは思い出すように告げる。
「こうして目にしても腹に抱えるものはないようで、澄んだ目をしている。私はこの二人が信用に値する武人であると感じます」
「そうですか。えへへ、クリシェも多分大丈夫だとは思っていたのですが、ガイコツがそういうならクリシェも安心です」
微笑み見上げてくるクリシェに、邪悪な笑みを返して頭を撫でた。
ガイコツという呼称に戸惑いつつも、ひとまず乗り切ったらしいことを知り、アレハはほっとした様子でありがとうございます、と頭を下げた。
「礼ならばクリシェ様に。……ただ、一つだけ」
「……何でしょうか?」
「クリシェ様は誰より才あり、優れた武人だ。そして誰より心優しき純粋なお方でもある。……この先どのようなことがあっても、決してその信頼を裏切ることなく忠誠を捧げると、今ここで名に誓ってくれまいか?」
少し驚いた様子のアレハにエルーガは笑みを深めた。
「クリシェ様のため長生きをするつもりではあるが、私も歳だ。その最期を安心して迎えられるようにしておきたい」
アレハはその言葉に納得したように、そういうことならば、と真面目な顔で頷いた。
そして立ち上がり、クリシェの側まで行って膝をつき、自身の胸に手を当てる。
「……この恩義に背くことなく、終生この剣を捧ぐ事――ただ一人の武人として、この身、このアレハの名に誓い申し上げます」
「えーと……?」
クリシェは困ったようにエルーガを見た。
エルーガは笑って告げる。
「汝の誓いを我が胸に刻む、がこういう場合の定型句ですな」
「はぁ……汝の誓いを我が胸に刻みます」
クリシェが告げると、アレハはありがたく、と言って顔を上げた。
「少し古い作法です。このようなことがあれば、今のことを思い出すとよろしいでしょう」
「ん……色々あるんですね。本にはあんまり書いてませんし、クリシェはいまいち……あ、座っていいですよ?」
「は」
クリシェは言った後、いつぞやのことを思い出したように姿勢正しく隣に立つベリーを見た。
ベリーは首を傾げ、古い作法という言葉に思い当たって僅かに頬を染めると、口の前にひとさし指を立てた。
ひみつです、と声を出さずに彼女の口が動き、クリシェはどこか楽しげに微笑み。
セレネが何やら呆れたような、拗ねたような調子で、その秘密のやりとりをじーっと見つめた。
王宮の地下実験室。
「骨組みが完成しました、クリシェ様」
負傷兵ネイガル率いる黒旗特務工作班は骨組みの完成した人形の出来映えに頷きつつ、クリシェに声を掛けた。
クリシェの前には粉末や得体の知れない液体が入った透明な硝子や小瓶が並べられ、魔水晶を眺めたりかざしたり、人形制作にはあまり関わっていない。
声を掛けられたクリシェは頷いて立ち上がり、部屋の中央にある台――そこに横たわる鉄人形を眺めた。側にいたエルヴェナも主人に続く。
それは胴と頭を鳥籠に置き換えた、鉄の骨格標本と言うべき何か。
鎖で繋いでいた以前とは違い球体の関節を使い、その内側に魔水晶を挿入。
四肢は概ね人体のそれと同様であるが、特に脚部は重量に耐えうるよう太く作られており、アキレス腱に当たる部分へは太いバネがそれぞれ二つ取り付けられている。
掛かる加重を考えればもっとも負担が掛かるのは足と考え、その負担を和らげるための試みだった。
足のサイズは人の倍ほどもありやや歪で、既にそこだけは大きな木靴を履いていた。
不格好ではあるが、その分荷重は分散される。
「細かいところは削って調整しましたし、問題はないかと」
「そうですか。起動しますね」
クリシェはネックレスをかざして魔力を流す。
ペンダントトップの魔水晶が不規則な明滅を繰り返し、頭部の鳥籠に入った魔水晶――コアも応じるように少し異なった明滅を繰り返す。
連鎖的に心臓部が発光し、そこから四肢に繋がるよう魔水晶が青い発光を示した。
少し離れてください、とネイガル達に告げて続ける。
「まずは準備体操ですね」
クリシェの魔水晶が再び明滅し、コアが反応。
ぎぎ、と音を立てて鉄人形は身を起こし、その場で腰を反らして伸びをした。
セレネの良くやる動作である。
そのまま台を降りると腰を捻り、腰を前後左右に折り曲げて屈伸運動を始め――なんとも間抜けな動作を繰り返すが、その様子はひょうきんと言うよりどこまでも不気味であった。
エルヴェナはやや後ろに下がりクリシェの背中に身を隠す。
他の者も驚いたようにその様子を眺めていた。
「……なんとも奇妙な。何がどうなればこうなるのかさっぱりですな」
「魔力の波を相互に送りあってるんです。長い発光と短い発光――それを組み合わせてパターンを作って動作させているだけ。仕組みは簡単ですよ」
クリシェは再びペンダント――送信機を明滅させた。
その瞬間、
「っ……!?」
「きゃっ!?」
突如牙を剥いたように鉄人形はクリシェに手刀を振り下ろす。
しかしそれは寸前で止まり、鉄人形は固まった。
「人間の体自体、動くことに関してだけ言えば難しいことはありません。筋肉は収縮するか弛緩するかのどっちかですし、それでも動くのが難しいなんてことはないでしょう? 一部位に伝えるのは仮想筋肉を伸ばすか縮めるか、そしてそのタイミングと強弱だけでいいんです」
「……はぁ、なんとなくわからないでもないですが」
とはいえ、理解出来るかどうかは別のもの。
そのパターンの膨大さがどれほどになるのかと思えば、その把握ができるのは目の前にいるこの少女だけだろう。
腰が抜けそうになっていたエルヴェナはクリシェの肩を掴みつつ、ネイガルの視線に首を振った。彼女もそのパターンに関してはほとんど理解出来ていない。
送信機を明滅させると鉄人形は姿勢を正して敬礼を行ない、じゃらんがしゃんと音を立てた。
球体関節を固定するため伸ばした鎖――それの奏でる音であった。
クリシェは少し考え込み、ぽん、と手を叩く。
「じゃらがしゃにしましょう」
「……あの、クリシェ様……それは」
「ほら、鎖はじゃらじゃらしてますし、歩く音もがしゃんがしゃん、とってもわかりやすくて良い名前です」
ふふんと得意げにクリシェは頷き、エルヴェナを見る。
「エルヴェナもなんて呼ぶか困ってましたし、丁度良いでしょう?」
「そ、そうですね……じゃらがしゃ……」
エルヴェナは呆れたように、間抜けな名前を付けられた人形に憐れみの目を向けた。
その反応に満足したらしいクリシェはネイガルに告げる。
「これがひとまず雛形ということでいいでしょう。次から手は作らないで直接武器と繋げられるようにしますから、少しは楽になるかと」
「……? 手は使わないのですか?」
「部品数が多くなってしまいますし、複雑すぎて戦場に出すとすぐ壊れちゃいそうですからね。武器も普通の兵士が使えるものより大型化しますし……耐久性にも難があるでしょう。今回は別の目的があったので作ってみたのですが」
ネイガル達は首を傾げ、クリシェはネイガルの左手首や、座ったまま作業している工作班の足を指さした。
戦場で負傷し失われた部位である。
「手足がないのは不便ですし、ないなら体に合わせて作ってしまえば良いと思ったのです。あなたたちは魔力が扱えますから、じゃらがしゃの腕や足をサイズ調節して素材を木か何かにすればそのまま仮の腕や足として使えるでしょう?」
慣れるまで大変かもですが、とクリシェはなんでもないことのように言った。
ネイガル達は言葉を失い、互いに顔を見合わせる。
クリシェは首を傾げ、エルヴェナを見る。
事前に聞いていたエルヴェナは苦笑して、驚いておられるのですよ、と言った。
「……そんなことまで、我々のために?」
「そんなことなんて。クリシェが自腹で維持してる私兵なんですから、効率化を図るのは当然のことです。荷運びから何からクリシェまで手伝わなきゃならないのは面倒ですし、仮のものでも手足があればもうちょっと働けるでしょう? 最終的にこういう面倒なお仕事は全部、あなたたちに任せたいんですから」
じゃないと雇っている意味がありません、などと腰に手を当てクリシェは言った。
ネイガル達は再び顔を見合わせ、頷き合う。
腕の左右は違うものの踵を鳴らし、音の揃った敬礼を行なった。
感極まったように目を潤ませるものもあった。
「ありがとうございます。……この恩義、我ら一同この一生をクリシェ様のために捧げましょう」
「ハゲワシみたいな……老人になって役立たずになったら追い出しますから、一生は捧げてもらわなくて結構ですよ。精々働ける時に頑張って働いてください」
「は、もちろんですとも。……それでも、そのような気持ちでお仕えします」
片足の男を支える隻腕の男が、何泣いてるんだ、とその頭を叩き。
しかしその男も目は潤んでいて、それを指摘されて笑い声が響いた。
そんな光景をじっと眺めて、エルヴェナはクリシェに告げる。
優しげな微笑を浮かべて囁くように。
「わたしも、クリシェ様にお仕え出来たことを誇りに思います」
「……変な人ばっかりですね」
「クリシェ様が一番変わっておられますよ」
くすくすと愛らしい笑みを零し、その小さな頭を優しく撫でた。
そこでノックの音が響いた。
「クリシェ、わたしよ。入っていいかしら?」
「あ、セレネっ」
クリシェはとてとてとドアに近づき中へと誘う。
現れたのは四人。
元帥セレネ=クリシュタンドと元帥補佐エルーガ=ファレン。
そして王国の女王クレシェンタ=アルベラン。
扉を開けて現れた顔ぶれに誰もが硬直し、慌てたように再び踵を鳴らして姿勢を正し。
「ささ、どうぞ女王陛下っ」
そして誰より前に踊り出る影。
クリシェとエルヴェナを除いた誰もが今や王国一位の大貴族クリシュタンド家――の使用人、アーネ=ギーテルンスの尻に敬礼を捧げた。