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王都の黒翼

月明かりに青白く。

王都アルベナリア――白き都は冷えた空気すらが硬質に、静寂が満ちていた。

城壁内の一級市街、その一等地にある赤い屋根の大邸宅。

アーカサコス公爵家の大屋敷がそこにあり、それを高さ百五十尺――大鐘楼から見下ろすのは一つの影。


黒外套に全身を包み、フードから覗くのは銀の髪と白き美貌。

そして宝石のような紫の瞳であった。


「……寒いですね」


黒マフラーに鼻を埋め、クリシェは眼下にある屋敷の構造に目をやる。

コの字状をした二階建て。クリシェのいる東とは反対側、西側の部屋にアーカサコスの寝室はあるらしい。

前方の庭に果樹園は存在するが、他に身を隠せそうな場所はない。

わざと見通しをよくしているのだろう。松明を持った武装護衛が二人一組で十名ほど。

この寒さにも関わらず窓がいくつか開けられ人影が映った。周辺監視だろう。


治安の良い一級市街では珍しいくらいの警戒。

恨みを買っている自覚があるのか、性格か。

いずれにしてもどうでも良いことであった。


「さっさと終わらせましょうか」


欠伸を一つ。

大鐘楼からひらりと身を投げ出すと、大鐘楼の中程で勢いよく壁を蹴る。

落下の加速を横方向へ変換し、両手で外套の裾を掴んで風を受け滑空――屋敷の赤屋根へと跳び乗り転がった。

そうして気付かれることなく侵入を果たすと、屋根を歩いて西側へ。


この辺りではここが一番高い屋敷で、庭も広い。

魔力保有者であっても他の家の屋根からは飛び移ってくることもできないため上空を気にするものはおらず、誰も鐘楼から飛び移ってくるとは思っていなかったようであった。

とてとてと雑談もせず真面目な顔で周囲を警戒する男達を眺め、優秀な護衛だが想像力が欠如しているなどと辛辣な評価を下して進む。

黒旗特務の連中にはより高度で想像力が必要となる訓練を行なわせておくべきかも知れない。

頭の中で過酷な訓練スケジュールを考えつつ、寝室のあるバルコニーへと降り立った。


こちらにも四人ほど鉄柵の外を警戒する男達がおり、仕事熱心に歩き回る男達の後頭部を見下ろし、問題ないようだと中への扉を見る。

白塗りの両開きでかんぬき錠が内側から掛けられているものだ。


上質なもののようで隙間もなく、普通には開けられないですね、と手を当てた。

魔術によって金具を操作し固定を外すと、何事もなかったように中へと身を滑らせ、ナイフを引き抜く。

静かに寝息を立てる老人――アーカサコス公爵の姿がそこにあった。







クレシェンタはぎゅうぎゅうとクリシェの腕を抱きつつ告げる。


「あの方は放っておけばその内わたくしを殺そうとしますわ。その前に始末しておいた方が安心ですし、都合が良いですもの。おねえさまなら簡単だろう、って思って――うぅ」

「お馬鹿。そんなことをクリシェに頼まないでちょうだい」


セレネが再び嘆息して、幸せそうなクレシェンタの頬をつまむ。

なにしますのっ、とクレシェンタはその手を払いセレネを睨む。


「なんであなたもクリシェもそう短絡的なんだか……」

「わたくしはちゃんと考えてますわよ、失礼ですわね」


ぷりぷりと頬を膨らませ。

クレシェンタはそのままクリシェの膝の上に座るとセレネに告げる。


「暗殺に対して絶対的な防御なんてできませんわ。おねえさまとアルガン様が料理を作ってくださるのは良いとして、ここに来る食材に毒が混ぜられてたらどうしますの? 井戸水や化粧品、仕立て終わったドレスに何かを仕込まれていたら?」


クレシェンタはクリシェの両手を引っ張り、腰を抱かせつつ指を立てた。


「軍人育ちのセレネ様にはわからないかもしれませんけれど、王宮で不安を残せばそういう些細な事から疑わなければなりませんの。わたくしだって政治的な手段で更迭出来ればそれでよいと思いますけれど、時間が掛かりそうで面倒ですもの。その方が手っ取り早いですわ」


殺した方が早いです、などとクレシェンタは膝の上で向きを変えてクリシェに抱きつく。

クリシェはその頭を撫でつつ、うーん、と考え込んだ。


「悪いことしてるんですか? その人は」

「これからしますの。表向き隠してますけれど、ろくでもないことはきっと沢山してますわ。じゃないとあれだけ混乱してた王宮の中枢に居座れないですもの」


クレシェンタは指を立てた。


「戦であれば対面に立つ敵を殺しますでしょう? 剣を向け合っていないだけで同じこと。後手に回って良いことはありませんの。問題があるなら、それが大きくなる前に処理しておくのは当然のことではありませんこと?」

「でもクレシェンタ、暗殺という手段が良いこととは思いません。相手が建前上でもルールを守るなら、こちらも建前上はルールを守るべきでしょう?」

「おねえさまなら気付かれずにやれますわ。建前も何もないんじゃなくて?」


死人は喋りませんもの、と当然のようにクレシェンタは言い、クリシェの頬に手を当てた。


「わたくしは最大限、おねえさまのために。おねえさまも最大限、わたくしのために。そうであればこそ鳥籠は完全ですの。些細なほころびがそれを脅かすことをおねえさまは理解なさるべきですわ」

「……クレシェンタはすぐに人を殺そうとするのがいけないところです」

「わたくしはきっと、おねえさまの百分の一も殺してませんわよ?」


むぅ、とクリシェは妹の頬を引っ張りつつ、ベリーに視線を。

ベリーは我関せず、といった様子で新しい紅茶を淹れていた。


ベリーはクリシェをただ信じると決めていて、だから何を言うでもなく。

助言をするでもたしなめるでもない。

それを知っているクリシェは、考えて告げる。


「悪いことをすれば簡単に、色んな問題が解決してしまえるのかも。でもクリシェはなるべく悪いことよりも、良いことを努力したいです。クレシェンタにもそういう風になってほしいって思います」

「そんなことにこだわって、手遅れになったらどうしますの?」

「確かに、それはクリシェも不安です。だから妥協案……要は、悪いことをしようと思わせないようにすればよいのでしょう?」


黙って話を聞いていたセレネが、何する気? と首を傾げる。


「単純に、いつでも殺せると言うことさえ教えて上げればいいのです。それだけならクリシェがちょっと行ってきますよ」


今日はとっても寒いのに。

クリシェは唇を尖らせ不満そうにしながらも、仕方ない、と割り切った。

クレシェンタは嬉しそうにクリシェへ頬摺りをして、幸せそうに笑う。


「うふふ、おねえさまならそう言ってくださると思ってましたわ」


えぇと、と思い出したようにクレシェンタはドアの方に目をやる。

丁度戻ってきたらしいアーネを手招きし、何かの包みを持ってこさせた。


誰もが不思議そうな顔をする中、包みから出てきたのは丸めて紐で縛った羊皮紙とナイフ。

ますます不可解だとクリシェが尋ねる。


「……なんです、それ?」

「ちょっとしたお手紙とナイフですわ。もう準備しておきましたの。適当にナイフと一緒に枕元に置いてきてくださいまし」


楽しげにクレシェンタはナイフを見せた。

優美な細工が施されたもので、ナイフに刻まれるのは雄鳥の紋章。

雄鳥はアーカサコス家の紋章であった。

家紋が施された私物――それもこれほど見事なナイフとなれば、持てるものは限られる。

恐らくはアーカサコス家でも本家に近しい人間の持ち物だった。

どういう手段で手にしたのか、それは分からなかったが簡単に手に入るものではない。

どう考えても、こうなることを見越して事前に用意していたものだろう。


「『誰が敵とも分からぬ世界、いつでも側で見ています』って書いてありますの。ナイフはアーカサコス公爵の息子のもので、これはちょっと手に入れるのが大変だったのですけれど……一緒に置いておけば勝手に身内同士で騒いでくれますわ」

「……随分準備がいいわね」


セレネが呆れたように告げると、クレシェンタは微笑む。


「もちろん一番はおねえさまが始末してくださることですけれど、きっとセレネ様やアルガン様の邪魔が入りますもの。次善策は大事ですわ」

「むー……」

「ぅにっ」


クリシェは何やら不満そうにクレシェンタの頬をつまんだ。

両手で柔らかい頬を引っ張りながら、ずるいやり方です、と告げる。


「真面目に妥協案を考えたクリシェがお馬鹿みたいじゃないですか」

「ふぇふに、ほろひへくらさっへもよろひいれふわよ?」

「殺すのはひとまず保留です。クリシェはひとまず良い子になると決めてるんですから」


手を離すと口付けて、クレシェンタの目を見つめた。


「クリシェはクレシェンタにも良い子になる努力をして欲しいのですが……」

「それで生きていけるならさぞ喜ばしいことかも知れませんけれど、良い子になる前にやるべきことはするべきですわ。アルガン様は少し頭がお花畑ですの。あまり影響されないでくださいまし」


じっとりとした目でベリーを睨み、睨まれた赤毛の使用人は苦笑する。


「まぁ、お花畑と言われれば確かに否定は出来かねますね。仰るとおりであるのかも……」

「……その余裕な感じが気に食わないですわ。嫌味を言ってるんですけれど――むぐ」

「クレシェンタは本当いけない子です。まず口が悪いところからですね」


頭がお花畑とはいかなることか。

少し考え込んでいたクリシェは続いた言葉に妹の口を手で押さえ、まったく、と柳眉をわずかに逆立てた。

クレシェンタは再びひっくり返り、クリシェに背中を預けて手を取る。


「事実ですもの。おねえさまがアルガン様にべったりなのはこの際まぁ気にしないこととしても、頭がお花畑のアルガン様が安心安全に過ごしていけるよう努力するのは必要なことでしょう? アルガン様と堕落するのはその後にして下さいまし」


道理ではあると考えつつ、クリシェは少し考え込み。

クレシェンタは名案が浮かんだと言わんばかりに再びクリシェに抱きつく。

先ほどから膝の上で落ち着きのない女王である。


「そうですわ。しばらくおねえさまがわたくしの護衛にべったりとついてくださるようにすれば大体のことは解決ですわね。アルガン様にはお屋敷で細々としたところを任せて、そうしたらわたくしもちゃんと良い子にしますわ」

「面倒なので嫌です。色々やることありますし、ベリーとお料理したいですし」

「うぅ……酷いですわ、アルガン様ばっかりずるいですわ」


即答されたクレシェンタは不満そうに横目でベリーを睨み。

クリシェはその頭を撫でつつ、とりあえず、と言った。


「……仕方ありません。どうあれクレシェンタのお願いは今日中に終わらせてあげますよ。そうしたら多少安心でしょう? まったく……」


クリシェは今日帰ってきたばっかりなのにと、さも旅が大変だったと言わんばかりであったが、馬車の中でぬくぬくとしながらベリーにくっついていたクリシェに大変な要素はない。

聞いていたベリーは苦笑して、クレシェンタは困ったように姉を見上げる。


「ちゃんとわたくしも、おねえさまが帰ってくるまで起きてお付き合いしますわ。任せてくださいませ」







――そうしたやりとりを思い出し。

クリシェは枕元に抜き身のナイフと手紙を置いた。

クレシェンタの言うとおり殺しておくのが良いかもしれないと思えたが、やはりそれは良くないことだろう。

アーカサコス公爵は面倒――要するに失脚させ王宮から追放するには手間が掛かるという程度。対処出来ないわけではないと言うことだ。


少しだけ悩んだ後、そうしてクリシェはその場を後にする。


入ってきた時と同じく、バルコニーの扉を閉め屋根に飛び移り再び周囲を眺めた。

護衛の男達の後頭部を見て問題ないと頷き、欠伸をしながら寒気に身を震わせた。

そうして軽く助走をつけて宙を舞うと、屋根を伝い、軽やかに城壁駆け上って王領の屋敷へ。


大した時間も掛からず仕事を終えて戻ったはずなのだが――


「お、お疲れだったのでしょう、その……ちゃ、ちゃんと頑張ってクリシェ様をお待ちしようとはなさっていたようなのですが……」


クレシェンタは幸せそうにベッドで丸まりぬくぬくと寝入っており。

寒い中眠気と戦い仕事をしてきたクリシェは無言で、その頬をむにむにと引っ張った。

女王は熟睡であった。


翌朝アーカサコスの寝所では悲鳴が響き渡り、王領の屋敷では女王の言い訳が響き渡り。

王都では夜闇を舞う大きな蝙蝠の魔獣を見掛けたのだという些細な噂が、笑い話として伝わった。


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作者X(旧Twitter)

  2024年11月20日、第二巻発売決定! 
表紙絵
― 新着の感想 ―
[良い点] クリシェ、ちゃんといい子になろうとしてるんだな。 全滅させるのしか頭になかったよ。 [気になる点] ベリーに何かあったり、いなくなったりしたらヤバいよなぁ………? クリシェがいい子なのはベ…
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