勝利への執着
15年前――東部。
そこでは激戦が繰り広げられていた。
目的はエルスレン神聖帝国西部への侵攻であり、大将はギルダンスタイン。
破竹の快進撃を進める王国に対し、神聖帝国側は焦土戦略を実行。
西部を完全に切り捨て力を貯めると、一斉反攻に出る。
その戦いに参加していた王国の北方将軍が討ち取られたことにより、王国側は一気に押し返され、王国東部侵攻軍は一時窮地に陥っていた。
北側を突破した神聖帝国に、側背を攻められる形となったのだ。
――テリウス=メルキコスはそこで、死の際にあった。
『――何故私を助けた、クリシュタンド。構わず行けば貴様は問題なく兵を退却させることが出来ただろう』
王国北東に広がる大樹海から南東へ。
その山脈の際に築いた砦を防衛していた軍団長――テリウスは味方の後退からの置き去りにあった。
退却を命じる伝令が遅れた上に、それを敵に遮断されたのだ。
『それに貴様は中央……王弟殿下の指揮下にあったはずだ。何故このような外れにいる?』
『無論、あなたの救援です、メルキコス軍団長』
ボーガン=クリシュタンド。
貧乏貴族に生まれた成り上がりであった。
新たな鎧を買い換えるのも渋っているのか、傷だらけの鎧――それをつなぎ止める革や金具だけが新しい。
彫刻の類もなく、質実剛健な鎧と言えば聞こえが良いが、単なるボロだった。
手甲の類も僅かにサイズのズレが目立ち、そもそもオーダーメイドの鎧ですらなく、中古の品を改良して使っているのだろう。
軍団長という立場でありながら、そのような貧乏染みた姿をさらけ出し恥じることがないというのはいかにも成り上がりといった様子であった。
初めて会ったときから気に食わない。
初めて目にしたのはテリウスが大隊長の頃――手柄を挙げた百人隊長として名を呼ばれる姿を見た時だ。
テリウスが軍団長の副官になった頃、ボーガンはエルーガ=ファレン指揮下の大隊長に昇格していたようで、その戦果を当時の将軍に激賞されている姿を見た。
テリウスが目にするときは決まって、称賛されるボーガンであった。
着実な戦果を挙げるテリウスとは真逆、華々しい戦果を挙げる姿。
しかしそうした人間は場を乱すもの。
いずれも自己判断によって、命令違反に近しいことをした上での戦果だ。
結果がでればこそ良いと言えたが、そうでなければ斬首ものの失態――勝手な動きは他を危険に晒す。
いずれその顔を目にすることもなくなるだろう。
そう考えていたが今回の戦で再び目にした時、ボーガンは軍団長となり、テリウスと同じ立場にまで昇格していた。
『気に食わん。貴様の役目は王弟殿下の守護であろう』
『その王弟殿下はここからの逆転を狙っておられるようです、どうにも』
『……先日の手柄で目が眩んでしまわれたか』
先日での撤退戦ではギルダンスタイン自ら敵追撃隊指揮官の首を獲った。
この男と共に。
『そういう方ではありません。少なくとも将軍としては明瞭、決断力に優れ、自ら先陣を切る強さを持つ尊敬すべき将軍であると感じます。お噂はどうであれ、軍人としては泥臭くとも貪欲に勝利を求める方だ』
『無謀なだけだ。血と手柄に酔っておられる。……まぁいい。この窮地をどう脱する気だ? 敵はこちらに向いているだけでも1万5000。それに騎兵の数が違う。今更逃げたところで生き残れるかは賭けだ』
テリウスは腕を組んで少し考え込み、告げる。
個人的には好ましい相手ではなかったが、もはや見捨てられたテリウスの救援に来てくれた――その恩は返しておく必要がある。
『借りは返そう。殿はこちらで引き受ける。……サルヴァ、悪いが私と死んでもらうことになるかもしれん。よいか?』
『は。お供しましょう』
サルヴァは微笑し敬礼する。
覚悟を決めた良い顔であった。
『クリシュタンド。私の兵に生き残ったものがいれば後を頼む』
『はは、何を勘違いしておられるのです。我々の目的は後ろにはない』
ボーガンは笑って告げた。
『私とあなたの軍団――二つを使って山へ敵を誘い、これを撃破する。そしてここを突破し殿下の正面に布陣する敵将を討つ。……言ったとおり、狙うはここからの逆転です。そして私はそれに協力してもらうため、あなたにこうして協力を求めに来たのです』
『……正気か?』
『ええ、正気です。私の部下は皆強い。あなたも、あなたの兵達もこの状況で士気を失ってはいない。皆決死の覚悟――良い兵と指揮官達です。全員死兵となるならば、やってやれないことはない』
獣のようにボーガンは笑う。
『敵はもはや勝利を確信し、戦場から心が離れているでしょう。戦後の褒賞を考え心は彼方――臆病風が蔓延する。だからこそ狙うべきは、我々が窮地にあるこのタイミングなのですよ』
『……やはり狂っているな、貴様は』
『戦場ですからね、多少狂ってなければやってられません。……どうでしょう? どうせ狂うならば恐怖よりも、血と勝利に狂う方が楽しいと私は思いますが』
前々から気に食わない男であった。
しかしこうして対峙すると、その誘惑は力強い熱を発して胸を焼く。
『いいだろう。どうせこの状況だ、貴様の無謀に乗ってやる。……その後は同じ軍団長として後で説教があるからな、逃げるなよ』
『はは、その説教は勝利の美酒に酔いながら聞きたいものですな――』
――懐かしむように、テリウスは昔を思い出す。
戦場では血と鉄が舞い、悲鳴と硬質な金属音がただただ大気に満ちていた。
元より正面に布陣していた敵5000。
それに加え増援ナキルス=フェリザーの5000と、敵本隊――元副官サルヴァの5000。
敵は明らかにテリウスを抜き、勝負を決めるために動いていた。
セレネから預かった4000の内3000を迂回阻止のために用い、内1000を突破に対する予備に用いる。
敵に対する恐れはない。
怒りが思考を鈍らせることもなく、この場に冷静でいられることを感謝する。
『――わたしは自分が正面切ってここで勝つことよりも、あの子が勝つことに賭けたいわ。それまでわたしを守ってちょうだい、……頼ってばかりで申し訳ないけれど』
それを与えてくれたのはセレネであった。
ボーガンの仇を誰より討ちたいと思っているはずの彼女は、私情よりもただ、勝利だけを見つめていた。
自分は未熟――ある意味軟弱とも取られかねない言葉。
それをあの場で告げるには、随分な勇気が必要だっただろう。
思えばコルキスでも、テリウスでも、エルーガでも――ボーガンの後を継ぎ、クリシュタンド軍の指揮を執るのは誰でも良かった。
それでも満場一致で未だ若きセレネを指揮者と認め、彼女を推したのは、そんな彼女の人格を誰もが認めていたからだ。
驕らず、慢心せず、ひたむきな努力家。
経験未熟ながらもそれをただ努力によって埋め、精力的に軍務をこなし、父の死からすぐに立ち直って見せた。
15の娘がそうして自分たちに見せるのだ。
ならば、自分たちが私怨と情に流されることなど許されない。
彼女にはクリシュタンドの象徴――コルキスやテリウスを含めた多くの暴走を止める歯止めとしてその役を担ってもらっていた。
しかしそう理解していたにも関わらず、再びサルヴァと顔を合わせてからの自分は冷静さを失いかけていたのだ。
彼女の言葉は、そんなテリウスを諌める言葉でもある。
テリウスは思い出し、苦笑してしまう。
彼女はほんの子供であった。
それを相手に、たしなめられてしまったのだ。
「いい歳をして、なんと情けないものか」
「……軍団長?」
セレネにあるのは15の少女が覚えられる限りの軍事知識だけだ。
将軍としてはまだまだ――軍団長ならば辛うじてという実力しかない。
それでも15の少女としては出来過ぎているくらいのものであるが、名将を呆気なく討ち取り、強引に全てを解決してしまえる力を有するクリシェとは比べるに値しないし、クリシュタンドの軍団長と比べても経験の浅さと戦場への慣れの弱さが足を引っ張り、実戦能力では大きく欠けるだろう。
けれど彼女はこの場にある誰よりも、将軍にふさわしい。
彼女は自分の能力が未熟であるとはっきり認め、その上で地位に驕らず、かと言って引け腰にならず、堂々と周囲を頼って使うことが出来るのだ。
それはある種の才能であった。
年若いものには普通できないことだろう。
かと言って年季の入った軍人でも、それができるものはそういない。
誰もが自分の力への自負があり、そして才能ある者ほどその傾向は強まるからだ。
紛う事なき天才――時折傲慢にすら見えるクリシェなどはその最たるものと言える。
けれどセレネはその才能を花開かせながらも、指揮者としてその妹の真逆を行っていた。
溢れんばかりの名声と栄誉。
英雄と呼ばれるようになっても――誰より優れた力を持っていても、決して驕らず自身を戒め続けたボーガンのように。
彼女はやはり、ボーガンの後継者であった。
「フェリザーはこちらの右翼側――ファレン軍団長との継ぎ目を狙っているように見えるな」
「は、そのように見えます」
「ファレン軍団長にあれをお任せすると伝えろ」
「……よろしいのでしょうか? 中央の負担が――」
「ファレン軍団長はああした手合いの扱いが巧みだ。この状況でも十分――」
言いかけたところで赤旗の伝令がこちらへと走ってくる。
馬上で敬礼しながら伝令は告げた。
「メルキコス軍団長、ファレン軍団長より伝令です。『猪はこちらに任され、正面に傾注を』とのことです」
「くく……この通りだ。異論はあるかネルタス」
「は……ありません。旗手、中央に了解の旗を」
新たな副官の呆れたような表情に笑い、テリウスは眼前を。
これで対するは正面一万――エルーガには後で礼を言わねばならんと、水で喉を潤し、剣を突き出す。
「左翼は突撃の準備を。陣形を折るぞ!」
「爺め。面倒な真似を」
クリシュタンド軍中央は斜線陣を崩さず保ちながら、その上で戦列に屈曲点を設けた。
その凸部に弓兵が配され、右翼を進軍するサルヴァ――ギルダンスタイン軍に横合いから放たれるのは無数の矢雨。
正面からの矢はある程度防御ができても、横からの矢雨が加われば、兵員の損耗は加速度的に増大する。
「……殿下、どうされます?」
「突っ込むだけだ。テリウスを正面から抜く。それ以外に勝機はなく、そしてそのために俺もお前も全てを尽くした。違うか?」
「いえ」
「何、死ねばそれまでだ。悩むことはない、気楽に行くといい」
――狂っている。
サルヴァはこの状況に笑うギルダンスタインを見て、そう感じる。
この突撃を文字通り、最初で最後にする。
ギルダンスタインはそう告げた。
全ての安全策を放り出し、敵の突破か死か――この突撃はそういうものだ。
第三軍団の壁は厚い。そのことをサルヴァは誰より知っている。
そのサルヴァにはギルダンスタインの行動は大胆というより無謀に思え、けれどこの男は可能と断言する。
ああ、とサルヴァは思い出す。
サルヴァに足りないものがあるとするならば、勝利のために全てを投げ出す狂気だろう。
勝利のために数千、数万の兵を犠牲にして、それで足りぬならば自分の命をも賭けのチップに差しだしてみせる。
そしてその決断を下した上で平然と彼らは笑うのだ。
ボーガンも、ノーザンも、コルキスも、テリウスも、エルーガも。
クリシュタンド軍では誰もがそうだった。
出世を夢見ながらも、副官の地位に甘んずることへ諦めを覚えていたのは、自分に足りないものを自覚していたからだ。
自身は無能ではなく、むしろ優秀で――けれど決して敵わぬ存在がある。
彼らには常に、紛れもない尊敬の念を向けていた。
「どれだけの勇者も、屑も、恨みや情に至るまで――死ねばそれまで。ある意味死には清々しさすらあると思わんか?」
「多くの者にはそうではないでしょうが。近頃は思わなくもないですな」
サルヴァは降り注ぐ矢を払いながら答えた。
勝利したとして汚名は生涯つきまとう。
自分は正しかったのか、正しくなかったのか――それを死ぬまで悩み続け、自分は死ぬことになるのだろう。
ここからある未来はそんなもの。
ある意味死は救済であるとも言え、否定する気にはならなかった。
「この世は肥溜めのようなものだ。生まれ落ちれば宝玉だろうと汚濁に沈む。誰もが醜い糞を纏わり付かせて、どちらが汚いと比べて競う。見ていると笑えてくるものがあってな、次第に糞の掛け合いが楽しめるようになったのだが――とはいえ、終われば終わるで、それはそれで気持ちが良いものだ」
狂う前のギルダンスタインは、若くして王族として求められる全てを持っていたという。
兄王子シェルバーザは決して無能ではなく、王位継承者として十分な資質を有していたが、けれど弟、ギルダンスタインほど光るものはなく。
――兄王子シェルバーザではなく、ギルダンスタインこそが王に相応しい。
ギルダンスタインが常軌を逸した遊びを始めた切っ掛けは、王宮内で起こったその騒ぎが原因であると密かに伝えられていた。
王宮内での事――当時は若く、そして軍人であったサルヴァは多くは知らない。
大抵の貴族にとって、王宮、王族などは雲の上にあるものだ。
まともに会話をしたのは裏切りを持ちかけられてからでしかなかったが――それでもギルダンスタインが噂ほど狂っているとも思えない。
始末に負えない悪人であることは確かで、尊敬も出来ない相手ではあった。
けれどその全てが悪かと言えば、それは違うとも思える。
「……仰ることはわからないではないですが。とはいえ、肥溜めにあっても宝玉は宝玉に変わりはないでしょう。少なくとも私が今軍人としてここにあるのは、そう思う部分があるためです」
ギルダンスタインは訝しむようにサルヴァを見た。
特注で作らせた王族としての鎧を捨て、サルヴァの副官として簡素な鎧を堂々と身に纏い。
卑怯と言えば卑怯だろう。
卑劣と言えば卑劣だろう。
王族としての矜持もない、虚飾に塗れたギルダンスタインの姿――しかしそれでもこの男が求めるのは勝利であった。
その純粋さには、軍人として心惹かれるものがある。
「殿下とて、そうでしょう?」
「……さて、どうだかな」
「まぁ、どちらでも構いません。……少なくともこの場は、あなたの盾と剣になり死生を共にすると決めておりますゆえ」
ギルダンスタインは愉しげに口の端を歪めた。
「くく、なるほど。思った以上に良い武具だなお前は。……戦いの後で壊れてなければ、長く使ってやろうじゃないか」
「……いつか主人に刃を向けることがあるかもしれませんが、それでよろしければ」
「伝承の魔剣とはそのようなものだ。ガキの時分には憧れたものだが……」
まぁいい、と笑って前を見る。
「敵はここから最左翼を動かしたぞ。どう考える?」
「矛を受け止め囲む気です。この場合、最左翼に熟練を配していると見て良い。こちらの最右翼では防ぐことは不可能でしょう」
「つまりは――」
「――このまま、全力で眼前の分厚い壁を突破する。それが最も単純で、最善のやり方です。……殿下が抜けなければ死ぬだけですな」
「はっ、言うじゃないか。――前に出るぞサルヴァ、矢雨の中、お前に兵がついてくることだけを祈れ」
そうして――接敵の瞬間ギルダンスタインは前へ。
眼前には長槍兵であった。
夥しい槍の壁は突き進む最前列の兵士にとっては逃れられぬ死の象徴。
最前列の半数以上がそれによって殺されることは間違いない。
長槍の密集隊形は、常に正面の敵に対して膨大な血量を要求する。
長槍に正面から対抗できるのは長槍だけだ。
それでもギルダンスタインは大盾を構えた剣兵を最前列に置いていた。
長槍での集団行動は練度がものを言う。
一糸乱れぬ統制があるからこそ、長槍は強力な兵科足りうる。
付け焼き刃の寄せ集めで正面からぶつかれば押し負けるのはこちらであり、そして長槍同士のぶつかり合いは多大な時間を浪費する。
それは断固として避けねばならない。
時間――コルキスが自分の倅という餌を食い終わる前に、全ての決着を付けねばならないからだ。
第二軍団長コルキスは確かな戦士であった。
真正面からやりあえば、例え十全の状態であっても勝敗はわからない。
そしてそんな戦いを行ってしまった時点で、それはギルダンスタインの敗北を意味する。
目の前にある第三軍団は文句なしの難敵であり、持ちうる全てを注ぎ込まなければこれを抜くことは不可能だとギルダンスタインは考えた。
結果としてこの攻撃は本陣予備すらを用いた捨て身の突撃。
中央と左翼がエルーガとコルキスによって崩壊させられることは既に織り込み済み――それら全てを切り捨てての行動であった。
セレネを攫い損ねれば、もはやこちらも立て直しが不可能となる。
だからこそ、時間。
ギルダンスタインはただ、目的を果たすために全力を尽くさねばならない。
――勝利と言う名の。
最前列を進む兵士を追い越し、先頭へと踊り出た。
奇しくもクリシェが見せた一人がけのように、万の敵を前に立ち、走る。
「邪魔をするな、雑兵共……!!」
背後に連なる自身の兵達に見せつけるように。
敵に衝突する寸前でその大戦斧を全力で振りかぶった。
鋼の芯を通した重量斧――全身の力を振り絞るように構え、振り抜き、そして放つ。
両手から離れた凶器は轟音を響かせ、風を巻き込み飛翔する。
「ひっ、あ!?」
鋼の巻き起こす暴風は構えられた長槍をへし折り、砕き、敵戦列に穴を。
大戦斧は自らに与えられたエネルギーの全てを、破壊のために放出。
そしてギルダンスタインは剣を引き抜き、すかさずそこへ踏み込んだ。
大剣を天高く――天へと突き立てる剣の構え。
それは王国の紋章そのままの姿であった。
その肉体で螺旋を描き、横薙ぎに振り抜く。
なめした革の鎧など、ギルダンスタインの剛剣を前には裸体と変わらぬものであった。
全身の力を振るい、伝達し、振るわれるのは最速――王者の剣。
技巧を用いて敵の隙を狙い、虚を穿ち、しかしそれらは剣の本質ではない。
力によってねじ伏せる――圧倒する。
それこそがギルダンスタイン。
――王者の振るう刃であった。
突入点を広げるように、敵の槍壁を乱すようにギルダンスタインは刃を振るう。
歓声入り混じる喊声が轟き、その場の全てを圧壊する。
「進め!! お前達の勝利は前にしかないぞ!!」
声を張り上げギルダンスタインは笑う。
血のついたまま剣を鞘に納め、転がっていた大戦斧をその手に。
やることは同じであった。
長槍を崩して抜ければ剣兵が配されている。
小剣に中盾を構え、乱戦に特化した兵士達。
しかし、ギルダンスタインの――王者の敵ではない。
前に立つものへ思い知らせる。ねじ伏せる。
この男には敵わないと認識させ、恐怖を掴む。掌握する。
重要なのは自分がその場の支配者になることであった。
感情や理性の中の一つを拾い上げ、法で、言葉で、暴力で立場を示す。
『王』とはただ権力によって形作られるものではない。
常に力によって作り上げられるものであり、周りの全てを掌握する、そんな力の持ち主を示す『言葉』であった。
尊敬すべき兄――シェルバーザ王を殺したクレシェンタ。
けれど本心のところでは彼女を恨んでなどいない。
殺された兄は善良に過ぎ、脇が甘かった。
王として立つには弱い人間だったということ。
殺されるのは殺されるものの責任であって、それ以上のことではない。
そしてクレシェンタは自らが王となるために動き、行動した。
彼女はクリシェという駒を見つけて勝利を確信し、ギルダンスタインに勝負を挑んだのだ。
図式は単純で、明快で。
今ここにあるのはそういう勝負であった。
どちらが王に相応しいか。
これは王族二人の存在を賭けた、そういう勝負。
騙し、騙され、卑怯なことなどどこにもない。
勝負を挑まれれば勝利だけを追い求め、行動する。
権力、情、意志、能力――その全ての強さが結果をもたらし『王』を作るのだ。
クレシェンタはボーガンとクリシュタンド軍を利用した。
手駒のヒルキントスは容易く討たれ、結果としてこちらは劣勢。
あちらは能力としてギルダンスタインを上回り――けれどまだ終わらない。
勝負はどちらかが動けなくなるまで続くのだった。
――そして、その時まで結果はわからない。
「副官殿、お下がりを!! 我らが道を拓きます……!」
追いついてきた名も知らぬ百人隊長が叫ぶ。
副官――ギルダンスタインが着込んだ鎧で判断したのだろう。
「時間が惜しい。下がらせたくば勝手に前へ出ろ」
「は! 聞いたか貴様ら!? 一班から七班は前進、右手より切り込むぞ! 十班十二班は尻だ!」
魔力を使うでもなく、単なる平民上がりだろう。
老境に差し掛かっても声には張りがあり、気迫があった。
戦場に何十年と、その身を捧げてきたものだけが身につける空気。
――悪くない戦士であった。
「名は何という?」
「将軍直下第二大隊所属、百人隊長クラリアスです、副官殿」
「なるほど、死ぬなよクラリアス。生き残れば遊んで暮らせる褒賞を用意してやる」
「はは、ありがたきお言葉。……しかし難しいことを仰る!」
眼前にある敵へ体ごとぶつかるように、その剣で刺し貫く。
剣を引き抜くのを不可能と見るや、相手の腰にある剣を引き抜いた。
腕も判断もいい――だが、敵も同等かそれに近しく。
「この状況で先の事を考える余裕などありませんな!」
「なるほど、確かに。――とはいえ、お前達の仕事はここで終わりだ」
左に見えたのは、彼等が右手へ切り込んだことで生じた間隙。
背後に視線をやる。
そこにはサルヴァの姿があり、そして彼もギルダンスタインと同じものを見ていた。
「承知致しました!!」
ギルダンスタインの視線に応え、そこへ切り込んだのはサルヴァであった。
根元は幅広、先へ行くほど細く鋭く。
頑強さを残しながらも手元に重心――刺突に適した長剣。
踏み込み振るえば鮮やかに、敵の鎧の隙間を穿ち命を奪う。
そして連なるようにそれに続くは将軍護衛の最精鋭。
そちらに目をやり笑みを浮かべ、クラリアスに告げる。
「将軍は正面に向かわれた。俺達はこのまま進み敵軍団長の側面に出る」
「将軍の援護には――」
「構わん。敵の意識はあちらに吸い寄せられる。お前達がすべきはその間に乱れた敵陣を進み、大いに乱すことだ。俺が先導する、ついてこい」
一つ目の壁を抜ければ、距離を開けて再び現れる長槍兵。
隊列の隙間から弓兵が踊り出て、側面から間髪入れずに射撃を行なう。
まるで城砦攻めのようだった。
矢雨の中長槍を突破すれば、中では剣兵が待ち構える。
そしてそれをようやくの思いで抜ければ再度の長槍。
その上側面から少数とは言え、弓兵の一斉射撃が待っている。
クリシュタンド軍第三軍団長、テリウス=メルキコス。
この男は野戦築城の名手であるが、単なる野戦においても人の肉を用い、何もない場所に城砦を築く。
間隙という名の道に敵兵を走らせ、殺し間を作り、抜け出た猛者を一網打尽にすることで心を折る。
斜線陣にて大きく陣形を傾けながらも二段構え、三段構えの防壁を築く手腕は見事と言え、大抵の敵は長槍を突破しての長槍――そして側面からの射撃に戦意を失うだろう。
クリシュタンドの軍団長に、無能など一人も存在しない。
故にクリシュタンドは王国最強――英雄の率いる無双の軍と、その名を轟かせてきたのだ。
ボーガンを将軍に命じてから十余年。
彼とそれの率いる軍が成した戦果を、ギルダンスタインは王宮で何度も聞いた。
繰り返し、繰り返し。
あるいは己が王族ではなく、ただの一貴族であったならば――何も考えず、ただ剣のようにあることができたのだろうか。
――例えば、ボーガンのように。
「どけ!!」
大戦斧にて眼前の長槍を両断する。
砕きへし折り、槍を乱して前へ。
怯えた敵に血肉を食む。
少なくとも今だけは、何も考えずに進むことが出来た。
「副官殿、無茶をなさる……!」
「気分が乗ってきてな、実に楽しい気分だ」
「はは、カルデラ将軍の副官にこれほど勇猛な方がいらっしゃるとは……これは勉強不足でした。お名前はなんと?」
「ギルダンスタインだ、クラリアス」
「は――?」
もはや抜けるまでに距離はなく。
隠す必要すらもない。
「王の隣で戦える栄誉をお前に与えてやる。背中は任せたぞ」
百人隊長は一瞬硬直し、すぐに事態を理解した。
王弟ギルダンスタイン――黒獅子が振るうは巨大な戦斧。
それくらいは、誰でも知っている。
「は! 承知致しました!!」
長槍を砕き、背後の重装歩兵を弾き飛ばし。
既にサルヴァはテリウスと対峙していた。
――そうして、ギルダンスタインは第三軍団長を間合いに捉える。
「――驚いた、とは言うまい。お前なら突破が出来ても不思議ではないか」
城砦を象るような彫刻。
磨き抜かれ輝く鎧を身につけたテリウスは、馬を降りると双剣を引き抜き、眼前に現れたサルヴァに告げる。
息は荒く、磨き上げられた彫刻もないプレートメイルを血で汚し。
けれど確かにそこに立って、テリウスに対峙する。
長槍二列と重装歩兵の三重陣。
間に空間を設け、弓兵連動を行なうことで、突破してきた敵を誘い込む形で挟撃、壊滅させる。
道を絞り、走らせ、矢雨と罠で敵を殺す城砦のように、テリウスが築く肉の砦――それを突破出来るものはそうはいない。
しかしサルヴァは隊を二隊に分け、片方を囮にすることで弓兵連動を阻害。
見事その三重の防壁を抜いてここまで辿り着いていた。
テリウスは素直に称賛する。
長く自らの側で副官としていたサルヴァ。
それを相手にすることを考慮し、細部を調節した構えであった。
サルヴァでは抜けない――こうして顔を合わせることはない。
しかしその判断は自らの驕りであったのだろう。
サルヴァは冷静――どちらかといえば消極的な人間だ。
自ら先陣を切り、兵列を裂いてくるタイプの人間ではない。
不思議と、それを喜ぶ気持ちもあった。
心のどこかでは、サルヴァがこうして目の前に現れることを望んでもいたのだ。
「思えば、長い付き合いであった――だが、これで終わりだサルヴァ。覚悟は出来ていよう?」
抜けてくることを察したテリウスはすぐさま兵を集めた。
突出してきたサルヴァを殺すために。
切り込んできたのは精々500。こちらには1000。
サルヴァ達は疲労している。これで終わりだった。
「あなたの副官として戦った年月――忘れはしません」
「捨てたのはお前だ、残念だよ。……弓兵!」
抜け出たサルヴァ――迎え撃つのは弓兵の一斉射撃。
だが――
「軍団長、敵が……、っ!?」
その寸前、もう一点から現れたのは大戦斧。
囮――そう考えた少数、百人程度の部隊であった。
「皆のもの、行け! 軍団長テリウス=メルキコスの首は眼前だ!」
サルヴァが叫び、弓兵は応射。
しかし左翼側から現れた敵は完全に構えの外にあった。
テリウスは咄嗟にそちらに向かい、そして事態を理解する。
「……殿下!」
「久しいなメルキコス。悪いが、死んでもらうぞ」
大戦斧を担ぎ、兜の下で笑い。
ギルダンスタインは目を細めた。
「――俺が手ずから、殺してやる」